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No.161 - プラド美術館の「怖い絵」 [アート]

前回はプラド美術館の二つの絵(モナリザの模写作品、エル・グレコの『胸に手をおいた騎士』)についてでした。その続きで、プラド美術館にある別の絵について書きます。No.19「ベラスケスの怖い絵」の続きという意味もあります。


現地に行かないと分からない


旅行の楽しみの一つは、さまざまなシチュエーションにおける「発見」です。これだけ各種の情報が容易に手に入る時代でも、現地に行かないと分からないことがいろいろあります。「食事」や「ショッピング」は旅の楽しみの大きな要素ですが、さまざまな「発見」も旅行の楽しさを作っているポイントでしょう。

プラド美術館.jpg
プラド美術館
(Wikipedia)
プラド美術館にも、現地に行ってみて初めて知ることがありますが、その一つは「ヌードを描いた絵が非常に少ない」ということです(些細ささいですが)。これは同じように古典絵画(18世紀かそれ以前に描かれた絵画)をメインのレパートリーとするルーブル美術館やロンドンのナショナル・ギャラリーと違うところです。ルーブルにはギリシャ・ローマ神話を題材に、女性神を裸体・半裸体で描いた絵がたくさんあるのに、プラド美術館にはそれがあまりありません。ティツィアーノやルーベンスなど、無いことはないが非常に少ない。これは「プラド美術館の特徴」と言ってよいと思います。

そんなことはないはずだ、"あの絵" があるではないか、と思われるかも知れません。その通りです。誰もが知っているヌードの超有名絵画があります。ゴヤの『裸のマハ』と『着衣のマハ』の2部作です。しかしこの絵はプラド美術館においては例外的なのです。


『マハ』2部作


着衣のマハ.jpg
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)
着衣のマハ」(1797/1800)
(プラド美術館)

裸のマハ.jpg
裸のマハ」(1800/1805)
(プラド美術館)

ゴヤのこの2部作については、さまざまな憶測やエピソードが語られてきました。絵の発注主は誰かとか、ゴヤはなぜこの依頼を受けたのかとか、また重要なのは「モデルは誰か」です。『着衣』の方が後から注文されたので、発注主は屋敷にまず『裸』を飾り、その上に『着衣』を飾ってカムフラージュした・・・・・・うんぬん。

しかし、この絵にまつわるさまざまなエピソードなかで重要なのは、

  『裸のマハ』を描いたために、ゴヤはあやうく異端審問所に呼び出されるところだった

という件です。これからも分かることは「スペインはヌードについては非寛容の国だった」ということです。プラド美術館に神話を主題にしたヌードの絵が少ないのもなんとなく納得できます。ちなみに、ゴヤの大先輩にあたるベラスケスの『鏡のヴィーナス』(1647/51。ロンドン・ナショナル・ギャラリー)はヴィーナスの裸体の後姿を描いていますが、これはイタリア滞在中に描かれた絵です。この絵も「マハ2部作」を所有していた同じ人物が所蔵していた "個人蔵 "(Private Collection)の絵でした。

しかしプラド美術館には、ゴヤのほかにもう一つ非常に印象に残る「裸体画」があります。その絵は、

ゴヤの「マハ」のように、同じポーズで「着衣」と「裸体」を描いた2部作で、

ゴヤの先輩筋にあたる、スペインの宮廷画家の作であり、

しかも、秘密裡に描いたゴヤとは違って、国王の指示によって描かれた絵

です。それは、成人女性ではなく少女を描いた2部作で、『マハ』と同じように、プラド美術館では同じ部屋に展示してあります。No.45「ベラスケスの十字の謎」でも少し触れた絵ですが、タイトルにあげたように、ちょっと「怖い絵」です。


『少女』2部作


エウヘニア・マルティネス・バリェーホ(着衣).jpg
ファン・カレーニョ・デ・ミランダ(1614-1685)
エウヘニア・マルティネス・バリェーホ」(1680頃)
(着衣の奇怪少女)
プラド美術館

エウヘニア・マルティネス・バリェーホ(裸体).jpg
エウヘニア・マルティネス・バリェーホ」(1680頃)
(裸体の奇怪少女)
プラド美術館

ファン・カレーニョ・デ・ミランダはベラスケスより15歳年下の宮廷画家で、つまりベラスケスの後輩ということになります。題名であるエウヘニア・マルティネス・バリェーホが、モデルとなった少女の名前です。

上に掲げた絵の題名は、プラド美術館の公式カタログ(日本語)より採りました。「奇怪少女」とはちょっと変な日本語ですが、オリジナルの題を推測してみると、No.45「ベラスケスの十字の謎」でこの絵を引用したときにつけた英語のタイトルは、

着衣)
Eugenia Martinez Vallejo
"The Monster",dressed

裸体)
"The Monster",nude,or Bacchus

でした。これは No.45 をアップした2012年1月1日時点でのプラド美術館の英語のホームページの記述です(現在は変更されている)。ここで言う Monster(スペイン語のホームページでは Monstrua)がキーワードですね。これは「怪物」とか「奇形」という意味です。それを日本語カタログでは「奇怪少女」と訳したのだと推測できます。プラド美術館の公式カタログには次のように説明してあります。


カレーニョは本作ではベラスケスの流れを汲むスペイン肖像画らしい題材を選択し、特殊な身体的または精神的障害をもった人物をモデルとしている。これはスペインの宮中では特に好まれたテーマであり、この作品も国王カルロス2世がその専属画家であったカレーニョに制作を命じたものである。

(プラド美術館カタログ)

「ベラスケスの流れを汲むスペイン肖像画らしい題材」とは、No.19「ベラスケスの怖い絵」にあげたように、ベラスケスが「特殊な身体的または精神的障害をもった人物」の肖像を10枚程度描いたことを指しています。スペイン宮廷は組織的にそのような人物を探しだし「慰み者」として宮中に住まわせていました。小説「ベラスケスの十字の謎」(No.45)は、そのようにしてイタリアから連れてこられた(お金で買ってこられた)小人症の少年を主人公にしているのでした。

「スペインの宮中では特に好まれたテーマ」とあります。我々がふつう眼にするのはベラスケスやカレーニョ・デ・ミランダといった有名画家の作品だけなのですが、実は「特殊な身体的または精神的障害をもった人物の肖像」はそれ以外にもたくさんあることが推測できます。プラド美術館のカタログによる、カレーニョ・デ・ミランダの絵の解説の続きです。


この女児は六歳の時点ですでに約70kgの体重があり、宮廷に召しだされた際には大変な話題となった人物である。一作目で彼女は銀ボタンのついた豪華なブロケードのドレス姿で描かれており、その描写には非常に繊細で温かいヴェネチア派のタッチが駆使されているが、これはモデルの不機嫌で疑い深そうな表情を和らげるための工夫である。

二作目は裸体で描かれており、身につけているのはわずかに葡萄の葉と冠だけである。あるいはワインの神バッカスを象徴しているのかも知れない。

(プラド美術館カタログ)

引用に出てくる "ブロケード" とは、多彩な文様を "浮かし織り" にした織物を言います。

解説には書いていなのですが、なぜ2作品も描かれたのでしょうか。「豪華なドレス」の作だけでもよいはずなのに・・・・・・。おそらくこれは、少女が何かの宮廷のイベントの際に、裸にされてバッカスの格好をさせられたからだと考えられます(推測ですが)。

少女は6歳の時に体重が70kgだったとあります。いわゆる肥満児を通り越して "超肥満児" です。現代になら無いことはないと思いますが、時代は17世紀のスペインです。庶民の子供が単なる栄養過多で超肥満児になるとは考えにくい。おそらくこの子は何らかの体の異常があって、このような体になったのでしょう。当時としては、非常にめずらしかった。だから宮中に差し出され「大変な話題」になった。おそらく両親にはお金が渡ったのでしょう。



この2枚の絵、特に「裸」の方は、ちょっと「愕然とする」絵です。現代なら児童ポルノ禁止法で逮捕される現場に立ち会ったような感覚を受けます。当時のスペインの宮廷の雰囲気が強烈に匂ってくる絵であり、中野京子さん流に言うと「怖い絵」です(No.19参照)。しかしそういった「現代人の感覚」だけで単純に過去を見てはならないはずです。


ヘンテス・デ・プラセール(楽しみを与える人々)


プラド美術館の公式カタログ(日本語)には、次のような記述があります。


近代ヨーロッパにおけるほとんどの宮廷や貴族の邸宅には「ヘンテス・デ・プラセール(楽しみを与える人々)」と呼ばれる職制があった。彼らは道化や、短身、狂人、奇形などの人々で、スペインにおいてはカトリック両王の時代から18世紀初頭まで王族や貴族のそばに仕えた。特異な身体的特徴を持ち、滑稽な姿の彼らは、貴族たちの優雅で完璧な姿を強調するための比較物として利用されていた。また、彼らが貴族たちを楽しませるための役割を担ったと同時に、貴族たちは彼らを庇護することによって恵まれない者たちに対する寛大さをアピールしたのである。

(プラド美術館カタログ)

補足しますと「カトリック両王」とは、レコンキスタの末にスペイン王国を成立させたアラゴン王・フェルディナンド2世(1452-1516)と、カスティーリャ女王・イザベル1世(1451-1504)を指します。

また「ヘンテス・デ・プラセール」はスペイン語の「gentes de placer」で、gentes は "人々" の意味、placer は "楽しみ" です。プラド美術館の英語のホームぺージには「people who provided amusement」と解説してあります。「楽しみを与える人々」ですね。簡潔に「慰み者」と訳してもいいと思います。

プラド美術館の解説のポイントは、下線をつけたニヶ所だと思います。まず「近代ヨーロッパにおけるほとんどの宮廷や貴族の邸宅には "楽しみを与える人々" の職制があった」とされているところです。つまりスペインだけのものではない。

二つ目は「貴族たちは彼らを庇護することによって恵まれない者たちに対する寛大さをアピールした」というところです。宮廷や貴族の館に住まわすことによって、現代風に言うと「社会的弱者に対する福祉」という面がないわけではない。もちろん言葉通り、道化をさせて楽しんだり(裸にしてバッカスの格好をさせる!)、解説にもあるように優越感に浸るのが主目的だったのだろうけど・・・・・・。

現代人の我々がどう思おうと、「慰み者」は宮廷や貴族の間で(スペインだけでなく)普通にあった。このことは踏まえておくべきだと思います。

ヘンリエッタ・マリアと小人ジェフリー・ハドソン.jpg
アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641)
「ヘンリエッタ・マリアと小人ジェフリー・ハドソン」(1633)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

イングランド国王・チャールズ1世の宮廷画家でったアンソニー・ヴァン・ダイクが、チャールズ1世の妃であるヘンリエッタ・マリアを描いた作品。肩に猿を乗せたジェフリー・ハドソンが傍らに描かれている。「特異な身体的形状をもった人」を宮廷に住まわすのがスペインだけではなかったことが分かる。


画家は何を描いたのか


カレーニョ・デ・ミランダが描いた『エウヘニア・マルティネス・バリェーホ』の絵に戻ります。この絵は一見「怖い絵」のように(現代人からすると)思えますが、実はそうとも言えないわけです。プラド美術館の解説によると、この絵はカルロス2世の命で描かれました。カルロス2世はカレーニョ・デ・ミランダが仕えたスペイン国王です。国王の命令で宮廷画家が絵を描くのはあたりまえです。そのあたりまえのことの結果として、宮廷に連れてこられた少女の2枚の絵がある。

しかし画家が意図したかどうかは別にして、この2枚の絵で表現されているものを端的に言うと、少女の「怒り」です。身体的異常(おそらく)で超肥満であるがために宮廷に連れてこられ、「道化」「慰み者」にされる。裸にまでされる。着衣の絵も、この少女には全く不釣り合いな豪華すぎる衣装を着せることによって、そのギャップ感を貴族たちは楽しんだと想像されます。こんな "特別な" サイズの豪華な衣装は特注するしかないわけです。王侯・貴族の子どもの "お下がり" ではありえない。まさに「楽しみを与える者」です。そういった宮廷人、貴族に対する言いようのない「怒り」が、おのずと現れてしまっていると思うのですね。もちろんこの絵を描いた画家も、彼女が怒りを向けている相手です。

この絵から連想するのは、ベラスケスの『セバスティアン・デ・モーラ』です。No.19「ベラスケスの怖い絵」で引用した、中野京子さんの『セバスティアン・デ・モーラ』の評論を、ここでもう一度引用します。


こぶしを握りしめ、短い足を人形のようにポンと投げ出して座るこの慰み者は、明らかに「何者か」であって、道化という言葉から連想するユーモラスなところは微塵もない。彼は、自分が他の人々に優越感を与えるために飼われていることを知っており、知的な眼に抑制した怒りのエネルギーをたたえ、あたかも目に見えない何かに挑むかのように、真っ直ぐこちらを睨みつけてくる。彼の精神と肉体の、魂と現実の、大きすぎ残酷すぎる乖離が、見る者にひりひりした痛みさえ感じさせる。

中野京子
『怖い絵 2』
(朝日出版社。2008)

この文章は、そのままカレーニョ・デ・ミランダの『エウヘニア・マルティネス・バリェーホ』の評論としても当てはまりそうです。セバスティアン・デ・モーラは短身ではあるが大人おとなであり、その大人をベラスケスが描いた絵の評論が上の引用です。では、大人ではない「少女」も、中野さんが書いたように考えるものでしょうか? 程度の差はあれ、考えると思いますね。人間なのだから。

そして直感的に感じるのは、カレーニョ・デ・ミランダという人の「画力」です。ベラスケスは "画家の王" と言われていますが、カレーニョ・デ・ミランダも、どこにでもいそうな宮廷画家ではなさそうです。真実(の一端)を明るみに出す "画家の筆の力" を感じます。

ここで思い出すのが、カレーニョ・デ・ミランダが自分の主人であるカルロス2世を描いたプラド美術館の絵です。その絵を『怖い絵 2』にある中野京子さんの評論で紹介します。これは "真に怖い絵" です。


カレーニョ・デ・ミランダの怖い絵


カルロス2世は、ベラスケスが仕えたフェリペ4世の子です。フェリペ4世には跡継ぎに恵まれず、次々と生まれた8人の子は女の子ひとりを残して死んでしまいました。それどころか、王妃も分娩がもとで亡くなったのです。焦った王は、ヨーロッパ中に適当な再婚相手がいないと見るや、妹の娘 = 姪と結婚しました。4代続けての血族婚ということになります。

その2度目の王妃との間にできた4人の子も次々と死に、残るはマルガリータ王女一人となりました。ベラスケスの『ラス・メニーナス』の中心に描かれたのがマルガリータ王女です。万事休す、女王をたてるしかない、と思ったとき、思いがけず待望の男の子が生まれました。マルガリータ王女が10歳の時で、それがカルロス2世です。

以上は中野さんの『怖い絵 2』からの要約です。ここからは本から直接、引用しますが、数ある中野さんの絵画についての評論の中でも屈指の名文です。男の子を得たフェリペ4世の喜びは長くは続かなかったのです。男の子は「呪われた子」との噂が立つような子だった。

カルロス2世.jpg
カレーニョ・デ・ミランダ(1614-1685)
カルロス 2世」(1675頃)
プラド美術館

父親(引用注:フェリペ4世)は激しく落胆した。三つになってもまだ乳を飲み、立つことすらできず、心身ともに脆弱ぜいじゃくで知能も低く、見た目もひどく悪い我が子を恥じ、なるべく人の目に触れぬよう配慮し、どうしても人前に出すときにはベールをかぶせたことすらあった。そしてひたすら呪いを解こうと、子どもの周りには乳母うばの他におおぜいの医者、占星術師、祈祷師きとうしはべらせた。祈祷の効果はずいぶんあったと言えるだろう。今にも死ぬかと思われながらその都度つどどうにか持ち直し、誰ひとり想像もしていなかった、三十九歳まで生きのびることができたのだから。

中野京子『怖い絵 2』
(朝日出版社。2008)

フェリペ4世は六十歳で死去し、自動的に4歳のカルロス2世が即位します。そのカルロス2世は10歳になっても読み書きすらできなかったといいます。カレーニョ・デ・ミランダが描いたカルロス2世の肖像画の解説です。


十三、四歳のカルロス二世を描いたこの肖像画には、明らかに先代のベラスケス様式が見てとれる。ただしベラスケスは対象をことさら粉飾しはしなかったが、カレーニョの方には宮廷風の慇懃いんぎんな理想化がある。とりわけ本作がそうだという証拠には、他の画家たち(この時期、宮廷画家は十五人もいた)によるいくつもの肖像やスケッチ、また同時代人がカルロス二世の外見について書いた文献が挙げられる。宮廷肖像画の宿命として、二、三割アップは目をつぶる範囲内であろうが、どうやらこの絵はそれをはるかに超えたものだったらしい。

とはいえ、少年王がハプスブルク家代々の特徴を受け継いでいることは、控えめながらも表現されている。父も祖父も曾祖父も高祖父も持っていた、突き出た下あごと分厚い下唇(マリー・アントワネットの受け口にもかすかに継承されている)がそれだ。その上カルロス二世は細い弓なりの顔、長くれた鼻、全くみ合わない歯(終始、よだれを流していたという)、ほとんど太陽光を浴びなかったせいで病的にあお白い肌 ── たとえ唇に紅をさしても、幽鬼の如く暗がりにぼうっと白く浮かび上がるその姿に、言いしれぬ戦慄せんりつを覚えない者はいないだろう。髪だけが若々しい美しさに波打っている。

ここはマドリッドにある王宮内「鏡の間」。灼熱の戸外とは無縁に、ひんやり薄暗い。金縁の赤い緞帳どんちょうが舞台美術よろしくたくしあげられた中に、すばらしく仕立ての良い黒ビロードの衣装に身を包んだ若きスペイン国王が立つ。胸には金羊毛きんようもう騎士団の勲章をぶら下げ、胸には剣を差し、左手には帽子、右手には王たることを示す勅令の紙片をもって、こちらへ眼を投げかけてくる。黒いだけの、無感情無感動の魚の眼を。

中野京子『同上書』

引用が長くなりましたが、文章には "勢い" というものがあるので、変なところでカットしてしまうと "伝わらない" ことがあります。ともかく「幽鬼の如く暗がりにぼうっと白く浮かび上がる姿」であり、「髪だけが若々しい美しさに波打つ」のとは対象的な、「黒いだけの無感情無感動の魚の眼」に戦慄を覚えた筆者の思いが伝わってきます。

血族結婚を何代も繰り返した結果で生まれた少年王の姿、第一級の宮廷画家が美化を重ねても隠せない異様な姿、それがこの絵の "怖い" ところです。そして、中野さんがあげるこの絵のさらに "怖い" ところ、それは少年王の「影」です。


少年は成長が遅く、年齢よりずっと小柄な上に片足を引きずって歩いていたというが、画家はそんな現実をおおい隠し、威厳ある中にもリラックスしたポーズを描いている。脚も安定して健康だ。ところが ・・・・・・ この影はどうだろう? テーブル下のライオン像が形作る自然な影に比べ、カルロス二世の足もとからすうっと伸びて存在を主張するこの影は、どことなく薄気味悪い。カーブの仕方、極端な先細りが連想させるからかもしれない、悪魔が持つという獣の脚を ──

中野京子『同上書』

この少年に何の罪もないことは明白ですが、それでいてこの一見してわかる病的な姿、悲惨な姿は、見る人を愕然とさせます。この絵に比べると、さきほどの肥満の少女、エウヘニア・マルティネス・バリェーホの方が格段に人間的だという感じがします。



この絵の少年王、カルロス2世の専属の画家であったカレーニョ・デ・ミランダのことです。中野さんは、少年王の絵に関して「カレーニョ・デ・ミランダの隠蔽いんぺい工作は、成功したとは言いがたい」と書いています。確かにそうですが、なぜ成功しなかったのでしょうか。

それは美化に美化を重ねても隠し通せないほど、カルロス2世が "ひどかった" からだとも考えられます。この絵ができあがったとき、実物よりずいぶん "いい" ことで少年王や周囲は満足したと考えられる。

しかし別のことも考えられます。それはカレーニョ・デ・ミランダという人が優れた画家だったということです。肖像画家のキモのところは、モデルの真実の姿を、その内面まで含めてえぐり出せる技量でしょう。宮廷画家であればモデルを美化するのはやむをえない。しかし優れた画家であればあるほど、美化では隠せない部分がおのずと現れてしまう。最初に掲げた『マハ2部作』を描いたゴヤも、そういったタイプの絵を描いています。『エウヘニア・マルティネス・バリェーホ』の絵のところで、画家の「画力」を感じると書いたのは、このカルロス2世の絵が念頭にあったからでした。

画家、芸術家、アーティストも、その時代の環境、時代背景に沿って生きるしかないわけです。カレーニョ・デ・ミランダが描いた「少女」と「少年王」の "怖い絵 " は、はからずもその時代の雰囲気の一面を如実に表現した作品となり、そのことによって、芸術がもつ重要な意味を示していると思います。




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