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No.187 - メアリー・カサット展 [アート]

今回は、横浜美術館で開催されたメアリー・カサット展の感想を書きます。横浜での会期は 2016年6月25日 ~ 9月11日でしたが、京都国立近代美術館でも開催されます(2016年9月27日 ~ 2016年12月4日)。

メアリー・カサットの生涯や作品については、今まで3つの記事でとりあげました。

No.86 ドガとメアリー・カサット
No.87 メアリー・カサットの「少女」
No.125 カサットの「少女」再び

の3つです。また次の2つの記事ですが、

No.93 生物が主題の絵
No.111 肖像画切り裂き事件

No.93では、カサットの愛犬を抱いた女性の肖像画を引用し、またNo.111では、ドガが描いた「メアリー・カサットの肖像」と、その絵に対する彼女の発言を紹介しました。これら一連の記事の継続になります。

メアリー・カサット展ポスター.jpg
メアリー・カサット展
横浜美術館
(2016年6月25日~9月11日)
絵は「眠たい子どもを沐浴させる母親」(1880。36歳。ロサンジェルス美術館蔵)


浮世絵版画の影響


Mary Cassatt - Photo.jpg
1867年(23歳)に撮影されたメアリー・カサットの写真。彼女がパリに到着した、その翌年である。手にしているのは扇子のようである。フィリップ・クック「印象派はこうして世界を征服した」(白水社。2009)より。
今回の展覧会の大きな特徴は、画家・版画家であるメアリー・カサット(1844-1926)の "版画家" の部分を念入りに紹介してあったことです。カサットの回顧展なら当然かもしれませんが、今まで版画をまとまって見る機会はなかったので、大変に有意義な展覧会でした。

彼女が版画を制作し始めたのは日本の浮世絵の影響ですが、その浮世絵の影響はまずドガ(1834-1917)との交流から始まりました。カサットがドガに最初に出会ったのは1877年(33歳)です。その時点でドガ(43歳)は、モネやマネやといった初期印象派の仲間でも熱心な日本美術愛好家でした。横浜美術館の主席学芸員の沼田英子氏は、メアリー・カサット展の図録の解説「メアリー・カサットと日本美術」で、次のような主旨の解説しています。

 ・・・・・・・・

カサットの『桟敷席にて』にみられるような、人物をクローズアップして遠景との関係を際立たせる手法は、ドガが広重などの浮世絵から想を得て、オペラのオーケストラやカフェ・コンセールの場面に用いたものと類似しています。

オーケストラ席の楽師たち.jpg 桟敷席にて.jpg
エドガー・ドガ
「オーケストラ席の楽師たち」
(1870/72)
シュテーデル美術館
(フランクフルト)
メアリー・カサット
「桟敷席にて」(1878)
ボストン美術館
この絵はロンドンのコートールド美術館にあるルノワールを絵を踏まえて描かれたと想像するのだが、どうだろうか。

浜辺で遊ぶ子供たち.jpg
メアリー・カサット
「浜辺で遊ぶ子どもたち」(1884)
ワシントン・ナショナル・
ギャラリー
また『海辺で遊ぶ子供たち』のように場面を俯瞰的にとらえ、地面や床面を "地" のようにして人物を浮き上がらせる構図は、ドガがバレエのレッスン場面でよく用いているものです。ドガはそれを浮世絵の室内表現から着想したと考えられています。─── そう言えばカサットの『青い肘掛け椅子の少女』も室内を俯瞰的な構図で描いていました(No.87「メアリー・カサットの少女」No.125「カサットの少女再び」参照)。

ドガは1886年の印象派展に沐浴する裸婦のパステル画を出品してセンセーションを起こしました。西洋画の伝統での裸婦は、神話の女神として描かれていたからです。しかし浮世絵では、半裸の女性が行水をする場面や髪をくしけずる場面はよく描かれていた画題です。ドガはこれを取り入れ、普通の女性が沐浴する一瞬を覗き見たような視点で描きました。そしてカサットも、タオルで体を拭くセミヌードの女性や、髪を整える女性の姿を描いています。

さらにドガは、西洋銅版画の技法を使って絵画的な版画を作る試みを始めていましたが、カサットもドガにさそわれ、ドガの版画の道具とプレス機を借りて版画を制作しました。

 ・・・・・・

以上のように、カサットはまずドガを通して浮世絵版画の影響を受けたのですが、版画家・カサットの誕生にとって決定的だったのは、1890年にパリで開かれた日本版画展でした。


版画家:メアリー・カサット


1890年4月25日から5月22日まで、パリのエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で「日本版画展」が開催されました。カサットが46歳になる直前のころです。


カサットは、この「日本版画展」に感激し、少なくとも二回は会場に足を運んでいる。一回目は開催初日にドガと一緒に出かけている。その4日後にはベルト・モリゾに次のように書き送っている。

「もしよろしかったら、こちらで私たちと食事をしませんか。その後で、ボザールで開催中の日本版画展を一緒に見に行きましょう。あなたはこの展覧会を絶対に見逃してはいけません。色彩版画を作りたいのなら、これ以上美しいものなど想像できないでしょう。それは私の夢にも現れ、色彩銅版画のことしか考えられません」

カサットがいかにこの展覧会に夢中になったかがわかるだろう。モリゾは、1988年頃から多色刷りリトグラフに関心を寄せており、この喜びを共有できる仲間だったのである。モリゾはマラルメに宛てた手紙の中で、

「水曜日にカサットさんのところで食事をし、ボザールのすばらしい日本美術を見に行きます」

と書いている。ふたりは、5月7日に一緒に展覧会を見に行ったと考えられる。これらのエピソードは、カサットがこの展覧会でいかに浮世絵版画に夢中になったかを伝えているが、それは、この後の作品にも影響を与えることになる。

沼田英子(横浜美術館・主席学芸員)
「メアリー・カサットと日本美術」
メアリー・カサット展・図録 所載
(改行を付加しました)

日本版画展.jpg
日本版画展のポスター
(1890。パリ・国立美術学校)
カサットは少なくとも2回「日本版画展」を見に行った、1回はドガと一緒に(4月25日)、1回はベルト・モリゾと一緒に(5月7日)というわけです。会期は5月22日までなので、さらに行ったことも十分に考えられるでしょう。

彼女はこの「日本版画展」を見た後、すぐに多色版画の制作に取りかかり、1891年に25部限定の10点組の銅版画を完成させました。いずれもパリの女性の日常生活のシーンをとらえたものです。近代版画の傑作ともいうべき作品ですが、メアリー・カサット展ではこの10点の版画が全部展示されていました。今回の展覧会の "目玉展示" と言っていいと思います。

  ちなみにこの展覧会では、銅版画の各種の技法を実物とともに解説した展示がありましたが、よい企画だと思います。その銅版画技法の中から、カサットの版画作品に使われている「ドライポイント」「エッチング」「ソフトグランド・エッチング」「アクアチント」の制作工程を、この記事の最後に掲載しておきます。

その、10点組の多色銅版画ですが、以前の記事で紹介した作品を含めて3点だけをあげます。

The fitting.jpg
メアリー・カサット
「仮縫い」(1890/91)
アメリカ議会図書館
(site : www.loc.gov)

No.87「メアリー・カサットの少女」でも紹介した『仮縫い』という作品です。No.87ではタイトルを『着付け』としましたが、英語題名は『The Fitting』なので『仮縫い』がより適当でしょう。用いられた技法はドライポイントとアクアチントです。ドライポイントで銅版に直接線を描き、アクアチントで作った版で色をつけるという技法です(この記事の末尾の銅版画の説明参照)。

この版画の女性の姿態、ポーズで直感的に思い出すのは、喜多川歌麿や鈴木春信の浮世絵作品です。歌麿の作例を次にあげます。カサットは、こういったタイプの浮世絵を踏まえて制作したのだと思います。

歌麿・青楼十二時 子の国.jpg
喜多川歌麿
青楼十二時せいろうじゅうにときの刻
川崎・砂子の里資料館
(大浮世絵展・2014 図録より)

次の『沐浴する女性』は、No.86「ドガとメアリー・カサット」の「補記」で紹介したように、ドガが「女性にこれほどみごとな素描ができるとは、認めるわけにはいかない」と評したものです。この作品もドライポイントとアクアチントで制作されています。No.86では『化粧』としましたが、英語題名は「Woman bathing = 沐浴する女性」です。

Woman bathing.jpg
メアリー・カサット
「沐浴する女性」(1890/91)
アメリカ議会図書館

次の『ランプ』は、ソフトグランド・エッチングとドライポイント、アクアチントが使われています。まず紙に下絵を描き、ソフトグランド・エッチングで輪郭線をなぞって版を作る(この記事の末尾の銅版画の説明参照)。細部はドライポイントで直接描き、さらにアクアチントの版で色を付けるという作り方です。

The lump.jpg
メアリー・カサット
「ランプ」(1890/91)
アメリカ議会図書館

いずれの作品でも目立つのは線の美しさです。版画なので陰影は(ほとんど)なく、線だけで女性の仕草の美しさやふくよかさを表現しています。ドガが感嘆するのも分かります。


デッサンの技量


もちろん版画家・カサットの作品は、浮世絵版画の影響で作られたものだけではありません。伝統的な西洋銅版画の技法、デッサン、絵のモチーフで作られたものも多いわけです。その例が「メアリー・カサット展」の出口付近に展示されていたドライポイントの12作品です。その中の一つが次の版画です。

ソファに腰かけるレーヌとマーゴ.jpg
メアリー・カサット
「ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ」
(1902。58歳)
アメリカ議会図書館

こういった版画作品は "モノトーンの小品" なので、油絵の大作が並んだ中に展示されると見過ごすことが多いと思うのですが、この12作品は必見です。とにかく、カサットのデッサンの技量が優れていることが直感できます。ドライポイントは、銅版の表面をニードルで直接に線刻する技法です。もちろん紙に鉛筆などで素描を何枚か描き、構想を固めたところで銅版にとりかかるのでしょうが、線刻のやり直しはできません。的確な線の集まりで対象をとらえるメアリー・カサットの技量に感心しました。



デッサンの技量に関係すると思うのですが、油絵や版画にかかわらず、カサット作品には「難しいアングルから顔を描いた」ものがいろいろあることに気づきました。実は『バルコニーにて』という油絵作品の音声ガイドで、そう指摘していたのです。

On th Balcony.jpg
メアリー・カサット
「バルコニーにて」(1873。29歳)
フィラデルフィア美術館

「難しいアングル」とは、顔を上方から見下ろしたり、下方から見上げたり、また斜め後ろ方向から捉えたりといったアングルです。上に引用した『ランプ』や『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』のマーゴ(少女)がまさにそうで、普通の絵画・版画作品にはあまりないような方向から女性の顔をとらえています。この記事の最初に掲げた展覧会のポスターになっている『眠たい子どもを沐浴させる母親』の母親もそうでした。

『バルコニーにて』は、カサットがパリに定住する前、スペイン滞在中に描いた作品です。つまり彼女は若い時からそういう "チャレンジ" をしていたようで、また自分の素描の技術に自信があったのでしょう。

なお『バルコニーにて』は、ゴヤの『バルコニーのマハたち』を連想させます。そのゴヤの絵を踏まえて、マネは『バルコニー』を描きました(ベルト・モリゾが描かれている有名な作品)。カサットも絵画の伝統をしっかりと勉強した画家だということが分かります。


母と子


メアリー・カサットというと "母と子" を描いた一連の作品で有名です。上に引用した銅版画『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』も、そのテーマです。では、なぜ母と子のモチーフなのか。それは、西洋絵画の伝統(=聖母子像)の影響だと思っていました。もちろん「母と子」は最も根源的な人間関係であり、また画家・カサットを常に支援してくれた母親との関係も影響しているのでしょう。

しかし、女性、子ども、母と子などのモチーフは、当時の女性画家に暗黙に "許された" 画題でした。カサットの友人であるベルト・モリゾの画題もそうです。このことについて、横浜美術館の主席学芸員の沼田氏は、次のように解説していました。


若い頃に因襲的サロン絵画に抵抗して前衛的なグループに身を投じたカサットが、なぜ女性画家の画題とされていた「母子」を積極的に描いたのだろうか。

ひとつには、19世紀後半のフランスで起こった子どもの人権を見直す動きが指摘される。子どもの人権保護の観点から、若年労働の禁止や学校の整備に加え、乳児を母親自身で育てることが推奨されるようになっていた。当時、パリで出生した子どもの約半数が里子に出され、多くのブルジョア階級では家庭内で乳母が育てていた。親は子どもの様子に無関心で乳幼児の死亡率も高かったといわれる。

それに対して、この頃から母親が母乳で育て、子どもの健康のために、衛生、入浴、運動、睡眠をとりしきることが推奨されるようになったのである。社会的意識が高く女性参政権運動にも協力したカサットが、この問題を考えていたという可能性は大きい。

沼田英子
「メアリー・カサットと日本美術」
メアリー・カサット展・図録 所載

我々は「母親が子どもを(母乳で)育てるのはあたりまえ」と思ってしまうのですが、それは現代人の感覚なのです。その感覚で19世紀のパリを(ヨーロッパを)想像してはいけない。カサットの「母と子」の絵には、二人がいかにも親密な状況にある一瞬を捉えた絵が多いのですが、それは当時としては "社会的な意味のある絵画" だったのでしょう。



そして、今回のメアリー・カサット展でもう一つ示してあったのは「母と子」というテーマについての浮世絵版画の影響です。日常生活における母と子のなにげない情景、母の愛情溢れるしぐさという画題は、実は浮世絵にしばしばあるのですね。そのテーマの歌麿の作例と、カサットの「10点組の多色銅版画」からの一枚を引用します。なるほど、そういう面もあるのかと思いました。

歌麿・行水.jpg
喜多川歌麿「行水」
メトロポリタン美術館

The bath(The tub).jpg
メアリー・カサット
「湯浴み(たらい)」(1890/91。46歳)
アメリカ議会図書館



母子関係が大切だという当時の社会の動きや、浮世絵版画からの影響があるのでしょうが、やはりカサットは西洋絵画の伝統=聖母子を意識して描いたと思ったのが、次の油絵による作品です。

The Family.jpg
メアリー・カサット
「家族」(1893。49歳)
クライスラー美術館
(ヴァージニア)

美しき女庭師.jpg
ラファエロ
「美しき女庭師」
(ルーブル美術館)
この絵を見て直感的に思うのは、西洋絵画の伝統的なモチーフである「聖母子と洗礼者ヨハネ」との類似性です。もちろん、その画題で最も有名なのはルーブル美術館にあるラファエロの作品です(いわゆる "美しき女庭師")。パリ在住のカサットは何回となく見たはずです。「家族」という絵は、このルーブルのラファエロを踏まえて描かれているのではないでしょうか。

カサット作品を見ると、どっしりした三角形の左右対称的な構図です。ドガやカサットは、浮世絵版画から学んだとされる "左右非対称で、モチーフを画面の縁で切断するような構図" の絵をいろいろ描いていますが、それとは全くの対極にある伝統的な描き方です。ただし伝統的だけではありません。多視点描法というと大げさですが、この絵には二つの視点が混在しています。母と男の子と後の風景は、少し上から見下ろす視点です。一方、女の子は真横からの視点で描かれている。女の子は「母と男の子」とは少し違った存在であることを暗示しているようです。こういうところも「聖母子と洗礼者ヨハネ」を想起させる。

メアリー・カサット展の解説で、女の子が差し出しているカーネーションは受難の象徴とありました。確かにそうなのでしょうが、もっと納得性の高い解釈は、このカーネーションが洗礼者ヨハネのアトリビュート(持物じぶつ)である「十字架の形をした杖」を踏まえているということです。この絵で唯一のストレートな直線がそう感じさせます。この絵が古典と現代をミックスさせ、それを貫く "永遠なるもの" を表現しようとしたことは明白だと思います。

ちなみに『家族』は、ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵している『舟遊び』(No.87「メアリー・カサットの少女」で画像を引用)を連想させます。『家族』が "聖母子と洗礼者ヨハネ" を踏まえているとしたら、『舟遊び』は "聖家族" を思い起こさせるからです。



"版画家" と "母子像の画家" の接点とも言うべき「版画の母子像」もありました。『池のほとりで』という作品です。

By the Pond.jpg
メアリー・カサット
「池の畔で」(1896。52歳)
フィラデルフィア美術館

この版画も「現代版の聖母子像」といったおもむきがあります。独自の意志を感じるような子どもの表情も聖母子を連想させる。その子を母親が慈しみをこめて見つめています。

構図は斬新で、かなりのクローズアップで描かれています。『池の畔で』というタイトルなので、池の畔にたたずむ(ないしはベンチに腰掛けている)母子です。二人のクローズアップと、背景の池と木々を対比させる構図が印象的です。

ドライポイントとアクアチントで制作された版画です。母と子はドライポイントの線で陰影と立体を感じさせるように描いてあります。また背景の池と木々も、平面的ではあるものの、それなりに立体感を感じさせる表現です。

この作品は「10点組み多色版画」にみられる "線と平面で構成された浮世絵的な銅版画" とはまた違った、"西洋絵画的な銅版画" だと言えるでしょう。メアリー・カサットが作りあげた「独自の世界」であり、いい作品だと思いました。



メアリー・カサットは白内障のため視力が衰え、1910年代になるとパステル画がほとんどになり、1915年頃には絵画制作を断念したようです。版画や油絵を制作したのは1900年代までなのですが、その最後期の油絵で「母と子」を描いた作品が今回展示されていました。その作品を引用しておきます。

ボートに乗る母と子.jpg
メアリー・カサット
「ボートに乗る母と子」(1908。64歳)
アディソン美術館
(マサチューセッツ)

ボートを断ち切る構図や俯瞰的に水面を見る描き方は浮世絵の絵師が得意とした構図で、明らかにその影響だと思います。国立西洋美術館にモネの『舟遊び』という有名な絵がありますが、同じ発想です。

しかしカサットのこの絵の特徴は、右上から左端の中央、右下から左端の中央へと視線を誘導する、横向き三角形の伝統的な構図です。俯瞰的な構図にマッチするように、母親の顔を斜め上方から描いているのもカサット的です。水面に映った少女の足を描くという試みも光っている。少女の足もとに視線を誘導する構図になっています。そして何よりも、彼女が追求してきた「母と子」のテーマです。画家・メアリー・カサットの集大成とでも言うべき優れた作品だと思いました。



なお、今回の展示会にはありませんでしたが、極めて類似した画題で「人数を倍にした」絵をパリのプティ・パレ美術館が所蔵しているので、次に引用しておきます。この絵も、西洋画の伝統と浮世絵から学んだ構図をベースに母と子のテーマを描いた作品です。

Two mothers and their children in a boat.jpg
メアリー・カサット
「ボートに乗る2人の母と子」
(1910。66歳)
(Two mothers and their children in a boat)

プティ・パレ美術館(パリ)



Mary Cassatt(in Grasse - 1914)a.jpg
メアリー・カサット
1914年撮影。70歳。
(メアリー・カサット展の図録より)


シャトー・ド・ボーフレーヌ


ここからは補足です。メアリー・カサットは1894年(50歳)に、パリの北北西、約70kmにあるル・メニル・テリビュ村の "シャトー・ド・ボーフレーヌ" という館を購入し、毎夏はここで過ごすようになりました。上に引用した『ソファに腰掛けるレーヌとマーゴ』の二人のモデルはこの村の住人です。また『池の畔で』も館付近の光景です。彼女は1926年にボーフレーヌで亡くなり(82歳)、村の共同墓地に葬られました。現在、ル・メニル・テリビュには「メアリー・カサット通り」があり、カサットは村民の記憶に受け継がれています。

このル・メニル・テリビュ村のシャトー・ド・ボーフレーヌまで旅した記事が、NHKの日曜美術館のサイトに掲載されています。現地に行かないと分からない情報がいろいろと書かれていて、メアリー・カサットのことを知りたい人にとって必見のサイトです。

ル・メニル=テリビュ.jpg
ル・メニル・テリビュの位置(赤印)
- Google MAP -

以下、シャトー・ド・ボーフレーヌの現在の写真(2014年時点)を掲載しておきます。引用元は「American Girls Art Club in Paris」というブログ・サイトです。

ボーフレーヌ1.jpg
館の正面(北側)

ボーフレーヌ2.jpg
館の南側

ボーフレーヌ3.jpg
室内から南側の庭を望む

ボーフレーヌ4.jpg
敷地にある水車小屋。NHK・日曜美術館のサイトによると、カサットはこの小屋を版画の工房として使っていた。

ボーフレーヌ5.jpg
館の敷地は広大な庭園になっていて、小川が引き込まれ、池もあり、水辺には柳の木もある。モネがここに移り住んでいたとしたら、風景画を量産したに違いない。そう言えばカサットは印象派の絵とともに浮世絵を100点ほど館に飾っていたが、その面でもモネのジヴェルニーの館と似ている。

ボーフレーヌ6.jpg

カサット家墓所1.jpg

カサット家墓所2.jpg
ル・メニル・テリビュ村の共同墓地にカサット家の墓がある。メアリーの上の墓碑名は、若くしてドイツで死んだ弟、ロバートの名前である。

なお、カサットがシャトー・ド・ボーフレーヌに飾っていたセザンヌの「ラム酒の瓶がある静物」(ポーラ美術館蔵)という絵の話を、No.125「カサットの"少女"再び」の「補記」に書きました。


カサットが用いた銅版画技法


二つ目の補足です。メアリー・カサットが「10組の色刷り銅版画」で用いた銅版画の技法をまとめておきます。図は女子美術大学・版画研究室のホームページから引用しました。

 ドライポイント 


ドライポイントは銅板に直接、ニードルで線を刻んで版を作ります。線を刻むときに銅の "めくれ" が生じ、その状態によってインクのたまり具合が違ってきて、線にさまざまな表情が生まれます。


DrypointPic01.jpg
鋼鉄製のニードルで銅版面を引っ掻く。①ニードルを引く方向に倒して描画、②ニードルを立てて描画、③ニードルを寝かせて描画、などの方法があり、それぞれ特徴のある "めくれ" ができる。

DrypointPic02.jpg
スクレイパーを使い、不要なめくれを取る。

DrypointPic03.jpg
インクを詰める。

DrypointPic04.jpg
プレス機で紙にインクを刷り取る。


 エッチング 


エッチング、ソフトグランド・エッチング、アクアチントは、いずれも腐蝕液(硝酸や塩化第二鉄の溶液)で銅版を腐蝕させて版を作る技法です。エッチングはその中でも基本的な技法で、アスファルト・松脂・蝋などの防蝕剤で銅板をコーティングし、そこに描画します。


EtchingPic01.jpg
銅板の裏面に防蝕剤を塗る。

EtchingPic02.jpg
銅板の表面を防蝕剤(グランド)で覆う。グランドはアスファルト、松脂、蝋などを溶剤で溶かしたものである。エッチングで用いるグランドは、溶剤が揮発すると固まる「ハードグランド」である。

EtchingPic03.jpg
ニードルで描画する。

EtchingPic04.jpg
腐蝕液につけて、腐蝕させる。

EtchingPic05.jpg
溶剤でグランドをとる。

EtchingPic06.jpg
インクを詰める。

EtchingPic07.jpg
紙にインクを刷り取る。


 ソフトグランド・エッチング 


ソフトグランドとは、防蝕剤を油脂で練ってペースト状にしたものです。エッチングに使う防蝕剤(=ハードグランド)は銅版に塗ると固化しますが、ソフトグランドは柔らかいままで、容易にはがせます。この性質を利用したエッチングがソフトグランド・エッチングです。エッチングより少しにじんだような線になります。


SoftgroundPic01.jpg
版の裏を防蝕し、版面にソフトグランドを塗る。

SoftgroundPic02.jpg
表面がざらざらした紙をあて、鉛筆などで描画する。紙に描いておいた下絵をなぞってもよい。

SoftgroundPic03.jpg
紙をとるとソフトグランドが紙に付着してはがれる。また、表面に凹凸がある素材を直接あててソフトグランドを取ってもよい。

SoftgroundPic04.jpg
腐蝕液につけて腐蝕させる。

SoftgroundPic05.jpg
インクを詰める。

SoftgroundPic06.jpg
紙にインクを刷り取る。


 アクアチント 


アクアチントは銅板画で面を描く技法です。松脂の粉の振り方、加熱や腐蝕の時間によって、インクの濃淡の違うさまざまなテイストの面を作り出せます。


AquatintPic01.jpg
版の裏を防蝕し、版面の腐蝕させない部分(インクをのせない部分)を黒ニスなどで防蝕する。

AquatintPic02.jpg
松脂まつやにの粉末を散布する。

AquatintPic03.jpg
版の下から加熱して松脂を溶かし、版面に定着させる。

AquatintPic04.jpg
腐蝕液につけて、短時間腐蝕させる。

AquatintPic05.jpg
色の薄い部分には黒ニスを塗り、これ以上の腐蝕を止める。

AquatintPic06.jpg
再度、腐蝕液につけて腐蝕させる。

AquatintPic07.jpg
黒ニスと松脂を溶剤で取り去る。

AquatintPic08.jpg
インクを詰める。

AquatintPic09.jpg
紙にインクを刷り取る。

アクアチント.jpg
アクアチント- 武蔵野美術大学のサイトより
(site : zokeifile.musabi.ac.jp)




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