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No.192 - グルベンキアン美術館 [アート]

個人コレクションにもとづく美術館について、今まで5回にわたって書きました。

  No. 95バーンズ・コレクション米:フィラデルフィア
  No.155コートールド・コレクション英:ロンドン
  No.157ノートン・サイモン美術館米:カリフォルニア
  No.158クレラー・ミュラー美術館オランダ:オッテルロー
  No.167ティッセン・ボルネミッサ美術館スペイン:マドリード

の5つです。今回はその "個人コレクション・シリーズ" の続きで、ポルトガルの首都、リスボンにある「グルベンキアン美術館」をとりあげます。今までの5つの美術館はいずれも、19世紀から20世紀にかけて事業で成功した欧米の富豪が収集した美術品を展示していて、コレクターの名前が美術館の名称になっていました。グルベンキアン美術館もそうです。


カールスト・グルベンキアン


カールスト・グルベンキアン(1869-1955)は、イスタンブール出身のアルメニア人です。石油王と呼ばれた人で、石油の売買で膨大な財を成しました。そして美術品のコレクターでもあった。晩年、グルベンキアンはポルトガルに移住し、遺言によって遺産と美術品がポルトガルに寄贈されました。それを元にグルベンキアン財団が設立され、財団は美術館だけでなく、オーケストラやバレエ団の運営、各種の芸術・文化活動を行っています。

以上の美術館設立の経緯は、何となく No.167 で紹介したティッセン・ボルネミッサ美術館に似ています。マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館には、ドイツの鉄鋼王、ティッセン家のティッセン・ボルネミッサ伯爵がスペイン(=5度目の妻の祖国)に売却した美術品が展示されています。「コレクターの出身国ではない国にある個人コレクション」という点が似ているのです。

スペインとポルトガルは、大航海時代に始まる "栄光の時代" に繁栄を誇りますが(その遺産がプラド美術館)、産業革命以降の資本主義の時代にはイギリス、フランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国の後塵を拝しました。それでも大量の第一級の美術品が "タナボタ" 的にもたらされる・・・・・・。そういう巡り合わせの国なのかと思ってしまいます。


グルベンキアン美術館


グルベンキアン美術館は、リスボンの中心部から少し離れた北の方向にあります。メトロで言うとブルー・ラインのサン・セバスティアン駅かプラザ・デ・エスパーニャ駅が最寄駅になります。

Lisbon.jpg

ゆったりとしたグルベンキアン財団の敷地の中に、数個の建物が配置されています(次の図)。その中の "Founder's Collection" となっている建物にカールスト・グルベンキアンが収集した美術品が展示されています(グルベンキアン美術館)。

Gulbenkian - Layout.jpg
この図は上が南方向(リスボン中心部の方向)である。敷地の中には3つの建物がある。左下がFounder's Collection棟で、それとつながっているのがグルベンキアン財団のビルである。上の方のModern Collection棟には現代ポルトガルのアーティストの作品がある。

Gulbenkian - Museum.jpg
Founder's Collection棟のエントランス



"Founder's Collection" として展示されている美術・工芸品は極めて幅広いものです。年代・地域で言うと、古代エジプト、メソポタミア、ギリシャ・ローマ、ヨーロッパ、東アジア、アルメニアなどであり、美術・工芸品のジャンルも、絵画、彫刻、家具、銀器、装飾品、タペストリー、絨毯、タイル、陶磁器など多岐に渡っています。またカールスト・グルベンキアンはルネ・ラリックと親交があり、ラリックのガラス工芸作品が展示されています。これらの中から絵画作品を何点か紹介します。


美術館の顔


まず取り上げるべきは「美術館の顔」とも言うべき女性の肖像画で、ドメニコ・ギルランダイヨの「若い女性の肖像」です。以下、絵の英語題名はグルベンキアン美術館のもので、その日本語試訳を付けました。

Portrait of a Young Woman.jpg
ドメニコ・ギルランダイヨ(1449-1494)
Portrait of a Young Woman(1490)
(若い女性の肖像)
グルベンキアン美術館

思い起こすと、マドリードのティッセン・ボルネミッサ美術館の「顔」となっている絵も、ギルランダイヨの女性の肖像画でした。この点もグルベンキアンがティッセン・ボルネミッサと似ているところです。

ティッセン・ボルネミッサのギルランダイヨの絵は真横からの横顔(= Profile)でしたが、グルベンキアンの絵は典型的な "4分の3正面視(= Three Quarter View)" の絵です。しかも女性の視線は真横方向に注がれていて、まさに今、その方向に目をやった瞬間をとらえたような感じがあります。ほんのりと赤い、ふくよかな頬と、キリッと引き締まった小さな赤い唇が印象的で、何となくこのモデルとなった女性の意志の強さを感じます(個人的印象ですが)。いい絵だと思います。


近代絵画


 ターナー 

以下、グルベンキアン美術館の展示方法に従って、年代順に近代絵画を何点か紹介します。ターナーの絵は2点ありますが、その中の1点が次です。

Quillebeuf - Mouth of the Seine.jpg
ジョセフ・M・W・ターナー(1775-1851)
Quillebeuf, Mouth of the Seine(1833)
(キュバッフ、セーヌの河口)
グルベンキアン美術館

セーヌの河口の町、キュバッフ=シュル=セーヌを描いたた絵です。ターナーの絵にしばしばある、水面と空が一体になったような描き方で、その中に河口の町が小さく配置されています。人間の営みに比べた自然の大きさを表現しているように見えました。ちなみに、もう一枚あるターナーの絵は「輸送船の難破(ミノタウルス号の難破)」です。Wikipedia(日本語版・英語版)にターナーの代表作の一つとして掲載されています(2016.11現在)。

 ドガ 

Self-portrait (Degas Saluant).jpg
エドガー・ドガ(1834-1917)
Self-portrait or 'Degas Saluant'(1863)
(自画像、または "挨拶するドガ")
グルベンキアン美術館

ドガは自画像を何枚か描いていますが、最も有名なのは No.86「ドガとメアリー・カサット」で引用したオルセー美術館の自画像でしょう。しかしこのグルベンキアンの自画像もオルセーに匹敵する出来映えです。ちなみに Wikipedia の「ドガ」の項で引用されている自画像は、日本語版・英語版ではオルセーのものですが、フランス語版 Wikipedia ではこのグルベンキアンの自画像になっています(2016.11現在)。

 マネ 

Boy Blowing Bubbles.jpg
エドアルド・マネ(1832-1883)
Boy Blowing Bubbles(1867)
(シャボン玉を吹く少年)
グルベンキアン美術館

グルベンキアンの絵画では、このマネの絵が "最も記憶に残る絵" かもしれません。男の子が一人でシャボン玉を吹いているというモチーフがユニークだからです。他にあるかもしれませんが、記憶にはこの絵しかありません。例によって背景を描かず、真剣に大きなシャボン玉を作ろうとしている男の子の姿だけを捉えています。京都大学の岡田教授は、この絵について次のように書いています。


モデルの少年はレオン・リーンホフ。マネの妻となるスザンヌ・リーンホフの連れ子である。シャボン玉遊びに興じる年齢はもうとうに過ぎているようにも見える。一見さりげない日常のひとこまを演出しようとする義父の前で、ややためらいがちにポーズをとっている様子だ。ここではもはや説教くさい伝統的なメッセージが表面に出てくることはない。おそらくマネはこの子をかわいがっていたのであろう。《アトリエの朝食》や《リンゴをむく少年》などの作品でも何度かモデルにして描いている。

岡田 温司
「虹の西洋美術史」
(ちくまプリマー新書 2012)

「説教くさい伝統的なメッセージ」というのは、17世紀以降、シャボン玉がしばしば絵画のテーマになり、そこには "はかなさの象徴" というメッセージが往々にしてあったことを言っています。マネはあえて伝統的なテーマを、伝統的なメッセージ抜きにとりあげたようです。

 ミレー 

Winter.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー(1814-1875)
Winter(1868)
(冬)
グルベンキアン美術館

The Rainbow.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー
The Rainbow(1872/73)
(虹)
グルベンキアン美術館

この2枚のパステル画は、ミレーがパステルという画材をを使いこなした絵、という感じがします。「冬」は、殆ど単色と思える暗い色調の中に、雪に覆われた畑とポツンと配置された積み藁が凍えつくような空気感を表現しています。ミレーは冬のバルビゾンを好んだようです。


ミレーは冬の風景が好きで、誰も描かない雪のバルビゾンを喜んで写生した。冬の間、画家仲間たちはパリで過ごし、村にはミレーしか残らなかったが、冬を越した者でしか春の訪れは理解できない、とミレー自身も語っている。

井出洋一郎
「農民画家」ミレーの真実
(NHK出版新書 2014)

一方の「虹」の方は、雨があがり、画面後方から太陽がさし込み出したその一瞬の光景で、全体に暗い色使いの中で、日光に照らされた緑の表現が美しい絵です。この絵で直観的に思い出すのはオルセー美術館の「春」という油絵作品で、構図がほぼ同じです。「虹」もまた春の光景ということでしょう。

Millet - Le Printemps.jpg
ジャン=フランソワ・ミレー
春 (1868/73)
(オルセー美術館)

ちなみに、黒澤明監督の『夢』(1990)には、ミレーの『春』を踏まえたとされるシーンが出て来ます(第1話の「日照り雨」)。しかし『虹』の方がより『夢』の映像に近いと感じます。黒澤監督はもともと画家です。ひょっとしたら『虹』を知っていたのかも知れません。

黒澤明「夢」.jpg

 ルノワール 

Portrait of Madame Claude Monet.jpg
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
Portrait of Madame Claude Monet(1872/74)
(モネ夫人の肖像)
グルベンキアン美術館

パリジェンヌ.jpg
ルノワール
「パリジェンヌ」
若い頃のルノワールの絵の典型という感じで、青を中心に白を配した色使いが大変に美しい。シンプルで落ち着いて鮮やかな配色が、描かれたモネ夫人・カミーユを引き立てています。

この絵でちょっと思い出すのは、同じルノワールの「パリジェンヌ」(1874。ウェールズ国立美術館所蔵)という作品です。同時期に描かれた絵ですが、両方とも鮮やかな青のドレスです。このような青は、当時一般化し出した合成染料によるものに違いありません。青や紫の布が安価に手に入るようになったからこそ、こういうファッションが可能になった。まさに19世紀後半のパリの流行や市民生活を描いた絵なのでしょう。

ちなみに、ルノワールは他にもモネ夫人の肖像を描いています。アメリカ・マサチューセッツ州にあるクラーク美術館が所蔵する「読書をするモネ夫人」です。この絵によってモネが自宅の壁に団扇を飾っていたことがわかります。

Renoir - Madame Monet Reading.jpg
ルノワール
Portrait of Madame Monet(1874頃)
(Madame Claude Monet Reading:読書をするモネ夫人)
クラーク美術館

 モネ 

The Break-Up of the Ice.jpg
クロード・モネ(1840-1926)
The Break-Up of the Ice(1880)
(解氷)
グルベンキアン美術館

セーヌ河が結氷したあと、気温が上がり、氷が割れて流れ出す・・・・・・。その光景をモネは何枚か描いていますが(オルセーの絵が有名)、その中の1枚です。こういう光景は現代だと、たとえばロシアのアムール河を描いたという感じです。当時でもセーヌ河はめったに結氷しなかったと言いますが、それでも大寒波が来るとこのような光景になる。「19世紀のセーヌ河は結氷したのだ」と改めて認識させられます。

モネの "解氷" の絵については、原田マハさんの評論があるので紹介します。モネはセーヌ河畔のヴェトゥイユに住んでいるとき(1878-81。38歳-41歳)に、最愛の妻であるカミーユを亡くします(1879)。モネは絵を描く意欲を失ってしまいました。


そんなとき、冬の大寒波がパリとその近郊を襲い、めったに凍らないセーヌ河が氷結します。滔々とうとうと流れるセーヌ川。そのセーヌ川さえも凍ってしまった。ここからは私の想像ですが、モネは自分の状況をセーヌに重ねて、「ついにセーヌも凍った。そして自分の心も凍りついてしまった」と思ったのではないでしょうか。

ところが、春も近づいたある朝、目覚めたら、セーヌ川の氷が解け、水面が動きはじめたのです。その瞬間に、モネは気づいたのかもしれません。「この世界は一刻たりとも止まっていない。同じ風景を見ているようでも、時間が流れている限り、それは一瞬しかない。その移りゆく世界を、自分はカンヴァスの中にとどめたい」と。

「この世界の一瞬を、生涯かけて追い求めよう」という決意。

ヴェトゥイユでの1880年の冬の経験は、モネにとって大きなターニング・ポイントになったのではないでしょうか。モネがその冬ヴェトゥイユにいて、セーヌ川の氷解を見たのは奇跡です。その瞬間がモネに訪れなかったら、私たちはモネの作品を、いまこのような形で見ることができなかったかもしれません。

このセーヌ川の氷結という出来事の中に、私はモネの連作の萌芽を感じます。

原田マハ
『モネのあしあと』
(幻冬舎文庫 2016)

モネの連作には「クルーズの峡谷」「積み藁」「ポプラ並木」「ルーアン大聖堂」などがありますが、その先駆けとなったのがセーヌの "解氷" の絵だ、というのが原田さんの見立てです。ちなみに、引用した文章はオルセー美術館の "解氷" の絵を念頭に書かれたものですが、グルベンキアンの絵の評論としてもそのまま通用するものです。

ちなみにモネは "解氷" を10数枚描いていると思いますが、それらは数個のグループに分けることができ、各グループの絵は同じ場所から同じ構図で描いています。ただし描いた日が違う。グルベンキアン美術館の "解氷" と同じ構図の絵は、リール宮殿美術館(Palais des Beaux-Arts de Lille:フランス)と、ダニーデン市立美術館(Dunedin Public Art Gallery:ニュージーランド)にあります。

La Debacle(Musee des Beaux-Arts, Lille).jpg
リール宮殿美術館

La Debacle(Dunedin Public Art Gallery).jpg
ダニーデン市立美術館

最初に描かれたグルベンキアン美術館の絵では、セーヌ河の多くが氷に覆われています。その次のリール宮殿美術館の絵は氷がだいぶ溶けてボートが航行している。最後のダニーデン市立美術館になると氷はあまりない。つまり「定点観測」で風景と光の変化を描いています。これって、時刻によるモチーフの変化を描いた "積み藁" や "ルーアン大聖堂" と極めて似ていると思うのですね。まさにモネの連作の先駆けが "解氷" だと思います。

 カサット 

The Stocking.jpg
メアリー・カサット(1844-1926)
The Stocking(1887)
(ストッキング)
グルベンキアン美術館

このブログで何回かメアリー・カサットについて書きました。No.86「ドガとメアリー・カサット」No.87「メアリー・カサットの少女」No.125「カサットの少女再び」No.187「メアリー・カサット展」ですが、その中には「母と子」や「子ども」のモチーフが多数ありました。この絵は、パッと見てカサットだと分かる作品(パステル画)です。

ストッキングを履かせてもらう子どもの自然な仕草がとらえられています。左手は何をしているのでしょうか。描かれた女性は家政婦で、子どもは母親の方を指しているのかもしれません。ストッキングを履くのをいやがっている感じもします。

 サージェント 

Lady and Child Asleep in a Punt under the Willows.jpg
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925)
Lady and Child Asleep in a Punt under the Willows(1887)
(柳の下のパントで眠る母と子)
グルベンキアン美術館

パント(Punt)とは、イギリスでよく見かける平底の小舟です。Puntで川を漕いて回る遊びを Punting(パンティング)と言ったりします。テムズ河、ないしはその支流の光景だと思います。サージェントの絵は、No.36「ベラスケスへのオマージュ」で、

『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(ボストン美術館)
『カーネーション、リリー、リリー、ローズ』(テート・ギャラリー)

を引用しました。いずれもサージェントの代表作と言うべき作品です。No.96「フィラデルフィア美術館」の『A Waterfall(滝)』という作品もありました。

グルベンキアンのこの作品は、サージェントの代表作とは雰囲気が違います。垂れ下がった柳、画面の端で切り取られた小舟、その上の女性、川面を見下ろす構図、カンヴァス全体に筆触を残す描き方・・・・・・、これらは "正統的" な印象派のモチーフや構図、描法そのものです。モネの絵だといっても通用するのではないでしょうか。この絵はサージェントが最も印象派の手法に寄り添って描いた作品でしょう。その意味で記憶に残る作品です。


The Church of Santa Maria della Salute - Venice.jpg
ジョン・シンガー・サージェント
The Church of Santa Maria della Salute, Venice(1904/1909)
(サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会 - ヴェネチア)
グルベンキアン美術館

この水彩画は、前作とは違ったサージェントらしい作品です。おそらく朝の光景でしょう。サルーテ教会と水路をはさんて北側(サン・マルコ広場のある側)から南を見た構図のようであり、画面の左方向、つまり東方向から光があたっています。ヴェネチアの朝の空気感と水彩画の淡くてやわらかな感触がマッチした、すがすがしい作品です。



画像の引用は以上で終わりますが、その他の主な画家では、ファン・デル・ウェイデン、カルパッチョ、ルーベンス、レンブラント、ハルス、ルイスダール、ヴァン・ダイク、フラゴナール、コロー、ファンタン=ラトゥール、ゲインズバラ、ブーディン、テオドール・ルソー、ドービニー、ボルディーニ、タウロヴなどの作品があります。

ちなみに Google Street View で内部が閲覧できる美術館というと、メトロポリタン美術館などの "超メジャー館" が思い浮かびますが、意外にもグルベンキアン美術館は Google Street View で閲覧可能です(2016.11 現在)。あくまで "小じんまりした" 美術館なので、Street View で見るにはちょうどいいと思います。

Gulbenkian - Street View.jpg
Google Street View で内部が閲覧できる美術館はメトロポリタン、MoMA、大英博物館、テート・モダン、オルセー、ウフィツィ、ウィーン美術史美術館などであるが、意外にもグルベンキアン美術館(と財団の庭園)は閲覧できる(上の画像)。マネの「シャボン玉を吹く少年」の右の絵はモネの静物画である(画像はグルベンキアン美術館のホームページで公開されている)。


グルベンキアンの北斎


下の写真は、グルベンキアン美術館のショップで見かけたカードの棚です。現代作家の作品に混じって、真ん中にあるのは葛飾北斎です。

Gulbenkian - Postcard.jpg
グルベンキアン美術館のショップにあったカードの棚。真ん中にあるのは葛飾北斎の「諸国名橋奇覧」の中の1枚である。

この作品は、北斎の「諸国名橋奇覧」の11枚の連作の一つで、『上野こうずけ佐野舟橋の古図』です。"佐野の舟橋" というと、万葉集に歌われた歌枕であり、はかない恋を象徴しました。枕草子の「橋」の段にも出てきます。北斎の時代、佐野(今の栃木県)に舟橋はもう無かったようです。しかし舟橋そのものは日本にあり、北斎は過去を想像して描いたようです。「古図」としてあるのはその意味です。

グルベンキアン美術館はこの作品を所蔵しています。欧米の美術館で北斎の作品を見かけることはよくあるのですが、このポルトガルの首都でもそうであり、欧米における北斎の "メジャー感" が認識できます。

佐野の舟橋.jpg
葛飾北斎(1760-1849)
上野こうずけ佐野舟橋の古図
(かうつけ佐野ふなはしの古づ)
「諸国名橋奇覧」より


美術館から少し歩くと・・・・・・


ここからは余談です。グルベンキアン美術館からリスボン中心部の方向(南方向)に5分程度歩くと、エル・コルテ・イングレスというデパートがあります(上に掲げた地図参照)。スペイン各地にあるデパートですが、リスボンにも進出しています。

ここの地下1階はスーパーになっていて、また高級食料品(というか、スーパーよりワンランク上の食品や菓子)を売る店が併設されています(この店があることがポイントです)。ポルトガルの土産物を買うには最適のスポットだと思います。もしグルベンキアン美術館を訪れたなら、近くのエル・コルテ・イングレスに立ち寄られることをお勧めします。

El Corte Ingres.jpg
リスボンのデパート、エル・コルテ・イングレス。グルベンキアン美術館の方向から見た画像(Google Street View)。




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