No.223 - 因果関係を見極める [科学]
No.83-84「社会調査のウソ」の続きです。No.83-84では主に谷岡一郎氏の著書『社会調査のウソ』(文春新書 2000)に従って、世の中で行われている "社会調査" に含まれる「嘘」を紹介しました。たとえばアンケートに関して言うと、回答率の低いアンケート(例:10%の回答率)は全く信用できないとか、アンケート実施者が誘導質問で特定の回答を引き出すこともあるといった具合です。そして、数ある「嘘」に惑わされないための大変重要なポイントとして、
ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。
『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(No.84参照)、まず「広い家ほど子供の数が多い」という 1994年4月に公開された厚生白書がありました。この白書によると「公共住宅などの円滑な提供が必要」とのことです。しかしこれは「③隠れた変数」の例であり、
◆地方の文化的・社会的環境
├─⇒ 子たくさんの家庭
└─⇒ 広い家
と解釈するのが妥当です。また「②逆因果関係」に従って、
◆子供の数が増えた
└─⇒ 広い家に引っ越した
とも解釈できます。次に「ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファストフード)を食べる頻度が多い子供は非行の率が高い」という調査がありました。子供の栄養バランスの崩壊を憂う気持ちは分かりますが、まともに考えると、
◆親の子育ての手抜き
├─⇒ ジャンクフード
└─⇒ 非行
でしょう。非行については「TVで暴力シーンをみることが多い子供ほど非行に走りやすい」という調査もありました。TVの暴力シーンを規制すべきという意見ですが、これも、
◆子供の暴力的な性格
├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
└─⇒ 非行
というのが真っ当な解釈です。その他、No.84にいろいろな例をあげました。戦後の子供の「体格の向上」と「非行の増加」の "相関" は、全くの偶然=④疑似相関の例です。
では、正しく因果関係を見極めるにはどうすればよいのか。それを最新の手法を踏まえて事例とともに紹介した本が2017年に出版されました。伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(光文社新書 2017)です。伊藤氏はシカゴ大学助教授で、環境エネルギー経済学、応用計量経済学が専門です。この本(以下、本書)の "さわり" だけを以下に紹介します。
世の中は怪しいデータ分析で溢れている
伊藤公一朗氏の本ではまず、因果関係を推定する難しさが指摘されています。ある新聞記事の例です。
この大学の調査結果から「留学経験→就職率の向上」という「①因果関係」は推定できるのでしょうか。この場合「②逆因果関係」はありえないので、問題は「③隠れた変数」です。伊藤氏は次のような「隠れた変数」の可能性を指摘しています。
このような隠れた変数が就職率の向上に役だったかもしれないのです。もちろん「留学経験→就職率の向上」という可能性もあります。伊藤氏の本には書いていないのですが、留学を経験した学生は「外国人とのコミュニケーション能力」に優れていると考えられます。新卒学生を採用するときに「外国人とのコミュニケーション能力」を特に重視する企業はかなり明確に特定できるでしょう。ということは、留学経験者と企業との "就職マッチング" の成功率は一般の学生より高いと考えられるのです。
要は、多角的に分析しないと一概なことは言えないということです。特に難しいのは「隠れた変数」がいくらでも想定できることです。またその中には観測しにくいものも多い。留学の例でいうと、成績のデータは集められても、意志や好奇心のデータは集めにくいのです。
実はこういった分析なしに、あるいは誤った分析をもとに因果関係を喧伝する情報がメディアに溢れています。伊藤氏は次のように書いています。
この「あたかも因果関係のようにメディアで主張された」例を伊藤氏はあげています。夜に電気をつけて寝る子供に近視が多いという相関関係です。
どういう背景の調査なのかが書かれていないのですが、2歳以下の子供の近視というと親が見つけにくいものです。おそらく幼児近視の研究者が子供の近視を医学的に調査し、その生活環境も合わせて調査して相関関係を見つけたのだと想像します。この例に見られるように、相関関係に過ぎないものを誤って(あるいは確信犯的に)因果関係だと報道する事例がメディアには溢れているのです。
伊藤氏の本からちょっと離れて、このブログで取り上げた例を振り返りますと、No.84「社会調査のウソ(2)」で書いた「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病の発症」がありました。つまり、
という研究者の調査をとりあげた新聞報道です。見出しだけ読むと「カロリーオフ炭酸飲料が糖尿病のリスクを増やす(=因果関係)」と誤解する人が出てきそうですが、よく考えるとそんなことはありえないわけです。記事では「カロリーオフ炭酸飲料を飲む → 慢心して食べ過ぎる → 糖尿病のリスク増大」という "因果関係の推定" が書かれていましたが、本当にそうなのか。最も妥当な考え方は、シンプルに、
◆糖尿病のリスクを自覚している人
├─⇒ カロリーオフ炭酸飲料をよく飲む
└─⇒ 糖尿病を発症する率が高い
でしょう。糖尿病のリスクを自覚している人とは、医者からそう言われた人や、毎年の健康診断で血糖値が正常範囲に収まらない人、あるいは親が糖尿病の人などです。
新聞は企業が作る "商品" です。そこには「大切な新情報」が載るのですが「商品価値の高い情報」だともっとよい。"News" つまり新情報を選択するときにも、それがセンセーショナルで、ちょっと驚くような内容なら一段と商品価値が高まるわけです。
伊藤氏の本に戻ります。因果関係を正しく見極めるのが重要なのは、個人であれ企業や自治体であれ、ものごとを決めるときに重要なのは、ほどんどの場合は因果関係だからです。データの分析が間違っているために出てきた間違った推定を「バイアス」と呼ぶそうですが、では、バイアスを排して因果関係を正しく見極めるにはどうすればよいか。伊藤氏がその手法を紹介しています。このうちから何個かを紹介します。
電力料金の値上げは節電に結びつくか
まず、電力料金の値上げは節電に結びつくかどうか、結びつくとしたらどの程度の節電かという問題です。これは電気の価格政策を検討する際の重要な情報です。これを伊藤氏らは実験で確かめました。ここで用いられた手法は RCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)呼ばれるものです。これは試験の対象となる人々をグループ分けするときに必ずランダムに行う方法で、因果関係を証明するのには最適な方法です。
伊藤氏ら研究者は経済産業省、企業、自治体の協力を得て、北九州市で「電力価格フィールド実験」を行いました。「フィールド実験」というのは企業活動や消費活動などの実際の現場(=フィールド)で行う実験を言い、実験室で行う「ラボ実験」と対比させた言葉です。
2012年夏の北九州市の実験では、実験に参加した世帯に30分ごとの電力消費量を記録できるスマート・メータが配られました。このメータにはディスプレイ画面がついていて、家庭の電気の使用経緯がわかります。そして参加世帯をランダムに「介入グループ」と「比較グループ」に分けました。「介入グループ」は時間帯によって電気料金の値上げをするグループ、「比較グループ」は値上げをしないグループです。
まず実験開始前の6月に、参加世帯の電力使用量や電化製品の使用状況(たとえばエアコンの所有数)、年収などを調べました。その結果「介入グループ」と「比較グループ」で平均値やバラツキ度合いがほぼ同じだと確認できました。これがランダムにグループ分けした効果であり、「隠れた変数」の影響を排除できます
実験時の北九州市の電気料金は 1kWhあたり23円(従量料金の部分)でした。全国的に電力が逼迫するのは夏の平日の午後です。そこで実験では、電力が逼迫すると予想されると「介入グループ」に対してだけ、
というメッセージをスマート・メータに表示しました。値上げの幅は電力の逼迫度合いに応じて100円、150円ともしました。このフィールド実験の結果が以下です。
この結果を統計解析した結果、「比較グループ」に対して「介入グループ」の電気使用量(価格変化を行った時間帯)は
50円の場合、 9%の電力消費量減
150円の場合、15%の電力消費量減
になることが分かったとのことです。100円の場合は伊藤氏の本に書いてないのですが、12-13%といったところでしょう。これれら電気の価格政策を決める場合の極めて重要な情報であり、また国レベルのエネルギー政策にも影響するでしょう。
但し、伊藤氏の本に書かれていないことがあります。この「電力価格フィールド実験」に参加したのは「実験に参加したいと申し出た人」です。従って実験に参加しなかった人の電力消費が同じ結果になるとは限らないわけで、このあたりの分析が本に書かれていません。
実験に参加した人は「電気に関心のある人」だと想定できます。たとえば夏場の電気代を節約したいと考えている人とか、電力の逼迫という社会問題に関心のある人です。そうではなくて「電気の使用量に関心などない、使いたい時に電気を使うだけだ、少々電気代が嵩んでもどうってことない」と(暗黙に)思っている人は、実験への参加など申し出ないでしょう。つまり、もし仮に北九州市民全員にスマート・メータをつけたとしたら電力消費量の削減率はもっと小さくなると考えられるのです。著者の伊藤氏も本の最終章で、
と述べていますが、これ以上の言及はありません。北九州市の「電力価格フィールド実験」は "自由参加型のRCT" です。"強制参加型のRCT" が現代の日本では困難なことは分かります。しかし、実測データにもとづく分析は難しいまでも「実験に参加した住民の価格反応度が他の住民の価格反応度と異なる可能性」について(あるいは他の住民と同じだと推定できる理由について)、研究者としての見解を本で示すべきだったと思いました。
電力価格フィールド実験でも分かるように、RCTですべての因果関係を推定することはできません。最初に引用した「留学経験と就職率」でいうと、留学を経験した学生という「介入グループ」と、留学を経験しなかった学生という「比較グループ」を "ランダムに振り分ける" ことはできません。
さらに、フィールド実験はお金がかかることも分かります。おいそれとできるものではない。しかし国や自治体の重要な政策、意志決定にかかわるような因果関係は、RCTによるフィールド実験が(可能なら)検討に値する・・・・・・、そいういうことだと思いました。
オバマ大統領の選挙資金獲得策
2つ目のRCT(ランダム化比較試験)の例です。さきほどフィールド実験はお金がかかると書きましたが、低コストでRCTフィールド実験が可能なケースがあります。その一つが「Webサイトの作り方と、サイトを訪問する人のアクセス・パターンの関係」です。これはサイトのサーバ・プログラムを一時的に書き換えることだけで実験できます。まず伊藤氏の本に載っているのはオバマ大統領の選挙資金獲得策です。
アメリカの大統領選挙の選挙資金集めでは支持者の支援金が重要です。候補者は自分のホームページを開設し、そこで訪問者のメールアドレスを登録してもらおうとします。登録されたアドレスに支援金の依頼メールを送るわけです。できるだけ多くのメールアドレスを登録してもらうことが多くの支援金の獲得につながります。問題は、ホームページの画面やそのレイアウトをどうするかです。どのようにすればメールアドレスの登録率が高くなるのか。
2008年の大統領選挙でオバマ陣営は Google のダン・シローカー氏を引き抜き、支援金集めの戦略を任せました。シローカー氏は Google でRCTを用いたデータ分析の経験を積んだ人物です。オバマ陣営はウェブサイトのトップページに表示する画面を6通り考えていました。そのうちの4種が伊藤氏の著書に掲載されています。
の4通りで、これ以外に2通りの動画が用意されました。さらにオバマ陣営はトップページに表示するボタン(=それをクリックするとメールアドレス登録ページに移るボタン)に表示する文字を4種類考えました。
つまり6通りのトップ・ページ案と4通りのボタン案があり、この組み合わせは24通りあることになります。この24通りの中でベストは何か。オバマ陣営の検討チームは議論の末、A(オバマ候補が支援者に囲まれている写真)+ Sign Up(登録しよう)がベストだと結論しました。しかし、Google でWebサイトのデザインのプロフェッショナルであったシローサー氏は「RCTで検証してみよう」と提案したのです。
この提案によって、検証期間中にトップページを訪れた31万人に24種類の画面のどれかがランダムに表示されました。この "ランダムに" がポイントです。つまり31万人をランダムに24のグループ(各グループは約1万3000人)に分けたことになります。そしてグループごとのメールアドレス登録率を計算したところ、登録率の1位は B(オバマ候補の家族写真)+ Learn More(もっと知ってみよう)だったのです(登録率は 11.6%)。従って検証期間以降の画面にはこれが使われました。検討チームが当初ベストと判断した画面は登録率が8.26%でした。この結果、当初の画面に比較して実際の画面は支援金が約6000万ドル(72億円)増加したと見積もられています。
青の色をどの青にするか
メリッサ・マイヤー氏は Google の副社長 からヤフーの CEO に転じた人です。彼女が Google 時代に行った Google 検索サイトのデザインで行ったRCTが伊藤氏の本に紹介されています。
Google に代表される "Webサイトが命" である企業は、上の引用のようなRCTを繰り返しているのだと思います。画面のレイアウト、配色、フォント、文字の大きさと色など、Google の検索画面のデザインのすべてに意味があると考えるべきでしょう。
医療費の自己負担率と外来患者数の関係
いままで紹介したRCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)は、企業活動や消費活動の実際の現場で実験を行う「フィールド実験」でした。しかし、このような実験で因果関係を検証できるケースは限られるし、また可能であっても実験のコストがかかるので実質的に無理ということもあるでしょう。
そこで「まるで実験が起こったような状況をうまく利用する」手法が研究・開発されてきました。これを「自然実験」と呼びます。自然実験にもいろいろな手法がありますが、ここで述べるのは RDデザイン(Regression Discontinuity Design。回帰不連続設計法)と呼ばれるものです。RDデザインのキー概念は「不連続」ないしは「境界線」です。社会における不連続点や境界線に着目する手法で、その例として本書であげられている「医療費の自己負担率と外来患者数の関係」を紹介します。
高齢化社会を迎え、医療費の抑制が国としての大きなテーマになっています。もちろん第一に大切なことは健康に過ごせる習慣を身につけることであり、地方自治体はこのための各種の取り組みをやっています。一方、国民皆保険制度が進んでいる日本では、健康保険制度の健全運営のために医療費の自己負担率をどうするかもテーマになります。医療費の自己負担率と外来患者数の関係がどうなるかは、公的健康保険の制度設計において大変に重要な情報です。
人は病気の自覚症状を覚えたり怪我をしたとき、病院に行くか行かないかを自己判断します。常識的に誰でも病院に行く症状もあれば、行かずに市販薬で対応したり自然治癒を待つこともある。しかし「行く・行かない」の間にはグレーゾーンがあり、その時々によって人の判断は分かれます。この病院に行く・行かない判断に医療サービスの価格(=医療費の自己負担率)も関わっていると考えられます。では、自己負担率を変えると外来患者数はどう変わるのか。そこにどんな因果関係はあるのか。これはRCTで検証するのが無理な問題です。
そこで着目されたのが日本の健康保険制度です。つまり医療費の自己負担率は年齢によって不連続に変化し、69歳までが30%、70~75歳が20%、76歳以上が10%です。2014年3月以前は70歳以上が一律10%でした。カナダのサイモンフレイザー大学の重岡仁助教授は、この日本の健康保険制度に着目し、1984年から2008年まで(=70歳以上の自己負担率が一律10%の時代)の外来患者数を年齢(=月年齢)別に調査しました。その結果が次のグラフで、横軸が外来患者の月年齢、縦軸が外来患者数です。
このグラフを見ると明らかなのですが、69歳12ヶ月と70歳0ヶ月の間に「境界線」があり、この境界線を境に外来患者数が不連続にジャンプしています。このデータを解析した重岡仁助教授は、
と結論づけています。これが「RDデザイン」という分析手法の例なのですが、この結論には重要な仮定があります。つまり、
という仮定です。本書に掲げられている図を引用します。
この仮定が崩れると「RDデザイン」は成立しません。しかしこの仮定を実証することは不可能です。なぜなら境界線で自己負担率が変化しない場合のデータがないからです。従って分析者は「この仮定は正しいはずだ」という議論を展開することになります。つまり仮定が崩れる場合はどういう場合か、それを想定し、それが起こらないという議論です。本書では仮定が崩れる2つのケースが言及されています。
一つは、70歳を境に自己負担率以外の何らかの要素が不連続的にジャンプし、それによって外来患者数がジャンプする可能性です。外来患者数に影響が考えられるのは就業率、収入、労働時間、年金支給額などですが、これらは年齢に伴って連続的に低下していくので、ジャンプするということはありません。重岡仁助教授は月齢ごとの就業率が連続的に低下していくことをデータで示しています。また70歳の誕生日を境に不連続的に変わる日本の政策は医療費の自己負担率しかないことも論文で示しています。
仮定が崩れる2つ目のケースは、データの対象となっている主体(この場合は医療サービスを受ける人)がグラフの横軸(=年齢)を操作できる場合です。つまり60歳台にもかかわらず70歳だと偽って医療サービスを受けることが可能な場合です。これも、日本の健康保険制度では年齢を偽ることは難しいため(健康保険証を偽造する ??!!)、仮定が崩れることはありません。
RDデザインで注意すべき点は、そこで出た結果は境界線の前後でしか当てはまらないと考えるべきことです。つまり「医療費の自己負担率が30%から10%に減少すると、外来患者数は約10%上昇する」のは70歳前後の人たちに言えることであって、40歳台、50歳台でそうなるかどうかは分かりません。本書には伊藤氏のコメントとして、最近の経済学研究では医療価格に対する反応度は年齢によって違うことが書いてあります。
自己負担率と外来患者数の分析への疑問
以降は本書の「自己負担率」のくだりを読んだ感想です。この項を読みならずっと疑問がつきまとっていました。「RDデザインの仮定」のグラフについての疑問です。つまり、もし仮に70歳を契機に自己負担率が下がらないとしたら、外来患者数は伊藤氏のグラフ(上図の点線)ではなく、下図の点線ように変化すると思うのです。70歳を境にジャンプすることがないのは上図と同じです。しかし自己負担率が下がらないのなら、70歳に近い60歳台の外来患者が増えると思うのですね。
どうしてかと言うと、
だからです。つまり緊急を要しない治療は、不便を我慢しても70歳まで待つと思われるのです。「駆け込み需要」という言葉は消費税が上がる前に高額商品を買うような行為を言いますが、これとちょうど正反対の、言わば「先送り需要」が現実に医療サービスで起こっているのではないでしょうか。70歳を境に医療費の自己負担率が下がるのが公知の事実なのだから・・・・・・。
すぐに思いつくのが白内障の手術です。白内障は水晶体が徐々に濁ってきて視力が低下する "病気" で、加齢によって誰にでも起こりうるものです。白内障の手術は水晶体を人工レンズに入れ替えますが、現在の日帰り手術費用は、3割負担の場合で片眼で約6万円程度です(手術のみの費用で前後の診察を含まない)。両眼だと約12万円です。これが1割負担だと約4万円になるわけで、この差の8万円は大きいと思います(2割負担だと差は4万円)。たとえば68歳で医者から白内障と診断されて手術を勧められた人の何割かは、不便を我慢して70歳まで手術を先送りするのではないでしょうか。今まで我慢してきたのだから ・・・・・・。
ほかにも医療サービスにおける「先送り需要」はいろいろと考えられます。関節の変形による膝の痛み(変形性膝関節症)は加齢により進行しますが、運動や薬の投与で治癒しない場合は手術ということになります。人工関節を入れる手術は医療費が200万円程度かかります。高額医療費制度を利用したとしても、3割負担と1割負担の差は白内障手術どころではないでしょう。70歳まで待って手術ということにならないでしょうか。
最も一般的な加齢現象は高血圧(加齢性)です。血圧が高いと良いことがないので、医者は運動を勧め塩分を控えるように指導しますが、病院・医院を定期的に訪れて血圧降下剤の処方箋をもらう人も多いはずです。これも「70歳を契機に」とはならないか。保険の対象となる入れ歯(義歯)もそうです。"大がかりな" 義歯は1割負担になってからという心理が働かないでしょうか。
ここで想定した先送り需要は、もし70歳を境に医療費の自己負担率が下がることがないとすると60歳台後半に前倒しされると思います。全部とは言わないまでも、眼が見えにくい、膝が痛む、モノが食べにくいといった "生活に支障を感じる症状" はそうだと思うのです。だとすると「医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した」という結論の、10%のところが怪しくなります。
本書はこのことの検討が欠落しています。少なくとも先送り需要について言及し、その影響は外来患者全体からみると無視できる程度に小さいという説明が必要だと思いました。「無視できる程度に少ない」ことをデータで実証するのは難しいでしょうが、70歳で病院を訪れた患者にインタビュー、ないしはアンケートをすれば大体の様子は推測できると思います。「医療費の自己負担率と外来患者の因果関係」を発表した重岡助教授も、その論文を本書で紹介した伊藤助教授もアメリカ在住の経済学者です。公的データの分析を越えた現場調査には限界があったのかもしれません。
因果関係を見極める重要性
本書には以上に紹介した手法以外に、自然実験の手法である「集積分析」や「パネルデータ分析」が紹介されていますが、割愛したいと思います。また本書には各手法の長所・短所が明記されていて、データ分析の限界もちゃんと書かれています。このあたりはバランスがとれた良い本だと思いました。
因果関係を見極めることは、特に国や自治体の政策決定や企業の方針決定にとっては重要です。思い返すとその昔、地域振興券というがありました(1999年)。バブル崩壊後の消費を活性化するために公明党の主張によって(自民党がそれに乗って)導入されたものですが、その後の内閣府の調査では消費を押し上げる効果はほとんど無かったとされています。地域振興券による消費分が貯蓄に回ったわけで、国民はバカではないのです。結局のところこれは公明党の人気取り政策であり、天下の愚策(=当時の内閣官房長官の野中広務氏)だった。その結果として国の財政負担を増やし、その分だけ国債の発行額=財政赤字を増やしました。
こういった「バラマキ政策」と「消費拡大」の因果関係は、経済学者が研究してちゃんと発言すべきものでしょう。本書に紹介されている例に2008年のアメリカの景気刺激策があります。つまり「燃費の悪いクルマから良いクルマに買い換えたら40万円の補助金を出す」という政策です。「燃費」というのは "飾り" であって、要するにクルマを買い換えたら40万円出すということです。アメリカのプリンストン大学のチームは、この政策は駆け込み需要を増やしたけれども、その後の需要が落ち込み、全体として景気刺激効果はなかったと分析しています。
要するに、国や政府レベルでも「怪しい因果関係論」があるわけです。我々としては「因果関係」の主張に対してまず、本当なのか、実証されているのかと疑ってみるべきでしょう。
相関関係があるからといって、因果関係があるとは限らない |
ということがありました。一般にXが増えるとYが増える(ないしは減る)という観測結果が得られたとき、Xが増えたから(=原因)Yが増えた・減った(=結果)と即断してはいけません。原因と結果の関係(=因果関係)の可能性は4つあります。
① | Xが増えたからYが増えた(因果関係) | ||
② | Yが増えたからXが増えた(逆の因果関係) | ||
③ | X,YではないVが原因となってXもYも増えた(隠れた変数) | ||
④ | Xが増えるとYが増えたのは単なる偶然(疑似相関) |
相関関係がある場合の可能性
XとYのデータの動きに関連性がある場合の可能性。①XがYに影響する、②YがXに影響する、③VがXとYの両方に影響する。これ以外に、④単なる偶然、がある。図は伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
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『社会調査のウソ』で谷岡一郎氏があげている何点かの例を振り返ってみますと(No.84参照)、まず「広い家ほど子供の数が多い」という 1994年4月に公開された厚生白書がありました。この白書によると「公共住宅などの円滑な提供が必要」とのことです。しかしこれは「③隠れた変数」の例であり、
◆地方の文化的・社会的環境
├─⇒ 子たくさんの家庭
└─⇒ 広い家
と解釈するのが妥当です。また「②逆因果関係」に従って、
◆子供の数が増えた
└─⇒ 広い家に引っ越した
とも解釈できます。次に「ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファストフード)を食べる頻度が多い子供は非行の率が高い」という調査がありました。子供の栄養バランスの崩壊を憂う気持ちは分かりますが、まともに考えると、
◆親の子育ての手抜き
├─⇒ ジャンクフード
└─⇒ 非行
でしょう。非行については「TVで暴力シーンをみることが多い子供ほど非行に走りやすい」という調査もありました。TVの暴力シーンを規制すべきという意見ですが、これも、
◆子供の暴力的な性格
├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
└─⇒ 非行
というのが真っ当な解釈です。その他、No.84にいろいろな例をあげました。戦後の子供の「体格の向上」と「非行の増加」の "相関" は、全くの偶然=④疑似相関の例です。
では、正しく因果関係を見極めるにはどうすればよいのか。それを最新の手法を踏まえて事例とともに紹介した本が2017年に出版されました。伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』(光文社新書 2017)です。伊藤氏はシカゴ大学助教授で、環境エネルギー経済学、応用計量経済学が専門です。この本(以下、本書)の "さわり" だけを以下に紹介します。
世の中は怪しいデータ分析で溢れている
伊藤公一朗氏の本ではまず、因果関係を推定する難しさが指摘されています。ある新聞記事の例です。
海外留学に力を入れているある大学の調査では、留学を経験した学生が、留学を経験しなかった学生よりも就職率が高いことがわかった。このデータ分析の結果から、留学経験経験は就職率を向上させるものであると大学は報告している。 |
この大学の調査結果から「留学経験→就職率の向上」という「①因果関係」は推定できるのでしょうか。この場合「②逆因果関係」はありえないので、問題は「③隠れた変数」です。伊藤氏は次のような「隠れた変数」の可能性を指摘しています。
◆ | 留学の奨学金を受けられるほど、もともと成績が良かった。 | ||
◆ | 留学したいという強い意志や好奇心があった。 |
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要は、多角的に分析しないと一概なことは言えないということです。特に難しいのは「隠れた変数」がいくらでも想定できることです。またその中には観測しにくいものも多い。留学の例でいうと、成績のデータは集められても、意志や好奇心のデータは集めにくいのです。
実はこういった分析なしに、あるいは誤った分析をもとに因果関係を喧伝する情報がメディアに溢れています。伊藤氏は次のように書いています。
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この「あたかも因果関係のようにメディアで主張された」例を伊藤氏はあげています。夜に電気をつけて寝る子供に近視が多いという相関関係です。
|
どういう背景の調査なのかが書かれていないのですが、2歳以下の子供の近視というと親が見つけにくいものです。おそらく幼児近視の研究者が子供の近視を医学的に調査し、その生活環境も合わせて調査して相関関係を見つけたのだと想像します。この例に見られるように、相関関係に過ぎないものを誤って(あるいは確信犯的に)因果関係だと報道する事例がメディアには溢れているのです。
伊藤氏の本からちょっと離れて、このブログで取り上げた例を振り返りますと、No.84「社会調査のウソ(2)」で書いた「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病の発症」がありました。つまり、
カロリーオフ炭酸飲料を飲む人は、めったに飲まない人にくらべて糖尿病の発症率が1.7倍高い |
という研究者の調査をとりあげた新聞報道です。見出しだけ読むと「カロリーオフ炭酸飲料が糖尿病のリスクを増やす(=因果関係)」と誤解する人が出てきそうですが、よく考えるとそんなことはありえないわけです。記事では「カロリーオフ炭酸飲料を飲む → 慢心して食べ過ぎる → 糖尿病のリスク増大」という "因果関係の推定" が書かれていましたが、本当にそうなのか。最も妥当な考え方は、シンプルに、
◆糖尿病のリスクを自覚している人
├─⇒ カロリーオフ炭酸飲料をよく飲む
└─⇒ 糖尿病を発症する率が高い
でしょう。糖尿病のリスクを自覚している人とは、医者からそう言われた人や、毎年の健康診断で血糖値が正常範囲に収まらない人、あるいは親が糖尿病の人などです。
新聞は企業が作る "商品" です。そこには「大切な新情報」が載るのですが「商品価値の高い情報」だともっとよい。"News" つまり新情報を選択するときにも、それがセンセーショナルで、ちょっと驚くような内容なら一段と商品価値が高まるわけです。
伊藤氏の本に戻ります。因果関係を正しく見極めるのが重要なのは、個人であれ企業や自治体であれ、ものごとを決めるときに重要なのは、ほどんどの場合は因果関係だからです。データの分析が間違っているために出てきた間違った推定を「バイアス」と呼ぶそうですが、では、バイアスを排して因果関係を正しく見極めるにはどうすればよいか。伊藤氏がその手法を紹介しています。このうちから何個かを紹介します。
電力料金の値上げは節電に結びつくか
まず、電力料金の値上げは節電に結びつくかどうか、結びつくとしたらどの程度の節電かという問題です。これは電気の価格政策を検討する際の重要な情報です。これを伊藤氏らは実験で確かめました。ここで用いられた手法は RCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)呼ばれるものです。これは試験の対象となる人々をグループ分けするときに必ずランダムに行う方法で、因果関係を証明するのには最適な方法です。
伊藤氏ら研究者は経済産業省、企業、自治体の協力を得て、北九州市で「電力価格フィールド実験」を行いました。「フィールド実験」というのは企業活動や消費活動などの実際の現場(=フィールド)で行う実験を言い、実験室で行う「ラボ実験」と対比させた言葉です。
2012年夏の北九州市の実験では、実験に参加した世帯に30分ごとの電力消費量を記録できるスマート・メータが配られました。このメータにはディスプレイ画面がついていて、家庭の電気の使用経緯がわかります。そして参加世帯をランダムに「介入グループ」と「比較グループ」に分けました。「介入グループ」は時間帯によって電気料金の値上げをするグループ、「比較グループ」は値上げをしないグループです。
まず実験開始前の6月に、参加世帯の電力使用量や電化製品の使用状況(たとえばエアコンの所有数)、年収などを調べました。その結果「介入グループ」と「比較グループ」で平均値やバラツキ度合いがほぼ同じだと確認できました。これがランダムにグループ分けした効果であり、「隠れた変数」の影響を排除できます
実験時の北九州市の電気料金は 1kWhあたり23円(従量料金の部分)でした。全国的に電力が逼迫するのは夏の平日の午後です。そこで実験では、電力が逼迫すると予想されると「介入グループ」に対してだけ、
「 | 今日の13時から17時の電力料金は50円に上昇します」 |
というメッセージをスマート・メータに表示しました。値上げの幅は電力の逼迫度合いに応じて100円、150円ともしました。このフィールド実験の結果が以下です。
北九州市での電力価格RCT実験
介入グループ(△)と比較グループ(●)の30分ごとの平均電力使用量(縦軸)。縦軸は対数値で、0.1の相違がおよそ10%の違いに相当する。グラフは上から順に、値上げをしない場合(23円/1kWh)、50円/1kWh、100円/1kWh、150円/1kWhの場合。値上げをしたのは介入グループ(△)だけである。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
|
この結果を統計解析した結果、「比較グループ」に対して「介入グループ」の電気使用量(価格変化を行った時間帯)は
50円の場合、 9%の電力消費量減
150円の場合、15%の電力消費量減
になることが分かったとのことです。100円の場合は伊藤氏の本に書いてないのですが、12-13%といったところでしょう。これれら電気の価格政策を決める場合の極めて重要な情報であり、また国レベルのエネルギー政策にも影響するでしょう。
但し、伊藤氏の本に書かれていないことがあります。この「電力価格フィールド実験」に参加したのは「実験に参加したいと申し出た人」です。従って実験に参加しなかった人の電力消費が同じ結果になるとは限らないわけで、このあたりの分析が本に書かれていません。
実験に参加した人は「電気に関心のある人」だと想定できます。たとえば夏場の電気代を節約したいと考えている人とか、電力の逼迫という社会問題に関心のある人です。そうではなくて「電気の使用量に関心などない、使いたい時に電気を使うだけだ、少々電気代が嵩んでもどうってことない」と(暗黙に)思っている人は、実験への参加など申し出ないでしょう。つまり、もし仮に北九州市民全員にスマート・メータをつけたとしたら電力消費量の削減率はもっと小さくなると考えられるのです。著者の伊藤氏も本の最終章で、
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と述べていますが、これ以上の言及はありません。北九州市の「電力価格フィールド実験」は "自由参加型のRCT" です。"強制参加型のRCT" が現代の日本では困難なことは分かります。しかし、実測データにもとづく分析は難しいまでも「実験に参加した住民の価格反応度が他の住民の価格反応度と異なる可能性」について(あるいは他の住民と同じだと推定できる理由について)、研究者としての見解を本で示すべきだったと思いました。
電力価格フィールド実験でも分かるように、RCTですべての因果関係を推定することはできません。最初に引用した「留学経験と就職率」でいうと、留学を経験した学生という「介入グループ」と、留学を経験しなかった学生という「比較グループ」を "ランダムに振り分ける" ことはできません。
さらに、フィールド実験はお金がかかることも分かります。おいそれとできるものではない。しかし国や自治体の重要な政策、意志決定にかかわるような因果関係は、RCTによるフィールド実験が(可能なら)検討に値する・・・・・・、そいういうことだと思いました。
オバマ大統領の選挙資金獲得策
2つ目のRCT(ランダム化比較試験)の例です。さきほどフィールド実験はお金がかかると書きましたが、低コストでRCTフィールド実験が可能なケースがあります。その一つが「Webサイトの作り方と、サイトを訪問する人のアクセス・パターンの関係」です。これはサイトのサーバ・プログラムを一時的に書き換えることだけで実験できます。まず伊藤氏の本に載っているのはオバマ大統領の選挙資金獲得策です。
アメリカの大統領選挙の選挙資金集めでは支持者の支援金が重要です。候補者は自分のホームページを開設し、そこで訪問者のメールアドレスを登録してもらおうとします。登録されたアドレスに支援金の依頼メールを送るわけです。できるだけ多くのメールアドレスを登録してもらうことが多くの支援金の獲得につながります。問題は、ホームページの画面やそのレイアウトをどうするかです。どのようにすればメールアドレスの登録率が高くなるのか。
2008年の大統領選挙でオバマ陣営は Google のダン・シローカー氏を引き抜き、支援金集めの戦略を任せました。シローカー氏は Google でRCTを用いたデータ分析の経験を積んだ人物です。オバマ陣営はウェブサイトのトップページに表示する画面を6通り考えていました。そのうちの4種が伊藤氏の著書に掲載されています。
◆ | オバマ候補が支援者に囲まれている写真(A) | ||
◆ | オバマ候補の家族写真(B) | ||
◆ | 真剣なまざなしのオバマ候補の顔写真(C) | ||
◆ | オバマ候補が行った有名な演説の動画(D) |
の4通りで、これ以外に2通りの動画が用意されました。さらにオバマ陣営はトップページに表示するボタン(=それをクリックするとメールアドレス登録ページに移るボタン)に表示する文字を4種類考えました。
◆ | Sign Up(登録しよう) | ||
◆ | Sign Up Now(今すぐ登録しよう) | ||
◆ | Learn More(もっと知ってみよう) | ||
◆ | Join Us Now(今すぐ参加しよう) |
つまり6通りのトップ・ページ案と4通りのボタン案があり、この組み合わせは24通りあることになります。この24通りの中でベストは何か。オバマ陣営の検討チームは議論の末、A(オバマ候補が支援者に囲まれている写真)+ Sign Up(登録しよう)がベストだと結論しました。しかし、Google でWebサイトのデザインのプロフェッショナルであったシローサー氏は「RCTで検証してみよう」と提案したのです。
この提案によって、検証期間中にトップページを訪れた31万人に24種類の画面のどれかがランダムに表示されました。この "ランダムに" がポイントです。つまり31万人をランダムに24のグループ(各グループは約1万3000人)に分けたことになります。そしてグループごとのメールアドレス登録率を計算したところ、登録率の1位は B(オバマ候補の家族写真)+ Learn More(もっと知ってみよう)だったのです(登録率は 11.6%)。従って検証期間以降の画面にはこれが使われました。検討チームが当初ベストと判断した画面は登録率が8.26%でした。この結果、当初の画面に比較して実際の画面は支援金が約6000万ドル(72億円)増加したと見積もられています。
青の色をどの青にするか
メリッサ・マイヤー氏は Google の副社長 からヤフーの CEO に転じた人です。彼女が Google 時代に行った Google 検索サイトのデザインで行ったRCTが伊藤氏の本に紹介されています。
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Google に代表される "Webサイトが命" である企業は、上の引用のようなRCTを繰り返しているのだと思います。画面のレイアウト、配色、フォント、文字の大きさと色など、Google の検索画面のデザインのすべてに意味があると考えるべきでしょう。
医療費の自己負担率と外来患者数の関係
いままで紹介したRCT(ランダム化比較試験。Randomized Controlled Trial)は、企業活動や消費活動の実際の現場で実験を行う「フィールド実験」でした。しかし、このような実験で因果関係を検証できるケースは限られるし、また可能であっても実験のコストがかかるので実質的に無理ということもあるでしょう。
そこで「まるで実験が起こったような状況をうまく利用する」手法が研究・開発されてきました。これを「自然実験」と呼びます。自然実験にもいろいろな手法がありますが、ここで述べるのは RDデザイン(Regression Discontinuity Design。回帰不連続設計法)と呼ばれるものです。RDデザインのキー概念は「不連続」ないしは「境界線」です。社会における不連続点や境界線に着目する手法で、その例として本書であげられている「医療費の自己負担率と外来患者数の関係」を紹介します。
高齢化社会を迎え、医療費の抑制が国としての大きなテーマになっています。もちろん第一に大切なことは健康に過ごせる習慣を身につけることであり、地方自治体はこのための各種の取り組みをやっています。一方、国民皆保険制度が進んでいる日本では、健康保険制度の健全運営のために医療費の自己負担率をどうするかもテーマになります。医療費の自己負担率と外来患者数の関係がどうなるかは、公的健康保険の制度設計において大変に重要な情報です。
人は病気の自覚症状を覚えたり怪我をしたとき、病院に行くか行かないかを自己判断します。常識的に誰でも病院に行く症状もあれば、行かずに市販薬で対応したり自然治癒を待つこともある。しかし「行く・行かない」の間にはグレーゾーンがあり、その時々によって人の判断は分かれます。この病院に行く・行かない判断に医療サービスの価格(=医療費の自己負担率)も関わっていると考えられます。では、自己負担率を変えると外来患者数はどう変わるのか。そこにどんな因果関係はあるのか。これはRCTで検証するのが無理な問題です。
そこで着目されたのが日本の健康保険制度です。つまり医療費の自己負担率は年齢によって不連続に変化し、69歳までが30%、70~75歳が20%、76歳以上が10%です。2014年3月以前は70歳以上が一律10%でした。カナダのサイモンフレイザー大学の重岡仁助教授は、この日本の健康保険制度に着目し、1984年から2008年まで(=70歳以上の自己負担率が一律10%の時代)の外来患者数を年齢(=月年齢)別に調査しました。その結果が次のグラフで、横軸が外来患者の月年齢、縦軸が外来患者数です。
月年齢別の外来患者数
縦軸は対数値(0.1の違いがおおよそ10%の違いに相当)。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
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このグラフを見ると明らかなのですが、69歳12ヶ月と70歳0ヶ月の間に「境界線」があり、この境界線を境に外来患者数が不連続にジャンプしています。このデータを解析した重岡仁助教授は、
医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した |
と結論づけています。これが「RDデザイン」という分析手法の例なのですが、この結論には重要な仮定があります。つまり、
もしも境界線で自己負担率が変化しない場合、医療サービスの利用者数(外来患者数)の平均値が境界線でジャンプすることはない |
という仮定です。本書に掲げられている図を引用します。
RDデザインの仮定
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定(=実際には起こらなかった潜在的結果についての仮定)である。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」より引用。
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この仮定が崩れると「RDデザイン」は成立しません。しかしこの仮定を実証することは不可能です。なぜなら境界線で自己負担率が変化しない場合のデータがないからです。従って分析者は「この仮定は正しいはずだ」という議論を展開することになります。つまり仮定が崩れる場合はどういう場合か、それを想定し、それが起こらないという議論です。本書では仮定が崩れる2つのケースが言及されています。
一つは、70歳を境に自己負担率以外の何らかの要素が不連続的にジャンプし、それによって外来患者数がジャンプする可能性です。外来患者数に影響が考えられるのは就業率、収入、労働時間、年金支給額などですが、これらは年齢に伴って連続的に低下していくので、ジャンプするということはありません。重岡仁助教授は月齢ごとの就業率が連続的に低下していくことをデータで示しています。また70歳の誕生日を境に不連続的に変わる日本の政策は医療費の自己負担率しかないことも論文で示しています。
仮定が崩れる2つ目のケースは、データの対象となっている主体(この場合は医療サービスを受ける人)がグラフの横軸(=年齢)を操作できる場合です。つまり60歳台にもかかわらず70歳だと偽って医療サービスを受けることが可能な場合です。これも、日本の健康保険制度では年齢を偽ることは難しいため(健康保険証を偽造する ??!!)、仮定が崩れることはありません。
RDデザインで注意すべき点は、そこで出た結果は境界線の前後でしか当てはまらないと考えるべきことです。つまり「医療費の自己負担率が30%から10%に減少すると、外来患者数は約10%上昇する」のは70歳前後の人たちに言えることであって、40歳台、50歳台でそうなるかどうかは分かりません。本書には伊藤氏のコメントとして、最近の経済学研究では医療価格に対する反応度は年齢によって違うことが書いてあります。
自己負担率と外来患者数の分析への疑問
以降は本書の「自己負担率」のくだりを読んだ感想です。この項を読みならずっと疑問がつきまとっていました。「RDデザインの仮定」のグラフについての疑問です。つまり、もし仮に70歳を契機に自己負担率が下がらないとしたら、外来患者数は伊藤氏のグラフ(上図の点線)ではなく、下図の点線ように変化すると思うのです。70歳を境にジャンプすることがないのは上図と同じです。しかし自己負担率が下がらないのなら、70歳に近い60歳台の外来患者が増えると思うのですね。
RDデザインの仮定(修正案)
実線は実際のデータ。点線は「70歳で自己負担率が変化しないとしたらこうなったはず」という仮定の修正案。70歳以降に先送りされた治療が、60歳台後半に前倒しされると考えられる。
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どうしてかと言うと、
70歳を境に医療費の自己負担率が下がる場合、年齢とともに徐々に顕在化する体の機能低下や不具合の治療が70歳以降に集中するはず |
だからです。つまり緊急を要しない治療は、不便を我慢しても70歳まで待つと思われるのです。「駆け込み需要」という言葉は消費税が上がる前に高額商品を買うような行為を言いますが、これとちょうど正反対の、言わば「先送り需要」が現実に医療サービスで起こっているのではないでしょうか。70歳を境に医療費の自己負担率が下がるのが公知の事実なのだから・・・・・・。
すぐに思いつくのが白内障の手術です。白内障は水晶体が徐々に濁ってきて視力が低下する "病気" で、加齢によって誰にでも起こりうるものです。白内障の手術は水晶体を人工レンズに入れ替えますが、現在の日帰り手術費用は、3割負担の場合で片眼で約6万円程度です(手術のみの費用で前後の診察を含まない)。両眼だと約12万円です。これが1割負担だと約4万円になるわけで、この差の8万円は大きいと思います(2割負担だと差は4万円)。たとえば68歳で医者から白内障と診断されて手術を勧められた人の何割かは、不便を我慢して70歳まで手術を先送りするのではないでしょうか。今まで我慢してきたのだから ・・・・・・。
ほかにも医療サービスにおける「先送り需要」はいろいろと考えられます。関節の変形による膝の痛み(変形性膝関節症)は加齢により進行しますが、運動や薬の投与で治癒しない場合は手術ということになります。人工関節を入れる手術は医療費が200万円程度かかります。高額医療費制度を利用したとしても、3割負担と1割負担の差は白内障手術どころではないでしょう。70歳まで待って手術ということにならないでしょうか。
最も一般的な加齢現象は高血圧(加齢性)です。血圧が高いと良いことがないので、医者は運動を勧め塩分を控えるように指導しますが、病院・医院を定期的に訪れて血圧降下剤の処方箋をもらう人も多いはずです。これも「70歳を契機に」とはならないか。保険の対象となる入れ歯(義歯)もそうです。"大がかりな" 義歯は1割負担になってからという心理が働かないでしょうか。
ここで想定した先送り需要は、もし70歳を境に医療費の自己負担率が下がることがないとすると60歳台後半に前倒しされると思います。全部とは言わないまでも、眼が見えにくい、膝が痛む、モノが食べにくいといった "生活に支障を感じる症状" はそうだと思うのです。だとすると「医療費の自己負担率が30%から10%に減少することで、外来患者数は約10%上昇した」という結論の、10%のところが怪しくなります。
本書はこのことの検討が欠落しています。少なくとも先送り需要について言及し、その影響は外来患者全体からみると無視できる程度に小さいという説明が必要だと思いました。「無視できる程度に少ない」ことをデータで実証するのは難しいでしょうが、70歳で病院を訪れた患者にインタビュー、ないしはアンケートをすれば大体の様子は推測できると思います。「医療費の自己負担率と外来患者の因果関係」を発表した重岡助教授も、その論文を本書で紹介した伊藤助教授もアメリカ在住の経済学者です。公的データの分析を越えた現場調査には限界があったのかもしれません。
因果関係を見極める重要性
本書には以上に紹介した手法以外に、自然実験の手法である「集積分析」や「パネルデータ分析」が紹介されていますが、割愛したいと思います。また本書には各手法の長所・短所が明記されていて、データ分析の限界もちゃんと書かれています。このあたりはバランスがとれた良い本だと思いました。
因果関係を見極めることは、特に国や自治体の政策決定や企業の方針決定にとっては重要です。思い返すとその昔、地域振興券というがありました(1999年)。バブル崩壊後の消費を活性化するために公明党の主張によって(自民党がそれに乗って)導入されたものですが、その後の内閣府の調査では消費を押し上げる効果はほとんど無かったとされています。地域振興券による消費分が貯蓄に回ったわけで、国民はバカではないのです。結局のところこれは公明党の人気取り政策であり、天下の愚策(=当時の内閣官房長官の野中広務氏)だった。その結果として国の財政負担を増やし、その分だけ国債の発行額=財政赤字を増やしました。
こういった「バラマキ政策」と「消費拡大」の因果関係は、経済学者が研究してちゃんと発言すべきものでしょう。本書に紹介されている例に2008年のアメリカの景気刺激策があります。つまり「燃費の悪いクルマから良いクルマに買い換えたら40万円の補助金を出す」という政策です。「燃費」というのは "飾り" であって、要するにクルマを買い換えたら40万円出すということです。アメリカのプリンストン大学のチームは、この政策は駆け込み需要を増やしたけれども、その後の需要が落ち込み、全体として景気刺激効果はなかったと分析しています。
要するに、国や政府レベルでも「怪しい因果関係論」があるわけです。我々としては「因果関係」の主張に対してまず、本当なのか、実証されているのかと疑ってみるべきでしょう。
2018-01-20 20:32
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No.222 - ワシントン・ナショナル・ギャラリー [アート]
バーンズ・コレクションからはじまって、個人コレクションを発端とする美術館について書きました。
の9つの美術館です。今回はその方向を少し転換して、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーについて書きます(正式名称:National Gallery of Art。略称:NGA。以下 NGA とすることがあります)。
なぜワシントン・ナショナル・ギャラリーかと言うと、過去にこのブログでこの美術館の絵をかなり紹介したからです。意図的にそうしたのではなく、話の成り行き上、そうなりました。そこで、過去に取り上げた絵を振り返りつつ、取り上げなかった絵も含めてこの美術館の絵画作品を紹介しようというのが今回の主旨です。
それに、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは "個人コレクション美術館" が発端です。つまりこの美術館は、銀行家・実業家で財務長官まで勤めたアンドリュー・メロン(1855-1937)が建設・運営基金と個人コレクションを国家に寄贈し、それにもとに設立された美術館です(1941年開館)。アメリカ富裕層の財力のものすごさを感じます。ちなみにここは創立以来、入場料が無料です。「アメリカを文化国家に」という主旨で設立されたからですが、現在、国を代表するような美術館・博物館で入場無料というのは大英博物館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーとここぐらいのものではないでしょうか。
いうまでもなくアメリカ随一の「国立美術館」であり、その規模や作品数は膨大です。「国立」なのでアートの年代も13世紀から20世紀まで多岐に渡っている。その意味で、フィラデルフィア美術館と同じく "巨大美術館を紹介するのは難しい" わけですが、今回は、
に絞ります。また、さきほど書いたように過去にこのブログでとりあげた絵を再掲するとともに、必見と思われる絵を追加する形をとります。さらにアメリカ人画家をなるべく掲載することとします。以下は画家の生誕年順で、同一画家の作品は制作年順です。
ボッティチェリ(1446-1510)
No.160「モナ・リザと騎士の肖像」で引用した作品です。青年が右手を胸に置いて人指し指と中指を広げていますが、同じポーズの絵がプラド美術館にあります。それはエル・グレコの『胸に手を置く騎士』で、プラド美術館の代表作の一つとされている作品です。
このような手の形はルネサンス期のイタリア絵画で女性の姿によくあります。ブロンズィーノの『マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像』がその典型です。ボッティチェリ自身の『ビーナスの誕生』(ウフィツィ美術館)もそうで、これらは手を美しく見せるためと言われています。しかし男性の肖像画ではあまり見たことがなく、エル・グレコからこのNGAのボッティチェリを思い出したわけです。
この絵は現地で初めて知ったのですが、巨大美術館であるワシントン・ナショナル・ギャラリーの中でも印象的で、すぐに写真を撮ったのを覚えています。なぜ印象的だったかは分かりませんが、ひょっとしたらそれは「指を広げて胸に置いた右手」だったのかも知れません。
ダ・ヴィンチ(1452-1519)
ヨーロッパ以外にある唯一のダ・ヴィンチ作品がこの絵です。もちろんアメリカではここだけです。モデルはフィレンツェの銀行家の娘で、彼女が16歳の時の作品です。レオナルドはこの絵を22歳から描き始めました。NGAのサイトには「4分の3正面視の肖像の初期の作品の一つ」で「肖像画で風景を背景としたのはレオナルドの新しい試み」とあります。この2つともフランドル絵画では既に行われていたわけで、レオナルドは新しい画法を取り入れるのに積極的だったようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画は『モナ・リザ』『貴婦人の肖像』(ルーブル美術館)『白貂を抱く貴婦人』(ポーランドのクラコフのチャルトリスキ美術館)と本作の4点しかありません。「モナ・リザ」を別格として、他の3作品に共通するのはモデルを冷静に眺めて現実を描くというか、「モデルとは距離をおいた観察と描写」を感じる絵であることです。モデルが賢そうに見える点も共通しています。このジネヴラ・デ・ベンチの肖像もそうです。白い肌や金髪の巻き毛が精緻に描かれていて、知的で、芯が強そうで、何となく神経質で、しかし病弱そうなモデルの雰囲気がよく出ています。
エル・グレコ(1541-1614)
この作品はエル・グレコの絶筆とされている作品で、かつ画家が生涯で描いた唯一の神話画です。中野京子さんの文章を引用します。
直感的に連想するのは、バチカン美術館にある有名な『ラオコーンの大理石像』です。この有名な像は1506年にローマで発掘されましたが、ギリシャ出身のエル・グレコはスペインに来る前にイタリアに滞在し、ローマにも行っています(1570年)。つまりローマでラオコーンの大理石像を見た記憶で描かれたという可能性があるわけです。ちなみに次項のルーベンスはイタリア時代にローマでラオコーンの大理石像を見ていて、そのスケッチが残されています。ローマに滞在した画家なら、ラオコーンを見るというのは自然だと考えられます。
とは言うものの、バチカンの像と違って不思議な絵です。ラオコーンと2人の息子、海ヘビ、トロイアに擬したトレドの街、木馬(=トロイアにとっては破滅の木馬)までは分かりますが、右端の3人の人物はいったい何でしょうか。まるで空中を浮揚しているようです。この解釈には議論がいろいろとあるようで、NGAの公式サイトには「たぶん、海ヘビを放ったギリシャの神々」という解釈が書いてあります。
しかしこの3人はトロイア市民ということも考えられるでしょう。破滅の瀬戸際にある国家、国家を救おうとして死にゆく親子、それとは無関係に浮揚している市民、の3つを対比させることで時代の終焉を表したのかもと思います。
ルーベンス(1577-1640)
フランドル出身のルーベンスは 1600年~1608年の8年間(23歳~31歳)イタリアに滞在し、イタリア各地を回りながら古典やルネサンスの絵画に触れ、絵の研鑽と制作に励みました。次の絵はルーベンスがジェノヴァで描いたものです。
ジェノヴァの名門貴族、スピノラ家から、これも名門貴族のドーリア家に嫁いだブリジーダという女性の肖像画です。眼をひくのは銀色に輝くサテンのドレスと特大のラフ(襞襟)で、その中で堂々と正面を見据える女性の表情が印象的です。貿易や金融業で繁栄を誇ったジェノヴァの上流階級の財力と権威が想像できます。ルーベンスの筆致はドレスからラフから髪飾りまで、大変に精緻であり、画力のすごさが分かります。若きルーベンス、20代後半の傑作です。
少々わかりにくいのは背景です。室内ではなく建物の外側の感じで、ドレープがかかった赤い布が垂れている。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、実はこの絵のオリジナルはもっと大きく、ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた、それが19世紀のある時点で現在のサイズに切断されてしまったとあります。
なるほど ・・・・・・。ブリジーダは22歳で、結婚したばかりともありました。左の方に描かれていたのは "ジェノヴァ風景" のはずで、だとすると「ジェノヴァを支配する名門貴族の若き花嫁」という絵なのでしょう。
ヴァン・ダイク(1599-1641)
イギリス、チャールズ1世の宮廷画家だったヴァン・ダイクの作品で、No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵です。
フランドル出身のヴァン・ダイクは1620年に英国に渡りますが、師匠のルーベンスと同じように、1621年から1627年までの6年間(22歳~28歳)はイタリアに滞在し、ジェノヴァを拠点に絵の勉強と制作に励みました。この絵はジェノヴァのカッタネオ伯爵の夫人、エレナ・グリマルディを描いたものです。ずいぶん "いかつい" 感じで "勝ち気な" 雰囲気の女性ですが、それは本人をよく表しているのでしょう。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、ヴァン・ダイクはジェノヴァでルーベンスの「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」を見たことがあって、そこからインスピレーションを得たとあります。これで納得できます。上に書いたようにルーベンスのオリジナル作品において「ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた」のですが、それがヴァン・ダイクの「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」に引き継がれたのでしょう。
ルーベンスと違って、いちばん眼を引くのは "パラソル" です。17世紀のパラソルは木製の大がかりなもので、女性が自分で持てるような代物ではとてもなく、このように召使いがかざして歩くものでした。
もう一つのポイントはパラソルを持っている召使いで、これはアフリカから連れてこられた奴隷だと推定できます。当時のイタリアの海岸都市、ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィなどは地中海交易で繁栄し、その重要な交易品の一つが奴隷でした。またイタリアの貴族や裕福な家庭では奴隷を使っていました。No.23「クラバートと奴隷(2)ヴェネチア」で紹介しましたが、塩野七生著「海の都の物語」には「イタリアの都市ではエキゾチックな黒人奴隷がもてはやされ、回教国では白人奴隷が好まれた」という意味の記述がありました。この絵の伯爵夫人は、エキゾチックな黒人奴隷の従者にパラソルを持たせることで権力と富を誇示している感じがします。
ちなみにワシントン・ナショナル・ギャラリーにはパラソルがテーマになっているもう一枚の絵があります。それは "超有名絵画" であるモネの『パラソルの女』です(後で引用)。この二つを対比して見るとおもしろいでしょう。
No.161「プラド美術館の怖い絵」で引用した絵で、英国国王チャールズ1世の妃であるヘンリエッタを描いたものです。このブログでは17世紀のスペイン宮廷で「特異な身体的形状をもった人」を雇う(ないしは住まわせる)習慣があったことを書きました(No.19「ベラスケスの怖い絵」、No.45「ベラスケスの十字の謎」、No.161「プラド美術館の怖い絵」)。しかしその "習慣" は何もスペインだけではなく、ヨーロッパの宮廷に広くあった。その一例として引用したのがこの絵でした。
フェルメール(1632-1675)
寡作で有名なフェルメールの絵がそもそも何点現存しているかですが、フェルメールについての数々の著作がある朽木ゆり子氏の本によると(「フェルメール全点踏破の旅」集英社新書 2006)、次の通りです(以下の "ランク・・・" は今回便宜上つけたものです)。
◆ランクA : 32点
◆ランクB : 2点
◆ランクC : 2点
◆新発見作 : 1点
一般的には美術界の多数意見に従って(A + B + 新発見 = B)の合計35点をフェルメール作品としています。このうち美術館所蔵の作品は34点(盗難中を除くと33点)ですが、2点以上を所蔵している美術館をあげると次の通りです。
◆5点:(米)メトロポリタン美術館
◆4点:(蘭)アムステルダム国立美術館
◆3点:(蘭)マウリッツハイス美術館
◆3点:(米)フリック・コレクション
◆3点:(米)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(英)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(仏)ルーブル美術館
◆2点:(独)ベルリン絵画館
◆2点:(独)ドレスデン アルテ・マイスター絵画館
別にフェルメールをたくさん持っていることが美術館の価値を決めるわけではないのですが、アメリカの3つの美術館だけで11点、全作品の約3分の1を保有しています(盗まれた1点を加えると12点)。ダ・ヴィンチがアメリカに1点しかないのとは大違いで、フェルメールが19世紀後半以降に "再発見" されたことを如実に物語っています。これらのうち、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(NGA)にある3点は、
『手紙を書く女』 (A)
『天秤を持つ女』 (A)
『赤い帽子の女』 (B)
であり、さらに NGA にはもう一枚、
『フルートを持つ女』 (C)
があります。つまりNGAはランクA,B,Cが全部揃っているという珍しい美術館です。NGAは『フルートを持つ女』については「Attributed to Johanness Vermeer」として展示しています。「伝・フェルメール」という感じでしょうか。もちろん『赤い帽子の女』についてNGAは断固真作だと主張しています。以下はランクAの2点です。
この絵のような「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の女性をフェルメールは6点描いていますが、その中の1枚です。少し微笑んだ女性を、自然体で大変おだやかな雰囲気に描いています。机の上の小物の描き方も光っています。ちなみに「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の他の5枚は、メトロポリタン、フリック・コレクション、アムステルダム、ベルリン、ロンドンのケンウッド・ハウスにあります。
各種の解説にありますが、この絵の画中画は「最後の審判」です。このブログでは、フランスのボーヌにあるファン・デル・ウェイデンの『最後の審判』を引用しました(No.116「ブルゴーニュ訪問記」参照)。その絵でも分かるのですが一般的に「最後の審判」の描き方は、上の方に再臨したキリスト、その下に秤をもった大天使ミカエル、その横(ないしは下)にミカエルによって天国と地獄に振り分けられた人間という構図です。
この絵はその大天使が女性によって隠されていて、その代わりに女性が天秤を持っている。天秤の皿の上には何も乗っていない(=何も描かれていない)ことが判明していて、女性が天秤のバランスをとっている(?)姿になります。机の上の真珠や金貨も意味ありげです。数々の解釈がなされてきたようですが、決定版はないようです。素人目には「女性が何か重大な決断をしようとしている、ないしは決断をすべきか迷っている」と見えますが、そうとも限らない。結局、絵を見る人にゆだねられているといっていいでしょう。
フラゴナール(1732-1806)
この絵もワシントン・ナショナル・ギャラリーの有名絵画です。フラゴナールというと "ロココ" の画家であり、宮廷や貴族の恋愛模様を描いた、いわゆる "ロココ趣味" の絵で有名です。しかしこの絵はそれとは違って家庭内での "知的な" 情景であり、享楽的な恋愛模様とは対極にある画題です。
No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」でルネサンス期のイタリアの横顔肖像画を4点とりあげました。しかしこのフラゴナールの横顔作品は、特定の人物の肖像画ではないでしょう。「女性の横顔の美」と「読書という行為」がうまく融合した作品になっています。
注目すべきは描き方で、なんとなく "印象派っぽい筆致" です。印象派は絵画史における革新だったわけですが、一般的にいってアートにおける革新は、全く新しいものが突然変異のように生まれるのではなく、それ以前の時代に萌芽があるわけです。印象派に関していうと、イギリスのターナーの絵はそういう感じがします。この『読書する娘』もそういった一枚だと思います。
ゴヤ(1746-1828)
No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」で引用した絵です。この絵の感想は No.90 に詳しく書いたので、ここでは省略します。ひとつだけ繰り返すと、この絵は「ワシントンのモナ・リザ」でしょう。年齢はずいぶん違いそうですが、この絵のモデルも既婚者です。明らかにモナ・リザを意識したポーズだし、表情の "微妙な複雑さ" がモナ・リザ的です。
アングル(1780-1867)
No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。アングルは、この絵(立像)の他に『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を描いています(ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある)。そして No.157 で書いたように、ピカソは『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を下敷きにしてマリー = テレーズを描いたのでした。それが『本をもつ女』という絵です。『本をもつ女』はピカソが "アングルから影響を受けた" と自ら宣言しているような絵です。
そしてNGAの『モワテシエ夫人の肖像(立像)』ですが、この絵から伝わってくるのは夫人の大変に豊満な感じであり、また額から鼻筋がそのまま伸びている彫りの深い顔立ちです。この風貌から直感的に連想するのが、ピカソの "新古典主義の時代" に登場する人物像です。NGAが所有するピカソの作品(「Classical Head」1922)をあげておきます。このような顔立ちはギシリャ・ローマ彫刻によくあるし、ルネサンス期の彫像にもあります(たとえばミケランジェロのダビデ像)。しかしアングルのこの絵もピカソに影響を与えた一つだったのではないかと思います。
マネ(1832-1883)
No.36「ベラスケスへのオマージュ」で引用した絵です。その主旨は、マネがプラド美術館でベラスケスを見て感動し、そのベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』を踏まえて描いたのがこの作品ということでした。
『悲劇役者』は「黒」を強調した絵でしたが、この絵も強烈に印象づけられるのは黒服の「黒」です。NGAには別に『死せる闘牛士』というマネの絵がありますが、その絵も黒服が眼につきます。一連の「黒」はマネがスペインを旅行したときの影響だと考えられます。
NGAのサイトの解説によると、右から2番目でこちらを向いているブロンドの髪の紳士は画家自身だそうです。また、上の方に足が描かれていますが、これは『フォリー・ベルジェールのバー』(1881/82)を連想させます(No.155「コートールド・コレクション」参照)。
この絵はマネの有名作品です。サン = ラザール駅を描いたこの絵は、1898年にアメリカのハブマイヤー夫妻がパリの画商のデュラン = リュエルから購入したものです。夫人のルイジーン・ハブマイヤーはメアリー・カサットの友人です。No.86「ドガとメアリー・カサット」に書きましたが、ルイジーンがメアリーの勧めで購入したドガのパステル画が「アメリカ人が初めて購入した印象派絵画」でした。
フィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』という本があります。著者はサザビーズの印象派・近代絵画部門のシニア・ディレクターを勤めた人で、印象派の受容の歴史を "画商" や "オークション" の視点から描いた興味深い本です。この本に、ルイジーン・ハブマイヤーがこの絵を購入した当時のことを回想した発言がのっています。以下に引用してみます。
一見すると奇妙な絵です。"屋外" で "現代" を描くという意味では印象派の絵と似ています。しかし肝心の鉄道はほとんど描かれず、子どもは向こう向き、誰かに気づいて読書を中断したような女性は母親でしょうが、親子はバラバラです。都会における家族、と考えていろいろと画家の意図を推測できると思いますが、そういう "深読み" にあまり意味はないのですね。どういう絵の見方をすべきか、それを語ったのが印象派と同時代のコレクター、ハブマイヤー夫人です。この回想に尽きていると思います。
マネの代表作である『草上の昼食』や『オランピア』はオルセー美術館の至宝ですが、発表当時は大スキャンダルになりました。否定するにしろ肯定するにしろ、大きな話題となった。しかしこの『鉄道』にはスキャンダラスなところは何もありません。結局、この絵をつまらないと思って見過ごすのか、それとも(ルイジーン・ハブマイヤーのように)感動するのかが、時代の分かれ目だったのでしょう。
ちなみに『草上の昼食』(1863)『オランピア』(1863)『鉄道』(1873)の3作品はいずれもヴィクトリーヌ・ムーランがモデルですが、マネが彼女をモデルに描いた最後の作品が『鉄道』です。
なお、人物を描いたものではありませんが、No.93「生物が主題の絵」で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵しているマネの2枚の犬の絵、『タマ、日本犬』と『キング・チャールズ・スパニエル犬』を引用しました。ここで改めて「鉄道」を見てみると、座っている女性は子犬を抱いています。"屋外" で "現代" を描いたのがこの絵ですが、その "現代" とは、鉄道の他にもう一つ "ペット" なのですね。つまり19世紀後半にもなると一般市民がペットを飼うという習慣が出てきた。マネが犬の絵を描いたのも、そういう流れの中で考えるべきでしょう。
ホイッスラー(1834-1903)
ホイッスラーはアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、21歳のときにパリに居を構え、その後ロンドンに拠点を設けて活躍した画家です。この絵の「白のシンフォニー No.1」という副題ですが、「白のシンフォニー」は全部で3作あり、No.2 はテート・ブリテン、No.3 はバーミンガム大学付属美術館にあります。
この絵はその題名どおり画面の大部分を占める服の「白」が目立つ作品です。ドレス、手にしている百合の花、後ろのカーテン、敷物にさまざまな色調の白が使われています。まさに「白のシンフォニー」です。このように白に白を重ねる色の使い方はあまり見たことがなく、大変に斬新な手法です。この『白のシンフォニー No.1』は発表当時、大きなスキャンダルになったようです。2014年-15年に日本で開催された「ホイッスラー展」の図録には次のようにありました。
マネの『草上の昼食』がスキャンダラスというのは理解できますが、この『白のシンフォニー No.1』がスキャンダルだとは、現代人はちょっと想像できません。今から150年前のパリ・ロンドンの画壇では絵のテーマに対して数々の制約があり、それを打ち破ろうとする画家がいたということでしょう。それが上の評言に出てくるクールベであり、マネであり、そしてホイッスラーだった。この絵のモデルとなったジョー(ジョアンナ)・ヒファーナンはクールベの『世界の起源』(オルセー美術館)のモデルとも言われる人で、それも象徴的です。
比較のために同じモデルを描いた『白のシンフォニー No.2』を引用しておきます。この絵はホイッスラーによくあるジャポニズムの影響下にある作品で、磁器の壷、朱色の椀、団扇といった典型的な日本的アイテムが配置されています。描かれている花はアザリア(ツツジ)で、この花も東アジア原産です。ちなみにワシントン D.C.のフリーア美術館にはホイッスラーがデザインしたピーコック・ルーム(孔雀の間)があり、『磁器の国の姫君』というジャポニズム作品が展示されています。
ホーマー(1836-1910)
ホーマーはボストン生まれで、アメリカの身近な自然や生活を描くのを得意とした画家です。
頬を紅潮させた女性が紅葉した木の枝を持ち、ちょっと挑戦的な視線で画家の方を向いています。何となく、この人の "勝ち気" な性格を思わせます。つまり、この絵をパッと見ると特定の人物の肖像画だと感じる。しかし題名は「秋」です。
背景は何らかの傾斜地、ないしは山道でしょうか。スカートの裾を持ちペチコートをのぞかせている姿は、今しがた坂を降りてきたように見えます。そして一面に描かれた紅葉がこの絵の特色です。背景は明確ではなく、あえて特定の景色にしなかった感じがします。秋のイメージを具現化したのでしょう。だとすると女性も、紅葉した木の枝を携えて "秋" から抜け出してきた「秋の化身」のようにも感じられる。よく西欧絵画に季節を擬人化して描いた絵がありますが、この絵もその流れにある一枚かもしれません。
なお、今回は人物画に焦点を当てたのですが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーには、ホーマー最晩年の『右と左』(1909)という重要作品があります。ハンターに撃たれる瞬間の鴨を描いた絵ですが、ジャポニズムの影響も感じる傑作です。
セザンヌ(1839-1906)
マネの『鉄道』のところで引用したフィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』によると、この絵は NGA の設立者であるアンドリュー・メロンの息子、ポール・メロンが、1958年、ロンドンのサザビーズの競売で、当時の絵画の最高価格である22万ポンドで落札した作品とあります
『赤いチョッキの少年』は、セザンヌの絵によくある連作(4点)です。1点は前向きに座っている姿で、バーンズ・コレクションのメインルーム(Room1)の North Wall にあります(No.95「バーンズ・コレクション」参照。分かりにくいですが)。1点は座って肘をついている姿で、チューリッヒのビュールレ・コレクションにあります(赤いチョッキでは最も有名)。また横向きに座っている絵がニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。
このNGAの絵をみても分かるのですが、さまざまな色が使われ、形が組み合わされています。色の実験、形の実験をしているようで、まさにセザンヌがモダン・アートを先導した画家だと分かります。
No.114「道化とピエロ」で、ドランとピカソのアルルカン(ないしはピエロ)の絵を紹介したときに "セザンヌも描いている" と書きましたが、その絵がこれです。これは、箱根のポーラ美術館にある『アルルカン』とほぼ同じ構図です。実は『アルルカン』は計4点の連作で、1点は「ピエロとアルルカンの絵」(プーシキン美術館にある《マルディ・グラ》)、3点が「アルルカンだけの絵」で、そのうちの1枚がポーラ美術館、1枚がNGAというわけです(もう1枚は個人蔵)。
ポーラ美術館に敬意を表して、ポーラ美術館のサイトにある『アルルカン』の解説を引用します。もちろん「ポーラ版アルルカン」についての解説ですが「NGA版アルルカン」についても当てはまると思います。
『赤いチョッキの少年』と『アルルカン』のほかにNGAが所蔵するセザンヌの人物画に、画家の父を描いた有名な作品がありますが省略します。
モネ(1840-1926)
No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵で、モネの妻・カミーユと息子のジャンを戸外で描いた作品です。印象派の代表作の一つであり、まさに "印象派がギッシリと詰まった" 作品でしょう。逆光の感じの出し方、雲の描き方などは秀逸です。
この絵の一つのポイントは、NGAが所蔵するヴァン・ダイクの『伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ』の肖像画と同じく、"パラソル" です。この2つの絵には250年の時の経過があります。産業革命を経たフランスではパラソルが庶民でも手に入るようになり、パラソルを持って公園や戸外を散策するのが当時のパリの女性の最先端の風俗だった。そういう妻を(おそらく)幾分誇らしげに描いたのがこの絵でしょう。なお、パラソルがトレンドだったことは、この絵の10年後に描かれたスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を見ると理解できます(No.115「日曜日の午後に無いもの」参照)。
ルノワール(1841-1919)
この絵もルノワール作品では有名な絵です。一つ思うのは「ドガの踊り子」とのあまりの相違です。同じ踊り子をモチーフにしながら、そこから引き出されたものが全く違う。絵画のおもしろさでしょう。
カサット(1844-1926)
メアリー・カサットの作品については、今まで4回に渡って書きました(No.86、No.87、No.125、No.187)。従って紹介した作品も多いのですが、そのうち4点が NGA の作品です。まずそれを順に振り返りたいと思います。
この絵については No.87「メアリー・カサットの少女」、および No.125「カサットの少女再び」で詳細な感想を書いたので省略します。ドガの手が入っているとされる絵で、そのあたりの事情も No.125 に書きました。No.125ではこの絵の革新性についても書いたのですが、NGAの公式ガイドブックには、この絵を評して、
少女がいなければ、ほとんど抽象画
とあります。なるほど、その通りだと思います。
No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で引用した絵です。カサットが「ドガを見返してやろう」と発奮して描いた、という主旨でした。
No.86「ドガとメアリー・カサット」、No.87「メアリー・カサットの少女」で引用しました。舟の縁、帆、身体などの各種の線が渦巻きのようになって最後は子どもの顔に収斂していく構図です。ベタに塗ったような描き方は浮世絵の影響を感じます。カサットがいかに浮世絵に魅せられたかを No.187「メアリー・カサット展」に書きました。
No.187「メアリー・カサット展」で引用した絵です。『青い肘掛け椅子の少女』と同じで水平線を極端に上にとり、斜め上から俯瞰した構図はいかにもカサット的です。また子どもが見せる愛らしさの一瞬をとらえているのもカサットならではでしょう。
今までこのブログで取り上げた絵だけを再掲するだけでは能がないので、NGAにあるもう一枚の作品を引用しておきます。この絵も "子どもが見せるある表情" が的確にとらえられています。大きめの麦藁帽子をかぶせられた女の子が「お母さん、わたし、こんなのかぶるの? いやだな」と言っているような感じです。
ゴッホ(1853-1890)
ゴッホが描いた36枚の自画像のうち最後の自画像といわれる絵で、サン・レミの病院での作品です。この作品はやはり "色" です。フォービズムに始まる20世紀絵画を先導した感じです。
サージェント(1856-1925)
この絵のモデルは、アメリカの「エリー&ピッツバーグ鉄道」の社長の娘で、父親の退職後に一家は1892年ワシントンDCに移り、彼女はそこで社交界の花形になったそうです(1999年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の図録による)。描かれた1907年というとフォービズムやキュビズムの絵画が描かれているころです。その時代にこういった「社交界絵画」には批判もあったようで、サージェントはこの絵を最後に肖像画をやめて風景画に専念したとあります。つまりサージェント最後の肖像画です。
しかし絵の価値は「何を描くか」ではなく「どう描いたか」です。「社交界絵画」だから "悪い" とか "時代遅れ" という批判はあたりません。この絵はスピード感が溢れる筆遣いにもかかわらず、「美人で、華やかで、ゴージャスで、いかにも幸せそうな富豪の娘」という感じが大変よく出ています。
ピカソ(1881-1973)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはピカソの「青の時代」の油彩画が3点あります。以下にその3点を掲げますが、最初の2点はNo.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。フィリップス・コレクションが所蔵しているピカソの『青い部屋』(=「青の時代」の始まりの作品)との対比のためでした。
我々は普通、ピカソの「青の時代」というと、絵のテーマとして「社会的弱者、ないしは社会の底辺で生きる人たち」か「悲しみ、不安、苦しみ、哀愁、孤独などの感情表現」、あるはその両方だと考えるわけです。しかし最初の『グルメ』はそうではありません。これは「青の時代」の初期作品であり、"食いしん坊" の女の子を描いていて、ユーモアを感じます。
次の『悲劇』は、いかにも「青の時代」の絵です。何らかの悲劇におそわれた漁師の家族でしょうか。子供が父親を思いやって手を差し伸べているのが印象的です。エル・グレコの「ラオコーン」のところに「ピカソはエル・グレコに影響された」という話が出てきましたが、それも分かるような "引き伸ばされた" 人物表現です。
3番目の『扇子を持つ女性』は「青の時代」の最後期の作品です。ここまでくると『悲劇』のような表現・テーマとはまた違います。この女性の姿で連想するのは何かの宗教に関連した像、仏像とかインドや古代エジプトの神の像です。あるいは何かの儀式か舞踊だとも思える。女性は無表情で、動きを止めて静止していると感じます。その手は『悲劇』の少年の両手と大変よく似ている。そういった全体の造形を追求した絵なのでしょう。この3作品を見ると「青の時代」にも多様な表現があることがわかります。
さらにNGAには「青の時代」の次の「バラ色の時代」の代表作があります。それが「サルタンバンクの家族」という大作です。
サルタンバンクとは特定に一座の属さない旅芸人です。この絵は No.114「道化とピエロ」で引用した『曲芸師と若いアルルカン』(バーンズ・コレクション Room19 East Wall にある絵)によく似ています。両方とも家族を描いていて(バーンズ作品の方は兄と弟)、アクロバット(=曲芸師。赤い服)とアルルカン(菱形のパッチワークのような装束)が登場している。両方とも背景が戸外です(バーンズ作品の場合は街)。
この絵全体に静寂感が漂っています。少し曖昧に描かれた荒涼とした土地は、家族が世の中で孤独であることを暗示しているようです。6人は互いに眼を合わすことはなく、それぞれ独立しています。しかしアルルカン(ピカソ自身だと言われる)が妹の手を握っていて、家族の間の信頼や気遣いが暗示されている(バーンズ作品もそうです)。ピカソはこの時代以降、道化、ピエロ、サルタンバンクといったモチーフを折りに触れて描くわけですが、この作品は既にそれらの全てを包括しているかのようです。最初の時点で出された最終回答、そんな感じがします。
モディリアーニ(1884-1920)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはモディリアーニの作品が揃っています。『スーティンの肖像』、『キスリング夫人の肖像』、『赤ん坊を抱いたジプシーの女』などが有名ですが、ここでとりあげたのは『赤毛の女』です。この絵と非常に似た絵がフィラデルフィアのバーンズ・コレクションにあります。題名も同じ『赤毛の女』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 10 West Wall にある)。おそらく同じモデルを描いたのだと思われます。椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿がそっくりです。上の絵もそうですが、モデルになった赤毛の女性の可愛らしさと、ちょっぴりなまめかしい(ないしはコケティッシュな)感じがよく出ていると思います。
さらに「椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿」で思い出すのは、バーンズ・コレクションの『白い服の婦人』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 22 South Wall にある)。また、ノートン・サイモン美術館にある『画家の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』も似たポーズです(No.157「ノートン・サイモン美術館」参照)。いずれの絵も頭から胴にかけての逆S字形の曲線と腕の線のバランスがいい。デッサンで線を引く天才、モディリアーニの特質がよく現れていると思います。
その他、このブログで過去に引用した作品として、絵画ではありませんがドガの『14歳の小さな踊り子』のオリジナル塑像があります。この作品は No.86「ドガとメアリー・カサット」でとりあげました。また No.86 ではドガの「障害競馬 - 落馬した騎手」にも触れました(カサットが初めて見たドガの絵とされる)。
今回は人物がテーマになっている絵だけに絞ったのですが、今まで現れなかったアーティストの重要作品(人物がテーマではない絵)を2つあげておきます。一つはジョアン・ミロの『農場』(1921-22)で、画家としての初期、まだミロが無名のときの作品です。この絵は文豪のアーネスト・ヘミングウェイが友人に借金までして購入したことで有名です。ヘミングウェイは、スペイン内戦を舞台にした「誰がために鐘は鳴る」を書いたほどスペインに深く関わった作家です。
アメリカ人画家、アンドリュー・ワイエスについては No.150「クリスティーナの世界」、No.151「松ぼっくり男爵」、No.152「ワイエス・ブルー」の3回に渡って書きましたが、『海からの風』(1947)というワイエスの代表作の一つがNGAにあります。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーは西館(最初に建設された本館)と東館(新館)に分かれていて、東館にはモダンアートが収集されています(ピカソはここにある)。そういった作品も含め、美術好きなら是非訪れてみたい美術館です。特に近代絵画のコレクションです。たとえば、2011年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のキャッチ・コピーは「これを見ずに、印象派は語れない」でしたが、決して大げさではありません。
さらにワシントンにはフィリップス・コレクションがあり(No.216「フィリップス・コレクション」参照)、ホイッスラーのピーコック・ルームがある、東洋美術のフリーア美術館もあります(No.85「洛中洛外図と群鶴図」参照)。ほかにも美術館、博物館が多い。東京がそうであるように、アメリカの首都ワシントンも "アートの都市" と言っていいと思います。
No. 95 | バーンズ・コレクション | フィラデルフィア | ||||
No.155 | コートールド・コレクション | ロンドン | ||||
No.157 | ノートン・サイモン美術館 | カリフォルニア | ||||
No.158 | クレラー・ミュラー美術館 | オッテルロー(蘭) | ||||
No.167 | ティッセン・ボルネミッサ美術館 | マドリード | ||||
No.192 | グルベンキアン美術館 | リスボン | ||||
No.202 | ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館 | ロッテルダム(蘭) | ||||
No.216 | フィリップス・コレクション | ワシントンDC | ||||
No.217 | ポルディ・ペッツォーリ美術館 | ミラノ |
の9つの美術館です。今回はその方向を少し転換して、アメリカのワシントン・ナショナル・ギャラリーについて書きます(正式名称:National Gallery of Art。略称:NGA。以下 NGA とすることがあります)。
なお上記の "個人コレクション美術館" 以外にも、バーンズ・コレクションから歩いて行けるフィラデルフィア美術館(No.96、No.97)について書きました。またプラド美術館の数点の絵画についても書いています(No.133、No.160、No.161)。 |
なぜワシントン・ナショナル・ギャラリーかと言うと、過去にこのブログでこの美術館の絵をかなり紹介したからです。意図的にそうしたのではなく、話の成り行き上、そうなりました。そこで、過去に取り上げた絵を振り返りつつ、取り上げなかった絵も含めてこの美術館の絵画作品を紹介しようというのが今回の主旨です。
それに、ワシントン・ナショナル・ギャラリーは "個人コレクション美術館" が発端です。つまりこの美術館は、銀行家・実業家で財務長官まで勤めたアンドリュー・メロン(1855-1937)が建設・運営基金と個人コレクションを国家に寄贈し、それにもとに設立された美術館です(1941年開館)。アメリカ富裕層の財力のものすごさを感じます。ちなみにここは創立以来、入場料が無料です。「アメリカを文化国家に」という主旨で設立されたからですが、現在、国を代表するような美術館・博物館で入場無料というのは大英博物館、ロンドン・ナショナル・ギャラリーとここぐらいのものではないでしょうか。
いうまでもなくアメリカ随一の「国立美術館」であり、その規模や作品数は膨大です。「国立」なのでアートの年代も13世紀から20世紀まで多岐に渡っている。その意味で、フィラデルフィア美術館と同じく "巨大美術館を紹介するのは難しい" わけですが、今回は、
一人または複数の人物を描いた絵。人物がテーマの中心になっている絵画作品 |
に絞ります。また、さきほど書いたように過去にこのブログでとりあげた絵を再掲するとともに、必見と思われる絵を追加する形をとります。さらにアメリカ人画家をなるべく掲載することとします。以下は画家の生誕年順で、同一画家の作品は制作年順です。
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
(National Gallery of Art. NGA)
西館の南側正面(ワシントン D.C.)
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ボッティチェリ(1446-1510)
サンドロ・ボッティチェリ
「青年の肖像」(1482/1485)
(44cm×46cm)
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No.160「モナ・リザと騎士の肖像」で引用した作品です。青年が右手を胸に置いて人指し指と中指を広げていますが、同じポーズの絵がプラド美術館にあります。それはエル・グレコの『胸に手を置く騎士』で、プラド美術館の代表作の一つとされている作品です。
ブロンズィーノ
「マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像」(1551) (ウフィツィ美術館) |
この絵は現地で初めて知ったのですが、巨大美術館であるワシントン・ナショナル・ギャラリーの中でも印象的で、すぐに写真を撮ったのを覚えています。なぜ印象的だったかは分かりませんが、ひょっとしたらそれは「指を広げて胸に置いた右手」だったのかも知れません。
ダ・ヴィンチ(1452-1519)
レオナルド・ダ・ヴィンチ
「ジネヴラ・デ・ベンチ」(1474頃)
(38cm×37cm)
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ヨーロッパ以外にある唯一のダ・ヴィンチ作品がこの絵です。もちろんアメリカではここだけです。モデルはフィレンツェの銀行家の娘で、彼女が16歳の時の作品です。レオナルドはこの絵を22歳から描き始めました。NGAのサイトには「4分の3正面視の肖像の初期の作品の一つ」で「肖像画で風景を背景としたのはレオナルドの新しい試み」とあります。この2つともフランドル絵画では既に行われていたわけで、レオナルドは新しい画法を取り入れるのに積極的だったようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの女性肖像画は『モナ・リザ』『貴婦人の肖像』(ルーブル美術館)『白貂を抱く貴婦人』(ポーランドのクラコフのチャルトリスキ美術館)と本作の4点しかありません。「モナ・リザ」を別格として、他の3作品に共通するのはモデルを冷静に眺めて現実を描くというか、「モデルとは距離をおいた観察と描写」を感じる絵であることです。モデルが賢そうに見える点も共通しています。このジネヴラ・デ・ベンチの肖像もそうです。白い肌や金髪の巻き毛が精緻に描かれていて、知的で、芯が強そうで、何となく神経質で、しかし病弱そうなモデルの雰囲気がよく出ています。
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エル・グレコ(1541-1614)
エル・グレコ
「ラオコーン」(1610/14)
(138cm×173cm)
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この作品はエル・グレコの絶筆とされている作品で、かつ画家が生涯で描いた唯一の神話画です。中野京子さんの文章を引用します。
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「ラオコーン像」
(バチカン美術館) |
とは言うものの、バチカンの像と違って不思議な絵です。ラオコーンと2人の息子、海ヘビ、トロイアに擬したトレドの街、木馬(=トロイアにとっては破滅の木馬)までは分かりますが、右端の3人の人物はいったい何でしょうか。まるで空中を浮揚しているようです。この解釈には議論がいろいろとあるようで、NGAの公式サイトには「たぶん、海ヘビを放ったギリシャの神々」という解釈が書いてあります。
しかしこの3人はトロイア市民ということも考えられるでしょう。破滅の瀬戸際にある国家、国家を救おうとして死にゆく親子、それとは無関係に浮揚している市民、の3つを対比させることで時代の終焉を表したのかもと思います。
ルーベンス(1577-1640)
フランドル出身のルーベンスは 1600年~1608年の8年間(23歳~31歳)イタリアに滞在し、イタリア各地を回りながら古典やルネサンスの絵画に触れ、絵の研鑽と制作に励みました。次の絵はルーベンスがジェノヴァで描いたものです。
ピーテル・パウル・ルーベンス
「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」(1606)
(153cm×99cm)
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ジェノヴァの名門貴族、スピノラ家から、これも名門貴族のドーリア家に嫁いだブリジーダという女性の肖像画です。眼をひくのは銀色に輝くサテンのドレスと特大のラフ(襞襟)で、その中で堂々と正面を見据える女性の表情が印象的です。貿易や金融業で繁栄を誇ったジェノヴァの上流階級の財力と権威が想像できます。ルーベンスの筆致はドレスからラフから髪飾りまで、大変に精緻であり、画力のすごさが分かります。若きルーベンス、20代後半の傑作です。
少々わかりにくいのは背景です。室内ではなく建物の外側の感じで、ドレープがかかった赤い布が垂れている。ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、実はこの絵のオリジナルはもっと大きく、ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた、それが19世紀のある時点で現在のサイズに切断されてしまったとあります。
なるほど ・・・・・・。ブリジーダは22歳で、結婚したばかりともありました。左の方に描かれていたのは "ジェノヴァ風景" のはずで、だとすると「ジェノヴァを支配する名門貴族の若き花嫁」という絵なのでしょう。
ヴァン・ダイク(1599-1641)
アンソニー・ヴァン・ダイク
「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」(1623)
(243cm×139cm)
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イギリス、チャールズ1世の宮廷画家だったヴァン・ダイクの作品で、No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵です。
フランドル出身のヴァン・ダイクは1620年に英国に渡りますが、師匠のルーベンスと同じように、1621年から1627年までの6年間(22歳~28歳)はイタリアに滞在し、ジェノヴァを拠点に絵の勉強と制作に励みました。この絵はジェノヴァのカッタネオ伯爵の夫人、エレナ・グリマルディを描いたものです。ずいぶん "いかつい" 感じで "勝ち気な" 雰囲気の女性ですが、それは本人をよく表しているのでしょう。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの公式サイトによると、ヴァン・ダイクはジェノヴァでルーベンスの「侯爵夫人 ブリジーダ・スピノラ・ドーリア」を見たことがあって、そこからインスピレーションを得たとあります。これで納得できます。上に書いたようにルーベンスのオリジナル作品において「ブリジーダは邸宅のテラスに立つ姿で、左の方には風景が描かれていた」のですが、それがヴァン・ダイクの「伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ」に引き継がれたのでしょう。
ルーベンスと違って、いちばん眼を引くのは "パラソル" です。17世紀のパラソルは木製の大がかりなもので、女性が自分で持てるような代物ではとてもなく、このように召使いがかざして歩くものでした。
もう一つのポイントはパラソルを持っている召使いで、これはアフリカから連れてこられた奴隷だと推定できます。当時のイタリアの海岸都市、ヴェネチア、ジェノヴァ、ピサ、アマルフィなどは地中海交易で繁栄し、その重要な交易品の一つが奴隷でした。またイタリアの貴族や裕福な家庭では奴隷を使っていました。No.23「クラバートと奴隷(2)ヴェネチア」で紹介しましたが、塩野七生著「海の都の物語」には「イタリアの都市ではエキゾチックな黒人奴隷がもてはやされ、回教国では白人奴隷が好まれた」という意味の記述がありました。この絵の伯爵夫人は、エキゾチックな黒人奴隷の従者にパラソルを持たせることで権力と富を誇示している感じがします。
ちなみにワシントン・ナショナル・ギャラリーにはパラソルがテーマになっているもう一枚の絵があります。それは "超有名絵画" であるモネの『パラソルの女』です(後で引用)。この二つを対比して見るとおもしろいでしょう。
アンソニー・ヴァン・ダイク
「ヘンリエッタ・マリアと小人ジェフリー・ハドソン」(1633)
(219cm×135cm)
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No.161「プラド美術館の怖い絵」で引用した絵で、英国国王チャールズ1世の妃であるヘンリエッタを描いたものです。このブログでは17世紀のスペイン宮廷で「特異な身体的形状をもった人」を雇う(ないしは住まわせる)習慣があったことを書きました(No.19「ベラスケスの怖い絵」、No.45「ベラスケスの十字の謎」、No.161「プラド美術館の怖い絵」)。しかしその "習慣" は何もスペインだけではなく、ヨーロッパの宮廷に広くあった。その一例として引用したのがこの絵でした。
フェルメール(1632-1675)
寡作で有名なフェルメールの絵がそもそも何点現存しているかですが、フェルメールについての数々の著作がある朽木ゆり子氏の本によると(「フェルメール全点踏破の旅」集英社新書 2006)、次の通りです(以下の "ランク・・・" は今回便宜上つけたものです)。
◆ランクA : 32点
・ | 専門家にフェルメールの真作であると認めてられている作品。 | ||
・ | このうちの1点、『合奏』は、1990年にボストンのイザベラ・ステュアート・ガードナー美術館から盗まれて、現在も行方不明。 |
◆ランクB : 2点
・ | 真作だとする専門家が多いが、そうではないとする専門家もいる作品。 | ||
・ | 『赤い帽子の女』(NGA)と『ダイアナとニンフたち』(デン・ハーグのマウリッツハイス美術館) |
◆ランクC : 2点
・ | 多くの専門家は真作ではないとするが、真作だと主張する専門家もいる作品。 | ||
・ | 『フルートを持つ女』(NGA)と『聖プラクセディス』(個人蔵。国立西洋美術館に寄託)。 |
◆新発見作 : 1点
・ | 新発見の『ヴァージナルの前に座る女』 | ||
・ | それまで贋作の疑いがあるとされていたが、10年がかりの鑑定の結果、2003年になって真作と鑑定され、サザビースのオークション(2004年)で32億円で落札された。落札者は不明。ロンドンのナショナル・ギャラリーにある同名の作品とは別作品。25×22cmという小さな作品で、2008年に日本で開催されたフェルメール展で展示された。 | ||
・ | しかし専門家全員が真作と納得しているわけではない( = ランクB)。 |
一般的には美術界の多数意見に従って(A + B + 新発見 = B)の合計35点をフェルメール作品としています。このうち美術館所蔵の作品は34点(盗難中を除くと33点)ですが、2点以上を所蔵している美術館をあげると次の通りです。
◆5点:(米)メトロポリタン美術館
◆4点:(蘭)アムステルダム国立美術館
◆3点:(蘭)マウリッツハイス美術館
◆3点:(米)フリック・コレクション
◆3点:(米)ワシントン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(英)ロンドン・ナショナル・ギャラリー
◆2点:(仏)ルーブル美術館
◆2点:(独)ベルリン絵画館
◆2点:(独)ドレスデン アルテ・マイスター絵画館
別にフェルメールをたくさん持っていることが美術館の価値を決めるわけではないのですが、アメリカの3つの美術館だけで11点、全作品の約3分の1を保有しています(盗まれた1点を加えると12点)。ダ・ヴィンチがアメリカに1点しかないのとは大違いで、フェルメールが19世紀後半以降に "再発見" されたことを如実に物語っています。これらのうち、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(NGA)にある3点は、
『手紙を書く女』 (A)
『天秤を持つ女』 (A)
『赤い帽子の女』 (B)
であり、さらに NGA にはもう一枚、
『フルートを持つ女』 (C)
があります。つまりNGAはランクA,B,Cが全部揃っているという珍しい美術館です。NGAは『フルートを持つ女』については「Attributed to Johanness Vermeer」として展示しています。「伝・フェルメール」という感じでしょうか。もちろん『赤い帽子の女』についてNGAは断固真作だと主張しています。以下はランクAの2点です。
ヨハネス・フェルメール
「手紙を書く女」(1665頃)
(45cm×40cm)
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この絵のような「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の女性をフェルメールは6点描いていますが、その中の1枚です。少し微笑んだ女性を、自然体で大変おだやかな雰囲気に描いています。机の上の小物の描き方も光っています。ちなみに「白貂の毛皮のついたレモン色のガウン」の他の5枚は、メトロポリタン、フリック・コレクション、アムステルダム、ベルリン、ロンドンのケンウッド・ハウスにあります。
ヨハネス・フェルメール
「天秤を持つ女」(1664頃)
(40cm×36cm)
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各種の解説にありますが、この絵の画中画は「最後の審判」です。このブログでは、フランスのボーヌにあるファン・デル・ウェイデンの『最後の審判』を引用しました(No.116「ブルゴーニュ訪問記」参照)。その絵でも分かるのですが一般的に「最後の審判」の描き方は、上の方に再臨したキリスト、その下に秤をもった大天使ミカエル、その横(ないしは下)にミカエルによって天国と地獄に振り分けられた人間という構図です。
この絵はその大天使が女性によって隠されていて、その代わりに女性が天秤を持っている。天秤の皿の上には何も乗っていない(=何も描かれていない)ことが判明していて、女性が天秤のバランスをとっている(?)姿になります。机の上の真珠や金貨も意味ありげです。数々の解釈がなされてきたようですが、決定版はないようです。素人目には「女性が何か重大な決断をしようとしている、ないしは決断をすべきか迷っている」と見えますが、そうとも限らない。結局、絵を見る人にゆだねられているといっていいでしょう。
フラゴナール(1732-1806)
ジャン・オノレ・フラゴナール
「読書する娘」(1769頃)
(81cm×65cm)
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この絵もワシントン・ナショナル・ギャラリーの有名絵画です。フラゴナールというと "ロココ" の画家であり、宮廷や貴族の恋愛模様を描いた、いわゆる "ロココ趣味" の絵で有名です。しかしこの絵はそれとは違って家庭内での "知的な" 情景であり、享楽的な恋愛模様とは対極にある画題です。
No.217「ポルディ・ペッツォーリ美術館」でルネサンス期のイタリアの横顔肖像画を4点とりあげました。しかしこのフラゴナールの横顔作品は、特定の人物の肖像画ではないでしょう。「女性の横顔の美」と「読書という行為」がうまく融合した作品になっています。
注目すべきは描き方で、なんとなく "印象派っぽい筆致" です。印象派は絵画史における革新だったわけですが、一般的にいってアートにおける革新は、全く新しいものが突然変異のように生まれるのではなく、それ以前の時代に萌芽があるわけです。印象派に関していうと、イギリスのターナーの絵はそういう感じがします。この『読書する娘』もそういった一枚だと思います。
ゴヤ(1746-1828)
フランシスコ・デ・ゴヤ
「セニョーラ・サバサ・ガルシア」(1806/11)
(71cm×58cm)
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No.90「ゴヤの肖像画:サバサ・ガルシア」で引用した絵です。この絵の感想は No.90 に詳しく書いたので、ここでは省略します。ひとつだけ繰り返すと、この絵は「ワシントンのモナ・リザ」でしょう。年齢はずいぶん違いそうですが、この絵のモデルも既婚者です。明らかにモナ・リザを意識したポーズだし、表情の "微妙な複雑さ" がモナ・リザ的です。
アングル(1780-1867)
ドミニク・アングル
「モワテシエ夫人の肖像」(1851)
(147cm×100cm)
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No.157「ノートン・サイモン美術館」で引用した絵です。アングルは、この絵(立像)の他に『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を描いています(ロンドン・ナショナル・ギャラリーにある)。そして No.157 で書いたように、ピカソは『モワテシエ夫人の肖像(座像)』を下敷きにしてマリー = テレーズを描いたのでした。それが『本をもつ女』という絵です。『本をもつ女』はピカソが "アングルから影響を受けた" と自ら宣言しているような絵です。
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マネ(1832-1883)
エドゥアール・マネ
「悲劇役者」(1866) (ハムレットに扮するルビエール)
(187cm×108cm)
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No.36「ベラスケスへのオマージュ」で引用した絵です。その主旨は、マネがプラド美術館でベラスケスを見て感動し、そのベラスケスの『道化師 パブロ・デ・バリャドリード』を踏まえて描いたのがこの作品ということでした。
エドゥアール・マネ
「オペラ座の仮面舞踏会」(1873)
(59cm×73cm)
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『悲劇役者』は「黒」を強調した絵でしたが、この絵も強烈に印象づけられるのは黒服の「黒」です。NGAには別に『死せる闘牛士』というマネの絵がありますが、その絵も黒服が眼につきます。一連の「黒」はマネがスペインを旅行したときの影響だと考えられます。
NGAのサイトの解説によると、右から2番目でこちらを向いているブロンドの髪の紳士は画家自身だそうです。また、上の方に足が描かれていますが、これは『フォリー・ベルジェールのバー』(1881/82)を連想させます(No.155「コートールド・コレクション」参照)。
エドゥアール・マネ
「鉄道」(1873)
(93cm×112cm)
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この絵はマネの有名作品です。サン = ラザール駅を描いたこの絵は、1898年にアメリカのハブマイヤー夫妻がパリの画商のデュラン = リュエルから購入したものです。夫人のルイジーン・ハブマイヤーはメアリー・カサットの友人です。No.86「ドガとメアリー・カサット」に書きましたが、ルイジーンがメアリーの勧めで購入したドガのパステル画が「アメリカ人が初めて購入した印象派絵画」でした。
フィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』という本があります。著者はサザビーズの印象派・近代絵画部門のシニア・ディレクターを勤めた人で、印象派の受容の歴史を "画商" や "オークション" の視点から描いた興味深い本です。この本に、ルイジーン・ハブマイヤーがこの絵を購入した当時のことを回想した発言がのっています。以下に引用してみます。
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一見すると奇妙な絵です。"屋外" で "現代" を描くという意味では印象派の絵と似ています。しかし肝心の鉄道はほとんど描かれず、子どもは向こう向き、誰かに気づいて読書を中断したような女性は母親でしょうが、親子はバラバラです。都会における家族、と考えていろいろと画家の意図を推測できると思いますが、そういう "深読み" にあまり意味はないのですね。どういう絵の見方をすべきか、それを語ったのが印象派と同時代のコレクター、ハブマイヤー夫人です。この回想に尽きていると思います。
マネの代表作である『草上の昼食』や『オランピア』はオルセー美術館の至宝ですが、発表当時は大スキャンダルになりました。否定するにしろ肯定するにしろ、大きな話題となった。しかしこの『鉄道』にはスキャンダラスなところは何もありません。結局、この絵をつまらないと思って見過ごすのか、それとも(ルイジーン・ハブマイヤーのように)感動するのかが、時代の分かれ目だったのでしょう。
ちなみに『草上の昼食』(1863)『オランピア』(1863)『鉄道』(1873)の3作品はいずれもヴィクトリーヌ・ムーランがモデルですが、マネが彼女をモデルに描いた最後の作品が『鉄道』です。
なお、人物を描いたものではありませんが、No.93「生物が主題の絵」で、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵しているマネの2枚の犬の絵、『タマ、日本犬』と『キング・チャールズ・スパニエル犬』を引用しました。ここで改めて「鉄道」を見てみると、座っている女性は子犬を抱いています。"屋外" で "現代" を描いたのがこの絵ですが、その "現代" とは、鉄道の他にもう一つ "ペット" なのですね。つまり19世紀後半にもなると一般市民がペットを飼うという習慣が出てきた。マネが犬の絵を描いたのも、そういう流れの中で考えるべきでしょう。
ホイッスラー(1834-1903)
ジェームズ・ホイッスラー
「白衣の少女」(1862) (白のシンフォニー No.1)
(213cm×108cm)
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ホイッスラーはアメリカのマサチューセッツ州に生まれ、21歳のときにパリに居を構え、その後ロンドンに拠点を設けて活躍した画家です。この絵の「白のシンフォニー No.1」という副題ですが、「白のシンフォニー」は全部で3作あり、No.2 はテート・ブリテン、No.3 はバーミンガム大学付属美術館にあります。
この絵はその題名どおり画面の大部分を占める服の「白」が目立つ作品です。ドレス、手にしている百合の花、後ろのカーテン、敷物にさまざまな色調の白が使われています。まさに「白のシンフォニー」です。このように白に白を重ねる色の使い方はあまり見たことがなく、大変に斬新な手法です。この『白のシンフォニー No.1』は発表当時、大きなスキャンダルになったようです。2014年-15年に日本で開催された「ホイッスラー展」の図録には次のようにありました。
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マネの『草上の昼食』がスキャンダラスというのは理解できますが、この『白のシンフォニー No.1』がスキャンダルだとは、現代人はちょっと想像できません。今から150年前のパリ・ロンドンの画壇では絵のテーマに対して数々の制約があり、それを打ち破ろうとする画家がいたということでしょう。それが上の評言に出てくるクールベであり、マネであり、そしてホイッスラーだった。この絵のモデルとなったジョー(ジョアンナ)・ヒファーナンはクールベの『世界の起源』(オルセー美術館)のモデルとも言われる人で、それも象徴的です。
比較のために同じモデルを描いた『白のシンフォニー No.2』を引用しておきます。この絵はホイッスラーによくあるジャポニズムの影響下にある作品で、磁器の壷、朱色の椀、団扇といった典型的な日本的アイテムが配置されています。描かれている花はアザリア(ツツジ)で、この花も東アジア原産です。ちなみにワシントン D.C.のフリーア美術館にはホイッスラーがデザインしたピーコック・ルーム(孔雀の間)があり、『磁器の国の姫君』というジャポニズム作品が展示されています。
ホイッスラー
「白衣の少女」(1864) (白のシンフォニー No.2) テート・ブリテン |
ホーマー(1836-1910)
ウィンスロー・ホーマー
「秋」(1877)
(97cm×59cm)
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ホーマーはボストン生まれで、アメリカの身近な自然や生活を描くのを得意とした画家です。
頬を紅潮させた女性が紅葉した木の枝を持ち、ちょっと挑戦的な視線で画家の方を向いています。何となく、この人の "勝ち気" な性格を思わせます。つまり、この絵をパッと見ると特定の人物の肖像画だと感じる。しかし題名は「秋」です。
背景は何らかの傾斜地、ないしは山道でしょうか。スカートの裾を持ちペチコートをのぞかせている姿は、今しがた坂を降りてきたように見えます。そして一面に描かれた紅葉がこの絵の特色です。背景は明確ではなく、あえて特定の景色にしなかった感じがします。秋のイメージを具現化したのでしょう。だとすると女性も、紅葉した木の枝を携えて "秋" から抜け出してきた「秋の化身」のようにも感じられる。よく西欧絵画に季節を擬人化して描いた絵がありますが、この絵もその流れにある一枚かもしれません。
なお、今回は人物画に焦点を当てたのですが、ワシントン・ナショナル・ギャラリーには、ホーマー最晩年の『右と左』(1909)という重要作品があります。ハンターに撃たれる瞬間の鴨を描いた絵ですが、ジャポニズムの影響も感じる傑作です。
セザンヌ(1839-1906)
ポール・セザンヌ
「赤いチョッキの少年」(1888/90)
(90cm×72cm)
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マネの『鉄道』のところで引用したフィリップ・フック著『印象派はこうして世界を征服した』によると、この絵は NGA の設立者であるアンドリュー・メロンの息子、ポール・メロンが、1958年、ロンドンのサザビーズの競売で、当時の絵画の最高価格である22万ポンドで落札した作品とあります
『赤いチョッキの少年』は、セザンヌの絵によくある連作(4点)です。1点は前向きに座っている姿で、バーンズ・コレクションのメインルーム(Room1)の North Wall にあります(No.95「バーンズ・コレクション」参照。分かりにくいですが)。1点は座って肘をついている姿で、チューリッヒのビュールレ・コレクションにあります(赤いチョッキでは最も有名)。また横向きに座っている絵がニューヨーク近代美術館(MoMA)にあります。
このNGAの絵をみても分かるのですが、さまざまな色が使われ、形が組み合わされています。色の実験、形の実験をしているようで、まさにセザンヌがモダン・アートを先導した画家だと分かります。
ポール・セザンヌ
「アルルカン」(1888/90) (ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
(101cm×65cm)
|
No.114「道化とピエロ」で、ドランとピカソのアルルカン(ないしはピエロ)の絵を紹介したときに "セザンヌも描いている" と書きましたが、その絵がこれです。これは、箱根のポーラ美術館にある『アルルカン』とほぼ同じ構図です。実は『アルルカン』は計4点の連作で、1点は「ピエロとアルルカンの絵」(プーシキン美術館にある《マルディ・グラ》)、3点が「アルルカンだけの絵」で、そのうちの1枚がポーラ美術館、1枚がNGAというわけです(もう1枚は個人蔵)。
ポール・セザンヌ
「マルディ・グラ」(1888/90) (プーシキン美術館) |
ポール・セザンヌ
「アルルカン」(1888/90) (ポーラ美術館)
(62cm×47cm)
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ポーラ美術館に敬意を表して、ポーラ美術館のサイトにある『アルルカン』の解説を引用します。もちろん「ポーラ版アルルカン」についての解説ですが「NGA版アルルカン」についても当てはまると思います。
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『赤いチョッキの少年』と『アルルカン』のほかにNGAが所蔵するセザンヌの人物画に、画家の父を描いた有名な作品がありますが省略します。
モネ(1840-1926)
クロード・モネ
「パラソルの女」(1875)
(100cm×81cm)
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No.115「日曜日の午後に無いもの」で引用した絵で、モネの妻・カミーユと息子のジャンを戸外で描いた作品です。印象派の代表作の一つであり、まさに "印象派がギッシリと詰まった" 作品でしょう。逆光の感じの出し方、雲の描き方などは秀逸です。
この絵の一つのポイントは、NGAが所蔵するヴァン・ダイクの『伯爵夫人 エレナ・グリマルディ・カッタネオ』の肖像画と同じく、"パラソル" です。この2つの絵には250年の時の経過があります。産業革命を経たフランスではパラソルが庶民でも手に入るようになり、パラソルを持って公園や戸外を散策するのが当時のパリの女性の最先端の風俗だった。そういう妻を(おそらく)幾分誇らしげに描いたのがこの絵でしょう。なお、パラソルがトレンドだったことは、この絵の10年後に描かれたスーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』を見ると理解できます(No.115「日曜日の午後に無いもの」参照)。
ルノワール(1841-1919)
オーギュスト・ルノワール
「踊り子」(1874)
(143cm×95cm)
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この絵もルノワール作品では有名な絵です。一つ思うのは「ドガの踊り子」とのあまりの相違です。同じ踊り子をモチーフにしながら、そこから引き出されたものが全く違う。絵画のおもしろさでしょう。
カサット(1844-1926)
メアリー・カサットの作品については、今まで4回に渡って書きました(No.86、No.87、No.125、No.187)。従って紹介した作品も多いのですが、そのうち4点が NGA の作品です。まずそれを順に振り返りたいと思います。
メアリー・カサット
「青い肘掛け椅子の少女」(1878)
(90cm×130cm)
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この絵については No.87「メアリー・カサットの少女」、および No.125「カサットの少女再び」で詳細な感想を書いたので省略します。ドガの手が入っているとされる絵で、そのあたりの事情も No.125 に書きました。No.125ではこの絵の革新性についても書いたのですが、NGAの公式ガイドブックには、この絵を評して、
少女がいなければ、ほとんど抽象画
とあります。なるほど、その通りだと思います。
メアリー・カサット
「髪を整える女」(1886)
(75cm×63cm)
|
No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で引用した絵です。カサットが「ドガを見返してやろう」と発奮して描いた、という主旨でした。
メアリー・カサット
「舟遊び」(1893/94)
(90cm×117cm)
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No.86「ドガとメアリー・カサット」、No.87「メアリー・カサットの少女」で引用しました。舟の縁、帆、身体などの各種の線が渦巻きのようになって最後は子どもの顔に収斂していく構図です。ベタに塗ったような描き方は浮世絵の影響を感じます。カサットがいかに浮世絵に魅せられたかを No.187「メアリー・カサット展」に書きました。
メアリー・カサット
「浜辺で遊ぶ子供たち」(1884)
(97cm×74cm)
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No.187「メアリー・カサット展」で引用した絵です。『青い肘掛け椅子の少女』と同じで水平線を極端に上にとり、斜め上から俯瞰した構図はいかにもカサット的です。また子どもが見せる愛らしさの一瞬をとらえているのもカサットならではでしょう。
今までこのブログで取り上げた絵だけを再掲するだけでは能がないので、NGAにあるもう一枚の作品を引用しておきます。この絵も "子どもが見せるある表情" が的確にとらえられています。大きめの麦藁帽子をかぶせられた女の子が「お母さん、わたし、こんなのかぶるの? いやだな」と言っているような感じです。
メアリー・カサット
「麦藁帽子の子ども」(1886頃)
(65cm×49cm)
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ゴッホ(1853-1890)
フィンセント・ファン・ゴッホ
「自画像」(1889)
(58cm×45cm)
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ゴッホが描いた36枚の自画像のうち最後の自画像といわれる絵で、サン・レミの病院での作品です。この作品はやはり "色" です。フォービズムに始まる20世紀絵画を先導した感じです。
サージェント(1856-1925)
ジョン・シンガー・サージェント
「ミス・マチルド・タウンゼント」(1907)
(153cm×102cm)
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この絵のモデルは、アメリカの「エリー&ピッツバーグ鉄道」の社長の娘で、父親の退職後に一家は1892年ワシントンDCに移り、彼女はそこで社交界の花形になったそうです(1999年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」の図録による)。描かれた1907年というとフォービズムやキュビズムの絵画が描かれているころです。その時代にこういった「社交界絵画」には批判もあったようで、サージェントはこの絵を最後に肖像画をやめて風景画に専念したとあります。つまりサージェント最後の肖像画です。
しかし絵の価値は「何を描くか」ではなく「どう描いたか」です。「社交界絵画」だから "悪い" とか "時代遅れ" という批判はあたりません。この絵はスピード感が溢れる筆遣いにもかかわらず、「美人で、華やかで、ゴージャスで、いかにも幸せそうな富豪の娘」という感じが大変よく出ています。
ピカソ(1881-1973)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーにはピカソの「青の時代」の油彩画が3点あります。以下にその3点を掲げますが、最初の2点はNo.216「フィリップス・コレクション」で引用しました。フィリップス・コレクションが所蔵しているピカソの『青い部屋』(=「青の時代」の始まりの作品)との対比のためでした。
パブロ・ピカソ
「グルメ」(1901)
(93cm×68cm)
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パブロ・ピカソ
「悲劇」(1903)
(105cm×69cm)
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パブロ・ピカソ
「扇子を持つ女性」(1905)
(100cm×81cm)
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我々は普通、ピカソの「青の時代」というと、絵のテーマとして「社会的弱者、ないしは社会の底辺で生きる人たち」か「悲しみ、不安、苦しみ、哀愁、孤独などの感情表現」、あるはその両方だと考えるわけです。しかし最初の『グルメ』はそうではありません。これは「青の時代」の初期作品であり、"食いしん坊" の女の子を描いていて、ユーモアを感じます。
次の『悲劇』は、いかにも「青の時代」の絵です。何らかの悲劇におそわれた漁師の家族でしょうか。子供が父親を思いやって手を差し伸べているのが印象的です。エル・グレコの「ラオコーン」のところに「ピカソはエル・グレコに影響された」という話が出てきましたが、それも分かるような "引き伸ばされた" 人物表現です。
3番目の『扇子を持つ女性』は「青の時代」の最後期の作品です。ここまでくると『悲劇』のような表現・テーマとはまた違います。この女性の姿で連想するのは何かの宗教に関連した像、仏像とかインドや古代エジプトの神の像です。あるいは何かの儀式か舞踊だとも思える。女性は無表情で、動きを止めて静止していると感じます。その手は『悲劇』の少年の両手と大変よく似ている。そういった全体の造形を追求した絵なのでしょう。この3作品を見ると「青の時代」にも多様な表現があることがわかります。
さらにNGAには「青の時代」の次の「バラ色の時代」の代表作があります。それが「サルタンバンクの家族」という大作です。
パブロ・ピカソ
「サルタンバンクの家族」(1905)
(213cm×230cm)
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サルタンバンクとは特定に一座の属さない旅芸人です。この絵は No.114「道化とピエロ」で引用した『曲芸師と若いアルルカン』(バーンズ・コレクション Room19 East Wall にある絵)によく似ています。両方とも家族を描いていて(バーンズ作品の方は兄と弟)、アクロバット(=曲芸師。赤い服)とアルルカン(菱形のパッチワークのような装束)が登場している。両方とも背景が戸外です(バーンズ作品の場合は街)。
この絵全体に静寂感が漂っています。少し曖昧に描かれた荒涼とした土地は、家族が世の中で孤独であることを暗示しているようです。6人は互いに眼を合わすことはなく、それぞれ独立しています。しかしアルルカン(ピカソ自身だと言われる)が妹の手を握っていて、家族の間の信頼や気遣いが暗示されている(バーンズ作品もそうです)。ピカソはこの時代以降、道化、ピエロ、サルタンバンクといったモチーフを折りに触れて描くわけですが、この作品は既にそれらの全てを包括しているかのようです。最初の時点で出された最終回答、そんな感じがします。
モディリアーニ(1884-1920)
アメディオ・モディリアーニ
「赤毛の女」(1917)
(92cm×61cm)
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モディリアーニ
「赤毛の女」 (バーンズ・コレクション)
ワシントン・ナショナル・ギャラリーの絵とよく似ているが、こちらの方はイブニング・ドレス姿である。
|
さらに「椅子の背に片腕をかけてリラックスしている姿」で思い出すのは、バーンズ・コレクションの『白い服の婦人』です(No.95「バーンズ・コレクション」参照。Room 22 South Wall にある)。また、ノートン・サイモン美術館にある『画家の妻、ジャンヌ・エビュテルヌの肖像』も似たポーズです(No.157「ノートン・サイモン美術館」参照)。いずれの絵も頭から胴にかけての逆S字形の曲線と腕の線のバランスがいい。デッサンで線を引く天才、モディリアーニの特質がよく現れていると思います。
その他、このブログで過去に引用した作品として、絵画ではありませんがドガの『14歳の小さな踊り子』のオリジナル塑像があります。この作品は No.86「ドガとメアリー・カサット」でとりあげました。また No.86 ではドガの「障害競馬 - 落馬した騎手」にも触れました(カサットが初めて見たドガの絵とされる)。
今回は人物がテーマになっている絵だけに絞ったのですが、今まで現れなかったアーティストの重要作品(人物がテーマではない絵)を2つあげておきます。一つはジョアン・ミロの『農場』(1921-22)で、画家としての初期、まだミロが無名のときの作品です。この絵は文豪のアーネスト・ヘミングウェイが友人に借金までして購入したことで有名です。ヘミングウェイは、スペイン内戦を舞台にした「誰がために鐘は鳴る」を書いたほどスペインに深く関わった作家です。
アメリカ人画家、アンドリュー・ワイエスについては No.150「クリスティーナの世界」、No.151「松ぼっくり男爵」、No.152「ワイエス・ブルー」の3回に渡って書きましたが、『海からの風』(1947)というワイエスの代表作の一つがNGAにあります。
ワシントン・ナショナル・ギャラリーは西館(最初に建設された本館)と東館(新館)に分かれていて、東館にはモダンアートが収集されています(ピカソはここにある)。そういった作品も含め、美術好きなら是非訪れてみたい美術館です。特に近代絵画のコレクションです。たとえば、2011年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のキャッチ・コピーは「これを見ずに、印象派は語れない」でしたが、決して大げさではありません。
さらにワシントンにはフィリップス・コレクションがあり(No.216「フィリップス・コレクション」参照)、ホイッスラーのピーコック・ルームがある、東洋美術のフリーア美術館もあります(No.85「洛中洛外図と群鶴図」参照)。ほかにも美術館、博物館が多い。東京がそうであるように、アメリカの首都ワシントンも "アートの都市" と言っていいと思います。
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2018-01-06 18:04
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