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No.182 - 日本酒を大切にする [文化]

No.89「酒を大切にする文化」の続きです。No.89 で、神奈川県海老名市にある泉橋いづみばし酒造という蔵元を紹介しました。「いづみ橋」というブランドの日本酒を醸造しています。この蔵元の特長は、

  酒造りに使う酒米さかまいを自社の農地で栽培するか、周辺の農家に委託して栽培してもらっている。

栽培するのは「山田錦」や「雄町」などの酒米として一般的なものもあるが、「亀の尾」や「神力しんりき」といった、いったんはすたれた品種を復活させて使っている(いわゆる復古米)。

精米も自社で行う。つまりこの蔵元は、米の栽培から精米、醸造という一連の過程をすべて自社で行う、「栽培醸造」をやっている。

いづみ橋 恵.jpg
いづみ橋の定番商品、恵(めぐみ)の青ラベル(純米吟醸酒)と赤ラベル(純米酒)。泉橋酒造周辺の海老名産の山田錦を使用。日本酒度は +8 ~ +10 と辛口である。
という点です。「酒を大切にする文化」は、酒の造り手、流通業者、飲食サービス業、消費者の全部が関係して成立するものです。しかし文化を育成するためには、まず造り手の責任が大きいはずです。この記事で言いたかったことは、ワインは世界でも日本でも「栽培醸造」があたりまえだが、日本酒では非常に少ない。こんなことで「日本酒を大切にする文化」が日本にあると言えるのだろうか、ということでした。

このことに関してですが、最近、朝日新聞の小山田研慈けんじ・編集委員が「栽培醸造」を行っている酒造会社を取材した新聞記事を書いていました。「日本酒を大切にする」という観点から意義のある記事だと思ったので、以下に紹介したいと思います。

余談ですが、No.172「鴻海を見下す人たち」で朝日新聞の別の編集委員(山中季広氏)が、シャープを買収した鴻海精密工業を見下みくだすような "不当な" 記事を書いていたことを紹介しました。今回の小山田・編集委員の記事は大変にまともで、さすがによく社会を見ていると思いました。朝日新聞の編集委員ともなれば、きっと小山田氏の方が普通なのでしょう(と信じたい)。

記事は「新発想で挑む 地方の現場から」と題されたシリーズの一環です。まず、秋田県のある酒蔵の話から始まります。以下の引用で下線は原文にはありません。


酒米 蔵から5キロ圏産だけ



酒米 蔵から5キロ圏産だけ
 地元の素材にこだわる

秋田県の横手盆地は今年、例年より早く桜の季節を迎えた。「あま」銘柄で知られる浅舞あさまい酒造(横手市)では、毎年冬に行う酒造りを4月15日に終えた。「今年の冬に使う酒米の苗作りを自分たちで始めています」。杜氏とうじの森谷康市さん(58)は話す。

酒蔵は一般的に、農協などを通じて酒米を仕入れる。地元で酒米作りに直接かかわるのは珍しい。

「酒蔵から半径5キロ以内で作られたコメだけを使う」。浅舞酒造は1997年から、こんな酒造りの方針を掲げる。2011年には、造る酒の全てを地元のコメの純米酒にした。大事な水も、蔵から約50メートルのところにあるわき水を使う。

小山田 研慈(編集委員)
朝日新聞(2016.5.9)

あとで出てくるのですが、浅舞酒造は半径5キロ圏内にある19の農家に委託してコメを栽培しています。上の引用によると、苗は自前でも作っているようです。

半径5キロ圏内ということは、浅舞酒造はコメ作りの過程に常時関与できるか、少なくともその過程を詳しく知ることができるということです。農家ごとの土壌もわかるし、その年の気温や降雨もつぶさにわかる。このことがおいしい酒造りには重要です(No.89「酒を大切にする文化」で紹介した泉橋酒造のホームページ参照)。


意識したのは、原料の産地にこだわるワインだ。フランスでは、法律に基づくAOC(原産地呼称統制)という制度がある。「シャンパーニュ」「ボルドー」といった名称は、その産地のフドウを使うなど一定の基準を満たさないと使えない。ブドウ畑の格付けも決まっていて、消費者からみて価値が分かりやすい。

こうしたワイン造りに考え方をフランス語で「テロワール」と言う。「その土地の特徴」という意味だ。


天の戸 吟泉.jpg
フランスのワインについて付け加えますと、AOCはブドウの産地や畑を規定しているだけでなく、醸造方法も規定しています。日本酒なら、さしずめ
 ・酒米の品種
 ・酒米の生産地区
 ・使用する水
 ・精米度合い
 ・醸造方法
を規定するようなものです。

日本のワインにAOCのような国家規定はないのですが、日本のワイン醸造所も自社のブドウ畑を持つか、契約農家にブドウを栽培してもらうかのどちらか、あるいは両方をやっています。甲府盆地とその周辺にはたくさんの醸造所がありますが、私の知っている限り、皆そうです。サントリーやメルシャンなどの大手メーカーも自社のブドウ畑を持っている。「栽培醸造を全くやっていないワインメーカー」というのは、ちょっと考えにくいわけです。

ちなみにフランスのネゴシアンと呼ばれるワイン流通業者は、シャトーやドメーヌから仕入れたワイン原酒をブレンドして瓶詰めし、販売しています。そのネゴシアンの中には、ブドウの果汁を仕入れて自社で醸造して販売する業者もあるといいます。このケースでは「栽培」と「醸造」が分離していることになりますが、知っての通りフランスは「ワイン大国」であって、そこまでワイン産業が発達していると言うべきでしょう。


一方、日本酒の原産地の表記には、フランスほど厳密なルールがない。コメはブドウと違い、運搬や貯蔵が簡単にできる。別の地域のコメで造っても「地酒」と名乗れる。

酒米は全国的に生産量が少なく、他県のコメを仕入れることも珍しくない。酒米の王者と言われる「山田錦」の主産地は関西だ。

日本酒もワインのように、もっと原料の産地にこだわって造れないか ──── 。

そう考えた森谷さん。地元で酒米を作る農家の研究会にいれてもらい、自ら酒米作りを始めた。


小山田氏が指摘しているように、コメはブドウと違って運搬や貯蔵が容易にできます。そのため「栽培醸造」が普及しなかった(ないしはすたれた)というのはわかります。しかしだからといって、他県のコメを仕入れるだけで安住しているのは怠慢でしょう。さっき書いたようにコメの品質は、山田錦であればいいというのではなく、稲が育った環境(土壌、水、栽培方法)と、その年の気温・降雨によって変化するはずです。それを知った上で最適な精米の具合と醸造方法を決める。そうであってこそ "醸造家" です。

酒造りには水が大切です。そのため地下水などの「自前の水源」を確保している酒蔵も多い。しかしそういう酒蔵でも、米を自前で確保しようとしないのは不思議です。コメよりも水の方が大切なのでしょうか。そんなことはないはずです。記事にある浅舞酒造は「蔵から約50メートルのところにあるわき水」を使うと同時に、自前で酒米の確保を始めました。


酒米は、稲の背が高くなるため倒れやすく、育てるのが難しい。「農家に感謝するべきなのに。こんなんじゃだめだ」。買い入れる酒米の批評ばかりしている自分に気づいた。

市町村合併が進み、名前が消える町や村も多いなか、「狭い産地をアピールした方が、蔵の存在感を出せるのでは」。そう思うようにもなった。

いまは周辺の契約農家19戸に限ってコメを買い入れている。10アールあたり5千円の「補助金」を農家に払い、種もみの補助などもする。すべて自腹で、「毎年の総額は、うちの社長の給料より多い」(森谷さん)というが、最近5年間の売り上げ高は毎年2ケタのペースで伸びている。

昨年8月、全国の得意客50人と契約農家を集めて「半径5キロ以内」の酒米の田んぼを訪ねるイベントを開いた。田んぼを一望できる道満どうまん峠に向かい、ワイングラスに注いだ純米酒で乾杯した。


記事の下線を引いたところに「自腹の補助金」の話がでてきます。日本政府もコメ作りに補助金を出すなら、こういう農家に(手厚く)出してほしいものです。

横手盆地.jpg
朝舞酒造のホームページに掲載されている横手盆地の風景。このような写真を見ると「半径5キロ圏内の酒造り」という実感が湧く。
(site : www.amanoto.co.jp)



別の蔵元の取材です。地元にある酒米の品種を使って成功した蔵元と、自社栽培をはじめた蔵元の話です。


「水尾」の銘柄で知られる田中屋酒造店(長野県飯田市)も、蔵から半径5キロ以内の契約農家などからコメを買って純米酒を作っている。6代目の田中隆太さん(51)は青山学院大学を卒業後、システムエンジニアを経て1990年に家業を継いだ。

高齢の得意客が1人亡くなると、売り上げが年に100本減ることも。「日本酒を飲む人を増やすためにいいものを造らないと大変なことになる」と痛感し、試行錯誤を繰り返した。

モノや情報がたやすく入手できる東京暮らしをやめて戻ったからには「地元でしかできないことをしよう」と思ってきた。地元の酒米「金紋錦きんもんにしき」を使うと、とても良い酒ができた。4合瓶の値段を1200円から100円上げたが、前よりもよく売れた。

売り方も変えた。酒屋任せにはせず、ファンを少しずつ着実に増やすように心がけた。観光客が多い近くの野沢温泉や、百貨店などで試飲会を繰り返し、ここ10年間で売り上げ高は7割増えたという。



自ら酒米作りをする酒蔵も増えている。渡辺酒造店(新潟県糸魚川市)の渡辺吉樹社長(55)は「自分たちでつくるしか選択肢はなかった」と話す。良い純米酒を造るには良い酒米がたくさん必要だが、コメ農家が年々減り、良い酒米を安定的に確保するのが難しくなっているからだ。




No.89「酒を大切にする文化」で紹介した、神奈川県海老名市の泉橋いづみばし酒造も記事に出てきました。海外への販売を見据えた話です。


日本酒の輸出もアジアや米国向けを中心に伸びていて、15年の輸出額は140億円。5年前から6割強増えた。環太平洋宇経済連携協定(TPP)が発効すれば、日本酒の酒税は撤廃される。これも追い風とみて、輸出に本格的に期待する酒蔵も出てきた。

泉橋酒造(神奈川県海老名市)もその一つ。橋場友一社長(47)は「アジアで日本酒に関心がある人は、ワインを飲んでいる人。『(原料の産地にこだわる)ワインと同じです』というと良さを分かってくれる」と話す。地元の酒米にこだわって、海外にも通用する「SAKE」を造っていくつもりだ。



純米酒


以上のように、小山田・編集委員の取材記事は「栽培醸造」ないしは「地元産の酒米にこだわる酒造り」「蔵から5キロ圏内で栽培された酒米による酒造り」がポイントなのですが、もう一つポイントがあって、それは純米酒です。

記事によると日本酒の生産は長期低落傾向にあり、2014年度の生産量の56万キロリットルは、ピーク時の30%という深刻な状況です。しかしその中でも純米酒は2010年度から5年連続で伸びている。2014年度の純米酒の生産量は9.7万キロリットルで、これは前年比106%とのことです。このデータから計算すると、日本酒全体の17%が純米酒ということになります。記事にあったグラフを引用しておきます。

日本酒と純米酒の生産量の推移.jpg
朝日新聞(2016.5.9)より

長期低落傾向にある日本酒の中で、純米酒だけは伸びている・・・・・・。これは大変喜ばしいことだと思います。しかし、上のグラフを別の視点からみると、

  日本酒の83%には添加用アルコールが入っている

ということなのですね。これはいくらなんでも多すぎはしないでしょうか。日本酒生産の長期低落傾向がまだ止まらない2014年度でさえこうなのだから、昔の日本酒のほとんどには添加用アルコールが入っていたということになります。

添加用アルコールとは、各種の糖蜜(サトウキビなど)や穀物(米、サツマイモ、トウモロコシ)を発酵させて蒸留したものです。添加用アルコールとは、つまり蒸留酒なのです。日本酒は醸造酒と思っている人がいるかもしれませんが、それは違います。

  83%の日本酒は、醸造酒と蒸留酒の混合酒

というのが正しい。添加用アルコールを「醸造アルコール」などと言うことがありますが、この言い方は「醸造酒を造るために使う蒸留酒」という、矛盾した言い方です。

ウイスキーにもモルト・ウイスキー(大麦の麦芽から造る)とグレーン・ウイスキー(穀物から造る)があり、ブレンディッド・ウイスキーはこの両者がブレンドされています(No.43「サントリー白州蒸留所」参照)。しかしこれは蒸留酒に蒸留酒を添加しているのであって、日本酒(醸造酒)に添加用アルコール(蒸留酒)を加えるとは意味が違います。

現在、ビールと総称されているお酒は、「ビール」と「発泡酒」と「第3のビール(リキュールなど)」があります。リキュールに分類されているものには添加用アルコールが加えられています。この例に従って、清酒(日本酒)もたとえば、

清酒(=純米酒)
添加清酒(=添加用アルコール入りの日本酒)

と、はっきり区別すべきだと思います。上に引用したグラフは日本酒の長期低落傾向ではなく「添加清酒」の長期低落傾向を示しているのです。

醸造酒に添加用アルコールを混ぜるのは、別に悪いことではありません。スッキリした飲み口にしたいときや、コストを安く押さえたいときには、選択肢の一つだと思います。それは「第3のビール」と同じことです。しかし、日本酒の83%が「添加清酒」というのは、いかにも多すぎはしないでしょうか。こんなことでは日本酒が長期低落傾向になるのは必然だと思いました。


地元産のコメにこだわる主な酒蔵


小山田・編集委員の取材記事に戻ります。この記事には、地元産のコメにこだわる主な酒蔵という表がありました。その表を引用しておきます。

銘柄 酒蔵 特徴
根知男山
(ねちおとこやま)
渡辺酒造
糸魚川市(新潟)
地元産米を使い、昨年度は8割が自社生産。「田んぼのすてを見せられるのが強み」
いづみ橋 泉橋酒造
海老名市(神奈川)
地元産米を使い、地元農家のコメが8割。自社生産も。今は純米酒のみ生産。
日置桜純米酒
(ひおきざくら)
山根酒造
鳥取市
全量が県内農家の契約米。農家ごとにタンクを分け、ラベルに農家の名前を入れる。
会津娘純米酒 高橋庄作酒造
会津若松市(福島)
地元の酒米が9割弱。うち自社田が25%。
紀土
(きっど)
平和酒造
海南市(和歌山)
紀州の風土を表現するため、自社田で栽培も。全国の蔵元が味を競う「酒-1グランプリ」で優勝。


山根酒造場の「日置桜ひおきざくら純米酒」がユニークです。酒のラベルに酒米を栽培した農家の名前を入れる・・・・・。酒米がいかに大切かを言っているわけだし、こうなると酒米農家も張り切らざるを得ないでしょう。ウイスキーに「Single Malt Whisky」があります。これに習い「Single Farmer SAKE」と銘打って輸出をしたらどうでしょうか。そうすると商品に強い「物語性」を付与できます。そういった物語性はブランド作りのための基本です。また、泉橋酒造の橋場社長のコメントにもあったように、SAKEは海外進出のチャンスです。おりしも和食がユネスコの無形文化遺産になりました(2013.12登録)。橋場社長の言うアジアだけでなく、欧米にもチャンスはあると思うのです。

余談はさておき、要は、酒造りにもいろいろな創意工夫があるということだと思います。

日置桜純米酒.jpg
(右の写真のラベルに酒米生産者の氏名が明記してある)


日本酒を大切にする文化


誤解されないように言いますと、日本酒は栽培醸造の純米酒であるべき、と主張しているわけでは全くありません。酒の好みは人によって多様だし、飲酒のシチュエーションも多様です。一人ないしは二人でじっくり味わう場合もあるし、多人数で楽しく盛り上がりたい時もある。値段も多様であるべきだと思います。他県から酒米を調達してもよいし、純米酒でなくてもかまわない。しかし、醸造酒作りの基本は、

  自社農地で栽培された原料、ないしは、目の届く範囲の契約農家で栽培された原料を使い、添加アルコールを入れないで醸造する

ことだと思います。その「基本の酒づくり」が非常に少ないことが問題だと思うのです。「基本の酒づくり」でどこまでおいしい日本酒ができるかを極めないと、応用は無理だと思います。応用とは、添加物を加えるとか、全国から酒米を調達するとかです。

朝日新聞の小山田編集委員が「蔵から5キロ圏産だけの酒米」を用いる酒造会社を取材した記事は、「新発想で挑む 地方の現場から」というシリーズの一環でした。醸造酒作りの基本であるばずのものが「新発想」というのは、大変悲しむべきことだと感じます。また、この記事がまるで "地方再生の活動を紹介するような" 印象を与えるのも、本当は異常なことです。もちろん、記事そのものは良いと思いますが。

こういった「地方の現場の新発想」が、新発想でも何でもなく、全国のいたるところの酒蔵と大手酒造会社で行われるようになったとき、日本酒を大切にする文化が真に復活し、日本酒の長期低落傾向が止まるのだと思います。



 補記:日本酒の参入規制 

2020年2月8日の日本経済新聞に、日本酒の参入規制の解説記事が掲載されました。日本酒醸造への新規参入は70年間も認められていないとの記事です。日本酒の今後の発展(ないしは、今後の衰退)についての重要な話だと思うので、以下に引用します。下線は元記事にはありません。


日本酒、国内参入の壁高く
税制改正、輸出に限り規制緩和
残る天下り、大手は反発

2020年度の税制改正大綱に、輸出に限って日本酒製造への新規参入を認める制度改正が盛り込まれた。日本酒への参入では事実上、戦後初めての規制緩和となる。だが、新規参入者が造る日本酒は国内では販売できない。旧大蔵省の天下りを受け入れている業界団体が既存事業者の保護を強く訴え、中途半端な規制緩和にとどまった

東京・世田谷で住宅が並ぶ三軒茶屋の一角に18年、店内で「どぶろく」を造るバーができた。ボストン・コンサルティング・グループ出身の稲川琢磨氏が立ち上げたWAKAZE(山形県鶴岡市)が運営し、庄内地方の食材に合うお酒を出す。

日本では飲めず

どぶろくはコメが混じった状態で、液体を分離すれば日本酒になる。だが、その免許は出ない。今回の規制緩和で輸出に限れば参入できるが、稲川氏は疑問が拭えない。「日本の消費者が飲めないお酒を輸出するのは現実的なのだろうか」

19年12月に政府・与党がまとめた税制改正大綱は、輸出に限り最低製造量(年60キロリットル)の規制を適用しないことを盛り込んだ。日本酒輸出は19年に234億円と過去最高を更新している。海外市場を取り込むため、新規参入が認められた形だ。

規制緩和を主導した一人が、内閣官房の平田竹男参与だ。日本サッカー協会の専務理事を務めた経験がある。「Jリーグは地域間の競争がプレーの質を高め、ファン拡大につながった」。日本酒も新規参入があれば醸造所が競い合い、多様な製品ができてファンが広がると考えた。

政府が規制緩和の方針を業界に伝えたのは19年夏。大手は反発した。

70年以上認めず

「競争相手が増えるのは困る」。12月までに国税庁が非公開で開いた日本酒の戦略検討会では、大手酒造からあけすけな発言が出た。日本酒の出荷量は1973年のピークに比べて3割程度の年49万キロリットルに縮んだ。特に60代以上の経営者ほど抵抗が強かった。

日本酒製造の新規参入は少なくとも約70年、認められていない。参入にはM&A(合併・買収)や事業承継などの手法しかなく、17年に設立され人気の上川大雪酒造(北海道上川町)は三重県の蔵を承継して移転した。

参入が規制されてきたのは市場の縮小だけが理由ではない。業界団体の日本酒造組合中央会(東京・港)が新規参入に慎重な姿勢を示してきたこともある。

旧大蔵省のOBを受け入れている中央会は政治家や財務省との間合いが近い。今回も旧大蔵省出身の政治家がいる自民党税調の幹部らへ懸念を訴えて回った。国税庁の星野次彦長官には実質反対の意見書を出した。

大手を押し切るのは難しいと感じていた政府は当初から「まず輸出に限ることにした」(関係者)。国内市場で売らないことを条件に新規参入を認める奇策でなんとか形をつけた。

「ビール大手が日本酒に参入したら価格が崩れる」。中央会の篠原成行会長はこう語る。だが、酒造業界が反対一色だったわけではない。

海外でも人気がある「醸し人九平次」を醸造する萬乗醸造(名古屋市)の久野九平治社長は「新規参入を閉ざす業界は未来も閉ざされてしまう」と語る。醸造用アルコールを大量に混ぜる三倍増醸酒が06年に禁止になったのを機に、製法を磨き上げてブランド力を高めた蔵は少なくない。

一橋大学の都留康特任教授は「クラフトビールは醸造所が競い、市場が活気づいた」と話す。ビールの醸造所は過去30年で12倍に増えた。縮む国内市場で生き残るには、個性も欠かせない。

だが、特色のある地酒とは異なり大量生産が中心の大手酒造は、こうした意見とは距離を置く。むしろ業界の一部には、21年4月からの規制緩和の延期を働きかけようとする動きもある。

かつて銀行は旧大蔵省ともたれ合い、「護送船団方式」の中で競争力を落としていった。競争を制限して新規参入を遠ざけていても、展望は開けない。(小太刀久雄)

日本経済新聞 「真相深層」欄
(2020年2月8日)

この記事に出てくる日本酒ベンチャーの WAKAZE については、以下の写真が掲載されていました。

WAKAZEの稲川氏.jpg
WAKAZEは東京で「どぶろく」を造るが、日本酒は規制が壁に
日本経済新聞(2020年2月8日)

WAKAZEは東京の三軒茶屋に自前の醸造所を持っていますが、記事にあるようにそこでは "どぶろく" しか醸造できません。そういう規制がかかっているからです。ではどうやって日本酒を造るのかというと「委託醸造」です。つまりレシピを WAKAZE が作り、そのレシピでの醸造を既存の日本酒メーカーに委託する。日本酒醸造に新規参入するにはこの手法か、ないしは記事にあるように既存の日本酒メーカーの M&A しかないわけです。

そのWAKAZEは、フランスに自前の醸造所をつくり、フランスの米と水を使った "SAKE" の醸造に乗り出しています。

(プレスリリース)

日本酒スタートアップ 株式会社WAKAZE(本社:山形県鶴岡市 代表取締役CEO:稲川琢磨)は、フランス・パリ近郊フレンヌ市に酒蔵「Kura Grand Paris(クラ・グラン・パリ)」を設立し、11月15日(金)より現地の水・南仏カマルグ地方の米を用いて醸造を開始しました。今後欧州でのワインイベントにも醸造酒を出品し、ヨーロッパ内でのSAKE認知向上を目指します。

株式会社WAKAZE
2019年11月20日

WAKAZEは日本酒醸造への新規参入を、日本ではなくフランスで果たしたわけです。おそらく WAKAZE の稲川CEO は、日本の素材で日本で造った "和食に合う日本酒" をフランスに輸出することもしたいはずです。フランスで日本料理を出す店は、パリを中心にたくさんあるからです。しかしその日本酒は日本では売れない。「日本で売られていない "和食に合う日本酒" をフランスで売る意味があるのか」というのが、日経新聞に書かれている稲川CEOの疑問でしょう。

日本酒の大手メーカーは既得権益を守るために、天下り官僚を使って新規参入を阻止する。おそらく、そのことよって日本酒の出荷量はますます低下し、負のスパイラルに陥る ・・・・・・。記事にある萬乗醸造の社長が言うように、まさに新規参入を閉ざす業界は未来も閉ざされてしまうのですね。

この日本酒の話は、構造改革ができずに経済の停滞(ないしは凋落)を招いている日本の象徴だと思いました。

(2020.2.17)



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