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No.220 - メト・ライブの「ノルマ」 [音楽]

No.8「リスト:ノルマの回想」でとりあげたリストの『ノルマの回想』(1836)は、ベッリーニ(1801-1835)のオペラ『ノルマ』に出てくる数個の旋律をもとにリストが自由に構成した曲でした。

実は今まで『ノルマ』を劇場・オペラハウスで見たことがなく、No.8 を書いた時も一度見たいものだと思ったのですが、その機会がありませんでした。ところが先日、メト・ライブビューイングで『ノルマ』が上映されることになったので、さっそく見てきました。No.8「リスト:ノルマの回想」からすると7年越しになります。以下はその感想です。


ベッリーニのオペラ『ノルマ』(1831初演)


ベッリーニのオペラ『ノルマ』のあらすじは、No.8「リスト:ノルマの回想」に書いたので、ここでは省略します。ドラマの時代背景とポイントを補足しておきますと、紀元前50年頃のガリア(現在のフランス)が舞台です。

古代の共和制ローマは紀元前58年~51年、カエサルの指揮のもとにガリアに軍隊を進め、いわゆる「ガリア戦争」を戦いました。この結果、ガリア全土がローマの属州となりました。この過程を記述したカエサルの「ガリア戦記」は世界文学史上の傑作です。その直後のガリアがこのオペラの時代です。

ガリアの住民はケルト民族で、ドルイド教を信仰しています。オペラではドルイド教の巫女みこの長がノルマ、巫女でノルマの部下にあたるのがアダルジーザ、ローマのガリア総督がポリオーネで、この3人のいわゆる "三角関係" でドラマが進行していきます。

ノルマは「神の言葉を民衆に告げるポジション」にある女性で、古代ギリシャや邪馬台国と同じく、国や部族の意志決定を左右する重要人物です。オペラ『ノルマ』では、ガリアの民のローマに対する鬱積した不満や好戦気分を背景に、ローマと戦うべきか、それとも今は服従する "ふり" をすべきか、そういった神の意向をノルマが部族にどう告げるかが一つのポイントになっています。

そのノルマが、実は "敵" の大将のポリオーネと "情を通じて" いて(古い言葉ですが)2人の子供までいるというのが2つめのポイントです。そして3つめは、ポリオーネが既にノルマにめていて、ノルマの部下のアダルジーザに愛情が向かっていることです。これで "三角関係" が成立し、"3つの人間関係" でドラマが進行していきます。俗に言う "三角関係の修羅場"(3人の鉢合わせ)もあります。

ノルマを軸にこのオペラを一言でいうと、ソプラノ(ノルマ)とテノール(ポリオーネ)が、絶対にあってはならない仲になり、最後はソプラノもテノールも死ぬという筋であり、このストーリーはオペラの王道と言えるでしょう。さらにベッリーニの曲が素晴らしく、美しい旋律が満載のオペラです。"ベルカント" という音楽用語は歌い方(=ベルカント唱法)に使われますが、もともとイタリア語の "美しい歌" という意味です。このオペラは "ベルカント・オペラ" です。


メトのオペラ『ノルマ』


メト・ライブの『ノルマ』は、2017年10月7日のメトでの公演をライブ映像化し、日本で2017年11月18日~11月24日に公開されたものです。もちろん本当の意味でのライブではありませんが、公演から1ヶ月そこそこでの映像公開であり「ほとんどライブ」と言ってよいでしょう。上映のタイムスケジュールと指揮・演出・配役は次の通りです。

「ノルマ」タイムスケジュール.jpg

メト・ライブの日本公式サイトには、この公演のキャッチ・コピーとして次のように書かれていました。


ベルカントの2大女王、ソンドラ・ラドヴァノフスキーとジョイス・ディドナートの競演は必見! 伝統的な美感あふれるデヴィット・マクヴィガーの演出で、歴史絵巻を堪能しよう。

(メト・ライブビューイングの
日本公式サイト)

なるほど・・・・・・。映像のなかのオープニングのところでメトの総裁が「しかるべきソプラノとメゾを得たことでこの公演が成立した」という意味のことを語っていました。ベルカントの2大女王が、ベルカント・オペラの最高峰で競演するわけです。つまりこの公演のポイントの二つは、スター・ソプラノ(ラドヴァノフスキー)と、スター・メゾ(ディドナート)です。そしてもう一つのポイントがキャッチ・コピーにある「伝統的な美感あふれる演出」(マクヴィカー)です。

Sondra Radvanovsky and Joyce DiDonato.jpg
第1幕 第1場。ノルマが登場する場面。ラドヴァノフスキー(ノルマ。右)とディドナート(アダルジーザ)

改めて思ったのはノルマという役の難しさです。ドラマとしても難しい役ですが(ガリアの巫女とローマ総督の愛人の二律背反)、合計4場のオペラのほとんど全てに出演しっぱなし、歌いっぱなしです。ラドヴァノフスキーは幕間のインタビューで「難しいところは」と聞かれて「Everything !」と答えていましたが、まったくその通りです。ラドヴァノフスキーは最後までしっかりと歌いきっていました。ノルマを任される歌手ならそれぐらい歌えて当たり前なのかもしれませんが、さすが "スター・ソプラノ" だと思いました。

演出にもよるのでしょうが、ラドヴァノフスキーのノルマは随分と "人間的" です。二律背反に苦悩するという "人間としての姿" が強調されています。それは第1幕・第1場でノルマが初めて登場する場面(下の画像)から顕著です。初めから結末(自分の死)を予感しているような感じもある。意図的にそういうノルマ像を作ったのだと思いました。以下、メト・ライブを見て感じたことを何点かあげます。

Norma Act1 Scene1b.jpg
第1幕 第1場。ノルマがこのオペラで最も有名なアリア、「清き女神よ」を歌う前後の場面。舞台の中心にあるのはオーク(楢)の大木で、これはドルイド教徒の聖なる樹である。


ジョイス・ディドナートが素晴らしい


この公演では、アダルジーザ役のジョイス・ディドナートも素晴らしいと思いました。考えてみるとアダルジーザはノルマ以上に難しい役です。ガリアの巫女とローマ将軍の愛人の二律背反に加えて、結果として上司(ノルマ)を裏切った女を演じる必要がある。

ディドナートの多彩な声の表情、変化に富んだ表現力、歌唱の技術で、その存在感が抜群でした。第2幕・第1場にノルマとアダルジーザの美しい2重唱がありますが、ディドナートはインタビューでその難しさについて「ほとんど同じ旋律をソプラノとメゾ・ソプラノが別の感情で歌う難しさ」だと言っていました。そのあたりも良かった。上司と部下という立場の違いに加えて、結果として "恋敵" になってしまった二人が、何とか分かり合おうとする感情が、歌い方でよく表現されていました。

改めて思ったのは、『ノルマ』は最高の技量をもった女性歌手が2人揃わないと成立しないオペラだということです。メトの支配人の言う通りです。我々がよく聞くのは、『ノルマ』は一時期上演されなかった、それはノルマ役が難し過ぎるから、それを復活させたのがマリア・カラスだったという話です。No.8「リスト:ノルマの回想」にはそのマリア・カラスが語った『ノルマ』についての "思い" を引用しました。

しかしノルマだけが素晴らしくても、このオペラはダメなのですね。歌唱力と演技力を備えたソプラノとメゾソプラノが必須である。そのことがメト・ライブを見てよく分かりました。

Joyce DiDonato.jpg
第2幕 第1場。ノルマの家。アダルジーザ役のジョイス・ディドナート


司会のスザンナ・フィリップス


今回のメト・ライブの司会はソプラノ歌手のスザンナ・フィリップスでした。司会は初めてのようでしたが、彼女はこのとき "おめでた" です(2017年10月7日のライブ収録時)。下の画像のジョイス・ディドナートへのインタビューでは、最初の挨拶でディドナートに「Hi ! Suzanna and company !」と言われていました。"company" とは "お連れさん" ぐらいの意味ですね。

そして何と彼女は、出産後の2018年2月24日にプッチーニの『ラ・ボエーム』にムゼッタ役で出演する予定であり、その映像はメト・ライブとして2018年3月31日~4月6日に公開されるというのです。大丈夫なのかと思いますが、インタビュー中で「何とか間に合う」という意味のことを言っていました。たとえば、11月に出産したとして年内は子育てに専念、1月のどこかから本番に向けて練習開始ということなのでしょう(あくまで想像ですが)。『ラ・ボエーム』ムゼッタ役は彼女がメトにデビューした役で、十八番おはこのようです。だからできるのでしょうが、スザンナ・フィリップスのバイタリティーと言うか、ポジティブさに感心しました。

メト・ライブはオペラ歌手が司会者になり、オペラ歌手や演出家、支配人、舞台担当にインタビューをしたり、またオペラの楽しみを語ったりするわけで、オペラ鑑賞する以外に普段聞けないような話があります。そこが面白いところです。

Joyce DiDonato and Susanna Phillips.jpg
第1幕と第2幕の幕間で、ジョイス・ディドナート(左)にインタビューするスザンナ・フィリップス(右)


森と家の場面転換


この公演で印象的だったのは舞台作りと場面転換です。『ノルマ』というオペラは、

第1幕・第1場 森
第1幕・第2場 ノルマの家
第2幕・第1場 ノルマの家
第2幕・第2場 森(第1幕とは別)

と進みます。第1幕・第1場で舞台の真ん中にあるのはドルイド教における神聖な樹であるオーク(楢)です(下図)。このオークはあえて根がむき出しになるようにしつらえてありました。

第1幕・第2場はノルマの家(隠れ家)です、この家はオークの根が地中にあって、そこに作られたという想定です。演出のデヴィット・マクヴィカーがインタビューでそう語っていました。オークの樹につつまれて二人の子どもを住まわせている家があるわけです。

そして第1場から第2場への転換は、幕を降ろさずに照明を暗くしただけで行われました。これは、メトの舞台が2階建てになっていて、その "2階建て" を上下させるだけで場面が転換できるからです。さらにメトでは左と右と奥に3つの舞台があり、そのどれかを水平にスライドさせて場面を転換することもできる。つまり合計5つの舞台をスピーディーに入れ替えられるわけで、いかに大がかりなオペラハウスかということがよく分かりました。これもインタビューで語られていたことで、こういう知識がつくのもメト・ライブの良さでしょう。

Norma Act1 Scene1a.jpg
第1幕・第1場の舞台。真ん中にあるのはドルイド教における神聖な樹であるオーク(楢)で、あえて根をむき出しにした造形になっている。ちなみに日本ではコナラ属の木を樫(常緑性)と楢(落葉性)に言い分けるが、舞台装置でも分かるようにオークは落葉性であり、訳は楢が適当。

Norma Act1 Scene2.jpg
第1幕・第2場の舞台。場面はノルマの家(隠れ家)。柱に相当する上下方向の木はオークの根であり、根の中の空間に作られた家という想定である。


『ノルマ』が暗示するもの


『ノルマ』というオペラはシンプルです。場面も森と家しかないし、主要な登場人物はノルマの父のオロヴェーゾを入れても4人です。ストーリーもどちらかと言うと単純です。このオペラの見所・聞き所はあくまで歌手の歌唱と心理演技、ベッリーニの音楽なのでしょう。

しかしもっと大局的に考えると、このオペラは「文明」(=ローマ)と「自然」(=ノルマを始めとするガリアの民、およびガリアの自然そのもの)の相克ととらえることができそうです。

まず、ローマ総督のポリオーネは非常に "イヤな男" として描かれます。征服者の権力をカサにきて被征服民の女性(それも神に仕える身である巫女)に手を出すのだから、イヤな男どころか "非道な男" と言ってもいい。ポリオーネ役のジョセフ・カレーヤに司会のスザンナ・フィリップスがインタビューする場面がありましたが、スザンナはジョセフ・カレーヤに「一人だけでなく、二人の女性の人生を台無しにした男ですよね」と突っ込んでいました。確かにそうです。

一方のノルマとアダルジーザは、人間としての相反する感情の軋轢に苦しみつつも、互いを理解しようとします。またノルマは最後に「裏切り者はこの自分だ」と自ら告白し、2人の子どもを父に預けて、毅然として処刑台に向かう。ポリオーネも最後には "改心" するのですが、それもノルマの "人間としての気高さ" に触れたからです。ノルマは最後に死を選ぶことによって大地に戻り、その行為でガリアの民に生き方を示した。ノルマの人間としての気高さの勝利で、このオペラは終わります。

演出のデヴィット・マクヴィカーはスコットランドのグラスゴー出身です。グラスゴーには有名なサッカー・クラブである "セルティックFC" がありますが(かつて中村俊輔がプレーした)、セルティックとは「ケルト人、ケルトの」という意味です。ウェールズ、アイルランドと同じく、スコットランドにはケルト文化の名残りが色濃く残っています。また英国からの独立運動にみられるように、独自性を主張する気風が脈々としてある。そういう地域の出身である演出家は『ノルマ』に描かれた "ケルト" を強く意識したことでしょう。それは "樹" に強くこだわった舞台装置にも現れていると思いました。

文明の物質的な圧力に抗して、自然とともに生きる人間の精神の勝利、というのが、このオペラのもっとも大局的な "見立て" だと思いました。



余談ですが『ノルマ』のエンディングを見ながらふと思い出したオペラがあります。このエンディングではノルマが(ポリオーネとともに)火の中に向かう(火刑台に向かう)のですが、これで思い出したのがリヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指環』の最後の最後の場面、『神々の黄昏』でブリュンヒルデが愛馬グラーネとともに炎の中に飛び込むシーンです。ブリュンヒルデはそれで大地に帰り、指環はラインの乙女に戻り、時が循環し、時代が進む。

ワーグナーはベッリーニを大いに評価していたようです。ひょっとしたら『指環』のエンディングを構想するときに『ノルマ』が念頭にあったのかもしれません。フランツ・リストは『ノルマ』に感じ入って『ノルマの回想』を作曲したぐらいだから・・・・・・。




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