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No.160 - モナ・リザと騎士の肖像 [アート]

No.156「世界で2番目に有名な絵」の続きです。No.156 では、葛飾北斎の『神奈川沖浪裏なみうら』が "世界で2番目に有名な絵" としたのすが、もちろん "世界で1番有名な絵" は『モナ・リザ』です。そして『モナ・リザ』は "一見どこにでもありそうな女性の肖像画" にもかかわらず、なぜ "世界で1番有名な絵" にまでなったのか、No.156 ではその理由を推測しました。

こだわるようですが、その理由について別の角度から考えてみたいと思います。今回は「モナ・リザの模写」とされる絵との対比からです。


プラド美術館の "モナ・リザ"


プラド美術館に『モナ・リザの模写』(作者不詳)が展示されています。普通、プラドのような超一流の美術館が、第一級の名画に混じって「模写作品」を展示することはあまりないと思います。"世界で1番有名な絵" の模写だからと言えそうですが、『モナ・リザ』の模写と称する絵は世の中にたくさんあります。しかも、プラド美術館の模写は著名画家のものではありません。「ラファエロが模写した」のなら展示して当然かも知れないが、この絵の作者は "不詳" です。

モナ・リザの模写.jpg
ダ・ヴィンチの工房
モナ・リザの複製」(1503-1516頃)
プラド美術館
(Wikimedia)

プラド美術館の説明によると、この絵は

数ある『モナ・リザ』の模写の中では、最も古いものであり、
ダ・ヴィンチが『モナ・リザ』を描く姿を見ていた直弟子が『モナ・リザ』とほぼ同時期に模写した

とのことなのです。プラド美術館の公式カタログには、この絵はオリジナルの「ルーブルのモナ・リザ」と同時並行的に描かれたとあります。なぜそう言えるのかと言うと、

  「ルーブルのモナ・リザ」には上塗りで隠された変更点や訂正箇所が存在するが、その大部分は「プラドのモナ・リザ」と共通している

からだそうです。つまり「プラドのモナ・リザ」を描いたダ・ヴィンチの直弟子は、ダ・ヴィンチが上塗りで訂正すると自分もその通りに訂正した。つまり同時並行的に描いた、とプラド美術館は言っている。どの部分がその上塗りに相当するのかという説明は(カタログには)ないのですが、プラド美術館は詳しい絵の調査をしてそう断言しているのでしょう。

だとすると、この絵は『モナ・リザ』の完成直後の姿を伝える貴重な絵ということになります。だから展示に値する。プラド美術館はこの絵を『モナ・リザの複製』と説明しています。現代なら写真技術で複製やレプリカを作るわけですが、それに相当する "ルネサンス期の複製" だというわけです。



そこで、この絵を比較対照作品として「ルーブルのモナリザが何故名画なのか」を考えたいと思います。

モナ・リザ.jpg
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452-1519)
モナ・リザ」(1503-1519頃)
ルーブル美術館
(Wikimedia)


微笑みの秘密


二つの絵を比較すると、両方とも微笑ほほえんでいることは確かですが、「プラドのモナ・リザ」の方は微笑み方がシンプルで、分かりやすい感じがします。現代で言うと、カメラを向られた女性が、カメラ目線で少し微笑んで見せたような感じがする。

しかし「ルーブルのモナ・リザ」は、単純に微笑んでいるだけではない感じがします。微笑み以外の要素は何かと聞かれたら、それは明白には答えられないけれど、何か "奥深い" 感じの表情です。特に、目もとに微笑み以外の要素が混在している感じがします。その奥深さのようなものによって、この婦人が "普通の人の生活感とは違ったレベル" にある感じがし、"高貴" とか、"聖なる" とかの印象にもつながる。

「プラドのモナ・リザ」と比べてみてよく分かるのですね。「ルーブルのモナ・リザ」は単純ではありません。見る人は表面に現れている以上のものを漠然と感じてしまい、それがかすかな「謎」となって意識に残る。この「謎」がこの絵の印象として残り、記憶に刻み込まれ、また見たいと思わせ、そういうことが重なって「世界で一番有名な絵」にまで登り詰めたのではないか。そういう風に思います。



「プラドのモナ・リザ」と「ルーブルのモナ・リザ」は何故違うのでしょうか。それはまず画家の技量の差でしょう。これが大きいことは間違いないと思います。

しかしそれだけではないような気もします。『モナ・リザ』が描かれた経緯にも関係しているのではないか。ダ・ヴィンチはフランソワ1世に招かれてフランスに居住することになりますが、『モナ・リザ』を持参し、手を入れ続けたと言われていますね。しかもこの絵は、いわゆる "スフマート" の技法で描かれています。ごく薄い絵の具を積層し、色の変化点が全く判別できないほど "ぼかす" 技法です。スフマートの技法で手を入れ続けることで『モナ・リザ』は今の形になった。

ひょっとしたら『モナ・リザ』がダ・ヴィンチの工房で "一応の" 完成をみたときの姿は「プラドのモナリザ」に極めて近いものだったのではないでしょうか。それ以降もダ・ヴィンチは手を入れ続けた。フランスに行っても手を入れた。そうして長期間かけて今の姿になったことが『モナ・リザ』の「複雑さ」や「奥深さ」や「謎」を生み出すことになった・・・・・・。そういう風に想像します。



「ルーブルのモナ・リザ」は、その人物の表情に「謎」を感じさせる肖像画だけれど、「プラドのモナリザ」にはそれがありません。そこに違いがあるようです。

しかしプラド美術館つながりで言うと、プラドにも「謎」や「奥深さ」を感じさせる肖像画があります。それはプラド美術館の代表作の一つとされるエル・グレコ作の肖像画です。『モナ・リザ』と違って男性の肖像画ですが、プラド美術館において『モナ・リザ』と真に比較しうるのはこの絵だと思います。以降は、その絵について書きます。


エル・グレコ『胸に手を置く騎士』


胸に手を置いた騎士の肖像.jpg
エル・グレコ(1541-1614)
「胸に手を置く騎士」(1580頃)
プラド美術館
( site:www.museodelprado.es )

エル・グレコと同時代、16世紀後半に生きたスペインの騎士(あるいは紳士)の肖像画です。誰を描いたのかは特定されていません。この絵には4つのポイントがあると思います。まず、

剣を鞘から抜き、体の前で直立させている

ことです。剣は一部しか描かれていませんが、左手を添えて直立させていると考えるのが妥当です。この姿からは「騎士」としての "誇り" や "自信"、あるいは "誓い" の表現を感じます。そして2番目のポイントはこの紳士の左肩です。

左肩が、ちょっと異様なぐらい "変形" している

のです。人間だれしも左右がアンバランスですが、この紳士の両肩は度を越しています。絵から受ける印象は、右肩(向かって左)が "正常" であり、左肩は "異常" というものです。ある説によると、この「左肩の異常」は戦闘による負傷によるとのことです。もちろん戦闘というのは憶測でしょうが、何らかの怪我に起因すると推測できます。

さらに3番目のポイントは、この絵で一番目につく(プラド美術館が絵のタイトルにもした)胸に置かれた右手です。この手は普通とは違います。つまり、

右手を胸に置いているが、その指の開き方がちょっと変わっている

わけです。この右手は何を意味するのでしょうか。プラド美術館の公式カタログには次のように書かれています。


エレガントに胸に置かれた手は何を意味するのか、後悔の念か、強い信念か、鞘から抜かれた剣とともに固い誓いを意味するものか、畏敬の念を示すのか、あるいは礼節表現か。

(プラド美術館のカタログ)

つまりプラド美術館としても、この右手の意味は決めかねているわけです。もしこれが当時のカトリックにおける何らかの宗教的意味があるポーズなら、もしくは16世紀のスペインの騎士団における何らかのサインなら、プラド美術館は間違いなくそう書いたでしょう。宗教史研究家、スペイン史研究家は、プラド美術館やその周辺にたくさんいるはずだからです。ということは「カトリック、ないしは騎士の伝統からくるポーズではない」と推測できます。

付け加えますと、プラド美術館はこの手を「エレガント」と書いていますが、確かにそうです。細長くて、華奢きゃしゃでさえある。「戦闘で左肩を負傷した騎士」から想像できる「ごつごつした手」ではありません。ちなみに、この "手の描き方" はダ・ヴィンチより上手で、画家の技量を感じます。

手と同じぐらいに意味深長なのは、4つめのポイントである、この男性の表情です。この紳士は、

厳粛でまじめな表情、しかし同時に "おだやかさ" も感じる表情で、さらに視線をわずかに正面からそらしている

のです。視線については画像からは分かりにくいのですが、プラド美術館に行ってこの絵を見るとよく分かります。この絵の前に立つと、紳士の視線は鑑賞者を見ているようではあるが、わずかにズレている。真正面を見ているようで見ていないというか、鑑賞者を見ると同時にその背後の何かを見ているような視線です。

よく日本の屏風画や襖絵にありますよね。「鑑賞者がどの位置から見ても、自分が見つめられているように感じる絵」が・・・・・・。龍の絵などによくあるパターンで、いわゆる「八方にらみ」の絵です。このエル・グレコの絵は、それとは正反対です。「正面に立って見ても、自分だけを見つめているのではないと感じる絵」なのです。



青年の肖像.jpg
ボッティチェリ
「青年の肖像」(1482/85)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
余談ですが、このエル・グレコの絵と手の置き方がそっくりの男性肖像画がワシントン・ナショナル・ギャラリーにあります。ボッティチェリ(1445-1510)の『青年の肖像』というテンペラ画です。そのボッティチェリでは、ウフィツィ美術館にある有名な『ヴィーナスの誕生』も、ヴィーナスは右手の人差し指と中指の間を開いて胸に手を当てています。

時代を下ると、フィレンツェの画家、ブロンズィーノ(1503-1572)の女性肖像画には、右手の人差し指と中指の間を開くスタイルがいろいろあります(たとえば、ウフィツィの『マリア・ディ・コジモ1世・デ・メディチの肖像』)。これらの絵のポーズは「手を美しく描くため」だと言われています。エル・グレコも、手を美しく描くためだったのかも知れません。

エル・グレコはギリシャ(クレタ島)出身でスペインで活躍した画家ですが、スペインにくる前にイタリアに10年ほど滞在し、絵の研鑽をしています(1567-1577頃)。ヴェネチア、ローマに在住し、イタリア各地を放浪してからスペインに渡ったと言われています。ボッティチェリもブロンズィーノも "フィレンツェ画壇" の巨匠ですが、ひょっとしたらエル・グレコはイタリアの絵に影響されたのかもしれません。もちろん、全くの偶然かもしれませんが・・・・・・。


手と視線


エル・グレコの絵に戻ります。この絵は人物の衣装が黒一色のシンプルなものであるため、まず、胸に置かれた右手に強い印象を受けます。次に、男性の表情とわずかにズレた視線です。これから何かが読みとれるでしょうか。プラド美術館の公式カタログがあげているのは「後悔」「信念」「誓い」「畏敬」「礼節」ですが、私の感じはそのすべてと違います。

この絵からどういったことを感じたかを以下に書いてみますが、これ個人的な印象であり、全く違う感じ方もあるでしょう。あくまで私的印象です。

この絵の前に鑑賞者として立って、絵の紳士の視線をから感じるのは、この紳士が鑑賞者(自分)より "上位にある" というイメージです。"上位"の意味は曖昧ですが、たとえば生徒に対する教師であり、部下に対する上司、信徒に対する聖職者、子に対する親という関係、もっと一般的には "精神的な上位者" ということです。

また胸に置かれた右手は「私にまかせなさい」というような意味に思えます。もとより仕草しぐさが持つ意味は、文化的あるいは宗教的背景によって違います。胸に手を置くという "しぐさ" が持つ意味も、世界各国によって違ったり、また伝統による独特の意味があったりするかも知れません。しかし、ほかならぬプラド美術館がこの右手のもつ意味を決めかねているわけです。であるなら、我々としては一鑑賞者として自由に解釈してもよいはずです。

この表情・視線と手から、この騎士が鑑賞者に以下のように語りかけているように感じます。

  私は人生でまざまな経験したし、騎士としての苦難も乗り越えてきた。あなたの悩みを聞かせて欲しい。きっと有益な助言をしてあげる。私にまかせなさい。

エル・グレコがこの紳士をモデルに絵を描いたとき、紳士が上のように思っていたとは考えにくいのですが、これは "絵と対峙した鑑賞者" として受ける印象です。そしてさっき書いたように、あくまで個人的な印象です。

しかし、なぜそのような個人的印象を持ったのか、その理由の源泉のところを考えてみると、この『胸に手を置く騎士』という絵がもつある種の「謎」だと思います。表情は単純ではないし、視線も完全な正面ではない。指を "変に" 開いた手の意味も不明だし、両肩は異様にアンバランスです。このような「謎」が鑑賞者の自由な「想い」を触発するのだと感じます。



プラド美術館には、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、ゴヤの『着衣のマハ・裸のマハ』をはじめとし、有名絵画、傑作絵画が目白押しです。その中でも、このエル・グレコ『胸に手を置く騎士』は代表作の一つとされています。

この絵に "センセーショナル" な面はありません。有名な宗教的場面でもなく、歴史上の重要場面でもない。国王とか著名人物がモデルでもありません。誰だかわからない紳士の肖像です。古典絵画に大量にある「男の肖像」の中の一枚に過ぎません。誰を描いたのかも分からない。それでいてプラドの代表作の一つとされているのは、この絵が持つ魅力、特に「謎」によるのでしょう。これは『モナ・リザ』の魅力、『モナ・リザ』が世界で一番有名な絵までになった理由と極めて似ていると思うのですね。

この絵は「プラドのモナ・リザ」だと思います。「XXXのモナ・リザ」と称される絵はたくさんありますが、そのすべては、当然のことながら女性の肖像です。男性の肖像を「プラドのモナ・リザ」と言うのは変なのですが、絵がもつ本質的な魅力において、この絵は『モナ・リザ』と似通っています。最初にあげた「モナ・リザの模写(複製)」よりも "モナ・リザらしい" 名画だと思います。




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