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No.172 - 鴻海を見下す人たち [技術]

今回は、2016年4月2日に正式決定された「鴻海ホンハイ精密工業のシャープ買収」について書きたいと思います。鴻海精密工業(Hon Hai Precision Industry)に関連しては、前に4つの記事を書きました。

No.58 アップルはファブレス企業か
No.71 アップルとフォックスコン
No.80 アップル製品の原価
No.131 アップルとサプライヤー

の4つです。これらの記事で "フォックスコン" と書いたは、鴻海精密工業の中国子会社、富士康科技集団の通称です。記事の中心はアップル製品の中国大陸における組立てのことだったので "フォックスコン" としました。しかし最近では「鴻海精密工業」の名前が広がってきたし、特にシャープ買収の報道では "鴻海" の名前が広く報道されました。この記事も以下、鴻海としたいと思います。

この買収劇については、さまざな報道がなされました。特に、この買収をどう見るかについて、企業M&Aの専門家から一般市民の街頭インタビューまで、各種の意見が報道されました。その中で私が一番印象的だったのは、以下に紹介する朝日新聞のコラムです。その内容について感想を書きたいと思います。


鴻海隆隆 シャープ寂寂


2016年3月20日(日)の朝日新聞のコラム、"日曜におもう" に「鴻海隆隆 シャープ寂寂」と題したコラムが掲載されました。著者は、朝日新聞の特別編集委員の山中 季広としひろ氏です。大変興味ある内容だったので、以下に引用してみたいと想います。まずコラムの出だしは、筆者が鴻海の本社を訪問した時の話です。


台北郊外にある鴻海ホンハイ精密工業の本社前で車を降りたとたん、地元テレビ4社に撮影された。シャープから来た日本人社員とまちがえられた。

交渉のヤマ場を見逃すまいと張り番の記者がずらり。「違います、私も記者です」と言うと、マイクを取り出して「じゃあひと言。交渉の見通しを」。関心の高さを実感した。

山中 季広としひろ(朝日新聞 特別編集委員)
「鴻海隆隆 シャープ寂寂」
(朝日新聞 2016.3.20)

このコラムが印象的なのは、「鴻海のシャープ買収」を台湾サイドでどう受け止めているかを書いていることです。鴻海の本社前には台湾の各種メディアの「張り番」が陣取り、人の出入りを全部チェックしているわけです。台湾の人たちの関心の高さがうかがえます。


投資会社を経営する蔡明彰さん(57)によると、シャープ買収は特大のニュースだ。「台湾企業が中国へ進出する『西進』、アジアへ進出する『南進』なら珍しくもない。でも日本の名門を台湾企業が買収するのは驚き。かつて日本に植民地化され、いままで日本企業に圧倒されてきましたから」

「鴻海隆隆 シャープ寂寂」

なるほど・・・・・・。台湾の人たちの心情(の一端)が分かるリポートです。あくまで投資会社を経営する一個人の感想ですが、「かつて日本に植民地化され」というところまでさかのぼるわけですね。日本の台湾植民地政策はインフラや学校の整備など台湾の "役にたった" ことも多く、今の台湾の人たちも日本に好意的な人が多いと聞きます。それでも「植民地にされた」のは事実なのです。さらにコラムでは鴻海の郭会長の人物像についても書かれています。


鴻海を率いる郭台銘クオタイミン会長(65)は知らぬ人のないカリスマ経営者だ。大陸生まれの警官を父にもち、専門学校を出て、テレビのチャンネルのつまみ製造から一代で財をなした。1日に16時間働き、夜の24時から幹部会議を開く。

「鴻海隆隆 シャープ寂寂」

これは従来から報道されている通りです。とにかく郭台銘クオタイミン会長は大変な "やり手" であり、カリスマ経営者であることは間違いないようです。ここまでのコラムは、従来の報道(郭会長の人物像)に加えて、台湾の人たちがこの買収をどう見ているかという情報があり、有用な記事だと思いました。

Head Office of Hon Hai Precision Industru(ajw.asahi.com).jpg
鴻海精密工業・本社ビル(台北)
(www.asahi.com)

ところが、その次の文章を読んで「あれっー」と思ってしまいました。コラムが変な方向に行くのです。次の引用です。


鴻海を "見下みくだす" 態度



鴻海は技術力で伸びてきた会社ではない。社運が開けたのは米アップルとの契約からだ。故スティーブ・ジョブズ氏に冷たくあしらわれても郭氏は粘りに粘った。大陸に工場を設け、スマホなどを安く大量に代行製造した。

「鴻海隆隆 シャープ寂寂」

鴻海は技術力で伸びてきた会社ではない」と書いてあるのですが、朝日新聞の編集委員ともあろう人が、こんないいかげんなことを言っていいのですかね

鴻海は、No.71「アップルとフォックスコン」で紹介したように「技術力で伸びてきた」会社だと思います。それはまず「金型製造技術」です。コラムに「テレビのチャンネルのつまみ製造」とあるように、鴻海は電機製品のプラスチック(樹脂)部品の製造で始まった会社です。"つまみ" もそうだし、No.71に書いた各種のコネクタがそうです。これらの部品を製造するためには金型が必要ですが、鴻海はその金型を内製化しているのですね。これは日本の企業では珍しいことです。日本なら「金型専門会社」に製造委託するのが普通だからです。

No.71は中川・東京大学名誉教授の雑誌記事からの紹介でしたが、鴻海は社内に「金型学校」をもち、グループ全体の金型技術者は3万人いるそうです。もちろんエキスパートから経験の浅い技術者まで "ピンキリ" なのでしょうが、3万人というのはありえないような数です。日本全国の金型製造業の従業員総数は10万人程度と推定されているのだから。

  ここでちょっと疑うのですが、ひょっとしたら朝日新聞の編集委員氏は「金型」のような昔からあるアナログ的技術は「技術」の中に入らないと見ているのかもしれません。デジタル技術や、いわゆるハイテクしか目に入っていないのかもしれない。だとすると、ものづくりのことが何も分かっていないということになります。

金型を製造するためには、金属の塊を工作機械で切削する必要があります。この切削技術が生きたのが、鴻海が製造しているアップル製品の筐体きょうたい(= 外装ボディ)です。この外装部品をアップルは "Unibody" と呼んでいますが、この "Unibody" は金属塊から一つ一つ削り出すことで作られているのですね。これに使う工作機械はほとんどがファナックなどの日本製だと言われています。しかし切削に使う超硬工具(ダイヤモンド工具)は鴻海が自社で製造しています。

No.71に紹介したのですが、アップルは "Unibody" の美しさ、デザインの良さをホームページで誇らしげにうたっています。もちろんデザインしたのはアップルですが、そのデザインを具現化し、製造して精密に仕上げたのは鴻海です。アップル社が自社製品の一つの部品だけを取り上げて誇っているのは、この "Unibody" 以外には見たことがありません

アップル製品は大量生産されます。それは多い時には日に50万台とか、そういうレベルの数です。こんな大量生産品の部品を一個一個削りだしで作るというのは、完全に製造業の常識を越えています。その常識を越えた破天荒な製造方法をちゃんとやっている鴻海の技術力は大したものだと思わずにはいられません。会社の正式名称は鴻海精密工業です。「精密」の2文字を入れた創業者の意気込みを感じます。



さらに上の引用での違和感は、アップルとの契約のところの、(スマホなどを安く大量に)「代行製造した」という表現です。「代行製造」とは聞きなれない言葉です。ここはなぜ「製造」ではまずいのでしょうか。鴻海はアップルのスマホなどの最終組立てを行っていますが、代行とは「代わりにやる」という意味であり、アップルがやるべきことを鴻海が代わりにやっているという意味になります。

スマホなどの最終組立ては機械化できず、人手に頼るしかありません。従って鴻海は中国大陸に工場を作り、従業員を集めて人海戦術で行っています。さっき書いたようにアップル製品の製造は日に50万台といった大量製造です。これだけの数の組立てを品質よく、市場不具合を起こさずにやることは必ずしも容易なことではないと思います。確かに金型製造というような意味での精密技術は必要ないかもしれない。しかし従業員の教育から始まって、これだけの大量生産をうまく "廻す" のは、それなりのノウハウの蓄積が必要なはずです。朝日新聞のコラムは「代行」という言葉で、なんとなく価値が低いというニュアンスを匂わせていますが、そんなことはありません。No.58「アップルはファブレス企業か」で書いたように、アップルは自社では絶対にできないことを鴻海に委託しているのだと思います。

この朝日新聞の編集委員氏は「鴻海は技術力がない代行製造会社」と言いたいようですが、何となく鴻海を「見下している」と感じます。しかし、鴻海は「見下す」ような会社ではない。


鴻海ごときに・・・・・・


さらにこのコラムには、違和感を覚える記述が続きます。


本社は簡素な4階建てで、一見どこかの町工場風だ。地味な作りの玄関を見ながら、ふいにSHARPのロゴが頭に浮かんだ。長年親しんだ電卓や掃除機、冷蔵庫を次々に思い出す。

あのシャープがこの鴻海の手に渡るのかと思うと寂しさが胸にズンと来た。

「鴻海隆隆 シャープ寂寂」

あたりまえですが「町工場風の簡素な4階建ての本社」は別に悪いことではありません。鴻海はシャープ買収に4000億円を出す会社です。最新のデザインと建築技術を盛り込んだ本社を建てることぐらい、わけないと思います。なぜ「町工場風」のままなのかは分かりませんが、厳しくコストを削減するという宣言かもしれないし、創業時代を忘れるなという意味なのかもしれない。それに、大阪市のシャープ本社だってそんなに豪華なものではありません。編集委員氏がシャープ本社を取材したのかどうか知りませんが・・・・・・。

朝日新聞の編集委員氏が鴻海について書いた言葉を並べてみると、彼の言いたいことが見えてきます。

テレビのチャンネルのつまみ製造
夜の24時から幹部会議を開く
技術力で伸びてきた会社ではない
粘りに粘った(アップルとの交渉)
安く大量に代行製造した
一見どこかの町工場風

つまり、鴻海精密工業は「技術力はないけれど、猛烈に働くカリスマ経営者に率いられ、馬力で伸びた会社」と言いたいのでしょう。そして、

  このような鴻海ごときに(しかも台湾企業ごときに)シャープが買収されるのは寂しい

と思っているのでしょう。そうはっきりは書いていないが、言外にそう言っている。これでは鴻海傘下になるシャープの社員が可哀想です。

思い起こすと、日本の名門大企業が海外企業の傘下に入ったのはシャープが初めてではありません。そうです。1999年にルノーの傘下になった日産自動車です。朝日新聞の編集委員氏はそのとき「ルノーのような会社に日産が買収されるのは寂しい」と感じたのでしょうか。ルノーのパリ本社は "町工場風" ではなくて立派だから寂しくはなかったでしょうか。それとも、フランスの名門企業に買収されるのはいいが、台湾企業では寂しいのでしょうか。

鴻海のシャープ買収についての各種報道に接して、何となく暗に台湾企業を見下しているような発言を何回か聞いたことがあります。その典型が、この朝日新聞の編集委員氏ということでしょう。

付け加えますと、現在、シャープの社員で不安を感じていない人はいないと思います。しかし第三者の視点で冷静に見ると、鴻海傘下になることで液晶およびシャープの技術の販路が広がり、今後のシャープがグローバルに活躍するチャンスが訪れたことは明白だと思います。そう感じているシャープ社員の方も少なからずいるのではないでしょうか。

Head Office Of SHARP(www.asahi.com)3.jpg
シャープ・本社ビル(大阪市)
(www.asahi.com)


海外企業に「学ぶ」姿勢


朝日新聞の編集委員氏のような見方をしている限り、日本のものづくり企業は危うくなると思います。もちろん彼は新聞社の人間であり、ものづくりとは何の関係もありません。しかし新聞社の編集委員といえば、日本のオピニオンリーダー層の人間のはずです。その人が鴻海精密工業を "見下す" ようなコラムを書いて公表すること自体、大いに問題だと思います。こんな「オピニオン」で「リード」されては、日本の製造業にとって大迷惑というものです。

鴻海精密工業のシャープ買収をひとつのきっかけとして、むしろ "鴻海に学ぶ" という態度が必要だと思います。ものづくりの技術やビジネスモデル、市場の中心はどんどん変化していきます。鴻海精密工業がこれだけの大会社になった理由を研究する意義は十分あると思います。もちろんマネをする必要はないし、また "カリスマ経営者" をマネることなど出来ないのですが、日本企業が参考にすべきものがあるかもしれない。そういった謙虚な態度が必要でしょう。傲慢な態度を続けると転落する。買収のきっかけとなったシャープの液晶ビジネスの経緯は、まさにそいういうことなのだから。





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