No.215 - 伊藤若冲のプルシアン・ブルー [アート]
No.18「ブルーの世界」で青色顔料(ないしは青色染料)のことを書いたのですが、その中に世界初の合成顔料である "プルシアン・ブルー" がありました。この顔料は江戸時代後期に日本に輸入され、葛飾北斎をはじめとする数々の浮世絵に使われました。それまでの浮世絵の青は植物顔料である藍(または露草)でしたが、プルシアン・ブルーの強烈で深い青が浮世絵の新手法を生み出したのです。絵の上部にグラディエーション付きの青の帯を入れる「一文字ぼかし」や、本藍とプルシアン・ブルーをうまく使って青一色で摺るといった手法です(No.18)。プルシアン・ブルーが浮世絵に革新をもたらしました。
そして日本の画家で最初にプルシアン・ブルーを用いたのが伊藤若冲だったことも No.18「ブルーの世界」で触れました。その若冲が使ったプルシアン・ブルーを科学的に分析した結果が最近の雑誌(日経サイエンス)にあったので、それを紹介したいと思います。
伊藤若冲『動植綵絵』
宮内庁・三の丸尚蔵館が所蔵する全30幅の『動植綵絵』は、伊藤若冲の最高傑作の一つです。この絵を全面修復したときに科学分析が行われ、プルシアン・ブルーが使われていることが判明しました。その経緯を「日経サイエンス」から引用します。以下の引用で下線は原文にはありません。
若冲の「群魚図」の分析に使われたのは「蛍光X線分析」という手法です。絵の表面に直径約2mmの微弱なX線をスポット照射します。そうするとそこにある元素が励起され、元の状態に戻るときに2次的なX線(=蛍光X線)を出します。元素が出す蛍光X線のエネルギーは元素ごとに決まっているので、どんな元素が存在するかが分かります。
分析を担当した早川康弘氏(東京文化財研究保存修復センター = 東文研)は、当初このデータを見落としていたといいます。というのも、プルシアン・ブルーが絵の具として頻繁に使われるようになったのは江戸時代末期の19世紀になってからであり、若冲が使っていたとは思われなかったからです。
では、プルシアン・ブルーだと断定するにはどうするのか。江戸時代に輸入されて現在も残っているプルシアン・ブルーがあります。それと比較分析をします。
プルシアン・ブルーの合成
プルシアン・ブルーは世界初の合成顔料です。No.18「ブルーの世界」にも書いたのですが、その発見は18世紀初頭のベルリンでした。当時ベルリンはプロイセン領だったので「プロイセンの青=プルシアン・ブルー」と呼ばれたのです。江戸時代の日本では「ベロ藍」ですが、ベロとはベルリンの意味です。その発見は全くの偶然でした。
動物の角や骨や血液などから作った油というのは、いかにも錬金術師が作りそうな "あやしげな" ものですが、まさにそこがこの発見物語のポイントです。ディースバッハが作ろうとしていた赤色染料・コチニールは、青色=プルシアン・ブルーの出現には関係ありません。「動物由来の成分が溶け込んだ炭酸カリウム液」と「硫酸鉄」が鍵です。日経サイエンスの記事によるとプルシアン・ブルーが生成した過程は次のようです。
日経サイエンス2017年10月号には、上記の過程をそのままに再現した実験が載っていて、見事にプルシアン・ブルーができています。それを使って画家の浅野信二氏が描いたルリハタの絵も掲載されています。
プルシアン・ブルーの結晶の特徴は、2価の鉄(Fe2+)と3価の鉄(Fe3+)が交互に結晶を作っていることです。このように酸化度が違う金属が混在している結晶では、電子はその金属に集まります。かつ、電子は2価の鉄と3価の鉄を間を容易に移動できる。移動するときに強い光の吸収が起き、普通の物質より鮮やかな色になります。プルシアン・ブルーの場合は橙色が吸収されて青く見えます。この青は非常に "強い青" です。
しかし "強い色" は欠点にもなります。No.18「ブルーの世界」にも書いたのですが、19世紀のフランス画壇ではプルシアン・ブルーは危険な色とされ、扱いには注意が必要だったようです。No.18に書いたことを再掲します。
プルシアン・ブルーの歴史
日経サイエンスの記事に戻って、プルシアン・ブルーの歴史をまとめると、以下のようになります。
1回きりのプルシアン・ブルー
ただし、伊藤若冲が『動植綵絵』の「群魚図」にプルシアン・ブルーを使った理由は謎が残ると、日経サイエンスの記事は言います。
記事に「1回限りの実験か」と書いてありますが、実験ではないでしょう。『動植綵絵』は若冲の禅の師である大典顕常がいる京都・相国寺に寄贈した絵です。若冲にとって "渾身の作" だろうし、事実、その出来映えは最高傑作と呼ぶにふさわしい。いいかげんな気持ちでプルシアン・ブルーを用いたはずがないと思います。当時は貴重で高価な絵の具です。初めて使う絵の具ということは、何度も下絵を書いて発色の具合を調べたはずです。そして『動植綵絵』に用いたと考えられる。
若冲がプルシアン・ブルーを用いたのは1回きりです。なぜかを推測すると、これは "自分には向かない絵の具" だと思ったからではないでしょうか。引用した画家の浅野信二氏やパリの絵の具専門店の店長の発言にあるように、プルシアン・ブルーは極めて "強い絵の具" であり、もっと言うと "危険な絵の具" です。上に引用したパリの老舗の絵の具専門店・スヌリエの店長の発言をもう一度思い出すと、
でした。近接して塗った絵の具を "食ってしまうほどの強力な青色" なのです。
一方、若冲の『動植綵絵』はどうでしょうか。この絵には「裏彩色」の技法が駆使されていることが分かっています。再び「日経サイエンス」から引用します。
最も有名な裏彩色の技法は『動植綵絵』の「老松白鳳図」ですね。絹地の表から白、裏から黄を塗ることで、鳳凰の羽が金色に見えるという驚きの効果を生み出しています。その裏彩色は「老松白鳳図」だけではないのです。裏打ちしてある和紙を全部はがす解体修理をしてみると、南天の実、紅葉の葉にまで裏彩色が使われていた。この事実を考えると、若冲は『動植綵絵』以外の絵でも裏彩色を多用しているはずです。
そこでプルシアン・ブルーです。推測すると、プルシアン・ブルーは「裏彩色の技法が利かない絵の具」なのではないでしょうか。あまりに強い色であり、他の色を食ってしまうために・・・・・・。だとすると、裏彩色を駆使して「自然が持っている色をどうやって絵に残すかを追求した」若冲にとっては "使いにくい色" ということになります。実は若冲は、プルシアン・ブルーの性質(=難しさ)を良く理解していたのではないか。画家仲間に注意書きのメモを残したルノワールのように。
さらに推測を重ねると、若冲が「群魚図」のルリハタにあえて「1回きりのプルシアン・ブルー」を使った理由は、この絵に「秘密を仕掛けた」のではと思います。裏彩色もそうですが、若冲の絵には "秘密" がよくあります。肉眼では判別しがたいような細かい点々を描き込むとか、絵の具を4回も塗り重ねる(日本画で!!)といったような・・・・・・。
渾身の作に、オランダから輸入されたばかりの高価で貴重な絵の具を "そっと" 使う。それはルリハタの美しい瑠璃色を描くにはピッタリでしょう。しかも上から墨を重ねて分からないようする。それによって「群魚図」のプルシアン・ブルーを "封印" し、そしてプルシアン・ブルーの使用そのものも封印してしまう。「1回きりの秘密を仕掛けた」という解釈が最も妥当だと思います。そしてその秘密は、描かれてから243年後に現代科学の分析手法で解き明かされたわけです。
プルシアン・ブルーの現在
顔料としてのプルシアン・ブルーは、その後に開発された合成顔料であるコバルト・ブルーやセルリアン・ブルー(No.4「プラダを着た悪魔」でアンディが着ていたセーターの色)などに押されて使われなくなりました。しかしプルシアン・ブルーは顔料とは別の用途で発展します。
プルシアン・ブルーが放射性セシウムの吸着剤やカリウムイオン電池の正極材料になることは、No.18「ブルーの世界」の「補記」に書きました。電子カーテンは透明から不透明に多段階に変化する "ガラス" で、ボーイング 787 の窓がそうです。787に乗ると窓の下にボタンが二つあって窓の透明度を変えられます。787 の窓の材料は非公開なのでプルシアン・ブルーが使われているかどうかは分かりませんが、こういう使い方も可能な機能性材料がプルシアン・ブルーです。プルシアン・ブルーが強い青を発色して顔料になるのは、あくまで一つの機能に過ぎないのです。
18世紀初頭のベルリンで、顔料・染料業者と錬金術師が全くの偶然で合成したプルシアン・ブルーを、フランス画壇の著名画家たちが使い、若冲や北斎も使い、浮世絵に革新を起こし、さらには東日本大震災からの復興に陰で役立ち(放射性セシウムの吸着剤)、今後は次世代電池に使うべく研究されている・・・・・・。
プルシアン・ブルーは今で言う "化学" で作り出されたものですが、その化学が作り出した "機能性材料の奥深さ" がよく理解できた記事でした。
そして日本の画家で最初にプルシアン・ブルーを用いたのが伊藤若冲だったことも No.18「ブルーの世界」で触れました。その若冲が使ったプルシアン・ブルーを科学的に分析した結果が最近の雑誌(日経サイエンス)にあったので、それを紹介したいと思います。
伊藤若冲『動植綵絵』
宮内庁・三の丸尚蔵館が所蔵する全30幅の『動植綵絵』は、伊藤若冲の最高傑作の一つです。この絵を全面修復したときに科学分析が行われ、プルシアン・ブルーが使われていることが判明しました。その経緯を「日経サイエンス」から引用します。以下の引用で下線は原文にはありません。
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伊藤若冲『動植綵絵』より
「群魚図(鯛)」(1766) (宮内庁 三の丸尚蔵館 所蔵)
「動植綵絵」の「群魚図」には「蛸」と「鯛」があるが、この絵は「鯛」の方である。絵の左下の隅に黒ずんだ濃紺色で描かれているのがルリハタである。黒ずんでいる理由は後述。
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ルリハタ
ハタ科の魚だが、鮮やかな青色の(瑠璃色の)体色と黄色の線が目立つ。"瑠璃" とはもともと仏教用語であり、鉱物としてはラピスラズリを意味する。ラピスラズリはウルトラマリン・ブルーとして西欧絵画の青に使われた。No.18「ブルーの世界」参照。
(site : http://www.pref.nagasaki.jp)
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若冲の「群魚図」の分析に使われたのは「蛍光X線分析」という手法です。絵の表面に直径約2mmの微弱なX線をスポット照射します。そうするとそこにある元素が励起され、元の状態に戻るときに2次的なX線(=蛍光X線)を出します。元素が出す蛍光X線のエネルギーは元素ごとに決まっているので、どんな元素が存在するかが分かります。
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ルリハタの蛍光X線スペクトル
鉄のピークがみられる。一般的な青色顔料である群青(藍銅鉱)や藍に鉄分は含まれない。Ca(カルシウム)のピークは下地に塗った胡粉を示している(胡粉は貝殻を砕いて作る)。
(日経サイエンス 2017.10 より)
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分析を担当した早川康弘氏(東京文化財研究保存修復センター = 東文研)は、当初このデータを見落としていたといいます。というのも、プルシアン・ブルーが絵の具として頻繁に使われるようになったのは江戸時代末期の19世紀になってからであり、若冲が使っていたとは思われなかったからです。
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では、プルシアン・ブルーだと断定するにはどうするのか。江戸時代に輸入されて現在も残っているプルシアン・ブルーがあります。それと比較分析をします。
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ルリハタの可視分光スペクトル
400~850nm の広い波長域で反射率があまり変わらない。プルシアン・ブルーに特徴的な可視光スペクトルである。
(日経サイエンス 2017.10 より)
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プルシアン・ブルー
この色はRGB値が "192f60"(16進数)であるが、あくまで一例である。実際に顔料・染料として使う方法によって色は変化する。
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プルシアン・ブルーの合成
プルシアン・ブルーは世界初の合成顔料です。No.18「ブルーの世界」にも書いたのですが、その発見は18世紀初頭のベルリンでした。当時ベルリンはプロイセン領だったので「プロイセンの青=プルシアン・ブルー」と呼ばれたのです。江戸時代の日本では「ベロ藍」ですが、ベロとはベルリンの意味です。その発見は全くの偶然でした。
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動物の角や骨や血液などから作った油というのは、いかにも錬金術師が作りそうな "あやしげな" ものですが、まさにそこがこの発見物語のポイントです。ディースバッハが作ろうとしていた赤色染料・コチニールは、青色=プルシアン・ブルーの出現には関係ありません。「動物由来の成分が溶け込んだ炭酸カリウム液」と「硫酸鉄」が鍵です。日経サイエンスの記事によるとプルシアン・ブルーが生成した過程は次のようです。
◆ | ディッペルが動物の角や骨、血液などに炭酸カリウム液を加えて加熱したとき、骨や血液に含まれる炭素(C)と窒素(N)からシアン化物イオン(CN-)が生成し、それが炭酸カリウムと反応してシアン化カリウム(いわゆる青酸カリ)ができた。 | ||
◆ | シアン化カリウムが血液や鉄製の反応容器の含まれる鉄分(Fe)と反応して黄血塩(フェロシアン化カリウム。その名の通り黄色)ができた。 | ||
◆ | 黄血塩に硫酸鉄が加わってプルシアン・ブルーができた。 |
日経サイエンス2017年10月号には、上記の過程をそのままに再現した実験が載っていて、見事にプルシアン・ブルーができています。それを使って画家の浅野信二氏が描いたルリハタの絵も掲載されています。
日経サイエンスにはプルシアン・ブルーを発見当時の製法で再現した実験が載っている。用いた動物原料は豚のレバーである。この絵は実験で作ったプルシアン・ブルーを用いて画家の浅野信二氏が描いたルリハタの絵。紙の上に描かれている。
(日経サイエンス 2017.10)
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プルシアン・ブルーの結晶構造
2価の鉄(Fe2+。黄色の丸)と3価の鉄(Fe3+。赤色の丸)が交互に結晶を作っている。
(日経サイエンス 2017.10 より)
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プルシアン・ブルーの結晶の特徴は、2価の鉄(Fe2+)と3価の鉄(Fe3+)が交互に結晶を作っていることです。このように酸化度が違う金属が混在している結晶では、電子はその金属に集まります。かつ、電子は2価の鉄と3価の鉄を間を容易に移動できる。移動するときに強い光の吸収が起き、普通の物質より鮮やかな色になります。プルシアン・ブルーの場合は橙色が吸収されて青く見えます。この青は非常に "強い青" です。
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しかし "強い色" は欠点にもなります。No.18「ブルーの世界」にも書いたのですが、19世紀のフランス画壇ではプルシアン・ブルーは危険な色とされ、扱いには注意が必要だったようです。No.18に書いたことを再掲します。
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プルシアン・ブルーの歴史
日経サイエンスの記事に戻って、プルシアン・ブルーの歴史をまとめると、以下のようになります。
◆ | (1706年)ベルリンでディッペル(錬金術師)とディースバッハ(染料・顔料業者)がプルシアン・ブルーを偶然に合成。 | ||
◆ | 2人はプルシアン・ブルーの製造を開始。製法は秘匿した。1712年頃には「需要に応えきれない」との手紙が残っている。 | ||
◆ | (1724年)英国の学者がドイツから入手したプルシアン・ブルーの製法を学術誌に発表。プルシアン・ブルーの科学的研究が始まる。 | ||
◆ | (1747年)日本に初めてプルシアン・ブルーが輸入された。この時は全量が返送されたので、実質的な最初の輸入は1752年。 | ||
◆ | (1766年)伊藤若冲が『動植綵絵』の「群魚図」にプルシアン・ブルーを使用。 | ||
◆ | (1770年代前半)平賀源内が油彩画「西洋夫人図」にプルシアン・ブルーを使用。 | ||
◆ | (19世紀~)プルシアン・ブルーが浮世絵に多数使用される。たとえば葛飾北斎の『富嶽三十六景』であり、その制作・出版は1823年頃~1835年頃。 | ||
◆ | (19世紀~)印象派の画家が好んで使用。ピカソも「青の時代」の絵に多用。 | ||
◆ | (2009年)東京国立博物館で開かれた「皇室の名宝 ─ 日本の華」展において、伊藤若冲がプルシアン・ブルーを使ったことが公表された。 |
1回きりのプルシアン・ブルー
ただし、伊藤若冲が『動植綵絵』の「群魚図」にプルシアン・ブルーを使った理由は謎が残ると、日経サイエンスの記事は言います。
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記事に「1回限りの実験か」と書いてありますが、実験ではないでしょう。『動植綵絵』は若冲の禅の師である大典顕常がいる京都・相国寺に寄贈した絵です。若冲にとって "渾身の作" だろうし、事実、その出来映えは最高傑作と呼ぶにふさわしい。いいかげんな気持ちでプルシアン・ブルーを用いたはずがないと思います。当時は貴重で高価な絵の具です。初めて使う絵の具ということは、何度も下絵を書いて発色の具合を調べたはずです。そして『動植綵絵』に用いたと考えられる。
若冲がプルシアン・ブルーを用いたのは1回きりです。なぜかを推測すると、これは "自分には向かない絵の具" だと思ったからではないでしょうか。引用した画家の浅野信二氏やパリの絵の具専門店の店長の発言にあるように、プルシアン・ブルーは極めて "強い絵の具" であり、もっと言うと "危険な絵の具" です。上に引用したパリの老舗の絵の具専門店・スヌリエの店長の発言をもう一度思い出すと、
「 | 1グラムのプルシアン・ブルーに白の絵の具を1キログラム混ぜても、全部ブルーになってしまうほどです。また黄色の隣にこれを塗ると、黄色が段々と緑に変色してしまいます。プルシアンの発色力は、色の中でもっとも強力なものです。」 |
でした。近接して塗った絵の具を "食ってしまうほどの強力な青色" なのです。
一方、若冲の『動植綵絵』はどうでしょうか。この絵には「裏彩色」の技法が駆使されていることが分かっています。再び「日経サイエンス」から引用します。
|
最も有名な裏彩色の技法は『動植綵絵』の「老松白鳳図」ですね。絹地の表から白、裏から黄を塗ることで、鳳凰の羽が金色に見えるという驚きの効果を生み出しています。その裏彩色は「老松白鳳図」だけではないのです。裏打ちしてある和紙を全部はがす解体修理をしてみると、南天の実、紅葉の葉にまで裏彩色が使われていた。この事実を考えると、若冲は『動植綵絵』以外の絵でも裏彩色を多用しているはずです。
そこでプルシアン・ブルーです。推測すると、プルシアン・ブルーは「裏彩色の技法が利かない絵の具」なのではないでしょうか。あまりに強い色であり、他の色を食ってしまうために・・・・・・。だとすると、裏彩色を駆使して「自然が持っている色をどうやって絵に残すかを追求した」若冲にとっては "使いにくい色" ということになります。実は若冲は、プルシアン・ブルーの性質(=難しさ)を良く理解していたのではないか。画家仲間に注意書きのメモを残したルノワールのように。
さらに推測を重ねると、若冲が「群魚図」のルリハタにあえて「1回きりのプルシアン・ブルー」を使った理由は、この絵に「秘密を仕掛けた」のではと思います。裏彩色もそうですが、若冲の絵には "秘密" がよくあります。肉眼では判別しがたいような細かい点々を描き込むとか、絵の具を4回も塗り重ねる(日本画で!!)といったような・・・・・・。
渾身の作に、オランダから輸入されたばかりの高価で貴重な絵の具を "そっと" 使う。それはルリハタの美しい瑠璃色を描くにはピッタリでしょう。しかも上から墨を重ねて分からないようする。それによって「群魚図」のプルシアン・ブルーを "封印" し、そしてプルシアン・ブルーの使用そのものも封印してしまう。「1回きりの秘密を仕掛けた」という解釈が最も妥当だと思います。そしてその秘密は、描かれてから243年後に現代科学の分析手法で解き明かされたわけです。
プルシアン・ブルーの現在
顔料としてのプルシアン・ブルーは、その後に開発された合成顔料であるコバルト・ブルーやセルリアン・ブルー(No.4「プラダを着た悪魔」でアンディが着ていたセーターの色)などに押されて使われなくなりました。しかしプルシアン・ブルーは顔料とは別の用途で発展します。
|
プルシアン・ブルーが放射性セシウムの吸着剤やカリウムイオン電池の正極材料になることは、No.18「ブルーの世界」の「補記」に書きました。電子カーテンは透明から不透明に多段階に変化する "ガラス" で、ボーイング 787 の窓がそうです。787に乗ると窓の下にボタンが二つあって窓の透明度を変えられます。787 の窓の材料は非公開なのでプルシアン・ブルーが使われているかどうかは分かりませんが、こういう使い方も可能な機能性材料がプルシアン・ブルーです。プルシアン・ブルーが強い青を発色して顔料になるのは、あくまで一つの機能に過ぎないのです。
18世紀初頭のベルリンで、顔料・染料業者と錬金術師が全くの偶然で合成したプルシアン・ブルーを、フランス画壇の著名画家たちが使い、若冲や北斎も使い、浮世絵に革新を起こし、さらには東日本大震災からの復興に陰で役立ち(放射性セシウムの吸着剤)、今後は次世代電池に使うべく研究されている・・・・・・。
プルシアン・ブルーは今で言う "化学" で作り出されたものですが、その化学が作り出した "機能性材料の奥深さ" がよく理解できた記事でした。
2017-09-29 18:56
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No.214 - ツェムリンスキー:弦楽4重奏曲 第2番 [音楽]
No.209「リスト:ピアノソナタ ロ短調」からの連想です。No.209 において、リストのロ短調ソナタは "多楽章ソナタ"と "ソナタ形式の単一楽章" の「2重形式」だと書きました。そしてその2重形式を弦楽でやった例がツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』だとしました。今回はそのツェムリンスキーの曲をとりあげます。
ツェムリンスキーについては No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」にオペラ作品『こびと』(原作:オスカー・ワイルド)と、それにまつわるエピソードを書きました。今回は2回目ということになります。
ツェムリンスキー(1871-1942)
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)はウィーンに生まれたオーストリアの作曲家です。指揮者としても著名だったようで、ウィーンのフォルクス・オーパーの初代指揮者になった人です。作曲家としての代表作品は各種Webサイトに公開されているので省略します。
このブログで以前とりあげた当時のウィーンの音楽人との関係だけを書いておきます。まず、No.72「楽園のカンヴァス」でシェーンベルク(1874-1951)の「室内交響曲 第1番」について書きましたが、ツェムリンスキーの妹がシェーンベルクと結婚したため、ツェムリンスキーとシェーンベルクは義理の兄弟です。また No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」で書いたように、マーラー(1860-1911)の夫人のアルマはツェムリンスキーのかつての恋人でした。No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたコルンゴルト(1897-1957)はツェムリンスキーに作曲の指導を受けた一人です。
以降、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』がどういう構成になっていて、どういう主題や動機が出てくるのかを順にみていきたいと思います。
括弧内の数字の表記で(1-122:122)の "1-122" は "第1小節から第122小節まで" の意味で、":122" と書く場合は "合計が122小節" あることを示します。"(122)" であれば "第122小節" の意味です。
第1楽章(1-122:122)
『弦楽4重奏曲 第2番』は演奏に40分程度かかりますが全曲に切れ目はなく、続けて演奏されます。しかし実質的には "4つの楽章を続けて演奏する曲" と見なすことができます。以下は4楽章に分けて曲の流れを追っていきます。ただし作曲家が楽章の切れ目を明示しているわけではないので、人によって少々の解釈のズレが生じるでしょう(後述)。
まず冒頭は第1ヴァイオリンの譜例81で始まります。この冒頭4小節の後半2小節を《主題》と呼ぶことにします。この《主題》は以降さまざまに変奏されながら、最後の第4楽章まで随所に現れます。特に楽章の切れ目には必ず《主題》が回帰し、次の楽章への "橋渡し" となります。また第4楽章の最後も《主題》の変奏で締めくくられます。その意味で、これは『弦楽4重奏曲 第2番』の全体を支配する動機です。
◆譜例81(1-4) 《主題》
ここでは、冒頭の(1-2)は「主題の前触れ」であり(3-4)が《主題》であると考えています。もちろん4小節全体を主題としてもいわけです。第1楽章を「ソナタ形式」だとすると、ソナタ形式は「主題の提示・展開・再現」という構造なので、この第1楽章の場合、2小節だけの「序奏」があり、2小節の「主題の提示」があって、第5小節目からすぐに「展開」が始まると考えられるでしょう。「再現」もちゃんとあります(後述)。
音が次第に速く強くなっていき、フォルテの譜例82に続いてフォルテシモの譜例83が現れます。
◆譜例82(11-12)
◆譜例83(16-17)
譜例82の動機はこのあとの第1楽章で何回か現れます。また譜例83の動機は第4楽章の再現部に現れます(後述)。譜例83のすぐあとに続くのが《主題》のリズムを少し変えた譜例84です。
◆譜例84(23-25) 《主題》
このあと曲は静かになり、第1ヴァイオリンが奏でる主題の変奏が続きますが、再び《主題》が復帰してきます(譜例85)。
◆譜例85(41-43) 《主題》
譜例85は主題の後半を取り出したものです。この動機が第1ヴァイオリンで繰り返されて譜例86へと続きます。譜例86は譜例82が変形されたものです。そのあとには符点音符のリズムがたびたび現れ、ついには4つのパートが符点音符のリズムをフォルテシモで演奏する譜例87に至ります。
◆譜例86(50-51) [譜例82の変奏]
◆譜例87(75-76)
符点音符のリズムが8小節続いたあとに現れるのが、同じフォルテシモの譜例88です。このあと曲は譜例82(または譜例86)の変奏を経たあとに譜例89に至ります。譜例89は譜例88を短縮した音型になっています。と同時に、譜例88と譜例89は主題の変奏形と言っていいでしょう。譜例89のあたりは第1楽章の「主題とその展開」の最後の部分です。
◆譜例88(83-84)
◆譜例89(99-100) [譜例88の変奏]
突如として譜例90の《主題》が再現し、第1楽章の再現部に入ります。この再現部は18小節の短いものです。またその中に次の第2楽章の副主題の断片も現れます。従ってこの18小節は、第1楽章から第2楽章への "移行部分" です。また譜例90のところから第2楽章が始まると考えて、18小節は "第2楽章の序奏" だと見なすこともできるでしょう。
◆譜例90(105-110) 《主題》
このように楽章の転換部分、ないしは楽章の中の大きな区切りのところで《主題》が再現するのが、この弦楽4重奏曲の大きな特徴になっています。
第2楽章(123-360:238)
第2楽章はアダージョの緩徐楽章です。この楽章は「第1部」と「第2部」に分かれていて、各部の終わりに《主題》が再現します。
第2楽章で主要な動機を副主題と呼ぶことにします。ソナタ形式の用語の第1主題が《主題》、第2主題が副主題というわけです。この曲の場合、副主題は複数の副主題群を構成しています。以下ではそれを4つにわけ、副主題A,B,C,D と表記します。この4つは互いに関係しています。
まず第2楽章の冒頭に出てくるのが譜例91の《副主題A》です。この断片は第1楽章の「主題の再現」のところに出てきました。《副主題A》はこの曲には珍しく "息の長い" 旋律です。
◆譜例91(123-130) 《副主題A》
譜例91のすぐあとに5連符を含む特徴的な動機(譜例92)が出てきます。これを《副主題B》と呼ぶことにします。この音型は以降たびたび現れ、第4楽章の終結部でも重要な役割を果たします。《副主題A》と《副主題B》は「静と動の対比」と言えるでしょう。
◆譜例92(137-138) 《副主題B》
《副主題B》は各パートで繰り返されますが、ヴィオラが《副主題A》を奏でたあと、その次に第1ヴァイオリンに現れるのが譜例93の《副主題C》です。
◆譜例93(156-157) 《副主題C》
《副主題C》は《副主題A》と似ていて、変奏と言ってもよいでしょう。譜例93は第1ヴァイオリンのパートですが、同時に第2ヴァイオリンに《副主題B》が付随しています。
ちなみに、ラサール弦楽4重奏団が演奏したこの曲のCDの解説に、この《副主題C》はシェーンベルクの『浄められた夜(浄夜)』(1899)からの引用だとありました。確かに『浄夜』の第1部~第2部に似たような旋律が出てきます。単純な音型なので引用と断言するのは難しいはずですが、ツェムリンスキーはこの曲をシェーンベルクに献呈しているので、解説どおりなのでしょう。
そのあとに続くのが譜例94の《副主題D》です。この動機も以降さまざまに変形されて出てきます。第2楽章だけでなく、第3楽章(スケルツォ)の中間部(トリオ)も《副主題D》が主役です。
◆譜例94(161-163) 《副主題D》
第1ヴァイオリンが譜例95を演奏するあたりから、《副主題D》の変奏が始まります。まずチェロに譜例96が現れ、次にヴァイオリンの16分音符の早い動きに呼応してヴィオラに譜例97が現れます。ヴァイオリンの16分音符の動きは次第に高まっていき、譜例98のあたりになると第2楽章の「第1部」も最終段階です。
◆譜例95(180-182)
◆譜例96(184-186) 《副主題D》
◆譜例97(201-202) 《副主題D》
◆譜例98(229-230)
《副主題A》の断片が現れたあとに、第1楽章冒頭の《主題》が再現し(譜例99)、第2楽章の「第1部」は終わります。まとめると「第1部」ではまず副主題群が提示され、《主題》で締めくくられました。
◆譜例99(254-256) 《主題》
第2楽章の「第2部」は「アダージョの展開部」とも言えるものです。まず最初は、第1ヴァイオリンの《主題》です(譜例100)。それが発展していき、譜例101のところでチェロも《主題》を奏でます。
◆譜例100(264-265) 《主題》
◆譜例101(276-277) 《主題》
そのあとに譜例102が続きます。この動機は《副主題A》の断片と《主題》の断片をミックスしたような音型になっています。
◆譜例102(279-280)
そのあと譜例103の《副主題B》が現れ、譜例104へと続きます。譜例104は譜例102を2度下げたものです。
◆譜例103(286) 《副主題B》
◆譜例104(292-293)
さらにヴィオラと第1ヴァイオリンが印象的なリズムの譜例105を演奏します。このリズムは継続してチェロの譜例106にも引き継がれます。
◆譜例105(299-300)
◆譜例106(307-308)
◆譜例107(315)
ヴィオラが譜例107の動機を演奏し、同時にチェロは譜例105の変化形をヴィオラより高い音域で演奏します。このあたりから「第2部」はクライマックスに向かいます。譜例105,6,7の音型がさまざまに変容し、音の跳躍もあり、3連符も多数現れて最高潮を迎えます。そして音楽は静かになっていきます。
譜例108の《主題》が再現して、第2楽章「第2部」の再現部となります。このあと《副主題B》《副主題C》も再現し、第2楽章全体が終わります。
◆譜例108(348-349) 《主題》
第1楽章から第2楽章へと移る部分と同じく、この《主題》が再現する部分(348-360:13)は、第2楽章から第3楽章への "移行部分" です。従って譜例108のところから第3楽章が始まり、第3楽章には13小節の序奏が付いていると考えてもよいと思います。
第3楽章(361-744:384)
第3楽章はいわゆるスケルツォです。この楽章も「第1部」と「第2部」に分けて考えるのが分かりやすいと思います。第3楽章に出てくる主要な動機4つをスケルツォ動機A,B,C,D と呼ぶことにします。
第3楽章はチェロの重音のピツィカートが鳴って始まります。ピツィカートは2回ですが、1回目だけがスフォルツァンドで目立ちます。
まずヴィオラに出てくるのが譜例109の《スケルツォ動機A》です。これは明らかに《主題》の最初の小節の変形です。その次に第1ヴァイオリン伸びやかな《スケルツォ動機B》を演奏します。その後、曲は《スケルツォ動機A》を中心に進んでいきます。
◆譜例109(364-367) 《スケルツォ動機A》
◆譜例110(382-386) 《スケルツォ動機B》
譜例111の《スケルツォ動機C》が現れるところから「第2部」に入ります。この「第2部」は、A1→B→A2の3部形式になっています。以下、その表記をします。
この「A1」の部分は譜例111の《スケルツォ動機C》(第1ヴァイオリン)と、それに続いて現れる譜例112の《スケルツォ動機D》が支配しています。
◆譜例111(451-452) 《スケルツォ動機C》
◆譜例112(459-460) 《スケルツォ動機D》
これらの《スケルツォ動機A,C,D》の音型やリズムの断片がさまざまに変奏され、「A1」を形づくっていきます。その中に、2つのヴァイオリンとヴィオラが同時に演奏する「下降のグリッサンド」がありますが、特徴的で目立つところです。
譜例112から約100小節後の譜例113のあたりになると、第2部の「A1」も終わりに近づきます。そして譜例114の《スケルツォ動機B》が復帰したのち、曲は次第に静かになって「B(中間部)」へと移っていきます。
◆譜例113(574-577)
◆譜例114(604-608) 《スケルツォ動機B》
「B(中間部)」はチェロだけの音で始まります。最初に出てくるのは譜例115の《副主題D》です。
◆譜例115(636-640) 《副主題D》
この中間部は、《副主題D》→《スケルツォ動機A》→《副主題D》→《スケルツォ動機B》という構成です。
再び譜例116の《スケルツォ動機C》が戻ってきて3部形式の「A2」になります。「A2」は「A1」に比べて約3分の1の長さです。3連符が連続したあとには譜例117の《スケルツォ動機D》も復帰します。
◆譜例116(683-684) 《スケルツォ動機C》
◆譜例117(720-721) 《スケルツォ動機D》
スケルツォ動機C,Dは符点音符のリズムが特徴的ですが、このリズムが繰り返されてからスケルツォ動機Aが復帰し、そのあと突如として《主題》が回帰して第4楽章に突入します。
第4楽章(745-1221:477)
第4楽章は「再現部」「展開部」「終結部」の3つに分けるのが考えやすいでしょう。最初の「再現部」は、曲全体を「単一楽章のソナタ形式」と考えたときの「再現部」に相当します。
まず第1ヴァイオリンに譜例118の《主題》が再現します。このあと、第2楽章「第1部」で提示された4つの副主題が順に再現します。まずヴィオラに譜例119の《副主題A》が現れ、その次に第1ヴァイオリンに譜例120の《副主題B》が現れます。そして譜例121の《副主題C》、譜例122の《副主題D》と続きます。
◆譜例118(745-747) 《主題》
◆譜例119(758-765) 《副主題A》
◆譜例120(767-768) 《副主題B》
◆譜例121(777-778) 《副主題C》
◆譜例122(783-785) 《副主題D》
曲は高揚していき、フォルテシモの譜例123になります。これは第1楽章の譜例83と同じ動機です。その後《主題》の断片が演奏されるなか、再び譜例123の動機が出てきて再現部は終わりに近づきます。
◆譜例123(801-802) [譜例83の変奏]
Allegro molto の譜例124がフォルテシモで演奏されて、第4楽章の「展開部」に入ります。この譜例124は《副主題D》の変化形といえるでしょう。
◆譜例124(824-826) [副主題Dの変化形]
第4楽章の「展開部」には、ここだけに現れる2つの特徴的な動機があります。それを《フィナーレ動機A》と《フィナーレ動機B》と呼ぶことにします。譜例125が《フィナーレ動機A》で、このリズムは展開部に入る直前にも出てきました。また譜例124の直後もこのリズムです。譜例125の次に出てくるのが《フィナーレ動機B》です(譜例126)。この2つの動機は「展開部」にたびたび現れます。
◆譜例125(835-836) 《フィナーレ動機A》
◆譜例126(859-861) 《フィナーレ動機B》
《フィナーレ動機B》が展開されたあと、曲は静かになり、チェロが譜例127を演奏します。この音型は《副主題A》と《副主題D》の断片がミックスされたような感じです。そのあと、はっきりとチェロが《副主題A》を演奏し(譜例128)、第1ヴァイオリンへと引き継がれます(譜例129)。
◆譜例127(894-902) [副主題A,Dの変形]
◆譜例128(912-919) 《副主題A》
◆譜例129(932-939) 《副主題A》
再び最初のテンポ(Allegro molto)に戻って、チェロが単独で《フィナーレ動機B》を演奏します(譜例130)。ここからは《フィナーレ動機A》と《フィナーレ動機B》がさまざまに発展して曲が進みます(譜例131,132,133)。
◆譜例130(949-951) 《フィナーレ動機B》
◆譜例131(990-991) 《フィナーレ動機A》
◆譜例132(1028-1029) 《フィナーレ動機A》
◆譜例133(1034-1036) 《フィナーレ動機B》
この展開が進むうちに《副主題A》の断片が挟みこまれてきます。そして明瞭な形で譜例134の《副主題A》が第1ヴァイオリンに出てきます。そして《フィナーレ動機B》が展開されたあと《副主題D》が出てくるあたりになると(譜例135)、第4楽章の展開部も終わりに近づきます。
◆譜例134(1091-1093) 《副主題A》
◆譜例135(1109-1112) 《副主題D》
◆譜例136(1138-1141) 《主題》
ヴィオラに先導されて譜例136の《主題》が第1ヴァイオリンに回帰し、第4楽章の「終結部」が始まります。しばらくして Andante の譜例137が出てきます。これは《主題》の変奏ですが、gesangvoll(歌うように)という指示があります。弦楽4重奏曲 第2番は40分に及ぶ長大な曲ですが「歌」を感じるほとんど唯一の部分がここです。
◆譜例137(1167-1176) [主題の変奏。"歌うように" の指示]
そのあと、ヴィオラに譜例138の《副主題B》が出てくると、各パートがこの動機を競います。その間、譜例139の《副主題C》が出てきます。そして《副主題C》と《副主題B》が融合した譜例140に至ります。曲は最終段階です。
◆譜例138(1177) 《副主題B》
◆譜例139(1192-1195) 《副主題C》
◆譜例140(1202-1204) 《副主題C,B》
全曲の最後において、第1ヴァイオリンはE線(第1弦)の高い方の「ラ」の音から、高い方の「レ」の音へと登り詰めます。その間、第2ヴァイオリンが《主題》を長調に変奏した譜例141を静かに奏でます。そして最後の2小節は譜例142の二長調の主和音で終わります。
◆譜例141(1215-1219) 《主題》
◆譜例142(1220-1221) [最終2小節の和音]
最後の譜例142は4つのパートを合わせたものですが、第1ヴァイオリンだけが単音で、3つのパートは重音です。合計7つの音の和音ですが、第1ヴァイオリンのE線の高い方のレの音から、第2ヴァイオリンのD線のファ♯の音までは3オクターブに近い音の開きがあります。この形の二長調の主和音が『弦楽4重奏曲 第2番』の到達地点です。
"3重形式" の弦楽4重奏曲
楽曲の形式の観点から振り返りますと、上の説明は "4楽章の弦楽4重奏曲" という視点ですが、これを "ソナタ形式の単一楽章の曲" と見なすことができます。この曲は "多楽章" と "単一楽章" の「2重形式」だと初めに書きましたが、その通りなのです。その構造を図示すると次のようになるでしょう。①~⑦ は《主題》が提示され、再現・回帰する箇所です。
ポイントとなっているのは第2楽章が2つの部分に分かれていて、その第2部が《主題》から始まっていることです。ここからが "ソナタ形式の単一楽章曲" と考えたときの「展開部」に相当するわけです。
さらにこの曲の構成は別の見方もできます。上の表をみると《主題》は ① ~ ⑦ の合計7回出てきます。ちなみに ⑦ は第4楽章の終結部の《主題》を示していますが、終結部の最初(譜例136)と最後(譜例141)に現れることは説明に書いた通りです。
これはいわゆる「ロンド形式」です。つまり「ロンド主題」が何度も回帰し、そのあいだに「ロンド主題とは別の要素」が挟み込まれるという楽曲の形式です。この曲の場合《主題》が「ロンド主題」となり、その「ロンド主題」のあいだに「ロンド主題とは別の要素」である「副主題群」や「スケルツォ動機」、「フィナーレ動機」などが挟み込まれる形です。
これは意図的にそうなっているのだと思います。「多楽章」と「ソナタ形式の単一楽章」を重ね合わせるだけだと、たとえば③や⑤や⑦(終結部の開始の⑦)で《主題》を回帰させる必要はありません。それがなくても "2重形式" は成立するからです。作曲家は明らかに「何度も回帰する」ことの効果を狙っています。以上を総合するとこの曲は、
の3つの形式感が重なり合った "3重形式" の曲だと言えるでしょう。これを可能にしているのは、この曲の《主題》が持つ力です。この動機を変形・変奏することによって多くの動機やモチーフが作られています。聴いていて「主題の回帰」なのか「主題の展開・発展」なのか、どちらにもとれるようなところがいろいろあります。全体として受ける印象は、
です。この曲は40分間、ブッ続けで演奏されます。これだけ長いと聴くにしても集中力が途絶えがちになるはずです。それを最後まで "もたせて" しまうツェムリンスキーの力量に感心します。
伝記によると、ツェムリンスキーは晩年のブラームス(1833-1897)の薫陶を受けた人です。自分の作品をブラームスに見てもらってアドバイスを求めたこともあると言います。そのブラームスを彷彿とさせるところが、この曲にはあります。つまり、
というところが、ブラームスの作品(シンフォニーや室内楽)とよく似ていると思うのです。さらに言うと、ベートーベンからつながるドイツ正統派音楽の太い流れを感じます。そういう意味では、同じウィーンで活躍したリヒャルト・シュトラウス(1864-1949。ツェムリンスキーの7歳年上)やシェーンベルク(3歳年下)も同様です。「明晰な形式感」はそのあたりからくるのでしょう。
人の原始的な感性に訴える
「ドイツ正統派音楽の流れ」にある一方で、この曲は全体が短い動機やその展開形・変奏形で埋め尽くされているのが特徴です。息の長い旋律はほとんどありません。美しいメロディーがあるのでもない。
曲は、連想ゲームや尻取り遊びのように次々と変化していきます。常に揺らいでいる感じがあり、不意に変動すると思えるところも多い。これは人のある種の意識状態にマッチするところがあります。つまり、
がするのです。「言語化できない」とか「夢うつつ」と書きましたが、そこまでいかなくとも、人には「別に集中して考えるのではなく、いろんな想念をあれこれと思いめぐらしている状態」があります。一つの例を言うと、たとえば日曜日の午後に近くの公園を散歩し、ベンチにたたずんで半分ボーッとしながら、どこを見るともなく想いを巡らしているとします。家族のこと、仕事のこと、公園の風景や聞こえてくる音、自分の過去や将来など、特に脈絡があるというわけではなく、あれこれと連想し、頭に思い浮かべている状態です。ツェムリンスキーのこの曲は、たとえばそういう時の人間の意識を音楽化している感じがします。
その意味ではマーラーの音楽に近いとも言える。「常に揺らいでいて、不意に変動する」ところなど、非常に近いと思えます。しかしマーラーとは違うところがあります。No.136-137「グスタフ・マーラーの音楽」に書いたように、マーラーの音楽は「ドイツ音楽の主流の形式感」を意識的に崩したところが多々あります。そこがマーラーの魅力なのですが、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』にはそういうところがありません。これは「崩れたところがない音楽」です。がっちりとした形式感のなかで、無意識に近いような人間の心の動きを音楽にした感じ・・・・・・。これが大きな特徴でしょう。
別の観点からですが、本曲に出てくる動機はほとんどが短調の動機です。調性が曖昧なものも多いのですが、"短調っぽい" 音型が続きます。人間の感情で言うと「悲しみ」「不安」「苦悩」に近いものです。これにはこの曲が書かれた時代の反映もあるのかと想います。
この曲は1914年7月に着手され、翌1915年3月12日に完成しました。世界史を思い出すと、この時期は第1次世界大戦の勃発と重なっています。オーストリアの皇太子がサラエボでセルビア人民族主義者に暗殺さたのが発端となり、オーストリアがセルビアに宣戦布告したのが1914年7月28日で、ここから第1次世界大戦が始まりました。つまり母国が戦争に突入した時期に書かれた曲が『弦楽4重奏曲 第2番』です。そういった世相も反映しているのでしょう。
しかし、この曲はそれだけではありません。短調の短い動機や音型が連続したそのあと、最後の最後で「歌うように」と指示がある息の長い旋律が出てきます(譜例137=《主題》の変奏形)。その転換点で曲は長調の雰囲気を次第に強め、そしてはっきりと長調になり、最後は二長調の主和音で静かに終わります。譜例137(1167小節目)のところから最後までは、僅か51小節です。全曲の1221小節の中の24分の1にすぎません。
僅かだけれども、最後に歌があり、長調になり、静謐で安らぎを感じる二長調の主和音で終わるのは、作曲家の思いを反映しているのでしょう。それは人間の心情で言うと「希望」とか「救い」に近い何かです。
しかし、最後の二長調の主和音(譜例142)には特徴があります。4つの弦楽器が奏でる7音の和音ですが、第1ヴァイオリンが高音(1弦の高い方のレ)で、あとの6つの音は低い音域にあります。その間には約3オクターブの "間隙" がある。"静謐" "安らぎ" "希望" "救い" とは言うものの、何となく "空虚な感じ" が含まれているように感じます。このことを含め、弦楽4重奏曲 第2番の一番の聞き所は譜例137から最後までの51小節かも知れません。
弦楽4重奏曲の傑作
この曲は "3重形式" が示すように「音楽理論で作られた」という感じがします。聴いていて受ける印象としては、冷静、鋭利、怜悧、はっきりとした輪郭、計画性というようなものがまずある。しかしもう一方で「人間の原始的な感情に訴える」という感じもして、この両者が不可分に融合しています。"音楽学" でありながら "音楽" になっている。
時代は全く違いますが「音楽の父」のバッハにもありますね。フーガ理論の実践訓練のような曲だけれど、それが意外にも聴く人の心を揺さぶる・・・・・・。不思議といえば不思議です。No.62「音楽の不思議」に書いたように、音楽はきわめて人工的なものです。音階などは数学そのもので、No.62 では「1オクターブが12音なのは、3の12乗が最も2の累乗と近くなるからだ」と書きました。その人工物が人間の心を揺さぶり、しかも意識下に近い心の動きと共鳴する力を持っている。音楽の奥深さをあらためて感じます。
ベートーベンが弦楽4重奏の金字塔を打ち建てて以降、このジャンルでは幾多の作品が書かれてきました。ちょっと思いだすだけでも、ブラームス(3曲)、シューベルト(15曲)、ドボルザーク(14曲)、バルトーク(6曲)、ショスタコーヴィッチ(15曲)などがあります。その他にも、ボロディンの『弦楽4重奏曲 第2番』(第3楽章のノクターンは有名)とか、チャイコフスキーの「弦楽4重奏曲 第1番」(第2楽章がアンダンテ・カンタービレ)とか、ウェーベルンの「弦楽4重奏のための緩徐楽章」などの珠玉のような名曲がある。
それらの中でも、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』は屈指の名曲だと思います。"屈指" というより、もし「ベートーベン以降の弦楽4重奏の傑作を1曲だけあげよ」と言われたなら、是非ともこの曲をあげたいと思います。
ツェムリンスキーについては No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」にオペラ作品『こびと』(原作:オスカー・ワイルド)と、それにまつわるエピソードを書きました。今回は2回目ということになります。
ツェムリンスキー(1871-1942)
アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)はウィーンに生まれたオーストリアの作曲家です。指揮者としても著名だったようで、ウィーンのフォルクス・オーパーの初代指揮者になった人です。作曲家としての代表作品は各種Webサイトに公開されているので省略します。
このブログで以前とりあげた当時のウィーンの音楽人との関係だけを書いておきます。まず、No.72「楽園のカンヴァス」でシェーンベルク(1874-1951)の「室内交響曲 第1番」について書きましたが、ツェムリンスキーの妹がシェーンベルクと結婚したため、ツェムリンスキーとシェーンベルクは義理の兄弟です。また No.63「ベラスケスの衝撃:王女とこびと」で書いたように、マーラー(1860-1911)の夫人のアルマはツェムリンスキーのかつての恋人でした。No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で書いたコルンゴルト(1897-1957)はツェムリンスキーに作曲の指導を受けた一人です。
ツェムリンスキー
「弦楽4重奏曲 第2番」Op.15 ラサール弦楽四重奏団
Deutsche Grammophone 1978(LP)
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以降、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』がどういう構成になっていて、どういう主題や動機が出てくるのかを順にみていきたいと思います。
括弧内の数字の表記で(1-122:122)の "1-122" は "第1小節から第122小節まで" の意味で、":122" と書く場合は "合計が122小節" あることを示します。"(122)" であれば "第122小節" の意味です。
第1楽章(1-122:122)
『弦楽4重奏曲 第2番』は演奏に40分程度かかりますが全曲に切れ目はなく、続けて演奏されます。しかし実質的には "4つの楽章を続けて演奏する曲" と見なすことができます。以下は4楽章に分けて曲の流れを追っていきます。ただし作曲家が楽章の切れ目を明示しているわけではないので、人によって少々の解釈のズレが生じるでしょう(後述)。
 主題とその展開(1-104:104)  |
まず冒頭は第1ヴァイオリンの譜例81で始まります。この冒頭4小節の後半2小節を《主題》と呼ぶことにします。この《主題》は以降さまざまに変奏されながら、最後の第4楽章まで随所に現れます。特に楽章の切れ目には必ず《主題》が回帰し、次の楽章への "橋渡し" となります。また第4楽章の最後も《主題》の変奏で締めくくられます。その意味で、これは『弦楽4重奏曲 第2番』の全体を支配する動機です。
◆譜例81(1-4) 《主題》
ここでは、冒頭の(1-2)は「主題の前触れ」であり(3-4)が《主題》であると考えています。もちろん4小節全体を主題としてもいわけです。第1楽章を「ソナタ形式」だとすると、ソナタ形式は「主題の提示・展開・再現」という構造なので、この第1楽章の場合、2小節だけの「序奏」があり、2小節の「主題の提示」があって、第5小節目からすぐに「展開」が始まると考えられるでしょう。「再現」もちゃんとあります(後述)。
以降の記述では原則として「主題」も「主題の変奏」も区別せずに《主題》と書くことにします。後の第2楽章の《副主題》についても同様です。 |
音が次第に速く強くなっていき、フォルテの譜例82に続いてフォルテシモの譜例83が現れます。
◆譜例82(11-12)
◆譜例83(16-17)
譜例82の動機はこのあとの第1楽章で何回か現れます。また譜例83の動機は第4楽章の再現部に現れます(後述)。譜例83のすぐあとに続くのが《主題》のリズムを少し変えた譜例84です。
◆譜例84(23-25) 《主題》
このあと曲は静かになり、第1ヴァイオリンが奏でる主題の変奏が続きますが、再び《主題》が復帰してきます(譜例85)。
◆譜例85(41-43) 《主題》
譜例85は主題の後半を取り出したものです。この動機が第1ヴァイオリンで繰り返されて譜例86へと続きます。譜例86は譜例82が変形されたものです。そのあとには符点音符のリズムがたびたび現れ、ついには4つのパートが符点音符のリズムをフォルテシモで演奏する譜例87に至ります。
◆譜例86(50-51) [譜例82の変奏]
◆譜例87(75-76)
符点音符のリズムが8小節続いたあとに現れるのが、同じフォルテシモの譜例88です。このあと曲は譜例82(または譜例86)の変奏を経たあとに譜例89に至ります。譜例89は譜例88を短縮した音型になっています。と同時に、譜例88と譜例89は主題の変奏形と言っていいでしょう。譜例89のあたりは第1楽章の「主題とその展開」の最後の部分です。
◆譜例88(83-84)
◆譜例89(99-100) [譜例88の変奏]
 主題の再現(105-122:18)  |
突如として譜例90の《主題》が再現し、第1楽章の再現部に入ります。この再現部は18小節の短いものです。またその中に次の第2楽章の副主題の断片も現れます。従ってこの18小節は、第1楽章から第2楽章への "移行部分" です。また譜例90のところから第2楽章が始まると考えて、18小節は "第2楽章の序奏" だと見なすこともできるでしょう。
◆譜例90(105-110) 《主題》
このように楽章の転換部分、ないしは楽章の中の大きな区切りのところで《主題》が再現するのが、この弦楽4重奏曲の大きな特徴になっています。
第2楽章(123-360:238)
第2楽章はアダージョの緩徐楽章です。この楽章は「第1部」と「第2部」に分かれていて、各部の終わりに《主題》が再現します。
第2楽章で主要な動機を副主題と呼ぶことにします。ソナタ形式の用語の第1主題が《主題》、第2主題が副主題というわけです。この曲の場合、副主題は複数の副主題群を構成しています。以下ではそれを4つにわけ、副主題A,B,C,D と表記します。この4つは互いに関係しています。
 第1部(123-263:141)アダージョ  |
まず第2楽章の冒頭に出てくるのが譜例91の《副主題A》です。この断片は第1楽章の「主題の再現」のところに出てきました。《副主題A》はこの曲には珍しく "息の長い" 旋律です。
◆譜例91(123-130) 《副主題A》
譜例91のすぐあとに5連符を含む特徴的な動機(譜例92)が出てきます。これを《副主題B》と呼ぶことにします。この音型は以降たびたび現れ、第4楽章の終結部でも重要な役割を果たします。《副主題A》と《副主題B》は「静と動の対比」と言えるでしょう。
◆譜例92(137-138) 《副主題B》
《副主題B》は各パートで繰り返されますが、ヴィオラが《副主題A》を奏でたあと、その次に第1ヴァイオリンに現れるのが譜例93の《副主題C》です。
◆譜例93(156-157) 《副主題C》
《副主題C》は《副主題A》と似ていて、変奏と言ってもよいでしょう。譜例93は第1ヴァイオリンのパートですが、同時に第2ヴァイオリンに《副主題B》が付随しています。
ちなみに、ラサール弦楽4重奏団が演奏したこの曲のCDの解説に、この《副主題C》はシェーンベルクの『浄められた夜(浄夜)』(1899)からの引用だとありました。確かに『浄夜』の第1部~第2部に似たような旋律が出てきます。単純な音型なので引用と断言するのは難しいはずですが、ツェムリンスキーはこの曲をシェーンベルクに献呈しているので、解説どおりなのでしょう。
そのあとに続くのが譜例94の《副主題D》です。この動機も以降さまざまに変形されて出てきます。第2楽章だけでなく、第3楽章(スケルツォ)の中間部(トリオ)も《副主題D》が主役です。
◆譜例94(161-163) 《副主題D》
第1ヴァイオリンが譜例95を演奏するあたりから、《副主題D》の変奏が始まります。まずチェロに譜例96が現れ、次にヴァイオリンの16分音符の早い動きに呼応してヴィオラに譜例97が現れます。ヴァイオリンの16分音符の動きは次第に高まっていき、譜例98のあたりになると第2楽章の「第1部」も最終段階です。
◆譜例95(180-182)
◆譜例96(184-186) 《副主題D》
◆譜例97(201-202) 《副主題D》
◆譜例98(229-230)
《副主題A》の断片が現れたあとに、第1楽章冒頭の《主題》が再現し(譜例99)、第2楽章の「第1部」は終わります。まとめると「第1部」ではまず副主題群が提示され、《主題》で締めくくられました。
◆譜例99(254-256) 《主題》
 第2部(264-360:97)アダージョの展開部  |
第2楽章の「第2部」は「アダージョの展開部」とも言えるものです。まず最初は、第1ヴァイオリンの《主題》です(譜例100)。それが発展していき、譜例101のところでチェロも《主題》を奏でます。
◆譜例100(264-265) 《主題》
◆譜例101(276-277) 《主題》
そのあとに譜例102が続きます。この動機は《副主題A》の断片と《主題》の断片をミックスしたような音型になっています。
◆譜例102(279-280)
そのあと譜例103の《副主題B》が現れ、譜例104へと続きます。譜例104は譜例102を2度下げたものです。
◆譜例103(286) 《副主題B》
◆譜例104(292-293)
さらにヴィオラと第1ヴァイオリンが印象的なリズムの譜例105を演奏します。このリズムは継続してチェロの譜例106にも引き継がれます。
◆譜例105(299-300)
◆譜例106(307-308)
◆譜例107(315)
ヴィオラが譜例107の動機を演奏し、同時にチェロは譜例105の変化形をヴィオラより高い音域で演奏します。このあたりから「第2部」はクライマックスに向かいます。譜例105,6,7の音型がさまざまに変容し、音の跳躍もあり、3連符も多数現れて最高潮を迎えます。そして音楽は静かになっていきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
譜例108の《主題》が再現して、第2楽章「第2部」の再現部となります。このあと《副主題B》《副主題C》も再現し、第2楽章全体が終わります。
◆譜例108(348-349) 《主題》
第1楽章から第2楽章へと移る部分と同じく、この《主題》が再現する部分(348-360:13)は、第2楽章から第3楽章への "移行部分" です。従って譜例108のところから第3楽章が始まり、第3楽章には13小節の序奏が付いていると考えてもよいと思います。
ツェムリンスキー
「弦楽4重奏曲全集」 ラサール弦楽四重奏団
Deutsche Grammophone 1989(CD)
(録音は1977~1981) |
第3楽章(361-744:384)
第3楽章はいわゆるスケルツォです。この楽章も「第1部」と「第2部」に分けて考えるのが分かりやすいと思います。第3楽章に出てくる主要な動機4つをスケルツォ動機A,B,C,D と呼ぶことにします。
 第1部(361-450:90)スケルツォ  |
第3楽章はチェロの重音のピツィカートが鳴って始まります。ピツィカートは2回ですが、1回目だけがスフォルツァンドで目立ちます。
まずヴィオラに出てくるのが譜例109の《スケルツォ動機A》です。これは明らかに《主題》の最初の小節の変形です。その次に第1ヴァイオリン伸びやかな《スケルツォ動機B》を演奏します。その後、曲は《スケルツォ動機A》を中心に進んでいきます。
◆譜例109(364-367) 《スケルツォ動機A》
◆譜例110(382-386) 《スケルツォ動機B》
 第2部(451-744:294)スケルツォの展開部  |
譜例111の《スケルツォ動機C》が現れるところから「第2部」に入ります。この「第2部」は、A1→B→A2の3部形式になっています。以下、その表記をします。
 第2部・A1(451-631:181)  |
この「A1」の部分は譜例111の《スケルツォ動機C》(第1ヴァイオリン)と、それに続いて現れる譜例112の《スケルツォ動機D》が支配しています。
◆譜例111(451-452) 《スケルツォ動機C》
◆譜例112(459-460) 《スケルツォ動機D》
これらの《スケルツォ動機A,C,D》の音型やリズムの断片がさまざまに変奏され、「A1」を形づくっていきます。その中に、2つのヴァイオリンとヴィオラが同時に演奏する「下降のグリッサンド」がありますが、特徴的で目立つところです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
譜例112から約100小節後の譜例113のあたりになると、第2部の「A1」も終わりに近づきます。そして譜例114の《スケルツォ動機B》が復帰したのち、曲は次第に静かになって「B(中間部)」へと移っていきます。
◆譜例113(574-577)
◆譜例114(604-608) 《スケルツォ動機B》
 第2部・B(632-682:51)  |
「B(中間部)」はチェロだけの音で始まります。最初に出てくるのは譜例115の《副主題D》です。
◆譜例115(636-640) 《副主題D》
この中間部は、《副主題D》→《スケルツォ動機A》→《副主題D》→《スケルツォ動機B》という構成です。
 第2部・A2(683-744:62)  |
再び譜例116の《スケルツォ動機C》が戻ってきて3部形式の「A2」になります。「A2」は「A1」に比べて約3分の1の長さです。3連符が連続したあとには譜例117の《スケルツォ動機D》も復帰します。
◆譜例116(683-684) 《スケルツォ動機C》
◆譜例117(720-721) 《スケルツォ動機D》
スケルツォ動機C,Dは符点音符のリズムが特徴的ですが、このリズムが繰り返されてからスケルツォ動機Aが復帰し、そのあと突如として《主題》が回帰して第4楽章に突入します。
第4楽章(745-1221:477)
第4楽章は「再現部」「展開部」「終結部」の3つに分けるのが考えやすいでしょう。最初の「再現部」は、曲全体を「単一楽章のソナタ形式」と考えたときの「再現部」に相当します。
 再現部(745-823:79)  |
まず第1ヴァイオリンに譜例118の《主題》が再現します。このあと、第2楽章「第1部」で提示された4つの副主題が順に再現します。まずヴィオラに譜例119の《副主題A》が現れ、その次に第1ヴァイオリンに譜例120の《副主題B》が現れます。そして譜例121の《副主題C》、譜例122の《副主題D》と続きます。
◆譜例118(745-747) 《主題》
◆譜例119(758-765) 《副主題A》
◆譜例120(767-768) 《副主題B》
◆譜例121(777-778) 《副主題C》
◆譜例122(783-785) 《副主題D》
曲は高揚していき、フォルテシモの譜例123になります。これは第1楽章の譜例83と同じ動機です。その後《主題》の断片が演奏されるなか、再び譜例123の動機が出てきて再現部は終わりに近づきます。
◆譜例123(801-802) [譜例83の変奏]
 展開部(824-1136:313)  |
Allegro molto の譜例124がフォルテシモで演奏されて、第4楽章の「展開部」に入ります。この譜例124は《副主題D》の変化形といえるでしょう。
◆譜例124(824-826) [副主題Dの変化形]
第4楽章の「展開部」には、ここだけに現れる2つの特徴的な動機があります。それを《フィナーレ動機A》と《フィナーレ動機B》と呼ぶことにします。譜例125が《フィナーレ動機A》で、このリズムは展開部に入る直前にも出てきました。また譜例124の直後もこのリズムです。譜例125の次に出てくるのが《フィナーレ動機B》です(譜例126)。この2つの動機は「展開部」にたびたび現れます。
◆譜例125(835-836) 《フィナーレ動機A》
◆譜例126(859-861) 《フィナーレ動機B》
《フィナーレ動機B》が展開されたあと、曲は静かになり、チェロが譜例127を演奏します。この音型は《副主題A》と《副主題D》の断片がミックスされたような感じです。そのあと、はっきりとチェロが《副主題A》を演奏し(譜例128)、第1ヴァイオリンへと引き継がれます(譜例129)。
◆譜例127(894-902) [副主題A,Dの変形]
◆譜例128(912-919) 《副主題A》
◆譜例129(932-939) 《副主題A》
再び最初のテンポ(Allegro molto)に戻って、チェロが単独で《フィナーレ動機B》を演奏します(譜例130)。ここからは《フィナーレ動機A》と《フィナーレ動機B》がさまざまに発展して曲が進みます(譜例131,132,133)。
◆譜例130(949-951) 《フィナーレ動機B》
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆譜例131(990-991) 《フィナーレ動機A》
◆譜例132(1028-1029) 《フィナーレ動機A》
◆譜例133(1034-1036) 《フィナーレ動機B》
この展開が進むうちに《副主題A》の断片が挟みこまれてきます。そして明瞭な形で譜例134の《副主題A》が第1ヴァイオリンに出てきます。そして《フィナーレ動機B》が展開されたあと《副主題D》が出てくるあたりになると(譜例135)、第4楽章の展開部も終わりに近づきます。
◆譜例134(1091-1093) 《副主題A》
◆譜例135(1109-1112) 《副主題D》
 終結部(1137-1221:85)  |
◆譜例136(1138-1141) 《主題》
ヴィオラに先導されて譜例136の《主題》が第1ヴァイオリンに回帰し、第4楽章の「終結部」が始まります。しばらくして Andante の譜例137が出てきます。これは《主題》の変奏ですが、gesangvoll(歌うように)という指示があります。弦楽4重奏曲 第2番は40分に及ぶ長大な曲ですが「歌」を感じるほとんど唯一の部分がここです。
◆譜例137(1167-1176) [主題の変奏。"歌うように" の指示]
そのあと、ヴィオラに譜例138の《副主題B》が出てくると、各パートがこの動機を競います。その間、譜例139の《副主題C》が出てきます。そして《副主題C》と《副主題B》が融合した譜例140に至ります。曲は最終段階です。
◆譜例138(1177) 《副主題B》
◆譜例139(1192-1195) 《副主題C》
◆譜例140(1202-1204) 《副主題C,B》
全曲の最後において、第1ヴァイオリンはE線(第1弦)の高い方の「ラ」の音から、高い方の「レ」の音へと登り詰めます。その間、第2ヴァイオリンが《主題》を長調に変奏した譜例141を静かに奏でます。そして最後の2小節は譜例142の二長調の主和音で終わります。
◆譜例141(1215-1219) 《主題》
◆譜例142(1220-1221) [最終2小節の和音]
最後の譜例142は4つのパートを合わせたものですが、第1ヴァイオリンだけが単音で、3つのパートは重音です。合計7つの音の和音ですが、第1ヴァイオリンのE線の高い方のレの音から、第2ヴァイオリンのD線のファ♯の音までは3オクターブに近い音の開きがあります。この形の二長調の主和音が『弦楽4重奏曲 第2番』の到達地点です。
ツェムリンスキー
「弦楽4重奏曲全集」 ラサール弦楽四重奏団(CD)
Brilliant Classics 2010
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"3重形式" の弦楽4重奏曲
楽曲の形式の観点から振り返りますと、上の説明は "4楽章の弦楽4重奏曲" という視点ですが、これを "ソナタ形式の単一楽章の曲" と見なすことができます。この曲は "多楽章" と "単一楽章" の「2重形式」だと初めに書きましたが、その通りなのです。その構造を図示すると次のようになるでしょう。①~⑦ は《主題》が提示され、再現・回帰する箇所です。
第1楽章 | ① | 提示部 |
主題と展開 | ||
② | ||
第2楽章 | 副主題群 (第1部) |
|
③ | ||
④ | 展開部 | |
展開 (第2部) | ||
⑤ | ||
第3楽章 | スケルツォ1 |
|
スケルツォ2 (3部形式) | ||
第4楽章 | ⑥ | 再現部 |
再現 展開 終結 | ||
⑦ |
ポイントとなっているのは第2楽章が2つの部分に分かれていて、その第2部が《主題》から始まっていることです。ここからが "ソナタ形式の単一楽章曲" と考えたときの「展開部」に相当するわけです。
さらにこの曲の構成は別の見方もできます。上の表をみると《主題》は ① ~ ⑦ の合計7回出てきます。ちなみに ⑦ は第4楽章の終結部の《主題》を示していますが、終結部の最初(譜例136)と最後(譜例141)に現れることは説明に書いた通りです。
これはいわゆる「ロンド形式」です。つまり「ロンド主題」が何度も回帰し、そのあいだに「ロンド主題とは別の要素」が挟み込まれるという楽曲の形式です。この曲の場合《主題》が「ロンド主題」となり、その「ロンド主題」のあいだに「ロンド主題とは別の要素」である「副主題群」や「スケルツォ動機」、「フィナーレ動機」などが挟み込まれる形です。
これは意図的にそうなっているのだと思います。「多楽章」と「ソナタ形式の単一楽章」を重ね合わせるだけだと、たとえば③や⑤や⑦(終結部の開始の⑦)で《主題》を回帰させる必要はありません。それがなくても "2重形式" は成立するからです。作曲家は明らかに「何度も回帰する」ことの効果を狙っています。以上を総合するとこの曲は、
・ | 4楽章の弦楽4重奏曲 | ||
・ | ソナタ形式の単一楽章曲 | ||
・ | ロンド形式の単一楽章曲 |
の3つの形式感が重なり合った "3重形式" の曲だと言えるでしょう。これを可能にしているのは、この曲の《主題》が持つ力です。この動機を変形・変奏することによって多くの動機やモチーフが作られています。聴いていて「主題の回帰」なのか「主題の展開・発展」なのか、どちらにもとれるようなところがいろいろあります。全体として受ける印象は、
渾然とした一体感と、明晰な形式感が同居している曲 |
です。この曲は40分間、ブッ続けで演奏されます。これだけ長いと聴くにしても集中力が途絶えがちになるはずです。それを最後まで "もたせて" しまうツェムリンスキーの力量に感心します。
伝記によると、ツェムリンスキーは晩年のブラームス(1833-1897)の薫陶を受けた人です。自分の作品をブラームスに見てもらってアドバイスを求めたこともあると言います。そのブラームスを彷彿とさせるところが、この曲にはあります。つまり、
比較的少数の短い動機が、幾たびの変奏や発展をとげ、それらが精密に組み立てられて、全体としては壮大な構造物になる |
というところが、ブラームスの作品(シンフォニーや室内楽)とよく似ていると思うのです。さらに言うと、ベートーベンからつながるドイツ正統派音楽の太い流れを感じます。そういう意味では、同じウィーンで活躍したリヒャルト・シュトラウス(1864-1949。ツェムリンスキーの7歳年上)やシェーンベルク(3歳年下)も同様です。「明晰な形式感」はそのあたりからくるのでしょう。
人の原始的な感性に訴える
「ドイツ正統派音楽の流れ」にある一方で、この曲は全体が短い動機やその展開形・変奏形で埋め尽くされているのが特徴です。息の長い旋律はほとんどありません。美しいメロディーがあるのでもない。
曲は、連想ゲームや尻取り遊びのように次々と変化していきます。常に揺らいでいる感じがあり、不意に変動すると思えるところも多い。これは人のある種の意識状態にマッチするところがあります。つまり、
◆ | 明白に言語化できない感情や意識の変化を音楽化した感じ | ||
◆ | 夢うつつの状態での意識の移ろいを音にした感じ |
がするのです。「言語化できない」とか「夢うつつ」と書きましたが、そこまでいかなくとも、人には「別に集中して考えるのではなく、いろんな想念をあれこれと思いめぐらしている状態」があります。一つの例を言うと、たとえば日曜日の午後に近くの公園を散歩し、ベンチにたたずんで半分ボーッとしながら、どこを見るともなく想いを巡らしているとします。家族のこと、仕事のこと、公園の風景や聞こえてくる音、自分の過去や将来など、特に脈絡があるというわけではなく、あれこれと連想し、頭に思い浮かべている状態です。ツェムリンスキーのこの曲は、たとえばそういう時の人間の意識を音楽化している感じがします。
その意味ではマーラーの音楽に近いとも言える。「常に揺らいでいて、不意に変動する」ところなど、非常に近いと思えます。しかしマーラーとは違うところがあります。No.136-137「グスタフ・マーラーの音楽」に書いたように、マーラーの音楽は「ドイツ音楽の主流の形式感」を意識的に崩したところが多々あります。そこがマーラーの魅力なのですが、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』にはそういうところがありません。これは「崩れたところがない音楽」です。がっちりとした形式感のなかで、無意識に近いような人間の心の動きを音楽にした感じ・・・・・・。これが大きな特徴でしょう。
別の観点からですが、本曲に出てくる動機はほとんどが短調の動機です。調性が曖昧なものも多いのですが、"短調っぽい" 音型が続きます。人間の感情で言うと「悲しみ」「不安」「苦悩」に近いものです。これにはこの曲が書かれた時代の反映もあるのかと想います。
この曲は1914年7月に着手され、翌1915年3月12日に完成しました。世界史を思い出すと、この時期は第1次世界大戦の勃発と重なっています。オーストリアの皇太子がサラエボでセルビア人民族主義者に暗殺さたのが発端となり、オーストリアがセルビアに宣戦布告したのが1914年7月28日で、ここから第1次世界大戦が始まりました。つまり母国が戦争に突入した時期に書かれた曲が『弦楽4重奏曲 第2番』です。そういった世相も反映しているのでしょう。
しかし、この曲はそれだけではありません。短調の短い動機や音型が連続したそのあと、最後の最後で「歌うように」と指示がある息の長い旋律が出てきます(譜例137=《主題》の変奏形)。その転換点で曲は長調の雰囲気を次第に強め、そしてはっきりと長調になり、最後は二長調の主和音で静かに終わります。譜例137(1167小節目)のところから最後までは、僅か51小節です。全曲の1221小節の中の24分の1にすぎません。
僅かだけれども、最後に歌があり、長調になり、静謐で安らぎを感じる二長調の主和音で終わるのは、作曲家の思いを反映しているのでしょう。それは人間の心情で言うと「希望」とか「救い」に近い何かです。
しかし、最後の二長調の主和音(譜例142)には特徴があります。4つの弦楽器が奏でる7音の和音ですが、第1ヴァイオリンが高音(1弦の高い方のレ)で、あとの6つの音は低い音域にあります。その間には約3オクターブの "間隙" がある。"静謐" "安らぎ" "希望" "救い" とは言うものの、何となく "空虚な感じ" が含まれているように感じます。このことを含め、弦楽4重奏曲 第2番の一番の聞き所は譜例137から最後までの51小節かも知れません。
弦楽4重奏曲の傑作
この曲は "3重形式" が示すように「音楽理論で作られた」という感じがします。聴いていて受ける印象としては、冷静、鋭利、怜悧、はっきりとした輪郭、計画性というようなものがまずある。しかしもう一方で「人間の原始的な感情に訴える」という感じもして、この両者が不可分に融合しています。"音楽学" でありながら "音楽" になっている。
時代は全く違いますが「音楽の父」のバッハにもありますね。フーガ理論の実践訓練のような曲だけれど、それが意外にも聴く人の心を揺さぶる・・・・・・。不思議といえば不思議です。No.62「音楽の不思議」に書いたように、音楽はきわめて人工的なものです。音階などは数学そのもので、No.62 では「1オクターブが12音なのは、3の12乗が最も2の累乗と近くなるからだ」と書きました。その人工物が人間の心を揺さぶり、しかも意識下に近い心の動きと共鳴する力を持っている。音楽の奥深さをあらためて感じます。
ベートーベンが弦楽4重奏の金字塔を打ち建てて以降、このジャンルでは幾多の作品が書かれてきました。ちょっと思いだすだけでも、ブラームス(3曲)、シューベルト(15曲)、ドボルザーク(14曲)、バルトーク(6曲)、ショスタコーヴィッチ(15曲)などがあります。その他にも、ボロディンの『弦楽4重奏曲 第2番』(第3楽章のノクターンは有名)とか、チャイコフスキーの「弦楽4重奏曲 第1番」(第2楽章がアンダンテ・カンタービレ)とか、ウェーベルンの「弦楽4重奏のための緩徐楽章」などの珠玉のような名曲がある。
それらの中でも、ツェムリンスキーの『弦楽4重奏曲 第2番』は屈指の名曲だと思います。"屈指" というより、もし「ベートーベン以降の弦楽4重奏の傑作を1曲だけあげよ」と言われたなら、是非ともこの曲をあげたいと思います。
2017-09-15 22:32
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No.213 - 中島みゆきの詩(13)鶺鴒(せきれい)と倒木 [音楽]
前回の No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」では、India Goose(= インド雁)という詩にちなんで "鳥" が出てくる中島みゆきさんの楽曲を振り返りました。これはオリジナル・アルバムとして発表された作品の範囲であり、また、漏れがあるかも知れません。
実は前回、鳥が出てくる中島さんの楽曲で意図的にはずしたものがありました。2011年に発表された38作目のアルバム『荒野より』に収められた《鶺鴒(せきれい)》という曲です。今回はその曲をテーマにします。まず題名になっている鶺鴒という鳥についてです。
セキレイ(鶺鴒)
セキレイ(鶺鴒)はスズメより少し大型の、日本で普通に見られる鳥です。自宅近くの県立公園でも見かけます(セグロセキレイ)。街中でも見かけることがある。鳴き声はスズメをちょと長くした "チュ~ン" というような感じです。ピンと伸びた細長い長方形の尾が特徴で、この尾をしばしば上下に振る習性があります。それが地面をたたくようにも見える。セキレイのことを英語で Wagtail と言いますが、wag は振る、tail は尻尾で、セキレイの習性を言っています。
"鶺鴒" とは難しい漢字ですが「角川 大字源」によると、"鶺" は "たたく"(=拓、啄)、"鴒" は "打つ" の意味だとあります。地面をたたく・打つように長い尾を上下させる習性を字にしたようです。この中国名をそのまま音読みをしたのがセキレイです。
セキレイは "セキレイ科" の鳥の総称で、日本で一般的に見られるのはセグロセキレイ(背黒鶺鴒。日本固有種。Japanese Wagtail)、ハクセキレイ(白鶺鴒)、キセキレイ(黄鶺鴒)の3種です。以下にこの鳥の美しい姿を掲げます。
鶺鴒(せきれい)
中島さんの詩を見ていきたいと思います。《鶺鴒(せきれい)》は、2011年11月16日に発売された38作目のアルバム『荒野より』に収められた曲で、その年の夜会 Vol.17「2/2」(2011.11.19 ~)でも歌われました。次のような詩です。
この詩は、合計6回繰り返される「心許無く」という言葉がキーワードとなっています。「心許無い」(心許ない、心もとない)は日常生活でも使う言葉で、
という心情をいいます。自分のことについて言うし、他人のことにも使います。その「不安で、心配で、気がかり」なムードが、この詩の全体を覆っています。「心許無い」に続く言葉は、1番の詩では、
です。この詩は言葉が省略されているところがあるので、補って解釈する必要があります。その意味を丁寧に書いてみると、
ということでしょう。これに続く言葉は
です。この詩は最初の2行に「無い」という言葉が2回も出てきます。これで漂うのは "喪失感" です。冒頭の「心もとない」という言葉から受ける "不安感" に、さらに "喪失感" が加わる・・・・・・。この雰囲気が詩の全体を支配しています。
詩によると「何も無いところ」があるわけです。つまり「花も無いし鳥も無い」ところがある。そのときに人はどうすればよいのか。そのときには「絵描きの描く花」を見たり「母の唄う子守歌」を聴いたりするのです。絵も子守歌も人間の営みです。花や鳥が無くても見たり聴いたりできる。そして、この状況をふまえて永遠にあって欲しいと願うものが、
だと、1番が結ばれています。
2番になって、題名になっている鶺鴒が初めて出てきます。鶺鴒は以前と同じように空を飛び、さえずっている。しかしその美しい姿を見たり声を聴いたりしても「泣けてくる」のです。そして泣けてくるときには「涙の水たまり」や「涙に映る空」を見たり、「子を呼ぶ人の声」や「人を呼ぶ人の声」聴いたりする。ここでも人の営みがあげられています。そして1番に呼応して、この状況で永遠に継承して欲しいもの、そう祈りたいものが、
だと結ばれています。この「国」という言葉が一つのキーワードです。永遠にあって欲しいと願わざるをえないもの、それは「山」「河」「人の心」「空」ときて、その次に「国」です。「国」とは国土という意味でもあり、そこで営まれる人々の生活という意味でもあるのでしょう。
詩の最後の「心許無く鶺鴒の」は、途中で言葉が切れています。あとに続く言葉は聴く人が想像すればよいわけで、普通に考えれば「鶺鴒の飛ぶ空を見る、鶺鴒のさえずる声を聴く」でしょうが、「鶺鴒の行き交う川辺をみる」でも「鶺鴒の姿を見て涙ぐむ」でもよいわけです。そこは聴く人に任されています。
この詩は、2011年3月11日に起こった出来事とそれに続く一連の事態を念頭に作られたというのが自然な解釈だと思います。2011年3月11日からの一連の事態で我々が目にしたのは、多数の犠牲者とともに "国土の喪失" です。永遠にではないにせよ、また完全にではないにせよ国土が喪失した。ここでの "国土" とは自然環境であり、人々の記憶と思い出が詰まった故郷です。《鶺鴒》はこの状況をふまえて中島さんが書いた詩でしょう。題名になっている "鶺鴒" は美しい自然環境の象徴だと思います。
《鶺鴒(せきれい)》をこのように解釈すると、どうしても連想する詩があります。《鶺鴒》の翌年(2012年)に発表された《倒木の敗者復活戦》です。
倒木の敗者復活戦
《倒木の敗者復活戦》は、2012年10月24日に発売された39作目のオリジナル・アルバム『常夜灯』に収録された曲です。つまり《鶺鴒》の1年後に発表された曲ということになります。次のような詩です。
一見してわかるようにこれは "倒木" が何かの象徴になっている詩、あるいは "倒木" に何かを代表させた詩です。一つだけ日常ではあまり使わない言葉があります。「完膚無き」です。完膚とは「傷のない完全な皮膚」という意味なので、「完膚無き」は「無傷のところがない」ということになります。スポーツで良い所が全くなく完敗したとき、「完膚無きまでに叩きのめされた」などと(アナウンサーが)表現したりします。敗者復活戦はスポーツ用語なので、その連想で選ばれた言葉でしょう。
これ以外は分かりやすい言葉が使われていて、内容もシンプルで力強くストレートな詩です。そして思うのですが、多くの中島みゆきファンの方は "倒木" を "東北" として聴いているのではないでしょうか。おそらく、そのように受け取られることを想定して作られた詩という感じがする。
しかしこの詩において "倒木" をそのまま "東北" と解釈するのは無理があります。なぜなら「東北は敗者ではない」からです。数百年に一度の大災害で多数の人命が失われ、国土が壊滅状態になったとしても、それが敗者だとは言えません。敗者復活戦というのは、あくまで対等な条件で闘って破れた者が勝利を目指して再戦するというものです。
"倒木" なら「敗者」とか「敗者復活戦」という比喩はありうると思います。たとえば台風の暴風雨で街路樹の一部が根こそぎ倒れたり、幹が途中で折れたりすることがあります。ほとんどの樹木が台風に耐えたのに、一部が倒れた。風速30メートル程度の風には耐えてしかるべきなのに、倒木になってしまった。それを「敗者」とか「敗者復活戦」と表現するのはアリだと思います。管理されている街路樹は植え替えるので "復活" は無いでしょうが、山林の中の倒木なら再生はありうる。倒木の養分をもとに新たな木が芽生える「倒木更新」という現象もあります。
やはりこの詩は、人生において "敗者になった" と感じた人が再起をかけて行動を起こすことへのメッセージ(= 望みの糸は切れても / 救いの糸は切れない)だと考えるのが妥当だと思います。それを "倒木" と "敗者復活" という言葉で表した。
そうはいうものの、4回繰り返される(最後に3回繰り返される)、
を聴いていると、"倒木" は "東北" のことだと思えてくるのですね。ここに「敗者」はないからです。もし仮に題名が《倒木の復活戦》であり、詩の文言に「敗者」がまったく無かったとしたら、完全に "倒木" は "東北" と思えたでしょう。しかしそうではなく「敗者」という言葉が使われているし、また「英雄」と「傷ある者」が対比されている。
中島さんの詩は使う言葉が慎重に選ばれています。ここは言葉どおりに「倒木が敗者で、その "傷ある者" の復活」とまず受け取るのが正しいと思います。それを拡大解釈するのは聴き手の自由です。中島さんは、2016年に出したベスト・アルバム『前途』のセルフ・ライナーノートで《倒木の敗者復活戦》について次のように書いています。
この文章の後半の主旨を箇条書きにすると、
ということでしょう。この最初の「そのようなつもりは無かった」というのは本当にそうなのでしょうか。詩人としてはあたりまえですが、中島さんは言葉の使い方に鋭敏です。音の響きや言葉の連想性を重視することも多い。「詩の全体の構成からすると "倒木"="東北" ではないが、当然そのような連想が働くだろう」と想定してこの詩を書いたのだと思います。
《鶺鴒》と《倒木の敗者復活戦》は、2011年3月11日に始まる状況を念頭に書かれたと思えるのですが、この流れにあると考えられるのが前回の No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」で書いた《India Goose》です。
India Goose
《India Goose》は2014年11月12日に発売された40作目のオリジナル・アルバム『問題集』の最後に収録された曲でした。詩の内容を短く要約すると、
というものです(No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」参照)。この《India Goose》は《倒木の敗者復活戦》の "続編" のように思えます。改めて3つの詩を並べると次の通りです。
中島さんは2013年にはオリジナル・アルバムを出していません。つまりこの3作品は連続する3つのオリジナル・アルバム(第38、39、40作)で発表された曲ということになります。これらは一連の流れの中にあるのではないでしょうか。つまり、
という "ワンセットの作品" として聴くことができると思います。中島さんは社会と人間の関わりに焦点を当てた作品を多く書いています。その中島さんが 2011年3月11日とその後に起こったことをふまえた詩を書くのは当然だし、むしろ書いてしかるべきという気がします。No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」の最後に、ここで描かれた "India Goose"(ヒマラヤを越える鳥)は "何か" の象徴と書きました。その "何か" とは 3.11 に起因する困難を乗り越えようとしている人々、というのが(一つの)解釈です。もちろんそれがすべてではないでしょうが、有力な解釈であることは間違いないでしょう。
No.35「中島みゆき:時代」の「補記」に書いたのですが、歌手の一青窈さんや八神純子さんは《時代》を東日本大震災の被災地で歌って聴衆に感銘を与えました。プロの歌手で他にもこういうケースがあると思います。またそれ以前に、数々のアマチュア合唱団、中高校の合唱部の生徒が被災地で《時代》を歌っています。この状況を中島みゆきさんはつぶさに知っているはずです。
自分の原点とも言える作品が被災地で歌われ、聴衆が涙を流しながら聴いている・・・・・・。作品を作ったアーティストがこの状況を黙って見過ごすなどありえないでしょう。それに呼応して自ら新たな作品を作ろうとするはずです。必ずそうすると思います。中島さんとしては義務感さえあったのかもしれません。
社会と人間
No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」に書いたのですが、中島さんは社会との関わりをテーマにした詩をいろいろ書いています。つまり、
などをテーマにした詩です。No.67ではそれらの題名をあげ、また引用もしました。さらに No.130「中島みゆきの詩(6)メディアと黙示録」で引用した《僕たちの将来》もそういうタイプの詩でした。これらをリストすると次のようになります。
あくまで個人的見解なので、他にもっとあると思います。このリストは2010年のアルバム『真夜中の動物園』で終わっているのですが、リストの最後に付け加えるべきなのが、
だと思います。この3作品において人は主役ではありません。題名になっているのは鳥(=鶺鴒、インド雁)と樹木(=倒木)です。社会との関連を示すような言葉もほとんどありません(ただ一つ《鶺鴒》に "国" が出てくる)。しかしこの3作品は 2011年から 2014年の社会状況をふまえた詩であり、そこで懸命に生きる "困難に直面した人たち" に寄り添った詩でしょう。それは深読みかも知れないが、是非そう考えたいと思います。
日本のシンガー・ソングライターで、かつメジャーなアーティストで、社会と人間の関係性をテーマにずっと詩を書き続けているのは中島さんぐらいではないでしょうか。やはり中島みゆきというアーティストは希有な存在である。そのことを改めて思います。
実は前回、鳥が出てくる中島さんの楽曲で意図的にはずしたものがありました。2011年に発表された38作目のアルバム『荒野より』に収められた《鶺鴒(せきれい)》という曲です。今回はその曲をテーマにします。まず題名になっている鶺鴒という鳥についてです。
なお、中島みゆきさんの詩についての記事の一覧が、No.35「中島みゆき:時代」の「補記2」にあります。 |
セキレイ(鶺鴒)
セキレイ(鶺鴒)はスズメより少し大型の、日本で普通に見られる鳥です。自宅近くの県立公園でも見かけます(セグロセキレイ)。街中でも見かけることがある。鳴き声はスズメをちょと長くした "チュ~ン" というような感じです。ピンと伸びた細長い長方形の尾が特徴で、この尾をしばしば上下に振る習性があります。それが地面をたたくようにも見える。セキレイのことを英語で Wagtail と言いますが、wag は振る、tail は尻尾で、セキレイの習性を言っています。
"鶺鴒" とは難しい漢字ですが「角川 大字源」によると、"鶺" は "たたく"(=拓、啄)、"鴒" は "打つ" の意味だとあります。地面をたたく・打つように長い尾を上下させる習性を字にしたようです。この中国名をそのまま音読みをしたのがセキレイです。
セキレイは "セキレイ科" の鳥の総称で、日本で一般的に見られるのはセグロセキレイ(背黒鶺鴒。日本固有種。Japanese Wagtail)、ハクセキレイ(白鶺鴒)、キセキレイ(黄鶺鴒)の3種です。以下にこの鳥の美しい姿を掲げます。
セグロセキレイ(背黒鶺鴒)
自宅近くの公園のセグロセキレイを見ていると、尾を振る頻度は個体差がだいぶある。首を前後に振りながらすばしっこく走るのも特徴的。羽の裏側は白く、飛び立つときに羽の黒と白が交錯する姿が印象的である。画像はWikipediaより(以下同じ)。
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ハクセキレイ(白鶺鴒)
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キセキレイ(黄鶺鴒)
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鶺鴒(せきれい)
中島さんの詩を見ていきたいと思います。《鶺鴒(せきれい)》は、2011年11月16日に発売された38作目のアルバム『荒野より』に収められた曲で、その年の夜会 Vol.17「2/2」(2011.11.19 ~)でも歌われました。次のような詩です。
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中島みゆき
「荒野より」(2011)
①荒野より ②バクです ③BA-NA-NA ④あばうとに行きます ⑤鶺鴒(せきれい) ⑥彼と私と、もう一人 ⑦ばりほれとんぜ ⑧ギヴ・アンド・テイク ⑨旅人よ我に帰れ ⑩帰郷群 ⑪走(そう)
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この詩は、合計6回繰り返される「心許無く」という言葉がキーワードとなっています。「心許無い」(心許ない、心もとない)は日常生活でも使う言葉で、
・ | 不安だ | ||
・ | 心配だ | ||
・ | 気がかりだ |
という心情をいいます。自分のことについて言うし、他人のことにも使います。その「不安で、心配で、気がかり」なムードが、この詩の全体を覆っています。「心許無い」に続く言葉は、1番の詩では、
心許無く見るものは 野の花僅か草の花 心許無く聴くものは 野の鳥僅か草の鳥 |
です。この詩は言葉が省略されているところがあるので、補って解釈する必要があります。その意味を丁寧に書いてみると、
不安な気持ちで野を見れば 花は僅かになり、草の花だけになった 不安な気持ちで耳をすませば 鳥も僅かになり、草むらの鳥だけになった |
ということでしょう。これに続く言葉は
それでも何も無いならば |
です。この詩は最初の2行に「無い」という言葉が2回も出てきます。これで漂うのは "喪失感" です。冒頭の「心もとない」という言葉から受ける "不安感" に、さらに "喪失感" が加わる・・・・・・。この雰囲気が詩の全体を支配しています。
詩によると「何も無いところ」があるわけです。つまり「花も無いし鳥も無い」ところがある。そのときに人はどうすればよいのか。そのときには「絵描きの描く花」を見たり「母の唄う子守歌」を聴いたりするのです。絵も子守歌も人間の営みです。花や鳥が無くても見たり聴いたりできる。そして、この状況をふまえて永遠にあって欲しいと願うものが、
・ | 山 | ||
・ | 河 | ||
・ | 人の心 |
だと、1番が結ばれています。
2番になって、題名になっている鶺鴒が初めて出てきます。鶺鴒は以前と同じように空を飛び、さえずっている。しかしその美しい姿を見たり声を聴いたりしても「泣けてくる」のです。そして泣けてくるときには「涙の水たまり」や「涙に映る空」を見たり、「子を呼ぶ人の声」や「人を呼ぶ人の声」聴いたりする。ここでも人の営みがあげられています。そして1番に呼応して、この状況で永遠に継承して欲しいもの、そう祈りたいものが、
・ | 空 | ||
・ | 国 | ||
・ | 人の心 |
だと結ばれています。この「国」という言葉が一つのキーワードです。永遠にあって欲しいと願わざるをえないもの、それは「山」「河」「人の心」「空」ときて、その次に「国」です。「国」とは国土という意味でもあり、そこで営まれる人々の生活という意味でもあるのでしょう。
詩の最後の「心許無く鶺鴒の」は、途中で言葉が切れています。あとに続く言葉は聴く人が想像すればよいわけで、普通に考えれば「鶺鴒の飛ぶ空を見る、鶺鴒のさえずる声を聴く」でしょうが、「鶺鴒の行き交う川辺をみる」でも「鶺鴒の姿を見て涙ぐむ」でもよいわけです。そこは聴く人に任されています。
この詩は、2011年3月11日に起こった出来事とそれに続く一連の事態を念頭に作られたというのが自然な解釈だと思います。2011年3月11日からの一連の事態で我々が目にしたのは、多数の犠牲者とともに "国土の喪失" です。永遠にではないにせよ、また完全にではないにせよ国土が喪失した。ここでの "国土" とは自然環境であり、人々の記憶と思い出が詰まった故郷です。《鶺鴒》はこの状況をふまえて中島さんが書いた詩でしょう。題名になっている "鶺鴒" は美しい自然環境の象徴だと思います。
《鶺鴒(せきれい)》をこのように解釈すると、どうしても連想する詩があります。《鶺鴒》の翌年(2012年)に発表された《倒木の敗者復活戦》です。
倒木の敗者復活戦
《倒木の敗者復活戦》は、2012年10月24日に発売された39作目のオリジナル・アルバム『常夜灯』に収録された曲です。つまり《鶺鴒》の1年後に発表された曲ということになります。次のような詩です。
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中島みゆき
「常夜灯」(2012)
①常夜灯 ②ピアニシモ ③恩知らず ④リラの花咲く頃 ⑤倒木の敗者復活戦 ⑥あなた恋していないでしょ ⑦ベッドルーム ⑧スクランブル交差点の渡り方 ⑨オリエンタル・ヴォイス ⑩ランナーズ・ハイ ⑪風の笛 ⑫月はそこにいる
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一見してわかるようにこれは "倒木" が何かの象徴になっている詩、あるいは "倒木" に何かを代表させた詩です。一つだけ日常ではあまり使わない言葉があります。「完膚無き」です。完膚とは「傷のない完全な皮膚」という意味なので、「完膚無き」は「無傷のところがない」ということになります。スポーツで良い所が全くなく完敗したとき、「完膚無きまでに叩きのめされた」などと(アナウンサーが)表現したりします。敗者復活戦はスポーツ用語なので、その連想で選ばれた言葉でしょう。
これ以外は分かりやすい言葉が使われていて、内容もシンプルで力強くストレートな詩です。そして思うのですが、多くの中島みゆきファンの方は "倒木" を "東北" として聴いているのではないでしょうか。おそらく、そのように受け取られることを想定して作られた詩という感じがする。
しかしこの詩において "倒木" をそのまま "東北" と解釈するのは無理があります。なぜなら「東北は敗者ではない」からです。数百年に一度の大災害で多数の人命が失われ、国土が壊滅状態になったとしても、それが敗者だとは言えません。敗者復活戦というのは、あくまで対等な条件で闘って破れた者が勝利を目指して再戦するというものです。
"倒木" なら「敗者」とか「敗者復活戦」という比喩はありうると思います。たとえば台風の暴風雨で街路樹の一部が根こそぎ倒れたり、幹が途中で折れたりすることがあります。ほとんどの樹木が台風に耐えたのに、一部が倒れた。風速30メートル程度の風には耐えてしかるべきなのに、倒木になってしまった。それを「敗者」とか「敗者復活戦」と表現するのはアリだと思います。管理されている街路樹は植え替えるので "復活" は無いでしょうが、山林の中の倒木なら再生はありうる。倒木の養分をもとに新たな木が芽生える「倒木更新」という現象もあります。
やはりこの詩は、人生において "敗者になった" と感じた人が再起をかけて行動を起こすことへのメッセージ(= 望みの糸は切れても / 救いの糸は切れない)だと考えるのが妥当だと思います。それを "倒木" と "敗者復活" という言葉で表した。
そうはいうものの、4回繰り返される(最後に3回繰り返される)、
傷から芽を出せ 倒木の復活戦 |
を聴いていると、"倒木" は "東北" のことだと思えてくるのですね。ここに「敗者」はないからです。もし仮に題名が《倒木の復活戦》であり、詩の文言に「敗者」がまったく無かったとしたら、完全に "倒木" は "東北" と思えたでしょう。しかしそうではなく「敗者」という言葉が使われているし、また「英雄」と「傷ある者」が対比されている。
中島さんの詩は使う言葉が慎重に選ばれています。ここは言葉どおりに「倒木が敗者で、その "傷ある者" の復活」とまず受け取るのが正しいと思います。それを拡大解釈するのは聴き手の自由です。中島さんは、2016年に出したベスト・アルバム『前途』のセルフ・ライナーノートで《倒木の敗者復活戦》について次のように書いています。
|
この文章の後半の主旨を箇条書きにすると、
・ | そのようなつもりは無かったのだが、 | ||
・ | "倒木"="東北" と受け取る人が出てきた。 | ||
・ | それはそれで良しとしたい。 |
ということでしょう。この最初の「そのようなつもりは無かった」というのは本当にそうなのでしょうか。詩人としてはあたりまえですが、中島さんは言葉の使い方に鋭敏です。音の響きや言葉の連想性を重視することも多い。「詩の全体の構成からすると "倒木"="東北" ではないが、当然そのような連想が働くだろう」と想定してこの詩を書いたのだと思います。
《鶺鴒》と《倒木の敗者復活戦》は、2011年3月11日に始まる状況を念頭に書かれたと思えるのですが、この流れにあると考えられるのが前回の No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」で書いた《India Goose》です。
India Goose
《India Goose》は2014年11月12日に発売された40作目のオリジナル・アルバム『問題集』の最後に収録された曲でした。詩の内容を短く要約すると、
"弱さ" をもった鳥の群が困難な目標に立ち向かう(現実の生態としてはインド雁がヒマラヤ山脈を越える) |
というものです(No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」参照)。この《India Goose》は《倒木の敗者復活戦》の "続編" のように思えます。改めて3つの詩を並べると次の通りです。
鶺鴒 | 荒野より | 2011.11.16 | ||||
倒木の敗者復活戦 | 常夜灯 | 2012.10.24 | ||||
India Goose | 問題集 | 2014.11.12 |
中島さんは2013年にはオリジナル・アルバムを出していません。つまりこの3作品は連続する3つのオリジナル・アルバム(第38、39、40作)で発表された曲ということになります。これらは一連の流れの中にあるのではないでしょうか。つまり、
状況の認識と祈り | 鶺鴒 | |||
↓ | ↓ | |||
復活の始まり | 倒木の敗者復活戦 | |||
↓ | ↓ | |||
困難な目標への挑戦 | India Goose |
という "ワンセットの作品" として聴くことができると思います。中島さんは社会と人間の関わりに焦点を当てた作品を多く書いています。その中島さんが 2011年3月11日とその後に起こったことをふまえた詩を書くのは当然だし、むしろ書いてしかるべきという気がします。No.212「中島みゆきの詩(12)India Goose」の最後に、ここで描かれた "India Goose"(ヒマラヤを越える鳥)は "何か" の象徴と書きました。その "何か" とは 3.11 に起因する困難を乗り越えようとしている人々、というのが(一つの)解釈です。もちろんそれがすべてではないでしょうが、有力な解釈であることは間違いないでしょう。
No.35「中島みゆき:時代」の「補記」に書いたのですが、歌手の一青窈さんや八神純子さんは《時代》を東日本大震災の被災地で歌って聴衆に感銘を与えました。プロの歌手で他にもこういうケースがあると思います。またそれ以前に、数々のアマチュア合唱団、中高校の合唱部の生徒が被災地で《時代》を歌っています。この状況を中島みゆきさんはつぶさに知っているはずです。
自分の原点とも言える作品が被災地で歌われ、聴衆が涙を流しながら聴いている・・・・・・。作品を作ったアーティストがこの状況を黙って見過ごすなどありえないでしょう。それに呼応して自ら新たな作品を作ろうとするはずです。必ずそうすると思います。中島さんとしては義務感さえあったのかもしれません。
社会と人間
No.67「中島みゆきの詩(4)社会と人間」に書いたのですが、中島さんは社会との関わりをテーマにした詩をいろいろ書いています。つまり、
・ | 社会と人間の関係 | ||
・ | 社会の中でひたむきに生きる人間 | ||
・ | 現代の社会状況 |
などをテーマにした詩です。No.67ではそれらの題名をあげ、また引用もしました。さらに No.130「中島みゆきの詩(6)メディアと黙示録」で引用した《僕たちの将来》もそういうタイプの詩でした。これらをリストすると次のようになります。
アザミ嬢のララバイ | 1976-私の声が聞こえますか | |||
彼女の生き方 | 1976-みんな去ってしまった | |||
世情 | 1978-愛していると云ってくれ | |||
狼になりたい | 1979-親愛なる者へ | |||
エレーン | 1980-生きていてもいいですか | |||
傾斜 | 1982-寒水魚 | |||
ファイト! | 1983-予感 | |||
僕たちの将来 | 1984-はじめまして | |||
ショウ・タイム | 1985-miss M. | |||
忘れてはいけない | 1985-miss M. | |||
白鳥の歌が聴こえる | 1986-36.5℃ | |||
吹雪 | 1988-グッバイ ガール | |||
ひまわり“SUNWARD” | 1994-LOVE OR NOTHING | |||
流星 | 1994-LOVE OR NOTHING | |||
4.2.3. | 1998-わたしの子供になりなさい | |||
小さき負傷者たちの為に | 2010-真夜中の動物園 | |||
鷹の歌 | 2010-真夜中の動物園 |
あくまで個人的見解なので、他にもっとあると思います。このリストは2010年のアルバム『真夜中の動物園』で終わっているのですが、リストの最後に付け加えるべきなのが、
鶺鴒 | 2011-荒野より | |||
倒木の敗者復活戦 | 2012-常夜灯 | |||
India Goose | 2014-問題集 |
だと思います。この3作品において人は主役ではありません。題名になっているのは鳥(=鶺鴒、インド雁)と樹木(=倒木)です。社会との関連を示すような言葉もほとんどありません(ただ一つ《鶺鴒》に "国" が出てくる)。しかしこの3作品は 2011年から 2014年の社会状況をふまえた詩であり、そこで懸命に生きる "困難に直面した人たち" に寄り添った詩でしょう。それは深読みかも知れないが、是非そう考えたいと思います。
日本のシンガー・ソングライターで、かつメジャーなアーティストで、社会と人間の関係性をテーマにずっと詩を書き続けているのは中島さんぐらいではないでしょうか。やはり中島みゆきというアーティストは希有な存在である。そのことを改めて思います。
(続く)
2017-09-01 19:32
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