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No.167 - ティッセン・ボルネミッサ美術館 [アート]

個人コレクションを元にした美術館について、今まで4回書きました。

No. 95 バーンズ・コレクション
No.155 コートールド・コレクション
No.157 ノートン・サイモン美術館
No.158 クレラー・ミュラー美術館

の4つで、いずれもコレクターの名前がついています。今回はその "個人コレクション・シリーズ" の続きで、スペインのマドリードにあるティッセン・ボルネミッサ美術館です。


マドリードの美術館


マドリードには3つの有名美術館があります。

プラド美術館
ソフィア王妃芸術センター
ティッセン・ボルネミッサ美術館

ですが、この3つの美術館はそれぞれの所蔵作品に特色があります。プラド美術館は古典絵画(18世紀かそれ以前)とスペインの近代絵画(19世紀)が充実していてます。ソフィア王妃芸術センターは、20世紀のモダンアートが中心です(『ゲルニカ』がある)。

それに比較してティッセン・ボルネミッサ美術館は、古典からモダンアートまで幅広い作品が揃っています。特に、他の2つにはない19世紀の(スペイン以外の)印象派・後期印象派の絵、および18世紀以前のオランダ絵画が充実している。その意味で、3館をあわせると西洋絵画の幅広い美術史がカバーできます。

ティッセン・ボルネミッサ美術館1.jpg
ティッセン・ボルネミッサ美術館2.jpg
ティッセン・ボルネミッサ美術館
(白い建物は増築された部分)


ティッセン・ボルネミッサ美術館の設立経緯


ティッセン・ボルネミッサという名称は、スペイン語にはそぐわない感じの、ちょっと変わった名前です。それもそのはずで、ティッセンはドイツの、ボルネミッサはハンガリーの姓名です。なぜドイツでハンガリーなのか、それがなぜスペインの首都の美術館なのか、その理由は美術館が作られた経緯にあります。以下のようです。

ティッセン・ボルネミッサ美術館は、ドイツのティッセン家の親子2代、ハインリヒ、およびハンス・ハインリヒのコレクションを展示した美術館である。

ドイツの鉱山財閥、ティッセン社(現在のティッセン・クルップ)はアウグスト・ティッセンが創業したが、その三男がハインリヒ・ティッセン(1875-1947)である。

ハインリヒは31歳のときに、男爵位をもつハンガリーの貴族、ボルネミッサ家の令嬢であるマルギトと結婚した。と同時に、マルギトの父には息子がいなかったためその養子となり、ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサ男爵となった。

ハインリヒはティッセン家の一員として鉱山経営を含む各種事業を行ったが、そのかたわら美術品の蒐集を行った。50歳代後半にはスイスのルガーノに移住し、その地に美術品を保管した。

ハインリヒとマルギトの次男がハンス・ハインリヒ(1921-2002)である。ハンス・ハインリヒも事業経営のかたわら美術品を多数蒐集した。また父親が残した美術品を受け継ぐとともに、その管理も行った。ハンス・ハインリヒはスイスに帰化した。

ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサは生涯に5度の結婚した。その5度目の結婚相手が、1961年のミス・スペイン、カルメン・セルベーラ(1943~)であった(1985年に結婚)。

ハンス・ハインリヒは1992年に、所有する美術品をスペイン政府に売却することを決め、スペイン政府はこれを3億3800万ドルで買い取った。同時に彼は、少なからぬ絵画を妻のカルメンに相続させた。スペイン政府が買い取った美術品をもとに開設されたのがティッセン=ボルネミッサ美術館である。

カルメン自身も、相続する以前から美術品蒐集を行っていた。ハンス・ハインリヒは2002年に死去したが、その後に美術館は増築され(2004)、カルメンのコレクションも増築部分に展示されて現在に至っている。カルメンは今も美術館の副理事長である。

この経緯をみると、そのスケール感が凄いですね。ドイツの鉱山王(財力)、ハンガリー貴族(男爵という家柄)、ミス・スペイン(美)の3拍子が揃っていて、3カ国をまたにかけるという "きらびやかさ" です(スイスを入れると4カ国)。これに比べるとバーンズ・コレクションなどは、何となく "小じんまりした" 感じがしてきます。もちろん所蔵作品の優劣とは全く関係ないですが・・・・・・。

ハンス・ハインリヒは64歳で結婚した5度目の妻の母国に親子2代の美術品を売却し、スペイン政府は対価として3億3800万ドルを支払ったわけです。ここが一番のハイライトでしょう。3億3800万ドルというと、今の日本円で約400億円ぐらいになります。これだけのお金をポンと出したスペイン政府の度量も相当なものとみえる。

しかし、です。実際にティッセン・ボルネミッサ美術館を訪れてみると400億円は "破格の安値" と思えるのですね。今なら数億円で取引されそうな絵がいっぱいあるし、数10億円する感じの絵も少なからずあるからです。

経緯に書いたように、この美術館には、ハンス・ハインリヒ・ティッセン=ボルネミッサのコレクションをスペイン政府が買い取った美術品と、カルメン・ティッセン=ボルネミッサのコレクションがあります。気になるのはこのカルメン・コレクションで、カルメンさんが亡くなったときにどうなるかです。遺産分配や相続税の問題で絵が散逸するリスクを避けるためには、スペイン政府に寄贈する(ないしは夫のように売却する)のが妥当だと思われますが、果たしてカルメンさんの意向やいかに・・・・・・、というようなことが、スペインの美術愛好家の間では話題になるそうです。

Thyssen-Bornemisza.jpg
ハンス・ハインリッヒ・ティッセン・ボルネミッサ男爵と妻のカルメン(1990)
(site : www.theguardian.com)


所蔵作品


本題の所蔵作品についてです。この美術館は14世紀から20世紀までの7世紀に渡る美術品があります。その意味では、マドリードの3つの美術館の中では一番「西洋美術史を網羅した美術館」です。さらに、個人コレクションではあるが多数の作品があるので、その "概要" を書くことは難しい。画家の名前を列挙しても意味がなさそうなので、ピンポイントで言うと、まずこの美術館の「顔」になっている女性の肖像画です。

ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像.jpg
ドメニコ・ギルランダイヨ(1448-1494)
「ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像」(1489-90)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)

画家のギルランダイヨは15世紀フィレンツェの、初期ルネサンス期の画家です。このような "完全な横顔の肖像画" が当時流行したらしく、男性の肖像画も含めて多くの画家が描いています。その、数ある "横顔肖像画" の中でもピカイチの絵がこれでしょう。

この作品に比較しうるのは、ベルリン絵画館にあるポッライオーロ(1429/33-1498)の『若い女性の肖像』だと思います。両方ともモデルの表情の表現を極力押さえています。さらにギルランダイヨの絵の女性は、背筋をきっと伸ばし、凛として左を見つめる姿で、溢れるような "気品" を感じます。いずれにせよ、女性の横顔の美しさを的確に表現した画家の技量は大したものだと思います。

若い女性の肖像.jpg
アントニオ・デル・ポッライオーロ
「若い女性の肖像」
(ベルリン絵画館)
弟の画家、ピエロ・デル・ポッライオーロによる非常に似た横顔の絵がミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館にあるが、それも傑作。



以降は、以前の記事に書いた画家に関係した絵を3点だけ紹介します。それと同時に、関連のある別の美術館の絵も併記します。

No.158「クレラー・ミュラー美術館」で書いたゴッホですが、No.158に引用した『糸杉のある道』は、ゴッホがサン・レミの病院に入院中の1890年の5月に描かれた "星月夜" の絵でした。この5月にゴッホはパリ近郊のオーヴェル・シュル・オワーズに移ります。そして同じ5月に描いたのが次の作品です。オーヴェル近郊のヴェスノ村を描いています。

オーヴェルのレ・ヴェスノ.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
「オーヴェルのレ・ヴェスノ」(1890.5)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)

緑を中心に黄色を散らした色使いで、一つだけの赤い屋根が絵を引き締めるアクセントになっています。一見、どうということのない農村風景ですが、よくみると変なところもある。

右の真ん中より下の方に青い "波形" のものが描かれていますが、これは何でしょうか。畑の中に描かれた小さめの緑の "波形" は草だと思いますが、右のものは草ではありません。木の手前を横切るように描かれていて、しかも青い。農業用の何かの布でしょうか。とにかく、見る者としては直感が働かずに分かりにくい。ひょっとしたら画家は「この位置にこういう形と色を置きたかった」のかも、と思います。リアリズムという思い込みが分かりにくくしているのかも知れない。それと、何となく画家の心の不安定さを暗示しているような気もします。ゴッホの生涯を知っているからそう考えてしまうのだろうけど・・・・・・。

この絵で直感的に思い出すのは、ひろしま美術館が所蔵する『ドービニーの庭』(1890.7)です。これはゴッホの絶筆かとも言われています。個人の庭園(画家のドービニーの邸宅)なので農村風景とは描かれているものが違いますが、両方の絵とも緑を基調とした美しい色使いが印象的です。

ドービニーの庭.jpg
フィンセント・ファン・ゴッホ
「ドービニーの庭」(1890.7)
(ひろしま美術館)



そのゴッホですが、No.97「ミレー最後の絵(続・フィラデルフィア美術館)」で、ゴッホがサン・レミの病院で描いた『雨』という作品を引用しました。広重の浮世絵のように雨を線で表現しているのですが、そのとき、エドガー・ドガが同じように雨を線で描いた競馬の絵をあげました(英国のグラスゴーにある絵)。

ドガは競馬をテーマにした絵をいろいろ描いていますが、ティッセン・ボルネミッサ美術館にも競馬の絵があります。カルメン・コレクションにある『風景の中の競馬』というパステル画です。

風景の中の競馬.jpg
エドガー・ドガ(1834-1917)
「風景の中の競馬」(1894)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)

クロスカントリー・レースというのでしょうか、野原を駆け巡る競馬のようです。ティッセン・ボルネミッサ美術館のカタログには「この色彩はコーギャンの影響かもしれない。1893年にドガはゴーギャンの《月と大地》を購入している」という主旨の記述があります。もちろん断言しているのではないのですが、そう言われてみると、色使いは "ゴーギャンっぽい" 気もします。しかしこの作品の一番の特徴は、夕日に映える山を背景に8人のジョッキーと馬を野原に配置した "心地よい構図" でしょう。

Jockeys in the Rain.jpg
エドガー・ドガ
「雨の中の騎手」(1880/81)
(Kelvingrove Art Gallery and Museum)



ドガと同じく、カルメン・コレクションにあるジョルジュ・ブラックの『海の風景、エスタック』という作品です。マルセイユ湾の漁村、エスタックを描いています。

海の風景、エスタック.jpg
ジョルジュ・ブラック(1882-1963)
「海の風景、エスタック」(1906)
(ティッセン・ボルネミッサ美術館)

この絵を見て直感的に思うのは、バーンズ・コレクションにあるアンリ・マティスの『生きる喜び』(1905-6)との類似性です(No.95「バーンズ・コレクション」参照)。遠景に海があり、近景の左右に木々が画面を取り囲むように配置されている構図が似ています。現実とは遊離した、明るくて色とりどりの色彩も "マティスっぽい" 感じです。ブラックはピカソとともにキュビズムを作り上げた画家ですが、これはそれ以前のフォービズムの時代の作品です。

Barnes13 - 生きる喜び.jpg
アンリ・マティス
「生きる喜び」(1905/6)
(バーンズ・コレクション)


マドリードの3つの美術館


ティッセン・ボルネミッサ美術館を含むマドリードの3つの美術館は近接しています。ティッセン・ボルネミッサ美術館はプラド美術館の目と鼻の先だし、ピカソの『ゲルニカ』があるソフィア王妃芸術センターはプラド美術館から歩いて行けます。その意味でマドリードは、パリやニューヨークやロンドンと同じく、"美術館めぐり" をするなら最適の都市の一つでしょう。

MadridMap.jpg
マドリード中心部
左上のソル(太陽の門)から右下のアトーチャ駅までのマドリード中心部。3つの美術館(赤丸)は 1km 内外の範囲にある。
(Google Map)




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