No.377 - 私には恋人があるの [文化]
このブログでは「言葉の使い方が時とともに変化する」という視点の記事をいくつか書きました。多くは「語彙や意味の変化」に関するもので、
No.144 - 全然OK
No.145 - とても嬉しい
No.147 - 超、気持ちいい
No.362 - ボロクソほめられた
が相当します。ここでは、"全然"、"とても"、"超"、"めちゃ"、"ぼろくそ" などをとりあげました。それ以外に「文法の歴史的変遷」に関する記事もあって、
No.146「お粥なら食べれる」
です。この記事の中では "可能" を示す表現の変遷をたどりました。
我々は言葉によって考えています。その結果、言葉は人の認知能力に影響を与えます(No49, No.50, No.139, No.140, No.141, No.142, No.143)。また、風景や絵を見るときも、その全体や部分に言葉を割り当て、その言葉によっても記憶します。言葉は我々の認識・思考・発想・記憶を豊かにすると同時に、制約します。言葉には関心を持たざるを得ないのです。
今回は、そういった一連の記事の継続で、「文法の歴史的変遷」の例を取り上げます。
日本経済新聞の "春秋"
2024年8月11日の日本経済新聞の朝刊コラム "春秋" は、日本国語大辞典(小学館。1972年刊行開始)の改訂作業が始まるというテーマでした。2032年を目指した改訂とのことです。日本国語大辞典は、略称 "日国(ニッコク)" で、全13巻、収録語数50万、記紀から現代文学までの用例100万という大規模なものです。市立図書館には必ずあるので、私も何回かお世話になっています。
日本経済新聞のコラムの出だしは「私には、恋人があるの」という文学作品の引用から始まっていました。前半の部分を引用します。
要するに、現代では生物について「いる」と言うが、生物に「ある」を使った例が古事記から歌舞伎まで、日本国語大辞典にはズラッとあり、太宰治の文章もそれにつながるもの、というわけです。
コラムはこの前半に続いて、ニッコクの改訂が始まるという本題に移るのですが、上の引用にある「いる」「ある」の使い分けに興味を惹かれました。
「恋人があるの」に "ちょっと違和感をもつ"、とコラムの筆者は書いています。確かに違和感があって、「恋人がいるの」が今では普通でしょう。しかし現代でも「人がある」という言い方が許容される、ないしは「いる」より「ある」の方が適切なケースがあると考えられます。たとえば、コラムにある「病気の母がある」ですが、
の「ある」は許容範囲ではないでしょうか。事実を "客観的に、淡々と" 言うには「ある」が適している場合があると思うのです。もちろん「いる」も OK です。しかし「いる」だと、「介護のことがあるので ・・・・・・」とか、「いつ何時、呼び出しがあるかわからないので ・・・・・・」といった、"病気という事実以上の、母との関係性についての含意" が匂うと思うのです。
これは許容できる思います。シンプルに家族構成を述べている文だからです。
調査結果をそのまま述べています。価値判断なしに "存在するという事実" を言っている。しかし、"6割の人が本を全く読まないのは全く嘆かわしい" という含意があるなら、
の方がより適切な感じがします。
個人の言語感覚で書きましたが、以上のケースでも「ある」はおかしい、「いる」にすべきとの感覚の人もいるでしょう。また、「いる」にすべきとまでは思わなくても、「ある」には違和感を感じるという人もいると思います。
今回はこの「ある・いる」について書きます。実はこの使い分けの背景には、数百年にわたる日本語文法の変化の歴史があるのです。
日本語の存在文
ヒトやモノが存在することを示す文を「存在文」と言います。「私には、恋人があるの」は存在文の一種です。「ある・いる」を存在動詞と言います。そして存在文について考察するとき、主語となる名詞(例では "恋人")が関係してきます。
日本語の文法では、名詞について「有生」か「無生」かという区別があります。有生とは「生きている(と感じられる)」ということであり、無生はその反対です。一般に人や動物は有生であり(=有生物)、モノは無生(=無生物)です。植物は無生物とするのが一般的です。
「有情」と「無情」という言い方もあります。有情とは「感情をもつ」というこで、無情はその反対です。この方が一般的かもしれませんが、後で引用する金水先生の本に「有生・無生」とあるので、以降、それを使います。日本語の(現代の)存在文では、
有生物主語では「いる」
無生物主語では「ある」
を使うのが普通です。否定まで含めると「いる・いない」と「ある・ない」です。日本経済新聞のコラムで「生物か無生物かで使い分ける」となっていたところです。人や動物は有生と書きましたが、必ずしもそれだけではありません。たとえば、
駅に着くと、運良くタクシーがいた
のような言い方は普通です。特にタクシーは動くし、運転手さんが乗っているので、有生物と見なすのが容易です。
以上の日本語文法の原則を適用すると、現代では「私には、恋人がいるの」となります。太宰治の「斜陽」が雑誌に掲載され本として刊行されたのは1947年で、今から75年以上前です。つまり、
というわけです。つまり歴史的に文法が変化した。しかし、コトはそう単純ではありません。現代でも有生物主語に「ある」が許容される例があるからです。たとえば、
とすると、このケースの「ある」には確かに違和感があります。しかし、
は、両者が許されるのではないでしょうか。この会話文は、孫が「いる・いない」というより、「彼女は若くして結婚し子供を生んだ」ということに(暗黙に)焦点が当たっています。だから「ある」の許容度が高いのだと思われます。
また、年代によって違うと思いますが、「私には、恋人があるの」に違和感がないという人が現在でもいるはずです。
とにかく「ある・いる」の使い分けのような基本的な文法は、75年程度で完全に変化するわけではなく、徐々に進んでいくはずです。それでは、75年程度の時間軸ではなく、数百年の長いスパンで見たらどうなるか。実は、その長いスパンにおける文法の変遷が、現代の「ある」「いる」の使い分けや、「違和感がある・違和感がない」につながっています。これが今回の主題です。
日本語存在表現の歴史
以降は、金水 敏・著「日本語存在表現の歴史」(ひつじ書房 2006。以下「本書」)に沿って、「ある」と「いる」の歴史を要約します。金水 敏氏は大阪大学教授(出版当時)で、以前、このブログの No.324「役割語というバーチャル日本語」でも登場いただきました。「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」(岩波書店 2003)という著書があるように役割語の研究で有名ですが、日本語文法の歴史の研究者でもあり「日本語存在表現の歴史」はその研究成果をまとめられたものです。
なお、日本語の存在動詞には「ある」「いる」以外に、「いる」の意味で使われる「おる」があります。「おる」は、現代の共通語では単独で使われることはなく、
などに残るだけですが、地域語(いわゆる方言)では存在動詞として普通に使われます。すでに 1967年の段階で国立国語研究所は「あそこに人が ◯◯」という文型おける存在動詞の地域分布を調査しました。それによると、東日本(静岡・長野・新潟より東)は「いる」、西日本(愛知・岐阜・富山より西)は「おる」で、「いる」「おる」は東西で分布が分かれる典型的な例です。ただし西日本でも、大阪、京都南部、滋賀の一部には「いる」が分布しています(大阪で実際に多く使われるのは変化形の「いてる」)。また和歌山の一部では「ある」を使います。つまり有生物主語の存在動詞に「ある」を使う地域もあるということです。
このように「いる」と「おる」は、日本語の存在表現を研究する上での重要な問題であり、本書でも多くのページが割かれていますが、今回は現代の共通語である「ある・いる」に絞ります。
存在表現の分類
「ある・いる」の使い分けを歴史的にみるとき、存在表現を3つに分類するのが妥当です。空間的存在文、限量的存在文、所有文の3つです。
空間的存在文
主語が指示する存在対象と物理空間の結びつきを表現する存在表現です。
子供が公園にいる
空間的存在文では、有生物主語で「ある」は認められません。
子供が公園にある(×)
もちろん、無生物主語では「ある」です。
限量的存在文
"限量的存在文" とは難しそうな言葉ですが、集合の中に、限られた量の部分集合が存在することを示す文です。
授業中に寝ている学生がいる
これは、授業に出席している学生(=集合)の中に、寝ている学生(=部分集合)が存在すること言っています。"部分集合文" といった方がわかりやすいかもしれません。限量的存在文では有生物主語であっても「ある」が許される、というのが本書の著者の言語感覚です。
授業中に寝ている学生がある
ただし、そうではない、「いる」でないとおかしいとの言語感覚をもつ人が、特に若い人を中心に多くなったと著者は言っています。
所有文
(人は)◯◯ をもっている
という意味内容を、
(人には)◯◯ が{ある/いる}
というように、◯◯ を主語にした存在表現で表すのが所有文です。◯◯ には親族・友人・仲間・恋人などの人(=有生物)や、身体の部位、罹患している病気、精神のありよう(気概とかプライド、勇気など)が入ります。人を "所有" というのは違和感がありますが、あくまで文法用語です。日本経済新聞のコラムの「私には、恋人があるの」は、まさしく所有文でした。
所有文では、主語(ガ格の名詞)が有生であっても、「ある・ない」も「いる・いない」も使えるのが特徴です。
私は子供がいません
子供がいない夫婦も多い。
私は子供がありません
子供がない夫婦も多い。
ただし、「私には、恋人があるの」に違和感をもつ人がいるのも事実であり、また文型によっては「ある」が許容し難いケースがあります。たとえば、場所を示す修飾語がつくような場合です。
私には婚約者がいる
私には婚約者がある
私には北海道に婚約者がある(×)
最後の例は、「いる」だけが許される空間的存在文との類似が顕著だからでしょう。
本書の考察によると、「ある・いる」の使い分け、ないしは有生物の主語について「ある」が許容できるかに関しては、所有文は限量的存在文と非常に近い関係にあります。そのため、以降の歴史的変遷の表では所有文は限量的存在文に含めます。
これ以降は、本書よる「ある・いる」の歴史的変遷の要約です。この使い分けは5段階で変化してきたというのが本書の眼目です。
第1段階:古代から鎌倉時代まで
そもそも鎌倉時代までは、すべての存在表現は「あり」(現代の "ある")を使っていました。表にすると次の通りです。
第1段階
あえて2×2の表を使うのは、以降の第5段階までを統一的に表すためです。この形の表では、所有文の「ある・いる」の使い分けは限量的存在文のところに含めて表現します。
第2段階:「いる」の出現
日本語では古代から「ゐる」という言葉がありました。「ゐる」を人に使うとき、典型的な意味は「座る」で、「立つ」の対立概念です。つまり、
「立つ」
運動が始動し、対象が移動を始める
「ゐる」
運動が平静化し、対象がその場に固着する
というのが基本的な意味です。これらは "変化動詞" であり、単独の動詞だけでは継続的な意味を表しません。また、有生物、無生物の両方に使えました。
現代の共通語でも「立つ」は運動が始動する意味で使います。また、人だけでなく無生物にも使います。
などです。「風立ちぬ」という堀辰雄の有名な小説もありました。
一方の「ゐる(いる)」は、現代共通語では「運動が平静化し、対象がその場に固着する」という意味では使いません。つまり、主語が人の場合、"座る" の意味の "変化動詞" としては使わない。しかし慣用句には残っていて「いてもたっても」がそうです。これは「座っても、立っても」の意味です。
この「ゐる(いる)」が、室町時代の15世紀~16世紀に継続的な存在を意味するように変化し、存在動詞として使われるようになりました。
「天草版平家物語」という文献があります。これは1593年にイエズス会が出版したキリシタン資料で、平家物語を当時の口語に翻訳したものです。ポルトガル式のローマ字で書かれています。本書ではこの「天草版・平家物語」を原本の平家物語と付き合わせて、存在動詞を詳細に分析しています。それによると、
ということが分かりました。表にすると次の通りです。
第2段階
つまり、有生物主語の空間的存在文に「いる」が入り込み、この領域を「ある」と分け合ったということになります。なお「ある」は「あり」の連用形を終止形にも使うように変化したものです。
第3段階:「いる」の拡大1
江戸時代前期の存在表現を調べるために、著者は近松門左衛門の浄瑠璃を分析しました。「曾根崎心中」「心中天の網島」「女殺油地獄」などの13作品(1703年~1722年に発表)です。これらの近松作品では、有生物の空間的存在文だけで「いる」「ある」が併用され、他は「ある」でした。つまり、第2段階(天草版平家物語)と同じ使い方です。
次に、江戸時代後期の上方の洒落本、20作品(1756年~1826年)を分析すると、有生物の空間的存在文では「いる」だけが使われていました。限量的存在文(と所有文)では第2段階と同じ「ある」だけです。表にすると次の通りです。
第3段階
さらに江戸後期の資料として、本居宣長が1797年に著した「古今集遠鏡」も分析しました。この資料は、古今集のすべての歌を当時の京都の口語に翻訳したものです。この資料でも第3段階の使い方(上表)がされていました。
つまり、室町時代に存在表現に使われ出した「いる」は、江戸後期に至って有生物の空間的存在文は「いる」との使い方が固まったことになります。
第4段階:「いる」の拡大2
明治時代になってからの資料として、夏目漱石の「三四郎」(1908)が分析されています。次の表は有生物主語の存在動詞を分析したもので、所有文を別立てにし、また「ある」の否定形の「ない」の使用回数も数えられています。
第3段階からさらに進んで、限量的存在文に「いる」がかなり入り込んでいるのがわかります。マクロ的には次の表のようになります。
第4段階
第5段階:現代共通語
次に分析さているのは、向田邦子のテレビドラマの脚本「阿修羅のごとく」(1979 - 80年 放送)です。この脚本における、有生物主語の存在動詞の使用統計は次の通りです。
これをみると、限量的存在文と所有文における「ある」の使用が激減し、「いる」にとって代わられていることがわかります。ちなみに激減した「ある」ですが、所有文でなおかつ「ある」が使われている例の一つが次です。
さらに、2000年に発表された「関西・若年層における対話データ集」(大阪大学の真田信治教授)では、「ある」の使用が皆無になり「いる」だけになっています。つまり、次表で示す第5段階へと進んだわけです。向田邦子の「阿修羅のごとく」は "ほぼ第5段階" と言えます。
第5段階
著者は、現在(=本書の出版時点。2006年)の「ある」と「いる」について次のように述べています。
「文章語に親しんでいるかいないかによっても、この感覚は異なる」と書かれていますが、例えば、日常の口頭語としては「いる」を使っている人が、小説を読むのが好きで、半世紀前の作家の小説をよく読むとします。そこで「ある」が多用されていたとしたら、それに影響されて「ある」を使った文を書く、というようなことは大いにありうるはずです。
人の言語感覚は、家庭環境、小さいときからの教育、地域の人とのコミュニケーション、各種のメディア、読書など、多様なソースからの影響の中で形成されます。人それぞれに多様な言語感覚がある中で、日本語の変遷が徐々に進んでいくということでしょう。
存在表現の変遷
今まで、存在表現の分析を歴史順にあげましたが、これは本書の分析の一部を引用したに過ぎません。また本書では数々の先行研究の成果を調べ、それを踏まえて存在表現の変遷がまとめられています。それをごくマクロ的に表したのが、第1段階 ~ 第5段階でした。改めて順に掲げると次の通りです。
第1段階
第2段階
第3段階
第4段階
第5段階
もちろん、同時期に複数の段階の話者が混在します。直線的に進むわけでもないし、地域差もあります。しかし大づかみにとらえると、このような歴史的段階を経て文法が変化してきたわけです。
冒頭の日本経済新聞のコラムに戻ると、太宰治の「斜陽」に出てくる「私には、恋人があるの」という存在表現(所有文)は、第4段階ということになります。また、
とコラムにあるのは、古事記から江戸の歌舞伎までは第1段階から第3段階なので、「(人が)いる」の意味で「ある」を使うのは当然なのでした。
存在表現の変遷:その推進力
このような存在表現の変遷をもたらした推進力は何でしょうか。著者は2つの要因をあげています。一つは、言葉というものは「人間を特別扱いする傾向」があることです。日本語では、たとえば目的語によって、
つれていく(人)
もっていく(人以外)
のように動詞を使い分けます。副詞では、
おおぜい(人専用)
たくさん(人・モノ兼用)
と使い分けます。このような「人間を特別扱いする言語現象」は世界各地の言語にあります。
ただ日本語では、最も基本的な語彙である "存在動詞" において「人間の特別扱い」があるわけです。このような言語は、日本語以外ではシンハラ語(スリランカの公用語の一つ)ぐらいだと言われています。つまり非常に少ないのですが、「人間を特別扱いする言語現象」という観点に立てば、存在表現に有生・無生の使い分けがあってもよい。有生物は人間の拡大と考えればそうなります。
2番目は「体系の単純化」です。第2段階で有生物の空間的存在文に「いる」が入り込んで以降、「ある・いる」の混在を単純化する推進力が働き、最終的に第5段階で有生物は「いる」に統一され単純化された、と考えることができます。
この「人間の特別扱い」と「単純化」によって、現在の「ある・いる」の使い分けができたというのが著者の考えです。鎌倉時代までの「あり(ある)」だけの存在表現から、現在の「ある・いる」の使い分けまでは、およそ500年の時が流れています。この間、マクロ的に見れば1方向に "文法を変える推進力" が働いて今の姿になった、とまとめられるでしょう。
ここまでで、金水 敏・著「日本語存在表現の歴史」からの紹介を終わります。
日本語文法の一方向変化
金水 敏・著『日本語存在表現の歴史』の「ある・いる」の使い分けの変遷を読んで、以前に書いたこのブログの記事を思い出しました。No.146「お粥なら食べれる」です。
この記事では、井上史雄・著『日本語ウォッチング』(岩波新書 1998)に従って、「見れる、食べれる」などの "可能動詞" の歴史を紹介しました。それを復習すると以下の通りです。
日本語では動詞の「可能」を表現するのに「れる・られる」(古文では「る・らる」)を使うのが奈良時代以来の伝統です。その「れる・られる」は学校で習ったように、自発・受け身・尊敬・可能の4つの意味を持っています。しかし「可能」については「れる・られる」以外に、専用の形である「可能動詞」が発達してきました。
まず室町時代以降、「読む」などの五段活用動詞(以下、五段動詞。古文では四段活用)の一部で「読める」という言い方が出始めました。この動きは江戸時代に他の五段動詞、「走れる」「書ける」「動ける」などに広がり、明治時代を経て大正時代までには、多くの五段動詞において可能動詞が定着しました(もちろん可能動詞が不要な動詞もあるわけで、五段動詞全部というわけではありません)。
次に、カ行変格活用の動詞「来る」にこの動きが及び、可能動詞「来れる」が定着しました。
さらに昭和初期から「見る」「食べる」などの一段活用動詞(以下、一段動詞)に広まり、「見れる」「食べれる」という表現が出てきました。現代は一段動詞における可能動詞の形成の途中(初期)にあたる、というわけです。もちろん現在でも「見られる・食べられる」が正しい日本語とされ、「見れる・食べれる」は俗用とされています。
井上史雄・著『日本語ウォッチング』には、可能動詞の拡大過程を示す次の図が載っています。
この図の横軸は2100年より先までになっています。井上教授は「五段動詞での数百年単位のゆっくりした拡大ペースを考えると、一段動詞のすべてに "ラ抜き言葉 "が普及するには、かなり長い年数が必要だろう」と述べています。
可能動詞を形成してきた推進力は「意味の明晰化」でしょう。「単純化」の一つと言ってもよいと思います。この、可能動詞の形成過程と、存在表現における「ある・いる」の使い分けの2つは、
という点でそっくりです。現在、有生物に使う「ある」や、「見れる、食べれる」という言い方について、ある人はすんなりと受け入れ、ある人は違和感を覚え(ないしは間違いだと断定し)、それは世代によって違うことも多いわけです。その大きな理由は、背景に数百年にわたる日本語の変遷の歴史があるからでしょう。
誰がコントロールしたわけでもないのに、ある一定方向への変化が 500年にわたって脈々と続く ・・・・・・。こういう事実を前にすると、改めて言葉(日本語)は極めて大切な文化だという感を持ちます。
と同時に、変化を許容する必要性も感じます。新しい言葉使いや言葉の意味の変化は、出現したそれなりの理由があります。そういった新しい語彙や使い方は、自然と使われなくなって廃れるもの、長期間にわたって残るもの、日本語の体系に組み込まれて定着するものなどがあります。それは文化のありようによって、誰がコントロールしたわけでもないのに決まっていくのです。
No.144 - 全然OK
No.145 - とても嬉しい
No.147 - 超、気持ちいい
No.362 - ボロクソほめられた
が相当します。ここでは、"全然"、"とても"、"超"、"めちゃ"、"ぼろくそ" などをとりあげました。それ以外に「文法の歴史的変遷」に関する記事もあって、
No.146「お粥なら食べれる」
です。この記事の中では "可能" を示す表現の変遷をたどりました。
我々は言葉によって考えています。その結果、言葉は人の認知能力に影響を与えます(No49, No.50, No.139, No.140, No.141, No.142, No.143)。また、風景や絵を見るときも、その全体や部分に言葉を割り当て、その言葉によっても記憶します。言葉は我々の認識・思考・発想・記憶を豊かにすると同時に、制約します。言葉には関心を持たざるを得ないのです。
今回は、そういった一連の記事の継続で、「文法の歴史的変遷」の例を取り上げます。
日本経済新聞の "春秋"
2024年8月11日の日本経済新聞の朝刊コラム "春秋" は、日本国語大辞典(小学館。1972年刊行開始)の改訂作業が始まるというテーマでした。2032年を目指した改訂とのことです。日本国語大辞典は、略称 "日国(ニッコク)" で、全13巻、収録語数50万、記紀から現代文学までの用例100万という大規模なものです。市立図書館には必ずあるので、私も何回かお世話になっています。
日本経済新聞のコラムの出だしは「私には、恋人があるの」という文学作品の引用から始まっていました。前半の部分を引用します。
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要するに、現代では生物について「いる」と言うが、生物に「ある」を使った例が古事記から歌舞伎まで、日本国語大辞典にはズラッとあり、太宰治の文章もそれにつながるもの、というわけです。
コラムはこの前半に続いて、ニッコクの改訂が始まるという本題に移るのですが、上の引用にある「いる」「ある」の使い分けに興味を惹かれました。
「恋人があるの」に "ちょっと違和感をもつ"、とコラムの筆者は書いています。確かに違和感があって、「恋人がいるの」が今では普通でしょう。しかし現代でも「人がある」という言い方が許容される、ないしは「いる」より「ある」の方が適切なケースがあると考えられます。たとえば、コラムにある「病気の母がある」ですが、
彼女は病気の母があるので、泊まりがけの旅行には行かないでしょう。
の「ある」は許容範囲ではないでしょうか。事実を "客観的に、淡々と" 言うには「ある」が適している場合があると思うのです。もちろん「いる」も OK です。しかし「いる」だと、「介護のことがあるので ・・・・・・」とか、「いつ何時、呼び出しがあるかわからないので ・・・・・・」といった、"病気という事実以上の、母との関係性についての含意" が匂うと思うのです。
彼には男の子が1人、女の子が3人あって、全員が小学生です。
これは許容できる思います。シンプルに家族構成を述べている文だからです。
文化庁の調査によると、本を全く読まない人が6割以上ある。
調査結果をそのまま述べています。価値判断なしに "存在するという事実" を言っている。しかし、"6割の人が本を全く読まないのは全く嘆かわしい" という含意があるなら、
文化庁の調査によると、本を全く読まない人が、何と、6割以上もいる。
の方がより適切な感じがします。
個人の言語感覚で書きましたが、以上のケースでも「ある」はおかしい、「いる」にすべきとの感覚の人もいるでしょう。また、「いる」にすべきとまでは思わなくても、「ある」には違和感を感じるという人もいると思います。
今回はこの「ある・いる」について書きます。実はこの使い分けの背景には、数百年にわたる日本語文法の変化の歴史があるのです。
日本語の存在文
ヒトやモノが存在することを示す文を「存在文」と言います。「私には、恋人があるの」は存在文の一種です。「ある・いる」を存在動詞と言います。そして存在文について考察するとき、主語となる名詞(例では "恋人")が関係してきます。
日本語の文法では、名詞について「有生」か「無生」かという区別があります。有生とは「生きている(と感じられる)」ということであり、無生はその反対です。一般に人や動物は有生であり(=有生物)、モノは無生(=無生物)です。植物は無生物とするのが一般的です。
「有情」と「無情」という言い方もあります。有情とは「感情をもつ」というこで、無情はその反対です。この方が一般的かもしれませんが、後で引用する金水先生の本に「有生・無生」とあるので、以降、それを使います。日本語の(現代の)存在文では、
有生物主語では「いる」
無生物主語では「ある」
を使うのが普通です。否定まで含めると「いる・いない」と「ある・ない」です。日本経済新聞のコラムで「生物か無生物かで使い分ける」となっていたところです。人や動物は有生と書きましたが、必ずしもそれだけではありません。たとえば、
駅に着くと、運良くタクシーがいた
のような言い方は普通です。特にタクシーは動くし、運転手さんが乗っているので、有生物と見なすのが容易です。
以上の日本語文法の原則を適用すると、現代では「私には、恋人がいるの」となります。太宰治の「斜陽」が雑誌に掲載され本として刊行されたのは1947年で、今から75年以上前です。つまり、
1947年の時点では「私には、恋人があるの」が普通の言い方、ないしは十分許容される言い方だったが、 | |
現在では「私には、恋人がいるの」が普通である |
というわけです。つまり歴史的に文法が変化した。しかし、コトはそう単純ではありません。現代でも有生物主語に「ある」が許容される例があるからです。たとえば、
私には娘がいる | |
私には娘がある(?) |
とすると、このケースの「ある」には確かに違和感があります。しかし、
彼女は40歳そこそこだけど、もう、お孫さんがあるのよ | |
彼女は40歳そこそこだけど、もう、お孫さんがいるのよ |
は、両者が許されるのではないでしょうか。この会話文は、孫が「いる・いない」というより、「彼女は若くして結婚し子供を生んだ」ということに(暗黙に)焦点が当たっています。だから「ある」の許容度が高いのだと思われます。
また、年代によって違うと思いますが、「私には、恋人があるの」に違和感がないという人が現在でもいるはずです。
とにかく「ある・いる」の使い分けのような基本的な文法は、75年程度で完全に変化するわけではなく、徐々に進んでいくはずです。それでは、75年程度の時間軸ではなく、数百年の長いスパンで見たらどうなるか。実は、その長いスパンにおける文法の変遷が、現代の「ある」「いる」の使い分けや、「違和感がある・違和感がない」につながっています。これが今回の主題です。
日本語存在表現の歴史
以降は、金水 敏・著「日本語存在表現の歴史」(ひつじ書房 2006。以下「本書」)に沿って、「ある」と「いる」の歴史を要約します。金水 敏氏は大阪大学教授(出版当時)で、以前、このブログの No.324「役割語というバーチャル日本語」でも登場いただきました。「ヴァーチャル日本語 役割語の謎」(岩波書店 2003)という著書があるように役割語の研究で有名ですが、日本語文法の歴史の研究者でもあり「日本語存在表現の歴史」はその研究成果をまとめられたものです。
なお、日本語の存在動詞には「ある」「いる」以外に、「いる」の意味で使われる「おる」があります。「おる」は、現代の共通語では単独で使われることはなく、
おれらます(尊敬語)
| |||
おります(丁寧語、謙譲語)
|
|
このように「いる」と「おる」は、日本語の存在表現を研究する上での重要な問題であり、本書でも多くのページが割かれていますが、今回は現代の共通語である「ある・いる」に絞ります。
存在表現の分類
「ある・いる」の使い分けを歴史的にみるとき、存在表現を3つに分類するのが妥当です。空間的存在文、限量的存在文、所有文の3つです。
空間的存在文
主語が指示する存在対象と物理空間の結びつきを表現する存在表現です。
子供が公園にいる
空間的存在文では、有生物主語で「ある」は認められません。
子供が公園にある(×)
もちろん、無生物主語では「ある」です。
限量的存在文
"限量的存在文" とは難しそうな言葉ですが、集合の中に、限られた量の部分集合が存在することを示す文です。
授業中に寝ている学生がいる
これは、授業に出席している学生(=集合)の中に、寝ている学生(=部分集合)が存在すること言っています。"部分集合文" といった方がわかりやすいかもしれません。限量的存在文では有生物主語であっても「ある」が許される、というのが本書の著者の言語感覚です。
授業中に寝ている学生がある
ただし、そうではない、「いる」でないとおかしいとの言語感覚をもつ人が、特に若い人を中心に多くなったと著者は言っています。
所有文
(人は)◯◯ をもっている
という意味内容を、
(人には)◯◯ が{ある/いる}
というように、◯◯ を主語にした存在表現で表すのが所有文です。◯◯ には親族・友人・仲間・恋人などの人(=有生物)や、身体の部位、罹患している病気、精神のありよう(気概とかプライド、勇気など)が入ります。人を "所有" というのは違和感がありますが、あくまで文法用語です。日本経済新聞のコラムの「私には、恋人があるの」は、まさしく所有文でした。
所有文では、主語(ガ格の名詞)が有生であっても、「ある・ない」も「いる・いない」も使えるのが特徴です。
私は子供がいません
子供がいない夫婦も多い。
私は子供がありません
子供がない夫婦も多い。
ただし、「私には、恋人があるの」に違和感をもつ人がいるのも事実であり、また文型によっては「ある」が許容し難いケースがあります。たとえば、場所を示す修飾語がつくような場合です。
私には婚約者がいる
私には婚約者がある
私には北海道に婚約者がある(×)
最後の例は、「いる」だけが許される空間的存在文との類似が顕著だからでしょう。
本書の考察によると、「ある・いる」の使い分け、ないしは有生物の主語について「ある」が許容できるかに関しては、所有文は限量的存在文と非常に近い関係にあります。そのため、以降の歴史的変遷の表では所有文は限量的存在文に含めます。
これ以降は、本書よる「ある・いる」の歴史的変遷の要約です。この使い分けは5段階で変化してきたというのが本書の眼目です。
第1段階:古代から鎌倉時代まで
そもそも鎌倉時代までは、すべての存在表現は「あり」(現代の "ある")を使っていました。表にすると次の通りです。
第1段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | あり | あり |
無生物主語 | あり | あり |
あえて2×2の表を使うのは、以降の第5段階までを統一的に表すためです。この形の表では、所有文の「ある・いる」の使い分けは限量的存在文のところに含めて表現します。
第2段階:「いる」の出現
日本語では古代から「ゐる」という言葉がありました。「ゐる」を人に使うとき、典型的な意味は「座る」で、「立つ」の対立概念です。つまり、
「立つ」
運動が始動し、対象が移動を始める
「ゐる」
運動が平静化し、対象がその場に固着する
というのが基本的な意味です。これらは "変化動詞" であり、単独の動詞だけでは継続的な意味を表しません。また、有生物、無生物の両方に使えました。
現代の共通語でも「立つ」は運動が始動する意味で使います。また、人だけでなく無生物にも使います。
霧がたつ、波がたつ、塵がたつ、煙がたつ、匂いがたつ、噂がたつ
などです。「風立ちぬ」という堀辰雄の有名な小説もありました。
一方の「ゐる(いる)」は、現代共通語では「運動が平静化し、対象がその場に固着する」という意味では使いません。つまり、主語が人の場合、"座る" の意味の "変化動詞" としては使わない。しかし慣用句には残っていて「いてもたっても」がそうです。これは「座っても、立っても」の意味です。
この「ゐる(いる)」が、室町時代の15世紀~16世紀に継続的な存在を意味するように変化し、存在動詞として使われるようになりました。
「天草版平家物語」という文献があります。これは1593年にイエズス会が出版したキリシタン資料で、平家物語を当時の口語に翻訳したものです。ポルトガル式のローマ字で書かれています。本書ではこの「天草版・平家物語」を原本の平家物語と付き合わせて、存在動詞を詳細に分析しています。それによると、
有生物主語の空間的存在文に「いる」が多く使われている。ただし、「ある」も使われていて、その使用回数は「いる」より少ない(いる:53。ある:15) | |
限量的存在文に「いる」が使われることはなく、「ある」だけが使われている。 |
ということが分かりました。表にすると次の通りです。
第2段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる、ある | ある |
無生物主語 | ある | ある |
つまり、有生物主語の空間的存在文に「いる」が入り込み、この領域を「ある」と分け合ったということになります。なお「ある」は「あり」の連用形を終止形にも使うように変化したものです。
第3段階:「いる」の拡大1
江戸時代前期の存在表現を調べるために、著者は近松門左衛門の浄瑠璃を分析しました。「曾根崎心中」「心中天の網島」「女殺油地獄」などの13作品(1703年~1722年に発表)です。これらの近松作品では、有生物の空間的存在文だけで「いる」「ある」が併用され、他は「ある」でした。つまり、第2段階(天草版平家物語)と同じ使い方です。
次に、江戸時代後期の上方の洒落本、20作品(1756年~1826年)を分析すると、有生物の空間的存在文では「いる」だけが使われていました。限量的存在文(と所有文)では第2段階と同じ「ある」だけです。表にすると次の通りです。
第3段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | ある |
無生物主語 | ある | ある |
さらに江戸後期の資料として、本居宣長が1797年に著した「古今集遠鏡」も分析しました。この資料は、古今集のすべての歌を当時の京都の口語に翻訳したものです。この資料でも第3段階の使い方(上表)がされていました。
つまり、室町時代に存在表現に使われ出した「いる」は、江戸後期に至って有生物の空間的存在文は「いる」との使い方が固まったことになります。
第4段階:「いる」の拡大2
明治時代になってからの資料として、夏目漱石の「三四郎」(1908)が分析されています。次の表は有生物主語の存在動詞を分析したもので、所有文を別立てにし、また「ある」の否定形の「ない」の使用回数も数えられています。
存在文 |
存在文 |
|||
いる | 80 | 18 | 1 | 99 |
ある | 0 | 39 | 3 | 42 |
ない | 0 | 8 | 1 | 9 |
計 | 80 | 65 | 5 | 150 |
第3段階からさらに進んで、限量的存在文に「いる」がかなり入り込んでいるのがわかります。マクロ的には次の表のようになります。
第4段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | ある、いる |
無生物主語 | ある | ある |
第5段階:現代共通語
次に分析さているのは、向田邦子のテレビドラマの脚本「阿修羅のごとく」(1979 - 80年 放送)です。この脚本における、有生物主語の存在動詞の使用統計は次の通りです。
存在文 |
存在文 |
|||
いる | 43 | 25 | 40 | 108 |
ある | 0 | 1 | 4 | 5 |
ない | 0 | 3 | 3 | 6 |
計 | 43 | 29 | 47 | 119 |
これをみると、限量的存在文と所有文における「ある」の使用が激減し、「いる」にとって代わられていることがわかります。ちなみに激減した「ある」ですが、所有文でなおかつ「ある」が使われている例の一つが次です。
綱子「あの人、だれ。いつからつきあってるの。妻子のある人じゃないの」
さらに、2000年に発表された「関西・若年層における対話データ集」(大阪大学の真田信治教授)では、「ある」の使用が皆無になり「いる」だけになっています。つまり、次表で示す第5段階へと進んだわけです。向田邦子の「阿修羅のごとく」は "ほぼ第5段階" と言えます。
第5段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | いる |
無生物主語 | ある | ある |
著者は、現在(=本書の出版時点。2006年)の「ある」と「いる」について次のように述べています。
|
「文章語に親しんでいるかいないかによっても、この感覚は異なる」と書かれていますが、例えば、日常の口頭語としては「いる」を使っている人が、小説を読むのが好きで、半世紀前の作家の小説をよく読むとします。そこで「ある」が多用されていたとしたら、それに影響されて「ある」を使った文を書く、というようなことは大いにありうるはずです。
人の言語感覚は、家庭環境、小さいときからの教育、地域の人とのコミュニケーション、各種のメディア、読書など、多様なソースからの影響の中で形成されます。人それぞれに多様な言語感覚がある中で、日本語の変遷が徐々に進んでいくということでしょう。
存在表現の変遷
今まで、存在表現の分析を歴史順にあげましたが、これは本書の分析の一部を引用したに過ぎません。また本書では数々の先行研究の成果を調べ、それを踏まえて存在表現の変遷がまとめられています。それをごくマクロ的に表したのが、第1段階 ~ 第5段階でした。改めて順に掲げると次の通りです。
第1段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | あり | あり |
無生物主語 | あり | あり |
第2段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる、ある | ある |
無生物主語 | ある | ある |
第3段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | ある |
無生物主語 | ある | ある |
第4段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | ある、いる |
無生物主語 | ある | ある |
第5段階
空間的存在文 | 限量的存在文 | |
有生物主語 | いる | いる |
無生物主語 | ある | ある |
もちろん、同時期に複数の段階の話者が混在します。直線的に進むわけでもないし、地域差もあります。しかし大づかみにとらえると、このような歴史的段階を経て文法が変化してきたわけです。
冒頭の日本経済新聞のコラムに戻ると、太宰治の「斜陽」に出てくる「私には、恋人があるの」という存在表現(所有文)は、第4段階ということになります。また、
日本国語大辞典に)古事記から竹取物語、枕草子、徒然草、さらには江戸時代前期の歌舞伎まで、「いる」の意味の用例がずらりと並ぶ |
とコラムにあるのは、古事記から江戸の歌舞伎までは第1段階から第3段階なので、「(人が)いる」の意味で「ある」を使うのは当然なのでした。
存在表現の変遷:その推進力
このような存在表現の変遷をもたらした推進力は何でしょうか。著者は2つの要因をあげています。一つは、言葉というものは「人間を特別扱いする傾向」があることです。日本語では、たとえば目的語によって、
つれていく(人)
もっていく(人以外)
のように動詞を使い分けます。副詞では、
おおぜい(人専用)
たくさん(人・モノ兼用)
と使い分けます。このような「人間を特別扱いする言語現象」は世界各地の言語にあります。
ただ日本語では、最も基本的な語彙である "存在動詞" において「人間の特別扱い」があるわけです。このような言語は、日本語以外ではシンハラ語(スリランカの公用語の一つ)ぐらいだと言われています。つまり非常に少ないのですが、「人間を特別扱いする言語現象」という観点に立てば、存在表現に有生・無生の使い分けがあってもよい。有生物は人間の拡大と考えればそうなります。
2番目は「体系の単純化」です。第2段階で有生物の空間的存在文に「いる」が入り込んで以降、「ある・いる」の混在を単純化する推進力が働き、最終的に第5段階で有生物は「いる」に統一され単純化された、と考えることができます。
この「人間の特別扱い」と「単純化」によって、現在の「ある・いる」の使い分けができたというのが著者の考えです。鎌倉時代までの「あり(ある)」だけの存在表現から、現在の「ある・いる」の使い分けまでは、およそ500年の時が流れています。この間、マクロ的に見れば1方向に "文法を変える推進力" が働いて今の姿になった、とまとめられるでしょう。
ここまでで、金水 敏・著「日本語存在表現の歴史」からの紹介を終わります。
日本語文法の一方向変化
金水 敏・著『日本語存在表現の歴史』の「ある・いる」の使い分けの変遷を読んで、以前に書いたこのブログの記事を思い出しました。No.146「お粥なら食べれる」です。
この記事では、井上史雄・著『日本語ウォッチング』(岩波新書 1998)に従って、「見れる、食べれる」などの "可能動詞" の歴史を紹介しました。それを復習すると以下の通りです。
|
まず室町時代以降、「読む」などの五段活用動詞(以下、五段動詞。古文では四段活用)の一部で「読める」という言い方が出始めました。この動きは江戸時代に他の五段動詞、「走れる」「書ける」「動ける」などに広がり、明治時代を経て大正時代までには、多くの五段動詞において可能動詞が定着しました(もちろん可能動詞が不要な動詞もあるわけで、五段動詞全部というわけではありません)。
次に、カ行変格活用の動詞「来る」にこの動きが及び、可能動詞「来れる」が定着しました。
さらに昭和初期から「見る」「食べる」などの一段活用動詞(以下、一段動詞)に広まり、「見れる」「食べれる」という表現が出てきました。現代は一段動詞における可能動詞の形成の途中(初期)にあたる、というわけです。もちろん現在でも「見られる・食べられる」が正しい日本語とされ、「見れる・食べれる」は俗用とされています。
井上史雄・著『日本語ウォッチング』には、可能動詞の拡大過程を示す次の図が載っています。
可能動詞の拡大過程 |
井上史雄「日本語ウォッチング」より。可能動詞の成立は数百年にわたる日本語の変化のプロセスであり、現在は一段動詞の初期段階にあたる。この図は、動詞によって成立時期が違うことも表している。 |
この図の横軸は2100年より先までになっています。井上教授は「五段動詞での数百年単位のゆっくりした拡大ペースを考えると、一段動詞のすべてに "ラ抜き言葉 "が普及するには、かなり長い年数が必要だろう」と述べています。
可能動詞を形成してきた推進力は「意味の明晰化」でしょう。「単純化」の一つと言ってもよいと思います。この、可能動詞の形成過程と、存在表現における「ある・いる」の使い分けの2つは、
室町時代に始まった日本語文法の変化が、ある一定の方向に進み、当初とはかなり違った姿になって現代に至っている
という点でそっくりです。現在、有生物に使う「ある」や、「見れる、食べれる」という言い方について、ある人はすんなりと受け入れ、ある人は違和感を覚え(ないしは間違いだと断定し)、それは世代によって違うことも多いわけです。その大きな理由は、背景に数百年にわたる日本語の変遷の歴史があるからでしょう。
誰がコントロールしたわけでもないのに、ある一定方向への変化が 500年にわたって脈々と続く ・・・・・・。こういう事実を前にすると、改めて言葉(日本語)は極めて大切な文化だという感を持ちます。
と同時に、変化を許容する必要性も感じます。新しい言葉使いや言葉の意味の変化は、出現したそれなりの理由があります。そういった新しい語彙や使い方は、自然と使われなくなって廃れるもの、長期間にわたって残るもの、日本語の体系に組み込まれて定着するものなどがあります。それは文化のありようによって、誰がコントロールしたわけでもないのに決まっていくのです。
2024-09-28 13:48
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