No.256 - 絵画の中の光と影 [アート]
No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」で、三浦佳世氏の同名の本(岩波書店 2018)の "さわり" を紹介しました。その三浦氏が、2019年3月の日本経済新聞の最終面で「絵画の中の光と影 十選」と題するエッセイを連載されていました。日経の本紙なので読まれた方も多いと思いますが、「視覚心理学が明かす名画の秘密」の続編というか、補足のような内容だったので、是非、ここでその一部を紹介したいと思います。
左上からの光
「視覚心理学が明かす名画の秘密」であったように、フェルメールの室内画のほぼすべては左上からの光で描かれています。それは何もフェルメールだけでなく、西洋画の多くが左上からの光、それも30度から60度の光で描かれているのです。その理由について No.243 であげたのは次の点でした。
三浦氏の「絵画の中の光と影 十選」には、この前者の理由である「画家は窓を左にしてイーゼルを立てる」ことが、フェルメール自身の絵の引用で説明されていました。ウィーン美術史美術館にある『画家のアトリエ(絵画芸術)』という作品です。
なるほど、これはそのものズバリの絵です。この絵において画家はマールスティック(腕鎮)の上に右手を乗せ、左上からの光でモデルの女性を描いています。現代ならともかく、照明が発達していない時代では描くときの採光が大きな問題だったと推察されます。そして、三浦氏は次のようにも書いています。
この文章を読んでハッとしました。No.243 にも掲載したフェルメールの「手紙を書く女と召使い」という絵を思い出したからです。
2度も盗難にあったという有名な絵ですが、前々からこの絵にはある種の違和感というか、"ぎこちなさ" を薄々感じていました。この感じは何なんだろうと思っていたのですが、この絵は実は "不自然" なのです。女性がわざわざ手元を暗くして手紙を書いているからです。普通なら、座る向きを全く逆にして(ないしは窓に向かう位置で)手紙を書くでしょう。その方が明らかに書きやすい。三浦氏の文章で初めて、薄々感じていた "ぎこちなさ" の理由が分かりました。
教室の採光
「視覚心理学が明かす名画の秘密」に、学校の教室は左側に窓があり右側に廊下がある、これは多数を占める右利きの子供の手元が影にならないようにするためだろう、という話が書いてありました。この話について「絵画の中の光と影 十選」では次のようにありました。
「視覚心理学が明かす名画の秘密」には書いてなかったのですが、「教室の左からの採光」は明治時代からの政府方針で決まったいたのですね。これは初めて知りました。
右上からの光:レンブラント
左上からの光が自然だとすると、右上からの光は "自然ではない" ということになります。この "自然ではない光" を「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、カラヴァッジョの『マタイの召命』と、キリコの『街の神秘と憂鬱』を例にとって説明してありました(No.243)。今回の「絵画の中の光と影 十選」で示されたのはレンブラントです。
右上からの光が "尋常ならざる光" を表すとしたら、まさにこの絵はぴったりだと言えます。
右上からの光:応為
日本においても江戸後期になると西洋絵画の影響を受け、光と影の表現を用いる画家が出てきました。次の絵は北斎の三女の応為が描いた吉原の夜の光景です。明るい遊郭の遊女と、対比的に描かれる戸外の男たちの暗い背中、行灯の光も含めて、光と影が交錯する構図が大変に印象的です。
三浦氏の「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、左へ伸びる影が非現実的な印象を与える例として、キリコの『街の神秘と憂鬱』があげてありました(No.243)。応為とキリコの絵は、文化的背景もテーマも描き方も全く違う絵だけれども「影の描き方と、それが人間の感情に与える効果については似ているところがある」ということでしょう。
下からの光:ドガ
左上からの光が「自然」、右上からの光が「非自然」とすると、下からの光は「まずない」ということになります。しかし、その下からの光で描いた作品があります。
三浦氏が言っている「通常の上からの光による凹凸判断」が分かるのが次の図です。上の図は一つだけ凹のものがあると即断できます。一方、下の図は一つだけ凸のものがあると私たちは即断します。その下の図は、上の図の上下を反対にしただけです。我々の脳は上から光がくると暗黙に想定しているのです。地球上で生活している限りそれは自然です。

人間が顔を認識するメカニズムは特別で、それは赤ちゃんのころから刷り込まれたものがあるということでしょう。
この絵ように下からの光で描かれた絵は、ほかには思い当たりません。しいて言うと、画面の下の方に置かれた蝋燭やランプだけを光源として人物を描いた場合、構図によっては人物の顔が下からの光で描かれることになります(たとえば、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品など)。しかしこれは鑑賞者に光源が分かります。この絵のように「光源が不明だけれど下からの光だと瞬時に判断できる」というのではない。
その意味でこの絵は、既成概念を破って数々の実験的な構図で描いたドガの面目躍如という感じがします。
投映影と付着影:マグリット
葛飾応為が「投映影」と「付着影」を描き分けたとありましたが、本家本元のヨーロッパでは、この2種類の影そのものをテーマにした絵があります。ルネ・マグリットの作品です。
この絵をさらに複雑にしているのは、イーゼルが窓の前にあり、どこまでが景色で、どこまでが絵なのか分からないことです。もちろん、景色も絵もすべてはマグリットが描いた2次元のカンヴァスの中にある。三浦氏は次のように書いています。
色の恒常性:モネの特別な目
「視覚心理学が明かす名画の秘密」には "色の恒常性" ということが書かれていました(No.243)。つまり物体に光が当たると影ができ、色が変化する。しかし、我々の眼はもともとの色を推測して見てしまう。これが "色の恒常性" です。
19世紀、その "色の恒常性" を無視して戸外の風景を描く画家が現れてきました。印象派の画家です。「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、ルノワールの『ブランコ』とモネの『ルーアン大聖堂』が例としてあげられていました。そのモネの『ルーアン大聖堂』が「絵画の中の光と影 十選」の最終回で解説されていました。
このモネの絵は「絵画の中の光と影 十選」の最終回です。上に引用に続けて三浦氏はシリーズ全体のまとめとして次のように書いています。
絵画を見るひとつの視点として「視覚心理学」があり、そのことで絵画鑑賞の "幅" が広がるわけです。
画家は "見ることのプロ" です。その "見ること" とは、網膜の映像を解釈する人間の脳の働きです。その意味で、画家は「人間の脳の働きを究明するプロ」とも言えるでしょう。三浦氏の前著とあわせて、そのことがよく理解できるエッセイでした。
アメリカの画家、エドワード・ホッパー(1882 -1967)の作品には、次のような画題の絵がいろいろあります。
このタイプのホッパーの絵においては、太陽の光は右上から射し込み、影が左に伸びていることが多いと思うのです。すべてがそうではなく、なかには左から陽の光が室内に射す絵もあります。しかし圧倒的に「右上からの光」が多い。そのいくつかの画像を以下に掲げます。制作年の順です。
本文中に、視覚心理学者の三浦佳世氏の解説を紹介しました。西洋絵画では左上からの光で描かれる絵が非常に多い(No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」も参照)。従って右上からの光(と左に伸びる影)の絵画は、無意識に「何かちょっと違うな」とか、「ちょっとした特別感」を感じる。あくまで意識せずにですが ・・・・・・。
ホッパーの絵は、あくまで現実の光景(らしきもの)を描いているのだけれど妙に「作り物感」があり、それでいて「生々しい物語が内蔵されている」と感じます。その感じを醸成する一つの要因が、上に掲げた「右上からの光」ではないでしょうか。
ホッパーの絵画における「光と影」については、いろいろと評論があるようですが、「右上からの光」に触れたものは読んだことがないので、ここに掲げました。
左上からの光
「視覚心理学が明かす名画の秘密」であったように、フェルメールの室内画のほぼすべては左上からの光で描かれています。それは何もフェルメールだけでなく、西洋画の多くが左上からの光、それも30度から60度の光で描かれているのです。その理由について No.243 であげたのは次の点でした。
◆ | 画家の多くは右利きのため、窓を左にしてイーゼルを立てる。描く手元が暗くならないためである。 | ||
◆ | そもそも人間にとっては左上からの光が自然である。影による凹凸判断も、真上からの光より左上30度から60度からの光のときが一番鋭敏である。 |
三浦氏の「絵画の中の光と影 十選」には、この前者の理由である「画家は窓を左にしてイーゼルを立てる」ことが、フェルメール自身の絵の引用で説明されていました。ウィーン美術史美術館にある『画家のアトリエ(絵画芸術)』という作品です。
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ヨハネス・フェルメール(1632-1675)
「画家のアトリエ」(1632-1675)
(ウィーン美術史美術館)
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なるほど、これはそのものズバリの絵です。この絵において画家はマールスティック(腕鎮)の上に右手を乗せ、左上からの光でモデルの女性を描いています。現代ならともかく、照明が発達していない時代では描くときの採光が大きな問題だったと推察されます。そして、三浦氏は次のようにも書いています。
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この文章を読んでハッとしました。No.243 にも掲載したフェルメールの「手紙を書く女と召使い」という絵を思い出したからです。
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フェルメール
「手紙を書く女と召使い」(1670/71)
(アイルランド国立美術館)
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2度も盗難にあったという有名な絵ですが、前々からこの絵にはある種の違和感というか、"ぎこちなさ" を薄々感じていました。この感じは何なんだろうと思っていたのですが、この絵は実は "不自然" なのです。女性がわざわざ手元を暗くして手紙を書いているからです。普通なら、座る向きを全く逆にして(ないしは窓に向かう位置で)手紙を書くでしょう。その方が明らかに書きやすい。三浦氏の文章で初めて、薄々感じていた "ぎこちなさ" の理由が分かりました。
教室の採光
「視覚心理学が明かす名画の秘密」に、学校の教室は左側に窓があり右側に廊下がある、これは多数を占める右利きの子供の手元が影にならないようにするためだろう、という話が書いてありました。この話について「絵画の中の光と影 十選」では次のようにありました。
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「視覚心理学が明かす名画の秘密」には書いてなかったのですが、「教室の左からの採光」は明治時代からの政府方針で決まったいたのですね。これは初めて知りました。
右上からの光:レンブラント
左上からの光が自然だとすると、右上からの光は "自然ではない" ということになります。この "自然ではない光" を「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、カラヴァッジョの『マタイの召命』と、キリコの『街の神秘と憂鬱』を例にとって説明してありました(No.243)。今回の「絵画の中の光と影 十選」で示されたのはレンブラントです。
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レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)
「ベルシャザルの酒宴」(1636-38)
(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
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右上からの光が "尋常ならざる光" を表すとしたら、まさにこの絵はぴったりだと言えます。
右上からの光:応為
日本においても江戸後期になると西洋絵画の影響を受け、光と影の表現を用いる画家が出てきました。次の絵は北斎の三女の応為が描いた吉原の夜の光景です。明るい遊郭の遊女と、対比的に描かれる戸外の男たちの暗い背中、行灯の光も含めて、光と影が交錯する構図が大変に印象的です。
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葛飾応為(1800頃-1866頃)
「吉原格子先の図」(1818-48)
(太田記念美術館)
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三浦氏の「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、左へ伸びる影が非現実的な印象を与える例として、キリコの『街の神秘と憂鬱』があげてありました(No.243)。応為とキリコの絵は、文化的背景もテーマも描き方も全く違う絵だけれども「影の描き方と、それが人間の感情に与える効果については似ているところがある」ということでしょう。
下からの光:ドガ
左上からの光が「自然」、右上からの光が「非自然」とすると、下からの光は「まずない」ということになります。しかし、その下からの光で描いた作品があります。
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エドガー・ドガ(1834-1917)
「手袋をした歌手」(1878)
(フォッグ美術館)
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三浦氏が言っている「通常の上からの光による凹凸判断」が分かるのが次の図です。上の図は一つだけ凹のものがあると即断できます。一方、下の図は一つだけ凸のものがあると私たちは即断します。その下の図は、上の図の上下を反対にしただけです。我々の脳は上から光がくると暗黙に想定しているのです。地球上で生活している限りそれは自然です。

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人間が顔を認識するメカニズムは特別で、それは赤ちゃんのころから刷り込まれたものがあるということでしょう。
この絵ように下からの光で描かれた絵は、ほかには思い当たりません。しいて言うと、画面の下の方に置かれた蝋燭やランプだけを光源として人物を描いた場合、構図によっては人物の顔が下からの光で描かれることになります(たとえば、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの作品など)。しかしこれは鑑賞者に光源が分かります。この絵のように「光源が不明だけれど下からの光だと瞬時に判断できる」というのではない。
その意味でこの絵は、既成概念を破って数々の実験的な構図で描いたドガの面目躍如という感じがします。
投映影と付着影:マグリット
葛飾応為が「投映影」と「付着影」を描き分けたとありましたが、本家本元のヨーロッパでは、この2種類の影そのものをテーマにした絵があります。ルネ・マグリットの作品です。
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ルネ・マグリット(1898-1967)
「ユークリッドの散歩道」(1955)
(ミネアポリス美術館)
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この絵をさらに複雑にしているのは、イーゼルが窓の前にあり、どこまでが景色で、どこまでが絵なのか分からないことです。もちろん、景色も絵もすべてはマグリットが描いた2次元のカンヴァスの中にある。三浦氏は次のように書いています。
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色の恒常性:モネの特別な目
「視覚心理学が明かす名画の秘密」には "色の恒常性" ということが書かれていました(No.243)。つまり物体に光が当たると影ができ、色が変化する。しかし、我々の眼はもともとの色を推測して見てしまう。これが "色の恒常性" です。
19世紀、その "色の恒常性" を無視して戸外の風景を描く画家が現れてきました。印象派の画家です。「視覚心理学が明かす名画の秘密」では、ルノワールの『ブランコ』とモネの『ルーアン大聖堂』が例としてあげられていました。そのモネの『ルーアン大聖堂』が「絵画の中の光と影 十選」の最終回で解説されていました。
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クロード・モネ(1840-1926)
「ルーアン大聖堂」(1892)
(ポーラ美術館)
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このモネの絵は「絵画の中の光と影 十選」の最終回です。上に引用に続けて三浦氏はシリーズ全体のまとめとして次のように書いています。
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絵画を見るひとつの視点として「視覚心理学」があり、そのことで絵画鑑賞の "幅" が広がるわけです。
画家は "見ることのプロ" です。その "見ること" とは、網膜の映像を解釈する人間の脳の働きです。その意味で、画家は「人間の脳の働きを究明するプロ」とも言えるでしょう。三浦氏の前著とあわせて、そのことがよく理解できるエッセイでした。
 補記:ホッパーの右上からの光  |
アメリカの画家、エドワード・ホッパー(1882 -1967)の作品には、次のような画題の絵がいろいろあります。
室内を描いた絵。ないしは部屋のすぐ外(ベランダなど)を描いた絵。 | |
そこには1人、ないしは複数の人物がいる。人物がいないこともある。 | |
その室内、ないしは部屋の外には、太陽の強い光がさし、人物や壁が影を落としている。 |
このタイプのホッパーの絵においては、太陽の光は右上から射し込み、影が左に伸びていることが多いと思うのです。すべてがそうではなく、なかには左から陽の光が室内に射す絵もあります。しかし圧倒的に「右上からの光」が多い。そのいくつかの画像を以下に掲げます。制作年の順です。
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Edward Hopper Girl at Sewing Machine(1921) |
Thyssen-Bornemisza Museum (Madrid) |
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Edward Hopper Eleven A.M.(1926) |
Hirshhorn Museum and Sculpture Garden (Washington, D.C.) |
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Edward Hopper Room in Brooklyn(1932) |
Museum of Fine Arts Boston |
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Edward Hopper Rooms by the Sea(1951) |
Yale University Art Gallery (Connecticut, USA) |
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Edward Hopper Morning Sun(1952) |
Columbus Museum of Art(Ohio, USA) |
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Edward Hopper Hotel by a Railroad(1952) |
Hirshhorn Museum and Sculpture Garden (Washington, D.C.) |
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Edward Hopper Office in a Small City(1953) |
Metropolitan Museum of Art |
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Edward Hopper Sunlight on Brownstones(1956) |
Wichita Art Museum(Kansas,USA) |
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Edward Hopper Excursion into Philosophy(1959) |
Private collection |
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Edward Hopper People in the Sun(1960) |
Smithsonian American Art Museum (Washington, D.C.) |
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Edward Hopper A Woman in the Sun(1961) |
Whitney Museum of American Art |
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Edward Hopper Sun in an Empty Room(1963) |
Private Collection |
本文中に、視覚心理学者の三浦佳世氏の解説を紹介しました。西洋絵画では左上からの光で描かれる絵が非常に多い(No.243「視覚心理学が明かす名画の秘密」も参照)。従って右上からの光(と左に伸びる影)の絵画は、無意識に「何かちょっと違うな」とか、「ちょっとした特別感」を感じる。あくまで意識せずにですが ・・・・・・。
ホッパーの絵は、あくまで現実の光景(らしきもの)を描いているのだけれど妙に「作り物感」があり、それでいて「生々しい物語が内蔵されている」と感じます。その感じを醸成する一つの要因が、上に掲げた「右上からの光」ではないでしょうか。
ホッパーの絵画における「光と影」については、いろいろと評論があるようですが、「右上からの光」に触れたものは読んだことがないので、ここに掲げました。
2019-04-13 07:44
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