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No.278 - エリチェの死者の日 [文化]

No.29「レッチェンタールの謝肉祭」の話から始めます。レッチェンタールはスイスのアルプスの谷にある小さな村ですが、この村の謝肉祭では「チェゲッテ」と呼ばれる鬼の面(ないしは "妖怪" の面)をつけた村人が練り歩きます。これは日本の秋田県男鹿地方の「ナマハゲ」に酷似した祭りです。つまり、謝肉祭というキリスト教の祭りと「チェゲッテ」というキリスト教以前の習俗が融合しているところに特徴があります。レッチェンタールにキリスト教が布教されたのは16世紀と言いますから、ヨーロッパの中でも極めて遅いことになります。だから「チェゲッテ」が生き延びたのでしょう。

さらに「レッチェンタールの謝肉祭」で印象的だったのは、この謝肉祭を取材したNHKの番組で語られていた村人の言葉でした。つまり、

祭りのときに先祖の霊が戻ってきて、終われば帰っていく。先祖が我々を守る

という意味の発言です。いわゆる先祖信仰、ないしは先祖祭祀ですが、これもキリスト教とは無縁のコンセプトです。こういった日本のお盆にも似た信仰は宗教にかかわらず世界共通ではないかと、そのとき思いました。



ところで、先祖信仰のイタリアでの例が先日のNHKの番組で紹介されました。2019年12月24日に放送された「世界ふれあい街歩き スペシャル」(NHK BS1)の中の「エリチェ」です。「レッチェンタールの謝肉祭」の続きとして、その内容を以下に掲載したいと思います。以下は番組をテキスト化したもの、ないしは番組内容の要約です。ちなみに「世界ふれあい街歩き」というと "カメラをもって街を歩き回る" という作りの番組ですが、「エリチェ」は違っていて、「死者の日」を取材したものでした。


死者の日


まず「世界ふれあい街歩き」の内容に入る前に「死者の日」についてです。

キリスト教(カトリック教会)においては、11月1日が「諸聖人の日」(万聖節)です。これは過去の全ての聖人と殉教者に祈りを捧げる日で、カトリックの祝日になっています。ちなみに代表的な聖人は1年のそれぞれの日に記念日が割り当てられています("聖人カレンダー" がある)。カトリック教徒にとっては自分の誕生日の聖人が守護聖人になったりします。

「諸聖人の日」の次の日、11月2日が「死者の日」(万霊節)です。この日は全ての死者のために祈る日で、それが今回のテーマです。

ちなみに、ハロウィンは「諸聖人の日」の前日の10月31日ですが、これはもちろんキリスト教とは関係がなく、ヨーロッパ固有の古い伝統です。カトリック教会は「諸聖人の日」を11月1日に設定することで、ハロウィンをその "前夜祭" にしようとしたとの説があります。

イタリアでは「死者の日」にお墓参りをします。またイタリア各地には「死者の日に食べる特別のお菓子」が地域ごとにあります。これはエリチェの死者の日にも出てきます。



以下、「世界ふれあい街歩き」スペシャル "イタリアの小さな街"(NHK BS1。2019年12月24日)で放映された内容から、エリチェの部分を紹介します。


エリチェ


シチリア島の西の端、地中海のすぐそばに標高 751メートルの「エリチェ山」があります。エリチェ(Erice)はそのいただきに作られた天空の街で、2時間ほどで一周できる小さな街です。

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エリチェ山。シチリア島の西端にある。この山の上にエリチェの街がある。「世界ふれあい街歩き」スペシャル(NHK BS1。2019年12月24日)より。以下同じ。

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エリチェ山から地中海を望む。エリチェ山は地中海に近接した位置にあるる。

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エリチェの街並み。山頂に作られた都市である。地図で示してあるように、シチリア島の西端にある。

エリチェは山の上に作られた街で、標高が高く、秋に入ると霧が立つ日が増えます。その霧で街は幻想的な雰囲気に包まれます。また冬になると湿気で道が凍り、滑りやすくなります。そためエリチェの街の道は、ごつごつした石を並べて滑りにくくしてあります。この美しい石畳がエリチェのシンボルです。

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エリチェの街の路地。秋以降は地中海からの湿った空気で霧に覆われ、幻想的な雰囲気になる。この画像も霧がかかっている。

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エリチェのシンボルになっている石畳。冬に凍っても滑りにくくするため、平らな石の間にごつごつした石が敷き詰められている。

エリチェは霧の立ちこめる肌寒い街です。そのため、40年前には900人が住んでいましたが、麓の街に移住する人が増えました。現在の住人は約200人で、ほとんどの人が顔なじみです。この街を愛する人に支えられているのがエリチェです。


エリチェのフェスタ・デイ・モルティ


 街の空き地 

番組の主人公は 7才の女の子、サーラと、その母親のシルヴァーナです。2人は街はずれの空き地で小石を拾って空き缶に入れ、それを鳴らしています。大切なお祭りで使う道具を準備しているのです。

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番組の主人公のサーラ。7歳。小石を拾って空き缶につめ、それを振って鳴らしている。

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サーラの母親のシルヴァーナ。叔母とともにエリチェの「死者の日」の継承に熱心である。


ナレーション(黒島 結菜)】
まもなく、その大切な日を迎えようとしています。エリチェでは毎年11月のある夜、子供たちが缶を鳴らしながら街を練り歩きます。これは、お祭りの日の到来を知らせる行列。

フェスタ・デイ・モルティ。死者の日。ご先祖さまが家に帰ってくる日とされています。まるで日本のお盆とそっくりですね。でも、エリチェの街はちょっと特別。何と、ご先祖さまは戻ってきた証拠に子どもたちにプレゼントを置いていってくれるのです。

"エリチェ"
「世界ふれあい街歩き」スペシャル
(NHK BS1 2019年12月24日)
[以下同じ]

 サーラの家 


シルヴァーナ
子どもの時に、一番覚えているプレゼントはぬいぐるみ。背丈ほどもある、それはそれは大きなぬいぐるみだったの。大きくなるまで、ずーっと大切に持っていたわ。プレゼントしてくれたのはおじいさん。これこれ、この写真のおじいさんよ。私のことをとても可愛がってくれた、父方のニーノおじいさん。


シルヴァーナが、ニーノおじいさんと子どもの頃のシルヴァーナが写った写真を見せます。


シルヴァーナ
おじいさんはいつも私に素敵な洋服を着せてくれたの。それでカーニバルの写真コンクールに出場しては、何度も賞をもらっていたものよ。

でもある日突然おじいさんは、私のところへ来なくなってしまったの。すると母は私にこう言ったの。「大丈夫よ、おじいさんはいつもあなたのそばで見守ってくれている」って。そうしたら、その年のフェスタ・デイ・モルティにニーノおじいさんから大きなぬいぐるみが届いたの。今でも忘れられない、心に残る思い出よ。

ナレーション
シルヴァーナにとってフェスタ・デイ・モルティは思い出が詰まった特別な一日です。娘のサーラは、ご先祖さまに手紙を書きました。


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ご先祖さまに手紙を書いたサーラ。番組で彼女はその手紙を朗読した。


サーラ
「親愛なるご先祖さま。私は子犬・・・白くてブチのある子犬が欲しいです。あとは自由に選んでください。あっ、弟のミケーレのことを忘れていました。ミケーレにはご先祖さまが良いと思うぬいぐるみをください。チャオ」

この手紙をここに置いて写真を立てておくの。そうしたらご先祖さまは手紙を読んで私が何を欲しいと思っているか分かるのよ。

ナレーション
サンタさんへのお手紙みたいね。

サーラ
サンタクロースはツリーの下だけど、ご先祖さまはもっと難しいところに隠すの。私が大きくなって上手に探せるから毎年むずかしくなってるのよ。探すのは大変なのよ。うまく隠してあっても見つけることもあるし、これで終わりと思っていたら次の日に出てくることもあるの。前の日にうまく探せなかった場合はね。


 街のレストラン 


ナレーション
街の広場に小さなレストランがあります。ここはサーラたち家族の行きつけのお店。フェスタ・デイ・モルティを前に、シェフのジャンビートは特別メニューを作りました。そら豆で作ったソースにショートパスタを入れたシチリアの家庭料理です。


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マッコソースのパスタ。マッコ(= Maccu di Fave、マッコ・ディ・ファーヴェ)は、そら豆(Fave)をどろどろになるまで煮込んだスープ。パスタのカヴァトゥエッダ(= カヴァティエッダ、cavatiedda)は、カヴァテッリ(cavatelli、小さく切ってくぼみをつけたパスタ)と同様のパスタ。

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シェフのジャンビートがサーラの一家にマッコソースのパスタを給仕する。


ジャンビート
これはマッコ・クリームだよ。フェスタ・デイ・モルティの時期に昔から作られているんだ。そら豆にはご先祖さまの魂が宿ると信じられているからね。

サーラ
じゃあ、ご先祖さまを食べちゃうのね!

シルヴァーナ
そら豆の中にご先祖さまが宿るって想像してごらん。つまりご先祖さまは土から生える作物を介してもやってくるのね。食べてみる?

サーラ
うん!


 街のお土産屋さん 

観光客に人気のお土産屋さんがあります。ここはシルヴァーナの叔母のティッティのお店です。


シルヴァーナ
ティッティはこの街のフェスタ・デイ・モルティの盛り上げよ。フェスタ・デイ・モルティの行事のまとめ役。私たちを引っ張ってくれる存在なの。


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土産物店でのティッティ叔母さんとシルヴァーナ。右端はサーラ。

ティッティ叔母さんはお祭りの中心的存在です。彼女は近所の人たちを集めてビスケット作りをします。フェスタ・デイ・モルティの日に子どもたちにプレゼントするのです。ブドウの果汁を煮詰めた、甘いヴィーノ・コットを使います。ビスケットは、そのブドウの風味とシナモンが利いた優しい味です。その昔、ビスケットはフェスタ・デイ・モルティの朝にバスケットに入っているご馳走でした。

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ティッティ叔母さんと街の人たちが作ったビスケット。フェスタ・デイ・モルティの日に子どもたちにプレゼントする。

 山麓を一望できる場所で 

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ティッティ叔母さんが墓地を見下ろせる場所で、子どもの頃のフェスタ・デイ・モルティの思い出を語る。


ナレーション
ご先祖さまが帰ってくる死者の日、フェスタ・デイ・モルティ。ティッティ叔母さんにも、幼いころの心ときめかせた素敵な思い出があります。

ティッティ
子どもの頃、フェスタ・デイ・モルティが近づくとよくここへ来て、ご先祖さまにどんなプレゼントが欲しいか、お願いしたものよ。祖母にはこの美しい場所に来たら、ご先祖さまに必ずご挨拶するように言われていたわ。あっちへ行きましょう、この下にお墓があるの。


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エリチェの共同墓地。エリチェの街からすこし下ったところにある。


ティッティ
ここよ、見て。私たちの街の小さな墓地よ。子どものころはね、ご先祖さまはこのお墓から上がってきて、ドアの鍵穴から家の中に入って、プレゼントを持ってきてくれるんじゃないかと想像していたの。そして朝には至る所に隠されているプレゼントをわくわくして探したものよ。自転車が天井にくくり付けられていたり、思いつかないような場所にプレゼントはあったのよ。ほんとにそこらじゅう。

だからフェスタ・デイ・モルティの日にプレゼントをくれたご先祖さまの名前は、今でもみんな覚えてる。この街でフェスタ・デイ・モルティは、クリスマスよりずっと重要なの。クリスマスは飾りの隣に小さなプレゼントが置いてあるだけだったけど、ご先祖さまは、子ども心にもっと素敵なプレゼントを持ってきてくれるんだもの。

ナレーション
エリチェの人にとってクリスマスよりも楽しみな死者の日、フェスタ・デイ・モルティはもうすぐです。


 エリチェの幼稚園 


ナレーション
街では心待ちにしている死者の日、フェスタ・デイ・モルティが近づいてきました。街で唯一の幼稚園では、お祭りの準備中。園児は全部で11人。いったい何をしているのかな。

幼稚園の保育士
フェスタ・デイ・モルティのことをもっと身近に感じるための工作をしているのよ。できあがったらみんな家に持ち帰るわ。

ナレーション
黄色の紙を切って子どもたちが作っているのは菊の花。こちらは(菊の花の)塗り絵だね。イタリアでもお墓参りに行くときは菊の花を持って行くんですって。こちらも日本と似ていますね。

幼稚園の保育士
菊の花をなぜお墓に持って行くのか、伝説もあるから、その話もして聞かせるのよ。そしたら子どもたちにも分かりやすいから。

ナレーション
君も菊の花をもってご先祖さまに会いにいくの?

幼稚園の男の子
ご先祖さまはそばで見ているよ。いつも。ぼくがミニカーで遊んでいるところなんかをね。

ナレーション
ご先祖さまはいつも見守ってくれているんだものね。


 エリチェのお菓子屋さん 

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マリア(左下)が営むエリチェの菓子店。フェスタ・デイ・モルティが近づくとフルッタ・マルトラーナを求めるお客さんがたくさんやって来る。


ナレーション
一方、こちらは街のお菓子屋さん。フェスタ・デイ・モルティに欠かせないお菓子作りに大忙しです。果物の形をしたフルッタ・マルトラーナ。シチリアの特産、アーモンドの粉で作るお菓子です。フェスタ・デイ・モルティが近づくとフルッタ・マルトラーナを求めるお客さんがたくさんやって来ます。ここはエリチェで55年前からマリアが営むお店。

マリア
フルッタ・マルトラーナはご先祖さまに捧げるもの。修道院で生まれたお菓子なのよ。昔ね、修道院には大きなお庭があって、11月の1日と2日にお祭りが行われていたの。そのお祭りのとき、修道院に司教さまが来ることになった。でもその時期、庭は枯れていて、とても寂しかったから、修道女たちは果物形のお菓子を作って、庭の木をカラフルに飾って、司教さまをお迎えして喜ばせたの。それがフルッタ・マルトラーナの始まりよ。


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フルッタ・マルトラーナはアーモンドの粉で作るお菓子(=マジパン、ないしはマルチパン)。果物(フルッタ)の形で本物そっくりの彩色がしてある。お供え物ではなく、食後に皆で食べる。マルトラーナはシチリアの州都・パレルモのマルトラーナ教会のことで、マリアが言うように以前は修道院が併設されていた。

 エリチェの広場 


ナレーション
いよいよフェスタ・デイ・モルティ前夜。夜7時、街の人たちが街の広場に集まりました。サーラの母親のシルヴァーナです。子どもたちの手には、あの音が鳴る缶。みんな手作り。サーラもやってきました。

ティッティ
これから街の中を練り歩いて、街中に、今夜プレゼントを持ってご先祖さまがやって来るって伝えるのよ。

シルヴァーナ
さぁ、静かに。ルールを伝えるわ。歌を歌っている間は缶を鳴らさないこと。歌を歌い終わったら缶を鳴らすのよ。やってみるわよ。1・2・3。

「月曜 火曜 水曜 木曜 金曜 土曜。扉を開けて。ご先祖さまが来るから。」

(子どもたちは缶を鳴らす)

ナレーション
いつも決まって歌われる歌です。行列にはエリチェの街のほとんどの子どもたちが集まりました。


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子供たちは歌を歌い、缶を鳴らしながら街を練り歩く。大人たちがサポートにまわる。

子供たちとそれをサポートする大人の行列は、歌を歌い、缶を鳴らしながら街を練り歩きます。そして民家の前にくると大きな声で歌を歌い、缶を鳴らします。それに応えて家から出てきた人は、子どもたちにお菓子を配ったり、手作りのケーキを振る舞ったりします。


ナレーション
かつて行列した人も、今はささえる側に。この街の伝統がいつまでも続くようにと盛り上げます。手作りのお菓子を準備した女性も。170年以上、毎年繰り返えされてきた伝統です。


 サーラの家 

サーラが去年のフェスタ・デイ・モルティの日に自分のベッドの下で見つけた "宝物" を見せます。


ナレーション
誰からかな?

サーラ
たぶんシルヴァーナおばあちゃんから。私のママのことを大好きだったおばあちゃんだし、ママにはイヤリングをくれたから、私にもこれを持って来てくれたんだと思うの。

ナレーション
寝る前には大切な準備があります。


シーラとお母さんのシルヴァーナは、シルヴァーナおばあちゃん、ニーノおじいちゃん、ササおじいちゃん、アンナおばちゃんの写真を飾ります。サーラが5歳のときに亡くなったおばあちゃんや、会ったこともないご先祖さまの写真もあります。そしてろうそくに火を灯します。


シルヴァーナ
ろうろくは消さないのよ。じゃないとご先祖さまがここへ来る道が分からなくなっちゃうから。

ミケーレ
ご先祖さまが来るの? いま?

シルヴァーナ
みんなが寝たら来るのよ。寝ないとご先祖さまは来ないわ。さぁ、寝るわよ。

サーラ
おやすみ。(子どもたちは寝室に去ります)

ナレーション
おやすみ。それにしても行列に街中の人が参加していてびっくりしたな。



シルヴァーナ
フェスタ・デイ・モルティってね、私たちエリチェの人たちにとってすごく大切で愛着のある行事なの。私たちがいる限りこのお祭りは続いていくわ。それはつまりエリチェ山の住人ね。実はエリチェってね、本当はとても広くて山の裾野も含んでいるけど、このお祭りを行っているのはこの山の上だけ。エリチェ山に人が住む限り守っていくつもりよ。だって私たち山の住人はみんなこのお祭りを愛しているんだもの。

フェスタ・デイ・モルティってね、人生で何が大切か、自分がこの世に生まれてきた意味みたいなことを考えるきっかけにもなるわ。心がこもっているから。このお祭りがなくなることは決してないわね。

ナレーション
いよいよ死者の日、フェスタ・デイ・モルティ。サーラたちのところにご先祖さま、ちゃんと帰ってきてくれるかな。


 サーラの家:フェスタ・デイ・モルティ当日の朝 

朝起きたサーラとミケーレは家じゅう、プレゼントを探し回ります。見つけたのはお菓子、靴下、猫のベッド、・・・・・・。そしてサーラは机の上にペンのケースを見つけます。


サーラ
これって・・・。私が大好きなペンよ。ママ、これ本当に欲しかったやつ。私が大好きなペンよ。インクがなくなっても一生大切にするわ。これはご先祖さまにお願いしてなかったの。でも本当に欲しかったペンなの。

ナレーション
どうしてお手紙に書いていないのに、このペンが欲しいと、ご先祖さまは分かったのかな。

サーラ
学校の友達がこのペンを1本くれたの。それをとっても気に入ったことをご先祖さまは見ていたんだと思うわ。

シルヴァーナ
そうよ、いつもそばにいるのよ。亡くなってもそばで見守ってくれてるの。

ミケーレ
ご先祖さまは死ぬの?

シルヴァーナ
亡くなったらどこへ行くの? お空でしょ。キリストさまと一緒に。そして何になるの? 天使? 天使はどんな風に飛ぶんだっけ?

(ミケーレが飛ぶまねをします)

シルヴァーナ
そう、ご先祖さまもそんな風に飛ぶのよ。ろうそくをつけたでしょ。だからご先祖さまが昨日の夜、ここにプレゼントを持ってきてくれたのよ。ほらあそこ。(写真を指さして)ニーノおじいちゃん、シリヴァーナおばあちゃん。ササおじいちゃんとアンナおばあちゃん。

ナレーション
ご先祖さまはちゃんとプレゼントを持って来てくれました。会ったことがないご先祖さまのことが子どもたちの心に刻まれていきます。


ご先祖さまは親戚の家にもプレゼントを届けてくれます。サーラたちは、いとこたちと一緒にティッティ叔母さんお店に行きます。そこには子どもたちの名前といっしょにおもちゃのプレゼントが家のあちこちにありました。子どもたちは大喜びです。

 街の共同墓地 

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エリチェの街の共同墓地。壁に墓碑がはめ込んである。フェスタ・デイ・モルティの日、街の人々は墓地を訪れる。


ナレーション
プレゼントを受け取ったあとは、ご先祖さまのお墓へと向かいます。お墓の前にはお花屋さんも。

シルヴァーナ
これは菊の花。この季節に咲く花で、お墓に持って行くのよ。

ナレーション
カラフルで綺麗。ご先祖さまも喜びそう。街じゅうの人たちがお墓を訪れます。ご先祖さまは子どもたちの成長も見つめています。


欲しいと思っていたおもちゃをもらったサーラは、ご先祖さまのお墓に菊の花を供えます。

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墓地には花屋が出店している。そこで買った菊の花をサーラがご先祖さまの墓碑に供える。


ナレーション
ご先祖さまが帰ってくるフェスタ・デイ・モルティ、死者の日。また一年後の再会を約束します。


 教会:フェスタ・デイ・モルティの日の夜 

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エリチェの街の教会。フェスタ・デイ・モルティの日の夜にミサが行われる。


ナレーション
エリチェは深い霧に包まれていました。死者の日、フェスタ・デイ・モルティのあと、人々は教会のミサへ。

あっ、ティッティ叔母さん。ということは ・・・・・・。やっぱりサーラ。そして隣にはお母さんのシルヴァーナ。

これからもエリチェの人たちはご先祖さまに温かく見守られながら、暮らしていくんだろうな。

[終]


番組の感想


以下はこのNHKの「世界ふれあい街歩き」スペシャルを見た感想です。まとめると、エリチェの「死者の日(フェスタ・デイ・モルティ)」は、大人から子どもまでの住民が次のような考えと行動を共有することで成り立っています。

① ご先祖さまは、いつもそばで子どもたちを見守っていてくれる。

② ご先祖さまは年に一回、フェスタ・デイ・モルティの日に家に帰ってくる。住民たちはご先祖さまが迷わないように、一晩中、ろうろくを灯しておく。

③ ご先祖さまが帰ってくることを告げるため、子どもたちは前日の晩に街を練り歩く。

④ ご先祖さまは家に帰ってきた "あかし" として、子どもたちにプレゼントを残していく。

⑤ フェスタ・デイ・モルティの日、住民たちはお墓にお参りし、菊の花を供え、ご先祖さまを偲ぶ。

⑥ フェスタ・デイ・モルティの日には教会でのミサに参加する。

このうち、① ② ③ ④ は先祖崇拝、ないしは先祖祭祀です。④ のサンタクロースばりのプレゼントはエリチェ独特だと思いますが、それも「先祖が家に帰ってくる」という概念の一貫で、それをより強く継承していくための "しかけ" でしょう。

このような先祖崇拝は本来、キリスト教とは無縁です。現在のキリスト教の宗派のなかには先祖祭祀に寛容なところもあるようですが、たとえば ② の「先祖の霊がこの世に帰ってくる」ところなどは、明らかにキリスト教のコンセプトと対立します。

そういえば日本のお盆も、本来の仏教にはないものです。それが仏教行事の一部として取り入れられ、お盆には帰ってきた先祖さま(仏さま)のためのお膳を仏壇に用意し、そして、送り火で先祖の霊があの世に戻っていくのを送る。

エリチェ(イタリア)、日本、そして No.29 のレッチェンタール(スイス)に共通しているのは、自分たちは先祖と繋がっているという感覚であり、それはグローバルなものでしょう。それがキリスト教や仏教と習合して息づいています。

ヨーロッパと言うとキリスト教文化が根幹にあり、特にイタリアは "おおもと" であるカトリックの総本山です。そのキリスト教の考え方は、キリスト教徒ではない大部分の日本人にとっては非常にわかりにくいものです(No.41-42「ふしぎなキリスト教」)。しかし民衆レベルの死生観は意外と日本とも似ているのではないか、世界共通の要素が多分にあるのではないか。この番組を見てそう思いました。




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