No.374 - マイノリティは過小評価される [科学]
No.347「少なくともひとりは火曜日生まれの女の子」は、偶然の出来事が起こる "確率" を考えることは人間にとって難しい、というテーマでした。イギリスの著名な数学者、イアン・スチュアートは次のように書いています。
スチュアートの本には次のような設問が載っていました。前提として、女の子と男の子は等しい確率で生まれてくるとします。また、赤ちゃんが生まれる曜日は、日・月・火・水・木・金・土、で同じ確率とします。
① の正解は \(\tfrac{1}{4}=0.25\) ですが、\(\tfrac{1}{3}\) と間違う人がいそうです(2人の子どもには、女女、女男、男男、の3パターンがあって、女女はそのうちの一つと考えてしまう)。
② のように「少なくとも一人は」などという条件が付くと難しくなります。正解は \(\tfrac{1}{3}\fallingdotseq 0.33\) です。
さらに ③ の ような複雑な条件になると、正解は不可能と言ってよいでしょう。③ の正解は \(\tfrac{13}{27}\fallingdotseq 0.48\) です。我々の直感では、「③の確率」は「②の確率」とイコール(ないしは同程度)ですが、正しい答えは "②とは全然違う" のです。
かなり難しい設問ですが(特に ③)、要するにスチュアートの言いたいことは「偶然の出来事が起こる確率を(素早く)推定するのは難しい」ということであり、平たく言うと「確率は難しい」ということです。それを言いたいがために、上の "ややこしい" 設問を作ったわけです。
ところで最近の新聞に確率は難しいことを如実に示す記事が掲載されました。それは「2人とも女の子問題」よりずっと簡単な確率ですが、それでも難しい。その記事は以下です。
性的少数者は過小視される
2024年7月23日の朝日新聞(夕刊)に、新潟大学の新美亮輔准教授の研究を取材した記事が掲載されました。見出しは、
「マイノリティー」少なく見積もる傾向
で、次のように始まります。
人には「マイノリティーの人が周囲にはいない」と思い込む傾向があり、それを確率の観点から実験を行って考察しようというのが主題です。具体的な設問と回答の例が以下です。
設問を簡潔に言うと、
となります。正解の計算方法は記事にありますが、それを求めると、
であり、上の引用のように「正解は89%」となります。しかし新美准教授の設問は電卓を使わずに答えて下さいということでしょう。暗算でできそうな範囲で、ざっと見積もるとどうなるか。
30人クラスの7% は約2人です。30人クラスが多数あった場合、① 同性愛者・両性愛者が2人いるクラスが最も多く、② 1人/3人のクラスがそれより少なく、③ 0人/4人のクラスがさらに少ない。仮に、①:②:③のクラス数の相対比率を 3:2:1 とすると、1人以上のクラスは9クラス(3+2+2+1+1)のうちの8クラスであり、9割程度のクラスで同性愛者・両性愛者が少なくとも一人いることになります。もちろん 3:2:1 は恣意的に決めただけなので、4:3:2 でもよいわけです(その場合は14クラスのうちの12クラス)。とにかく、かなりの高い確率で(ないしは、ほぼ間違いなく)30人クラスには同性愛者・両性愛者がいると見積もれます。
ただしこの設問は「暗算での見積もり」をするかどうかはともかく、直感で答えるのが主眼でしょう。直感で答えるとどうなるかがポイントです。
以上を踏まえて、新美准教授の調査を検討すると、最も多かった回答は 2% とあります。おそらくですが、2% と回答した人は設問の「1人でもいる確率」の意味が分からなかったのだろうと思います。もしくは「確率」の意味が分からなかった。意味が分からないので、設問にある数字である30(人)と 0.07(7%)をかけ算して 2 と答えた。もちろんこのかけ算の答えは 2人であり、30人クラスにいる同性愛者・両性愛者の平均的な数(期待値)です。
設問の意味が分からないときに、設問にある数字を適当に使って答えを "導く" のはよくあることです。従って、この調査は確率という言葉を用いないでやった方がよいと思います。たとえば一例ですが、
というような質問です。この質問でも、なおかつ2クラス(=2%)が最多の回答となるでしょうか。おそらくならないのではと思います。
問題はその次で、「10%を下回るとする答えが目立ち、約9割は実際の確率より小さくとらえていた」とあるところです。「10%を下回る答え」の場合、確率の意味を理解して答えているのかどうかは大いに疑問です。それはさておき、「約9割は実際の確率より小さくとらえていた」がポイントです。7% のマイノリティは、直感ではそれよりもずっと少なく感じられるようです。
記事には別の設問の結果が載っていました。
設問を簡潔に言うと、
となります。7% が 3% になっただけで、本質的には第1問と同じです。これも正解を計算で求めると、
であり、記事にあるように確率は60%です。「最も多くの人が回答した確率は1%」というのは第1問と同じで、30×0.03=1 の計算で 1% としたのでしょう。この設問でも「9割近くの人が過小にみていた」というのは、第1問と全く同じです。
記事にある「企業経営者は色覚異常者も働きやすい職場づくりに責をもつべきだ」という意見は "政治的に正しい" ので、たとえ建前であったとしても、賛否を問われると "Yes" と答える人が多いと予想できます。しかし「30人クラスで色覚異常者が一人でもいる確率は 60%」という正しい結果を知ると、"Yes" の率が 5ポイント以上増加したのが興味深いところです。
人間は確率が苦手
記事は次のように締めくくられています。
人間は確率が苦手です。それは、確率が単なる計算上の数字に見えてしまって実感が伴わないからでしょう。クラスの中にマイノリティの人は「いる」か「いない」かのどちらかです。0.6 人いるなんてことはない。10クラスあったら およそ 6クラスにはマイノリティの人がいると計算上言われても、10クラスに同時に所属できない以上、自分のクラスには「いる」か「いない」かです。つまり「クラスにマイノリティの人がいる確率は 60%」という計算上の数字を "実感" はできず、なんとなく違和感を抱いてしまう。これが "苦手" の根本要因だと思います。
そういった中で確率を問われると「約9割の人は、マイノリティが一人でもいる確率を過小にみていた」わけです。いわば「過小視バイアス」がかかってしまう。しかし逆に言うと「約1割の人は確率を正しく認識していた」ということです。こういう方もいたことに注意すべきでしょう。
この「過小視バイアス」の原因は何となく理解できます。設問は、7% ないしは 3% のマイノリティに関するものです。ということは、平均して回答者の 93%、97% はマジョリティ側の人です。マジョリティ側の人は、学校や職場などの社会集団において、おそらく設問にあるマイノリティの存在を経験したことがないと思います。なぜなら、同性愛者・両性愛者の人は、自分からそのことをカミングアウトしないのが今の社会では普通だからです。また、色覚異常は確かに不便で、場合によっては重大トラブルに至る可能性もありますが、当人は色覚異常を前提に安全に生活する知恵を身につけているはずです。自分から色覚異常だと集団のメンバーに告知する必然性は薄いはずです。
つまり回答者の大多数は過去に自分の経験した社会集団において、設問にあるようなマイノリティに接したことがないと感じたはずです(実はそれと知らずに接しているのだけれど)。自分の経験上は確率ゼロである。この "経験" が、過小視バイアスの一番の原因でしょう。記事にある「周囲にそうした人はいないという思い込み」です。
人口の 10% 前後は左利きです。今の社会で左利きは「隠すべきこと」ではないし、必然的に左利きは周囲に分かってしまうはずです。不便な面もあるでしょうが、左利き用の商品も多数あるし、逆にスポーツではサウスポーが有利なケースがいろいろあります(右利きだけどスポーツだけサウスポーの人さえいます)。左利きの子が学校のクラスにいたという記憶は、多くの人の脳裏にあるのではないでしょうか。マイノリティを「左利き」として設問すれば違った結果になったかもしれません。
このような「過小視バイアス」があるとして、設問は具体的な確率を答えるものです。計算で答えを出すわけではないので、計算以外の何らかの代替手段が必要です。「正しく認識していた約1割の人」は、上の方に書いた「暗算できそうな範囲で、ざっと見積もった」のかも知れません。
では、過小に答えた人は実際どうしたのでしょうか。記事を読むと、全くのあてずっぽうやランダムでもないようです。過小は過小なりの傾向がある。ということは、確率を認識するときに「人はどのような代替手段に頼っているのか」が問題です。
確率の認識に対する人のバイアスは、事故や災害の確率認識では重大問題になりかねません。また、マイノリティの人たちを支援する政策立案の際などでは、バイアスが暗黙に人の思考を束縛しかねないでしょう。「確率に対する人間の直感は絶望的だ」と諦めるのではなく、「確率を認識するときに、人はどのような代替手段に頼り、それがどういうバイアスを生むのか」という認知心理学の研究は、確かに意義があるものだと思いました。
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スチュアートの本には次のような設問が載っていました。前提として、女の子と男の子は等しい確率で生まれてくるとします。また、赤ちゃんが生まれる曜日は、日・月・火・水・木・金・土、で同じ確率とします。
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① の正解は \(\tfrac{1}{4}=0.25\) ですが、\(\tfrac{1}{3}\) と間違う人がいそうです(2人の子どもには、女女、女男、男男、の3パターンがあって、女女はそのうちの一つと考えてしまう)。
② のように「少なくとも一人は」などという条件が付くと難しくなります。正解は \(\tfrac{1}{3}\fallingdotseq 0.33\) です。
さらに ③ の ような複雑な条件になると、正解は不可能と言ってよいでしょう。③ の正解は \(\tfrac{13}{27}\fallingdotseq 0.48\) です。我々の直感では、「③の確率」は「②の確率」とイコール(ないしは同程度)ですが、正しい答えは "②とは全然違う" のです。
かなり難しい設問ですが(特に ③)、要するにスチュアートの言いたいことは「偶然の出来事が起こる確率を(素早く)推定するのは難しい」ということであり、平たく言うと「確率は難しい」ということです。それを言いたいがために、上の "ややこしい" 設問を作ったわけです。
ところで最近の新聞に確率は難しいことを如実に示す記事が掲載されました。それは「2人とも女の子問題」よりずっと簡単な確率ですが、それでも難しい。その記事は以下です。
性的少数者は過小視される
2024年7月23日の朝日新聞(夕刊)に、新潟大学の新美亮輔准教授の研究を取材した記事が掲載されました。見出しは、
「マイノリティー」少なく見積もる傾向
で、次のように始まります。
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人には「マイノリティーの人が周囲にはいない」と思い込む傾向があり、それを確率の観点から実験を行って考察しようというのが主題です。具体的な設問と回答の例が以下です。
第1問:同性愛者・両性愛者がクラスにいる確率 |
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設問を簡潔に言うと、
大学生の7%が同性愛者・両性愛者です。30人クラスの大学生の中に同性愛者・両性愛者が1人でもいる確率は何%だと思いますか |
となります。正解の計算方法は記事にありますが、それを求めると、
\(=1-(1-0.07)^{30}\) \(=0.88663\) |
であり、上の引用のように「正解は89%」となります。しかし新美准教授の設問は電卓を使わずに答えて下さいということでしょう。暗算でできそうな範囲で、ざっと見積もるとどうなるか。
30人クラスの7% は約2人です。30人クラスが多数あった場合、① 同性愛者・両性愛者が2人いるクラスが最も多く、② 1人/3人のクラスがそれより少なく、③ 0人/4人のクラスがさらに少ない。仮に、①:②:③のクラス数の相対比率を 3:2:1 とすると、1人以上のクラスは9クラス(3+2+2+1+1)のうちの8クラスであり、9割程度のクラスで同性愛者・両性愛者が少なくとも一人いることになります。もちろん 3:2:1 は恣意的に決めただけなので、4:3:2 でもよいわけです(その場合は14クラスのうちの12クラス)。とにかく、かなりの高い確率で(ないしは、ほぼ間違いなく)30人クラスには同性愛者・両性愛者がいると見積もれます。
ただしこの設問は「暗算での見積もり」をするかどうかはともかく、直感で答えるのが主眼でしょう。直感で答えるとどうなるかがポイントです。
以上を踏まえて、新美准教授の調査を検討すると、最も多かった回答は 2% とあります。おそらくですが、2% と回答した人は設問の「1人でもいる確率」の意味が分からなかったのだろうと思います。もしくは「確率」の意味が分からなかった。意味が分からないので、設問にある数字である30(人)と 0.07(7%)をかけ算して 2 と答えた。もちろんこのかけ算の答えは 2人であり、30人クラスにいる同性愛者・両性愛者の平均的な数(期待値)です。
設問の意味が分からないときに、設問にある数字を適当に使って答えを "導く" のはよくあることです。従って、この調査は確率という言葉を用いないでやった方がよいと思います。たとえば一例ですが、
大学生の7%が同性愛者・両性愛者です。大学生30人のクラスが100あったとします(合計3000人です)。この100クラスの中で同性愛者・両性愛者が1人でもいるクラスは何クラス程度ですか |
というような質問です。この質問でも、なおかつ2クラス(=2%)が最多の回答となるでしょうか。おそらくならないのではと思います。
問題はその次で、「10%を下回るとする答えが目立ち、約9割は実際の確率より小さくとらえていた」とあるところです。「10%を下回る答え」の場合、確率の意味を理解して答えているのかどうかは大いに疑問です。それはさておき、「約9割は実際の確率より小さくとらえていた」がポイントです。7% のマイノリティは、直感ではそれよりもずっと少なく感じられるようです。
第2問:色覚異常者がクラスにいる確率 |
記事には別の設問の結果が載っていました。
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設問を簡潔に言うと、
色覚異常とされる人は人口の3%です。30人クラスの中に色覚異常者が1人でもいる確率は何%だと思いますか |
となります。7% が 3% になっただけで、本質的には第1問と同じです。これも正解を計算で求めると、
\(=1-(1-0.03)^{30}\) \(=0.59899\) |
であり、記事にあるように確率は60%です。「最も多くの人が回答した確率は1%」というのは第1問と同じで、30×0.03=1 の計算で 1% としたのでしょう。この設問でも「9割近くの人が過小にみていた」というのは、第1問と全く同じです。
記事にある「企業経営者は色覚異常者も働きやすい職場づくりに責をもつべきだ」という意見は "政治的に正しい" ので、たとえ建前であったとしても、賛否を問われると "Yes" と答える人が多いと予想できます。しかし「30人クラスで色覚異常者が一人でもいる確率は 60%」という正しい結果を知ると、"Yes" の率が 5ポイント以上増加したのが興味深いところです。
人間は確率が苦手
記事は次のように締めくくられています。
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人間は確率が苦手です。それは、確率が単なる計算上の数字に見えてしまって実感が伴わないからでしょう。クラスの中にマイノリティの人は「いる」か「いない」かのどちらかです。0.6 人いるなんてことはない。10クラスあったら およそ 6クラスにはマイノリティの人がいると計算上言われても、10クラスに同時に所属できない以上、自分のクラスには「いる」か「いない」かです。つまり「クラスにマイノリティの人がいる確率は 60%」という計算上の数字を "実感" はできず、なんとなく違和感を抱いてしまう。これが "苦手" の根本要因だと思います。
そういった中で確率を問われると「約9割の人は、マイノリティが一人でもいる確率を過小にみていた」わけです。いわば「過小視バイアス」がかかってしまう。しかし逆に言うと「約1割の人は確率を正しく認識していた」ということです。こういう方もいたことに注意すべきでしょう。
この「過小視バイアス」の原因は何となく理解できます。設問は、7% ないしは 3% のマイノリティに関するものです。ということは、平均して回答者の 93%、97% はマジョリティ側の人です。マジョリティ側の人は、学校や職場などの社会集団において、おそらく設問にあるマイノリティの存在を経験したことがないと思います。なぜなら、同性愛者・両性愛者の人は、自分からそのことをカミングアウトしないのが今の社会では普通だからです。また、色覚異常は確かに不便で、場合によっては重大トラブルに至る可能性もありますが、当人は色覚異常を前提に安全に生活する知恵を身につけているはずです。自分から色覚異常だと集団のメンバーに告知する必然性は薄いはずです。
つまり回答者の大多数は過去に自分の経験した社会集団において、設問にあるようなマイノリティに接したことがないと感じたはずです(実はそれと知らずに接しているのだけれど)。自分の経験上は確率ゼロである。この "経験" が、過小視バイアスの一番の原因でしょう。記事にある「周囲にそうした人はいないという思い込み」です。
人口の 10% 前後は左利きです。今の社会で左利きは「隠すべきこと」ではないし、必然的に左利きは周囲に分かってしまうはずです。不便な面もあるでしょうが、左利き用の商品も多数あるし、逆にスポーツではサウスポーが有利なケースがいろいろあります(右利きだけどスポーツだけサウスポーの人さえいます)。左利きの子が学校のクラスにいたという記憶は、多くの人の脳裏にあるのではないでしょうか。マイノリティを「左利き」として設問すれば違った結果になったかもしれません。
このような「過小視バイアス」があるとして、設問は具体的な確率を答えるものです。計算で答えを出すわけではないので、計算以外の何らかの代替手段が必要です。「正しく認識していた約1割の人」は、上の方に書いた「暗算できそうな範囲で、ざっと見積もった」のかも知れません。
では、過小に答えた人は実際どうしたのでしょうか。記事を読むと、全くのあてずっぽうやランダムでもないようです。過小は過小なりの傾向がある。ということは、確率を認識するときに「人はどのような代替手段に頼っているのか」が問題です。
確率の認識に対する人のバイアスは、事故や災害の確率認識では重大問題になりかねません。また、マイノリティの人たちを支援する政策立案の際などでは、バイアスが暗黙に人の思考を束縛しかねないでしょう。「確率に対する人間の直感は絶望的だ」と諦めるのではなく、「確率を認識するときに、人はどのような代替手段に頼り、それがどういうバイアスを生むのか」という認知心理学の研究は、確かに意義があるものだと思いました。
2024-08-10 10:42
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