No.186 - もう一つのムーラン・ド・ラ・ギャレット [アート]
ポンピドゥー・センター傑作展
2016年6月11日から9月22日の予定で「ポンピドゥー・センター傑作展」が東京都美術館で開催されています。今回はこの展示会の感想を書きます。この展示会には、以下の4つほどの "普通の展示会にあまりない特徴" がありました。
 1年・1作家・1作品  |
まず大きな特徴は「1年・1作家・1作品」という方針で、1906年から1977年に制作された71作家の71作品を制作年順に展示したことです。展示会の英語名称は、
Masterpieces from the Centre Pompidou : Timeline 1906-1977
とありました。つまり Timeline = 時系列という展示方法です。制作年順の展示なので、当然、アートのジャンルや流派はゴッチャになります。
デュフィ
「旗で飾られた通り」(1906) |
しかし、だからこそ20世紀アートの同時平行的なさまざまな流れが体感できました。Timeline 1906-1977 だと72作品になるはずですが、71作品なのは1945年(第2次世界大戦の終了年)だけ展示が無いからです。
ちなみに、最後の1977年はポンピドゥー・センターの開館の年です。では、なぜ1906年から始まっているのでしょうか。なぜ1901年(20世紀最初の年)ではないのか。おそらくその理由は、1906年のデュフィの作品 = フランス国旗を大きく描いた作品を最初にもって来たかったからだと思いました。"世界のアートの中心地は20世紀においてもフランス(パリ)である" と明示したかったのだと想像します。
 幅広いジャンル  |
ここに展示されているのは絵画だけではありません。彫刻、写真、建築(ポンピドー・センターの設計模型)と、幅広い。レディ・メイド作品(= マルセル・デュシャン)や、梱包(= クリスト)、ガスマスクを並べた作品まであります。絵画も抽象絵画からスーパー・リアリズムまである。現代アートの "何でもあり感" がよく出ていた展示会でした。
 言葉とアートの結合  |
「ポンピドゥー・センター傑作展」のポスター。絵はピカソの「ミューズ」
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さらに、"言行録" がたくさん残っているメジャーなアーティストだと、最も展示作品にマッチした言葉を選ぶ検討をしたと思います。たとえば、ピカソの「ミューズ」に添えられていた言葉は「私は、他の人たちが自伝を書くように絵を描く」というものでした。この言葉どおりに「ミューズ」が自伝だとすると「描かれている2人の女性は誰だ」ということになり、一人はマリー=テレーズだろうが、もう一人は "正妻" のオルガかもしれない ・・・・・・ みたいなことになってくるわけです。
言葉を "味わい"、作品を "鑑賞する" という、この展示方法は確かに新鮮でした。一人のアーティストにフォーカスした展示会での「言葉」はよくありますが、このようにすべての作品にアーティストの言葉を付けたのはめずらしいのではないでしょうか。
 展示場デザインというアート  |
会場のデザインもユニークです。デザインしたのは建築家の田根剛さんです。東京都美術館の地階から2階までの3フロアを使った展示場ですが、その様子を以下に示します。
「ポンピドゥー・センター傑作展」の展示場の画像とレイアウト。3フロアで赤・青・白のトリコロールを使い分け、展示パネルのデザインもフロアごとに変えてある。画像は www.museum.or.jp、www.asahi.com より引用。レイアウト図は、会場で配布された出品作品リストより引用した。
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3フロアで赤・青・白のフランス国旗色を使い分け、展示パネルのデザインも変えてあります。これは「展示場デザイン」というアートであり、実は72番目の作品なのでした。色までトリコロールというのはちょっと "やりすぎ" の感がありますが、それだけフランス関係者の "肝入り" だということでしょう。
実際に展示されていた作品ですが、以前にこのブログでとりあげた作品と関係の強い2作品だけを紹介します。たまたまですが、展示の一番最初のパートである 1906-1909 の中の2作品です。
1907年 ジョルジュ・ブラック
ジョルジュ・ブラック(1882-1963)
『レック湾』(1907)
(ポンピドゥー・センター)
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No.167「ティッセン・ボルネミッサ美術館」で、ジョルジュ・ブラックの『海の風景、エスタック』(1906)という作品を紹介しましたが、それとほぼ同時期の作品です。レック湾はマルセイユの東の近郊、サン・シル・シュル・メールにあります。つまり、マルセイユの漁村を描いた『海の風景、エスタック』とほぼ同一の画題です。
ジョルジュ・ブラック
「海の風景、エスタック」(1906)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)
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この2作品は、近景=土地と木、中景=海、遠景=山と空、という構図がよく似ています。No.167で『海の風景、エスタック』は、マティスの『生きる喜び』(バーンズ・コレクション所蔵)と似ていてその影響を感じるとしたのですが、その意味ではこの絵もマティスに似ていると言えるでしょう。もっともそう言ってしまうと、フォービズムっぽい絵は全部マティスに似ていることになってしまって意味がないかもしれません。
原色に近い強い色彩も使われていますが、そうでない色もある。しっかりとした造形の中の自由に発想した色使いが素敵な感じで、いい作品だと思います。
絵とともに掲げられていたジョルジュ・ブラックの言葉は、
当初の構想が消え去ったとき、絵画は初めて完成する。 |
というものでした。ちょっと分かりにくい言い方ですが、まじめな解釈もできそうです。つまり、
画家は絵を描こうとするとき、まず形や色の構想をたてる。しかしいったん描き始めると、描いた部分に触発されて構想が変化する。その繰り返しで次々とカンヴァスが埋められていき、描き終わった時には当初の構想は消え去っている。そういった "創発的な" プロセスが絵を描くという行為だ |
と言いたいのでしょう。『レック湾』についての発言ではないはずですが、そういう視点でみるとこの『レック湾』の色使いは、描いているうちに色が色を呼び寄せて、当初の構想とは違った "色彩のハーモニー" に仕上がったのかもしれません。
1908年 オーギュスト・シャボー
オーギュスト・シャボーは、ジョルジュ・ブラックと同年生まれのフランスの画家です。この画家の名前と絵は、ポンピドゥー・センター傑作展で初めて知りました。
オーギュスト・シャボー(1882-1955)
『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』(1908/9)
(ポンピドゥー・センター)
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モンマルトルのダンスホール、ムーラン・ド・ラ・ギャレットと言えば、オルセー美術館のルノワールの絵(1876)が超有名で、いわゆる印象派の代表作の一つになっています。この絵はポンピドゥー・センター傑作展より一足先に始まった国立新美術館のルノワール展(2016年4月27日~8月22日)で展示されました。
ルノワール
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1876)
(オルセー美術館)
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さらに、ピカソも『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いています(1900)。グッゲンハイム美術館にあるその絵は、No.46「ピカソは天才か」と、No.163「ピカソは天才か(続)」で取り上げました。特にNo.163では中野京子さんの解説に従って、ピカソの時代のこのダンスホールが夜は "レズビアンの溜まり場" としても有名だったことを紹介しました。
ピカソ
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1900)
(グッゲンハイム美術館)
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このブログでは取り上げませんでしたが、ゴッホやロートレック、そしてユトリロも『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』を描いています。次のゴッホとユトリロの絵は風車をポイントにした風景画であり、ロートレックの絵は人物に焦点が当たっている絵です。ゴッホの絵には人物が配されていますが、ユトリロの絵には人気がないのも、いかにも画家の個性が出ている。ルノワール、ピカソ、ゴッホ、ロートレック、ユトリロのそれぞれの『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』は、"五者五様" と言えるでしょう。
ゴッホ 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1886) (ベルリン新国立美術館:Wikipedia) |
ロートレック 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1891) (ポーラ美術館) |
ユトリロ
「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」(1910) (ポーラ美術館) |
そして "もうひとつのムーラン・ド・ラ・ギャレット" が、今回のオーギュスト・シャボーの絵です。この絵は "夜の外観" を描いたという点で、以前の5人の絵とはまた違います。目立つのは光の黄色で描かれた店の名前とBAL(=ダンスホール)という文字、店の内部からの光です。暗い青で描かれた風車があり、黒っぽい人物や馬車が店の前に配置されている。ところどころに、星や反射光を表す橙や青の点がちりばめられています。
ピカソより8年ほど後の絵ですが、この時点でもムーラン・ド・ラ・ギャレットが "レズビアンの溜まり場" だったのかどうかは知りません。ただ、店の前に馬車が2台とめてあるのをみると、やはり富裕層がナイトライフを楽しむ場だったことが想像できます。
絵で目立つのが黄色です。特に店の中から漏れ出てくる強烈な光が印象的です。おそらくピカソが描いた時期より電灯が高性能になり普及したのでしょう。また「夜景の中の黄色の光」ということでは、ゴッホの『夜のカフェテラス』を連想しました。
絵とともに掲げられていたオーギュスト・シャボーの言葉は、
芸術作品が成立する根底に欲求や喜びがあるなら、そこにはまた人々の生活との接触、つまり人間的な触れ合いがある。 |
でした。別に解釈の必要がない文章ですが、オーギュスト・シャボーはパリの市民生活を題材にした絵をいろいろ描いたと言います。この絵もそういった絵の中の1枚でしょう。20世紀初頭の大都市・パリの繁栄も感じさせる絵です。
編集の威力
最初に書いたように、この展示会は「1年・1作家・1作品・1言葉・制作年順展示」という方針で構成されているのですが、この展示会を立案したキュレーターの方の実力というか、その企画力に大いに感心しました。
そもそも「1年・1作家・1作品」という制約を前提としつつ、20世紀アートを(なるべく)概観できるようにするためには、パズルを解くような検討が必要だったはずです。ポンピドゥー・センターには膨大なコレクションがあるとはいえ、いろいろとシミュレーションを繰り返したと思います。制約の中で企画展として成立させるための検討です。たとえば展示会に入場してすぐ、最初の展示パネルに掲げてあるのは1900年代に描かれた4枚の絵であり、順に、
デュフィ | |||
ブラック | |||
シャボー | |||
ヴラマンク |
です。展示場に入ると、まずこの4作品だけが目に入るようになっていますが(展示場の LBF のレイアウト参照)、これらはいずれもフォービズムの範疇に入る絵です。マティスに導かれたフォービズムがモダンアート(20世紀アート)の幕開けだ、と言っているようなキュレーターの意図を感じました。
もっとも、こういう制約条件で絵を選ぶ以上、ポンピドゥー・センターのコレクションの縮図というわけにはいきません。たまたま選ばれた作品もあるでしょう。また、どのようにしようとピカソはたった1点しか出せないし、ブラックのフォービズムの絵を出した以上、最も有名なキュビズムの絵は選ばれない。
しかし71人のアーティストを展示することのメリットは、中には(日本では)ほとんど知られていないアーティストの作品も展示されるということです。ちなみに、2016年8月11日の朝日新聞(夕刊)に、東京都美術館でこの展覧会をみた1300人にベストワンを選んでもらったアンケートの結果が出ていました。
アンリ・マティス | 大きな赤い室内 | ||||||||
パブロ・ピカソ | ミューズ | ||||||||
マルク・シャガール | ワイングラスを掲げる二人の肖像 | ||||||||
ヴァシリー・カンディンスキー | 30 | ||||||||
セラフィーヌ・ルイ | 楽園の樹 | ||||||||
ヤコブ・アガム | ダブル・メタモルフォーゼⅢ | ||||||||
ラウル・デュフィ | 旗で飾られた通り | ||||||||
ロベール・ドローネー | エッフェル塔 | ||||||||
マリー・ローランサン | イル=ド=フランス | ||||||||
ベルナール・ビュッフェ | 室内 |
マティスがダントツの1位(上に掲げた 1F の画像の一番手前の絵)というのは納得だし、著名アーティストが大半とも言えます。しかし、セラフィーヌ・ルイ(5位)やヤコブ・アガム(6位)は、あまり知られていないのではないでしょうか。セラフィーヌ・ルイは30代で聖母のお告げにより絵を独学で描き始めたという女性です。ヤコブ・アガムはキネティック・アートで有名なイスラエル出身の彫刻家です。ちなみに、この個人のベストワン・1点だけの投票で、71作品全部に票が入ったそうです。アンケート上位の10作品の制作時期も、60年以上に渡っています。展覧会を企画したキュレーターの狙いは成功したということでしょう。その「知らないアーティストの作品」の例が(私にとっては)上にあげたオーギュスト・シャボーでした。
キュレーターは作品を創り出しません。アートについての膨大な知識をもとに、作品を選択し、配置し、構成するわけです。これは広い意味での「編集」の一つの形態です。新聞、雑誌、各種の情報誌、図鑑、短編集、企画展、インターネットのまとめサイトなどでは、編集者のスキルや力量が非常に大切です。「編集」という仕事は、個々の作品を創り出すのとは別の意味の「創造」である・・・・・・。「ポンピドゥー・センター傑作展」を見てそう思いました。その意味では、73番目の "作品" はこの企画展そのものということでしょう。
2016-09-03 08:22
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