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No.282 - ショスタコーヴィチ:ムツェンスク郡のマクベス夫人 [音楽]

前回の No.281「ショスタコーヴィチ:交響曲第7番」の続きです。前回は、ショスタコーヴィチの交響曲第7番に関するドキュメンタリー番組、

音楽サスペンス紀行

ショスタコーヴィチ
死の街を照らしたレニングラード交響曲

NHK BS プレミアム
2020年1月16日

の内容から、交響曲第7番に関するところを紹介し、所感を書きました。この番組の最初の方、第7番の作曲に至るまでのショスタコーヴィチの経歴の紹介で、

スターリンはショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を気に入らず、すぐさま共産党の機関誌・プラウダは批判を展開した。ショスタコーヴィチはそれに答える形で『交響曲第5番』を書いた

という主旨の説明がありました。この件は20世紀音楽史では有名な事件なのですが、ショスタコーヴィチと政治の関係に関わる重要な話だと思うので、以降はそれについて書きます。

『交響曲第5番』(初演:1937。30歳)はショスタコーヴィチ(1906-1975)の最も有名な曲でしょう。聴いた人は多数いるはずです。しかし『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(初演:1934。27歳)を劇場やDVD/BDで観た人は、交響曲第5番に比べれば少数だと思います。そこでまず、これがどういうオペラかを書きます。その内容と音楽がプラウダ紙の批判と密接にからんでいるからです。


ムツェンスク郡のマクベス夫人


『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(以下『マクベス夫人』とも記述)がどういうオペラか、ここでは是非とも作家の島田雅彦氏の解説で見ていきましょう。島田氏はオペラを「命をかけるべき最高の遊戯」と言ってはばからない人で、オペラの台本まで書いています(『忠臣蔵』と『Jr. バタフライ』)。その島田氏の著書である「オペラ・シンドローム」(NHKブックス 2009)から引用します。この本はNHK教育で2008年6月~7月に放映された「知るを楽しむ この人この世界:オペラ偏愛主義」の番組テキストに大幅に加筆したものです。

『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)が、その作家生活の初期(1864)に書いた同名の小説が原作です。帝政ロシア時代の小説をソ連時代のショスタコーヴィチがオペラ化したわけで、まずこのことに留意しておきましょう。1934年にレニングラード(現、サンクトペテルブルク)で初演されました。

以下、島田雅彦氏によるこのオペラの紹介です。この紹介の部分は「残酷で救いのない物語」とのタイトルがあります。島田氏は作家らしく、まずオペラの冒頭で歌われるアリアのキーワードを取り上げます。

以下の引用では漢数字を算用数字に改めたところがあります。段落を増やしたところもあります。下線は原文にはありません。


「残酷で救いのない物語」

ロシア語には「タスカー」という言葉があります。直訳すると「もの悲しい」とか「滅入る」といった意味で、死にたくなるところまではいかない暗い気分、要はメランコリーです。てついた空気の、1年のうちの3分の2が曇っているような土地に根づいている感情なのでしょう。

ロシアの人々はそれを否定するでもなく、「タスカー」を歌に歌ったりする。憂いの感情と戯れているのです。そうしなきゃやってられないよ、ということなのでしょう。鬱々とした気分をうまく飼い馴らし、「タスカー」を死なないための知恵に高めている。

憂いを心に秘めている段階ではわだかまりでしかない。けれど、それを発語したり、人に聞いてもらうことで悩みや苦しみを実体化することができる。そうすれば、吐き出すのも容易になる。自分の悩みや苦しみを語ったり、書いたり、歌ったりすることは精神分析と同じ効果があるのです。

島田雅彦
「オペラ・シンドローム」
(NHKブックス 2009)

物語の舞台であるムツェンスクは、モスクワの南西、約300kmにある町です。この田舎町の裕福な商家が舞台です。


地方の裕福なイズマイロフ家に嫁いだカテリーナ。商売にしか関心がなく、外出がちの夫ジノーヴィと、多くの使用人、そして好色のまなざしとともにカテリーナを観察しつづける意地の悪いしゅうとボリスとの暮らしは、憂鬱で退屈極まりないものです。「スクーカ(退屈だわ)、タスカー(気が滅入るわ)」と歌い出される冒頭のカテリーナのアリアは、ワーグナーの影響を強く受けたショスタコーヴィチによって『トリスタンとイゾルデ』風のやるせない和音で彩られますが、描写される内容といえば、なにも楽しいことのない主婦の心に溜まった愚痴です。

一転して、庭先では使用人たちが騒いでいます。新米の下男セルゲイが女中にちょっかいをだし、まわりがはやし立てている。打楽器を多用した迫力満点の扇情的な音楽が響くなか、カテリーナが登場し、セルゲイをたしなめる。セルゲイは、どうやら前に雇われていた家でも女問題でクビになった、流れ者の不良です。セルゲイはカテリーナの顔を一目見て「こいつは欲求不満」と嗅ぎとったのかもしれない。またカテリーナも、セルゲイを「あ、いい男」と感じたのかもしれません。

島田雅彦「同上」

ムツェンスク郡のマクベス夫人1.jpg
2006年、アムステルダムにおけるネーデルランド・オペラの公演をライヴ収録したDVD。エカテリーナ:エヴァ=マリア・ウェストブロック、セルゲイ:クリストファー・ヴェントリス、マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、マルティン・クシェイ演出。

このパッケージの画像は、第1幕第2場でセルゲイがカテリーナにレスリングをしようと持ちかけ、押し倒したところ。

ここまでが第1幕の第1場(イズマイロフ家の居間)と第2場(イズマイロフ家の庭先)です。次が、第1幕第3場のカテリーナの寝室の場面です。


いずれにせよ、その夜、セルゲイが一人寝のカテリーナの部屋を訪れ、「何か本でも借りようかと思って」という。字が読めるのかよ、とツッコミを入れたくなるような男が本を借りに来る本当の目的は一つです。押し問答をするうち、セルゲイはなかば強引にカテリーナをものにします。このシーンの曲想は話題になりました。物語の題材が反政府的、道徳破壊的であることは想像できても、音楽自体が物議をかもすことは非常に珍しい。

私は、ハリー・クプファーの演出のものを観ましたが、ソプラノ歌手の下着をとり、セルゲイ役も下着を脱いでいく場面が、打楽器が扇情的に盛り上げていくその音楽と、フラッシュを多用した照明の効果もあいまって、きわめてリアルに描かれていました。しかも、行為が終わったあとの白けた感じを、まだ20代だったショスタコーヴィチが、トロンボーンの響きによって見事に表現しているのも聴きどころです。

この作品は初演後に大きな話題を読んで人気演目になったのですが、スターリンの逆鱗げきりんに触れ、20年以上にわたって上演禁止になります。20世紀オペラのなかで上演不可能になった作品はもう一つ ── シェーンベルクの『モーセとアロン』がありますが、こちらは内容、音楽ともに難解すぎたことが原因です。しかし『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、とりわけこのシーンの露骨すぎる描写がその理由の最たるものでした。時間的にはそう長くないこのシーンの話題性ばかりが一人歩きし、「ポルノフォニー」というあだ名がつけられたりもしたのです。

島田雅彦「同上」

1936年1月26日、モスクワのボリショイ劇場でこのオペラを観たスターリンは、オペラの終幕を待たずに席を立ちました。そして2日後の1月28日のプラウダ紙に、ショスタコーヴィチを批判する社説が掲載されました。いわゆる「プラウダ批判」です。その引き金になったのは、スターリンが第1幕第3場のレイプ・シーンに激怒したからだと(一般には)言われています。

オペラは第2幕へと進行します。同じイズマイロフ家の庭先とカテリーナの寝室です。


さて、物語に戻りますと、もはやカテリーナはセルゲイにぞっこんです。カテリーナを監視する舅はめざとく二人の関係を見抜きます。セルゲイを捕まえて鞭打ちするボリスに、恨み骨髄のカテリーナ。鞭打ちに疲れたボリスがキノコ入りのカーシャという蕎麦そばの実を使った家庭料理を所望したところで、カテリーナは毒を盛ります。最初の殺しが舅殺しなのです。レスコフの原作のエピグラフには「毒をくらわば皿まで」とあります。

邪魔者がいなくなったセルゲイとカテリーナは、再び愛欲におぼれますが、そこへ夫のジノーヴィが帰宅し、不倫の現場が露見します。すると、これはもう仕方ないとばかりにジノーヴィも殺害。間髪を容れずに、連続殺人が決行されたのです。

島田雅彦「同上」

ムツェンスク郡のマクベス夫人2.jpg
カテリーナはセルゲイとともに、夫のジノーヴィを殺害する。そしてセルゲイにキスしてと言い、彼を抱きしめ、これであなたは私の夫と言う。ネーデルランド・オペラより。

第3幕は、イズマイロフ家の納屋の前(結婚式の宴会場になる)と警察署です。


第三幕では、カテリーナとセルゲイの結婚パーディが行われます。演出によっては、華やかな結婚式のシーンと結婚式に招待されなかった警察の退屈な様が、同時二元中継的に演じられることもよくあります。ここで事件が起きる。酔っぱらった使用人のひとりが、地下室でジノーヴィの死体を発見し、警官を呼びに行ってしまうのです。式場に警官たちばなだれ込み、二人は逮捕されます。

島田雅彦「同上」

ムツェンスク郡のマクベス夫人3.jpg
カテリーナとセルゲイの結婚式の祝宴が中庭で開かれているが、そこに警官たちがなだれ込み、2人は逮捕される。ネーデルランド・オペラより。

この作品には第4幕があります。第4幕はそれまでと違いシベリアに向かう街道で、橋の近くにある徒刑囚の宿営地です。


この作品が陰惨なのは、三幕で終わらないことです。第四幕がある。場面は変わり、流刑地シベリアに流刑される徒刑囚のなかにふたりの姿があります。寒く閑散とした原野を歩いていく。ここで流れるショスタコーヴィチの音楽は、その暗さにおいて、交響曲第十番かこれかというほどです。ちなみに、シベリア流刑とは、いわゆる収監ではありません。原野に小屋を建て、普通に生活する。そこには塀も柵もない。脱走したら死ぬからです。シベリアが「天然の牢獄」と呼ばれるゆえんです。

だからすべてを失ったカテリーナも、セルゲイが一緒だということに、唯一の希望を見出している。しかし、セルゲイという男は骨の随まで淫蕩であり、流刑先までの途中、カテリーナより若い女囚ソニェートカと懇意になります。ここからのディテールは残酷です。

カテリーナが素っ気ない態度のセルゲイに「どうしたの?」と問うと、「足が冷たくてやってられねぇんだよ」との答え。そこで、自分がはいている靴下をあげると「すまねぇな」と受け取るのだけれども、その靴下はセルゲイがソニェートカを口説くためのプレゼントになってしまう。当然、ソニェートカが自分の靴下をはいている見たカテリーナは逆上し、まわりの囚人に囃されながら取っ組み合いの喧嘩となる。そしてついには、ソニェートカに抱きつき、ふたりして凍てつく川に飛び込むのです。

役人たちはあきれ顔で「痴話喧嘩か。それも仕方ない。さあ出発だ」と声をかける。演出によっては、セルゲイが「二人とも死んだか、でも、女はいくらでもいるさ」という顔をし、水死者を一瞥いちべつする。そして、もの悲しい歌を歌いながら、徒刑囚たちは船に乗り流刑地へと向かっていく ───。物語の、どうしようもない救いのなさは、ヴェルディの『運命の力』といい勝負です。

島田雅彦「同上」

まさに「ディテールが残酷で、どうしようもなく救いのないオペラ」です。ちなみに最後のシーンの台本は、カテリーナがソニェートカを橋の欄干から川へ突き落とし、自分も川に飛び込む、そして徒刑囚たちは流刑地へと行進していく、というものです。島田氏が書いている「船に乗り流刑地へと向かっていく」というのは、そういう演出もあるということでしょう。


モンテヴェルディの『ポッペアの戴冠』


島田氏の『マクベス夫人』についての説明がユニークなのは、オペラの実質的な創始者であるモンテヴェルディ(1567-1643)の作品と関連づけているところです。それは『ポッペアの戴冠』(1642)というオペラです。ショスタコーヴィチの約300年前に作られたオペラのルーツとも言うべき作品と『マクベス夫人』がどう関係するのか。


ここであえて、時代をぐっとさかのぼり、オペラ草創期の立役者、モンテヴェルディが1642年に作った『ポッペアの戴冠』という作品を思い起こしたいのです。この、古代ローマの暴君ネロにまつわる物語もテーマ的に『ムツェンスク郡のマクベス夫人』と重なるところがあるからです。

島田雅彦「同上」

以下、島田氏による『ポッペアの戴冠』のあらすじを引用しますが、登場人物だけを抜き出すと以下のようになります。時代は古代はローマ帝国です。

◆ 皇帝ネロ
◆ ネロの妃・オッターヴィア
◆ ネロの侍女・ドルジッラ
◆ ネロの家庭教師・セネカ
◆ ネロに仕える軍人・オットーネ
◆ オットーネの妻・ポッペア
◆ 愛の神


ざっとあらすじを述べましょう。プロローグとして、幸福の神と美徳の神と愛の神が現れ、人間にとって一番大切なものは何かを議論します。愛の神が「それは愛であることをこれから説明してみせます」といい、人事に介入する。答えは「愛」でよいとしても、その展開はなかなか予想外です。

幕があくとそこは、主人公のポッペアの屋敷です。彼女には、暴君ネロに仕える軍人のオットーネという夫がいますが、その夫に隠れてネロと密通している。現場にいる(ネロの)衛兵たちは「奥さんがかわいそう」と、ネロの妃オッターヴィアの心を案じている。ネロは去り際、ポッペアに「妻と別れ、きみを皇后にする」といいます。

場面は変わり、皇帝の宮殿です。皇后オッターヴィアの乳母は「夫の不倫に復讐するために浮気はいかが」と勧めますが、彼女は「私は貞節を守る」と伝える。オッターヴィアの純真な心に動かされた乳母は、ネロの家庭教師であるセネカに皇帝をいさめるように願い出ます。セネカは、運命の神から「ネロはもうじき死ぬ」と神託されるが、おのが信義に従い、皇帝に浮気をやめるように諫める。そんな彼を煙たく思ったネロとポッペアは、セネカに自決を求めます。

一方、オットーネは、腹いせのように皇帝の侍女ドルジッラと関係を持ちますが、妻を殺すという決断もできず、ぐずぐずと優柔不断に過ごしている。皇后オッターヴィアは利害が一致するオットーネに、妻を殺すように命じます。仕方なくドルジッラの服を借りて妻のもとに接近するオットーネ。

そのとき、人類にとっていちばん大事なのは愛だと説く神が、眠っているポッペアに「逃げよ」と忠告し、彼女は危機を脱します。愛こそ正義と考え、夫と離縁してでもネロと寄り添うことを決意するポッペアには、愛の神が味方し、その後の行動を後押しするのです。

着ていた服のせいで、ポッペア殺害未遂の下手人としてドルジッラが捕らえられますが、オットーネは真実をすべて告白し、その結果、ネロによってドルジッラ、皇后オッターヴィアとともに追放されます。皇帝に妻を寝取られたあげく、やることなすことが不首尾に終わるオットーネは、気の毒なキャラクターです。復讐に暴君ネロの妃を寝取ってやればよかったのにと思いますが、そんなアドバイスは意味がありません。そして、邪魔者をすべて追放したネロは、ポッペアを正式に妃にする。華々しく戴冠式が開催され、二人の歓喜の二重唱のなか、幕が下りる ───。

島田雅彦「同上」

一言でいうと、全く不条理な物語です。不倫をしたオッペアとネロが結ばれ、2人にとってのハッピーエンドで終わる。しかし、セネカが自害させられるという歴史的事実を除いたとしても、"善人" であるはずの妃・オッターヴィア、侍女・ドルジッラ、軍人・オットーネは追放されてしまう。しかも不倫を成就させるのが "愛の神" である ・・・・・・。


以上のようにストーリーだけを追うと、正義はどこにあるのかと憤りたくなるし、道徳的に許せない気持ちでいっぱいになるところです。しかし改めて、この作品が近代オペラの元祖であることを思い出していただきたいのです。

つまり、この時代においてはオペラが大衆社会への啓蒙をほどこすメディアには、まだなっていない。その後のオペラは、しばしば検閲下におかれ、道徳や信仰や救済を作品主題とすることが多くなりますが、モンテヴェルディの時代には不道徳な内容であれ、なんの問題もなかったのです。社会の道徳的規範から、完全に自由でいられた。別の言い方をすれば、古代の原則は、近代社会における道徳観念とは無縁なのです。実際、古代ギリシャ神話の神々ほど、不道徳な存在はありません。善悪の彼岸にいるものこそ、神と呼んだのです。

その神の介入を受けた者は、いくら人間社会の道徳規範からは外れていようが、すべてが許されます。私は、この『ポッペアの戴冠』を紀尾井ホールで観ることができたのですが、なるほど、オペラは善悪を超越していてもよいのだと、合点しました。

ショスタコーヴィチの『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、おおよそ考えられる範囲で最も不道徳な内容をもつオペラ作品ですが、この『ポッペアの戴冠』と対比すれば、オペラ草創期の流れを忠実に汲んだものと考えることができるわけです。

島田雅彦「同上」

島田氏は「オペラでは、すべてが許される」とし、観客としてオペラを観る意味を次のように書いています。


オペラは決して、高尚な一部の人間のための娯楽などではありありません。人間が一生かけて味わう喜怒哀楽を、数時間に集約して舞台にのせてくれるのですから、そした激しい感情の起伏と接することによって、ともすれば磨耗しがちな自らの喜怒哀楽に揺さぶりをかけてやればいいのです。

島田雅彦「同上」

島田氏は

・ オペラは現代人に精神のリハビリテーションを促す儀式
・ 私がオペラを観るのをやめられないのは、自分の感情や本能をつねにギラギラさせておきたいから

と述べています。「オペラで表現される激しい感情の起伏が、観客に精神のリハビリテーションを促す。オペラではすべてが許される」との主旨を島田氏は書いているのですが、これはまさに『マクベス夫人』でも言えることなのです。


ヴェルディの "救いのないオペラ"


島田氏が『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を紹介した文章の最後に、

どうしようもない救いのなさは、ヴェルディの『運命の力』といい勝負

とありました。実は、島田氏は「オペラ・シンドローム」のなかで、ヴェルディ(1813-1901)の "救いのないオペラ" として『イル・トロヴァトーレ』と『運命の力』を取り上げています。この2つのオペラは、その救いのなさにおいて『マクベス夫人』とそっくりです。ここであらすじの紹介は省略しますが、2つのオペラとも、

・ 不幸なものがより不幸になっていき、最後は死んでしまう
・ 生き残ったものには何の救いもない
・ 結末は残酷

といった内容です。ヴェルディはなぜこのようなオペラを書いたのでしょうか。

実は『運命の力』の初演はイタリアではなく、何と、当時のロシアの首都であったペテルブルグ(ソ連時代のレニングラード)のマリインスキー劇場でした(1862年)。それはヴェルディのオペラがロシアで人気だったことに加え、当時のヴェルディをとりまくイタリアの状況を反映したものです。島田氏は次のように書いています。


当時、ハプスブルク家の支配下にあった北イタリアは検閲が非常に厳しく、ヴェルディの人生は検閲との戦いでもありました。彼は若い頃から、イタリア統一の闘士であり、その独立運動とともに生きていた。また VERDI の名前は「Vittorio Emauele Re D'Italia」(ヴィットリオ・エマヌエーレ)の略として、イタリア独立の合い言葉にもなっていたのです。だから、彼にとって、オペラは、観客に向け、強烈な政治的メッセージを発信する基地でもありました。観客はそのオペラに熱狂し、「Viva Verdi !」と叫ぶことで、イタリア独立の悲願を重ね合わせることができた。その隠れたメッセージは『運命の力』にも盛り込まれていて、個々の登場人物が辿ってきた苦難の歴史はその一端を表してもいます。

しかし、あからさまなメッセージを発信したのでは、検閲の目を免れない。レブレットの段階で、たびたび削除や改変を求められた経験から、露骨にイタリア独立運動を描くことを回避したのです。

島田雅彦「同上」

『運命の力』の初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルグで行われたのは、検閲を筆頭とする当時のイタリアの社会情勢があったわけです。そして島田氏は『運命の力』および『イル・トロヴァトーレ』のあらすじを紹介したあとで、オペラを小説と対比させつつ、次のように書いています。


以上、『イル・トロヴァトーレ』と『運命の力』を駆け足で紹介してきましたが、なぜヴェルディが救いのないストーリーを描いたのかという謎が、ここにきてだんだんと見えてきたと思います。これらの作品には19世紀末の世界の、あらゆる不合理や不幸をオペラという器ののなかに引き受けようという彼の覚悟が見え隠れします。

小説にもまた、この世の不合理を引き受け、民衆にサバイバルの知恵を授けようという啓蒙性があった。19世紀は小説とオペラの時代であると述べたとおり、ヴェルディにいたって、ようやくオペラにも波瀾万丈のディテールや生きることの不合理が盛り込まれるようになるのです。

ヴェルディは、オペラを「大衆啓蒙装置としてのメディア」と考えていたと思います。悲劇的な結末を迎える物語によって、「いかにナンセンスであろうと、これが現実なのだ」というメッセージを確信犯的に発信する ───。もし彼が20世紀の人間であれば、映画で行っていたでしょう。

逆にいえば、支配者側は、被支配者たち従順に暮らすことを望むからこそ、大衆の日々の辛い生活を忘れさせる薬として、ハッピーエンドの物語ばかりを供給したがった。検閲とはまさにそのような働きを担っていた。対してヴェルディは、大衆に現実を思い起こさせ、向けどころのない憤懣ふんまんを支配者に向けよとメッセージを送ったのです。その不吉さ、その野蛮さ。ロッシーニとヴェルディの決定的な違いが、ここにあります。

島田雅彦「同上」

「ヴェルディの人生は検閲との戦い」というところは、ショスタコーヴィチを思い出させます。ショスタコーヴィチも「芸術家としての思い」と「ソ連共産党からの圧力」という2つの間で苦悩した作曲家だったからです。

そして『ムツェンスク郡のマクベス夫人』に関していうと、これは支配者の望むであろうハッピーエンドとは真逆の物語です。スターリンがオペラの第3幕が終わった段階で席を立ったのは、ひょっとしたらこのオペラに "隠されたソ連体制批判" を感じ取ったからかもしれません。そいう疑いが出てくるのです。そこを考えるために、このオペラのリブレット(台本)の成立を振り返ってみます。


なぜ『マクベス夫人』をオペラ化したのか


『マクベス夫人』はショスタコーヴィチの2作目のオペラです。第1作目はロシアの文豪・ゴーゴリ(1809-1852)の短編小説『鼻』(1836)をミニ・オペラ化したもので、ストーリーは喜劇的・幻想的なものです。

そして第2作として選んだのが、これもロシアの作家、ニコライ・レスコフ(1831-1895)の『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1864)でした。ショスタコーヴィチは友人の協力を得つつ、台本も自ら書いています。なぜ彼はこの小説をオペラ化しようと思ったのでしょうか。

この物語は主人公のカテリーナがセルゲイに惚れたことを契機にどこまでも転落していく話です。次々と殺人を犯し、シベリア送りのときにはセルゲイにも見捨てられ、生きる意味を見失って自殺してしまう。希望とか明るさ、活気、楽しさ、喜びなどの感情を全く感じられない陰惨で暗澹たるストーリーです。これはレスコフが生きた帝政ロシアの時代の社会の雰囲気を反映していると考えられます。つまり、

19世紀後半、帝政ロシアの現実の閉塞感と悲劇的な雰囲気を感じる小説

です。ちなみに『ムツェンスク郡のマクベス夫人』において主要な登場人物であるボリス、セルゲイ、カテリーナ(=エカテリーナ)は、3人ともロシア人の最も一般的な名前であることも示唆的です。このような原作を考えると、ショスタコーヴィチは、

帝政ロシアの現実の閉塞感と悲劇的な雰囲気を、ショスタコーヴィチが作曲家として世に出た当時のソ連の政治体制になぞらえた

ということも十分考えられるでしょう。島田雅彦氏はヴェルディの "救いのないオペラ" について、

悲劇的な結末を迎える物語によって「いかにナンセンスであろうと、これが現実なのだ」というメッセージを確信犯的に発信した

と書いていましたが(上に引用)、そのヴェルディと同じことをショスタコーヴィチはやったとも考えられる。



もっとダイレクトに『マクベス夫人』はスターリン批判だと言っている人がいます。ドイツ文学者の中野京子さんです。彼女は美術評論で有名ですが、大のオペラファンであり(大の映画ファンでもある)、次のように書いています。


カテリーナの転落は本人のせいよりむしろ、抑圧的なイズマイロフ家という環境が原因だったのではないか。そしてこのイズマイロフ家は、社会主義国家ソヴィエトそのものを指しているのではないか。さらには、ほしいままに権力をふるう舅ボリスは、国家最高権力者と二重写しではないのか。

「骨のかれたシベリアの道よ、血にはぐくまれ、死のうめき声に彩られた道よ」という老囚の歌も、政府に対する批判ではないのか ・・・・・・。

こうした嫌疑をかけられた『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が、スターリン下で息の根を止められたのも必然であった。


引用中の「国家最高権力者」とは、言うまでもなくスターリンのことです。また「老囚の歌」というのは第4幕の冒頭、シベリアの流刑地に連行されていく囚人の中の老人の歌唱です。島田雅彦氏はこのあたりの音楽について「ここで流れるショスタコーヴィチの音楽は、その暗さにおいて、交響曲第十番かこれかというほどです」と書いていました(上に引用)。ちなみに「橋をめぐる物語」という題名の本に『マクベス夫人』が出てくるのは、オペラの最後のシーンでカテリーナがソニェートカを橋から川へ突き落とし、自分も川に飛び込むからです。

ショスタコーヴィチが帝政ロシアの現実の悲劇的な雰囲気を、作曲家として世に出た当時のソ連の政治体制になぞらえただけでなく、中野さんが言うように国家最高権力者への批判を込めたことも十分考えられるでしょう。もちろん、それを匂わすような台詞は一切ありません。これは70年前のロシアの作家・レスコフの小説のオペラ化なのだから ・・・・・・。



その、70年前のロシアの小説のオペラ化が、なぜソ連の政治体制批判になりうるのでしょうか。実は、このオペラはレスコフの小説とは大きな違いがあります。

オペラでは第2幕でカテリーナがセルゲイと2人で夫のジノーヴィを殺してその死体を隠し、次の第3幕ではカテリーナとセルゲイの結婚式の日の話になる。この展開には違和感を感じます。ジノーヴィは外面的には失踪したわけですが、法的な失踪宣告がされて死亡したと見なされ婚姻関係が解消するまでには(従って再婚できるまでには)、たとえば今の日本だと7年かかります。帝政期のロシアがどうだったかは知りませんが、それなりの時間の経過が必要ということは容易に想像できます。つまり第2幕と第3幕の間には比較的長い時間経過があるはずなのに、その説明がなく、ストーリーが破綻しているように感じます。もっとも、こういうことをいちいち気にしていたらオペラの鑑賞はできません。これは小説ではなくオペラです。「オペラではすべてが許される」(島田雅彦)のです。

しかし、レスコフの原作小説は違います。カテリーナの夫、ジノーヴィには、実はフョードルという従兄弟いとこがあり(父親のボリスの甥で少年)、ボリスの財産相続権を持っているのです。そのフョードルは親につれられてカテリーナの商家に現れ、一緒に生活を始めます。そして、ボリスの財産を独占できなくなったと悟ったカテリーナは、セルゲイを引き込んでフョードルも殺してしまいます。この少年殺しはすぐに発覚し、それがもとでジノーヴィ殺しもあからさまになり、カテリーナとセルゲイは逮捕されて鞭打ちの刑を受け、シベリア送りになる。これがレスコフの小説です。ストーリーの破綻はありません。オペラの第3幕は、原作にはないショスタコーヴィチの創作です。

さらにもう一つ、原作小説とオペラの違いがあります。オペラでは、カテリーナの舅のボリスが第1幕の最初からカテリーナを見張り、いびって暴言を吐き、抑圧します。カテリーナはこの段階からボリスに殺意を抱く。しかし、レスコフの小説ではこういったボリス像が全くありません。ボリスがカテリーナ(息子の嫁)とセルゲイ(使用人)の密会を発見してセルゲイを鞭打ち(それは当然です)、そのためにカテリーナに毒殺されるのはオペラも小説も同じですが、小説はボリスを陰険で抑圧的な人間として描いているわけではありません。

つまり、ショスタコーヴィチは原作のレスコフの小説に2つの変更を加えました。

① カテリーナが私利私欲のためにやった少年殺しをカットする。
② 舅のボリスを陰険で抑圧的な人間として描く。

の2つです。これは物語の根幹にかかわる変更です。この変更によりオペラは、カテリーナを "犯罪者に転落する女" というより "悲劇の主人公" として描くことになった。そして「カテリーナを閉じこめて抑圧するイズマイロフ家」というイメージを作り出した。そのことがソ連の政治体制に見立てることも可能にしたのだと思います。

そしてオペラを観て感じるのは、カテリーナにシンパシー感じるようなドラマの進行であることです。抑圧的なイズマイロフ家に "閉じこめられた" カテリーナは、外面的にはどれほど異常に見えても、周囲から嘲笑されても、身の破滅をかえりみずに自分の信じる愛に突き進んでいく ・・・・・・。ショスタコーヴィチは、カテリーナをソ連の政治体制の中での音楽家としての自分に重ねたのではと思います。いや、それは不正確で、自分に重ねられるようにレスコフの小説を改変してオペラ化したのだと思います。


オペラの本質を熟知した作品


今までの話の全体をまとめると、ショスタコーヴィチの『マクベス夫人』は "オペラの本質を熟知した作品" だと思います。ショスタコーヴィチがモンテヴェルディを意識したのかは分かりませんが、島田雅彦氏が指摘するように『マクベス夫人』という「おおよそ考えられる範囲で最も不道徳な内容をもつオペラ作品」が、オペラ草創期からの流れにあることは確かでしょう。つまり "道徳を完全に超越した愛の姿" です。

余談になりますが、No.220「メト・ライブのノルマ」でとりあげたベッリーニのオペラ『ノルマ』は、ガリアの被征服民族の巫女の長のノルマが、こともあろうに征服者であるローマの将軍と愛し合って子供までもうけているというストーリーでした。道徳や社会規範とは全く相容れない愛です。

加えてヴェルディです。ヴェルディの作品はロシアで大いに人気があったと言います。それは『運命の力』の世界初演が帝政ロシアの首都・ペテルブルク(=レニングラード。=サンクトペテルブルク)で行われたことに如実に現れています。ショスタコーヴィチがヴェルディの "救いのないオペラ" に影響されたことは十分に考えられると思います。またイタリア・オペラで言うと『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『道化師』などの、人間や社会の暗部を描いたオペラ(いわゆる "ヴェリズモ")の系譜と考えることもできるでしょう。

さらに、このオペラのストーリーでは、オペラの王道といえる「愛と死」が扱われています。主要登場人物は3人で、その3人を簡潔にまとめると、

好色で陰険で強圧的なカテリーナの舅・ボリス、骨の随まで淫蕩で「女の敵、男のクズ」のセルゲイ、そして、その「女の敵」に一途いちずになり破滅への道をまっしぐらに進むカテリーナ

となるでしょう。「愛」の表現の中心はカテリーナです。自分を強姦したセルゲイに惚れ、それをどこまでも突き通す。シベリア送りの最後の場面でセルゲイに完全に裏切られたと知っても、その怒りは愛人に向けられる。いかにも極端な愛の姿ですが、これこそオペラなのです。一方、男2人(セルゲイ、ボリス)については "好色"、"淫蕩"、"性欲" といった感じで、"愛のダークサイド" や、"むき出しの性" を表現しています。男2人の、少々グロテスクでどぎつい人物像がいかにもオペラ的です。

さらに「死」については、第2幕で2つの殺人が起こり、第4幕で生きる意味がないと悟ったエカテリーナは、第3の殺人を行うと同時に自殺してしまう。そこでオペラは終わりですが、仮にその後を作るとしたら、セルゲイが女をめぐるトラブルから別の囚人に撲殺されるといった展開が似つかわしいでしょう。

また、第2幕では殺されたボリスの亡霊が出てくるし、第4幕の冒頭のシベリア送りになる老囚は、まさに "真っ暗" という感じの "死出の旅" を歌います(上に引用した中野京子さんの文章にある)。とにかくオペラ全体に「死」のイメージが充満しています。

『マクベス夫人』の「愛や性、死」はいかにも極端で、そこで演じられるのは普通の生活ではまず経験しないし、接することもないような激しい人間感情です。しかし観客にとってはそれが「精神のリハビリテーション」(島田雅彦)になる。そういう意味でも『マクベス夫人』はオペラの王道を行った作品だと言えるでしょう。



以上のようにドラマとしては19世紀までのオペラの「王道」ですが、しかし音楽は違います。このオペラの音楽はまさに20世紀音楽であり、不協和音もあれば、アリアでも半音階的進行が多用されます。

『マクベス夫人』の音楽の最大の特長は、オーケストラと舞台が完全に一体化してドラマが進んでいくことでしょう。その端的な例ですが、このオペラには暴力的なシーンがいくつかあります。第1幕第2場でイズマイロフ家の使用人たちが女使用人のアクシーニャを輪姦しようとするシーンや、有名な第1幕第3場のレイプ・シーン、第2幕第1場でボリスがセルゲイを鞭打つシーンなどです。これらのシーンでオーケストラは、激しくグロテスクなリズムの、扇情的で野蛮な音楽をせき立てるように演奏します。音楽でシーンそのものを描こうとしているようであり、またある種の映画における音楽の使い方と似通ったものも感じます。このあたりはショスタコーヴィチの独壇場と言っていいでしょう。オーケストラを駆使する能力が際だっています。

もちろんこういった "激しい" 音楽だけでなく、第1幕第3場でカテリーナが自分の不運を嘆くアリアとか、第2幕第1場でボリスが毒殺されたあとの第2場へと続くパッサカリア風の荘厳な間奏曲(「悲劇の幕は開いた!」という感じの音楽)など、聴き所はいろいろあります。

音楽はいかにもショスタコーヴィチ的であり、ドラマはオペラの王道 ・・・・・・。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、ショスタコーヴィチが最もやりたかった作品であり、会心作だと思います。



この『マクベス夫人』が共産党機関誌・プラウダに痛烈に批判されたのです。その「プラウダ批判」と、それを受けて作曲された交響曲第5番のことは次回にします。



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