No.152 - ワイエス・ブルー [アート]
No.150「クリスティーナの世界」と No.151「松ぼっくり男爵」でアンドリュー・ワイエス(1917-2009)の絵画をとりあげましたが、その継続です。今回はアンドリュー・ワイエスの "色づかい" についてです。No.18「ブルーの世界」の続きという意味もあります。
まず「クリスティーナの世界」の画題となったオルソン家の話からはじめます。
オルソン家
No.150「クリスティーナの世界」で描かれたクリスティーナ・オルソンは、1歳年下の弟・アルヴァロとともにオルソン・ハウスと呼ばれた家に住んでいました。その家はアメリカ東海岸の最北部、メイン州のクッシングにあるワイエス家の別荘の近くです。オルソン家とアンドリュー・ワイエスの出会いを、福島県立美術館・学芸員の荒木康子氏が書いています。
アンドリュー・ワイエスにとって、妻・ベッツィとの出会いが、すなわちオルソン家との出会いだったわけです。ワイエスの "オルソン・シリーズ" の中の、オルソン・ハウスを描いたテンペラ画と水彩画をあげてみます。
ちなみに上の絵の「Weatherside」とは「風上側」という意味ですね。建物などの "風が吹き付ける側" を言います。長い年月のあいだ風雨にさらされ、切妻の板が古びて変色した感じがリアルに表現されています。
この2枚の絵の「色づかい」に着目すると、目立つのは明度・彩度の異なるさまざまな黄色・茶色・褐色系統の色、白と灰色から黒の無彩色です。このような色づかいは上の2枚だけでなく、ワイエスの絵に夥しく現れます。これらの色に No.151 の「松ぼっくり男爵」でも使われた緑(特に、濃い緑)を加えたのが、ワイエスの典型的な色づかいだと言えるでしょう。これを「ワイエス・カラー」と呼ぶことにします。つまり、
です。もちろんプロの画家としては、これ以外の色を混ぜたり、重ねたり、下地に塗ったりするわけです。No.151「松ぼっくり男爵」で引用したワイエスの "自作解説" では「松の木の赤錆たような感じを出すために下地に赤を塗り、その上に緑を塗った」とありました。
そしてワイエスの絵には「ワイエス・カラー」に、それとは異質な色を組み合わせたものがいろいろあります。たとえば No.150の「クリスティーナの世界」では、クリスティーナのドレスの淡いピンク色が実に効果的に使われていました。この絵の大きな魅力はドレスのピンク色だといってもいいでしょう。
その「異質な色との組み合わせ」の一つとして、ワイエス・カラーの中に一部分だけ「青」を特徴的に使った絵があります。それは、数は多くはないけれど「ワイエス・ブルー」と呼んでいいほど強い印象を受ける「青」です。以下、そのワイエス・ブルーの絵画を何点か取り上げてみます。
ワイエスの "オルソン・シリーズ" の絵に『アルヴァロとクリスティーナ』という、ズバリの題が付けられた絵があります。
『アルヴァロとクリスティーナ』という題ですが、この絵にはアルヴァロもクリスティーナも描かれていません。この絵についてワイエスは、メトロポリタン美術館・館長のトーマス・ホーヴィングのインタビューに答えて、次のように語っています。
つまり『アルヴァロとクリスティーナ』と題するこの絵は、アルヴァロとクリスティーナが亡くなってから描かれたわけです。この絵でひときわ目立つのが青いドアです。このドアが青く塗られている理由について、美術史家の岡部幹彦氏(元・福島県立美術館学芸員、元・文化庁文化財部)が「ワイエス水彩素描展」の図録に次の主旨の解説を書いていました。
描かれているのは青いドアと、もう一つの左側のドアです。左のドアの前には籠(ワイエスの自作解説では "バスケット")があります。これはアルヴァロがブルーベリーを収穫するときに使っていた籠で、ワイエスはこの籠を何枚も描いています。真ん中にはバケツがあり、その上にはエプロンらしきものが掛かっています。フライパンもある。おそらく、クリスティーナが使っていたものでしょう。
この絵はワイエス自身が語っているように、2枚のドアと籠やバケツでアルヴァロとクリスティーナを代弁させた絵です。かつ、姉弟の父親が塗った青いペンキは、船乗りの家系であるオルソン家の象徴だと考えられる。アンドリュー・ワイエスはオルソン姉弟に聞いたに違いないのですね。なぜこのドアは青く塗られているのかと・・・・・・。それに対してオルソン姉弟は父親から聞いた話を答える・・・・・・。これはごく自然な想像だと思います。
この状況は No.151で書いた『松ぼっくり男爵』とそっくりです。『松ぼっくり男爵』では、鉄兜がカール・カーナー、松ぼっくりがアンナ・カーナー、松並木は夫妻の歴史の象徴だという感想を書いたのですが、それと全くパラレルなことが『アルヴァロとクリスティーナ』にも言えるわけです。
この絵は "モノに執着するワイエス" を如実に示しています。しかも、人が使い込んだものはその人の魂を宿すという発想を感じます。これは我々日本の文化風土からすると非常に分かりやすい。逆にいうと「モノに心を感じる」ような精神はアメリカ人にも(少なくともワイエスには)あることが分かります。
しかし何よりもこの絵で印象深いのは、鮮烈な青色です。決して強い青色ではなく、どちらかというと淡い青だけれど、絵の中に置かれると非常に鮮やかで、そこだけが強く輝いて見える。このたぐいの青を「ワイエス・ブルー」と名付けたい理由です。
ブルーベリーの栽培はオルソン家の重要な収入源であり、アルヴァロは籠(バスケット)を使って収穫をしていました。この水彩画に描かれた籠は少し破損していて、ブルーベリーがのぞいている様子も描かれています。
「オルソン・ハウスの物置のドアや計量器、箱などの多くのものが青いペイントで塗られていた」との解説を引用しましたが、その計量器と箱をワイエスは描いています。
チャッズ・フォード
ここからはワイエスの生家があるベンシルヴァニア州のチャッズ・フォードで描かれたものです。
ワイエスの妻、ベッツィの友人を描いた肖像画です。白髪まじりの髪を後ろに束ね、着古した感じの青いジャケットを着ています。そこには茶色のシミやこすれのような表現がいろいろとあります。全く飾らない質素ないでたちですが、顔の表情を見ると目は輝き、鼻筋がとおり、口は上品に結ばれていて、気品を感じる姿です。この絵は "鮮やかな青" が人物の性格を引き立ているようです。
下の絵はワイエス家の水車小屋(粉ひき小屋)の内部から外を見た光景です。青いペンキで塗られた窓枠は、暗い青色で、古びたような色ですが、それと戸外の明るくて黄色っぽい風景の対比がきいています。
『大水のあと - Flood Plain』と題された絵です。あたり一面が水浸しになり、水が引いたあとの光景です。ワイエスの「自作解説」によると、この絵に描かれた青いモノは、幌馬車の残骸です。ワイエスはこれを発見したときに、洪水の後の風景が "絵になる" と思ったのでしょう。
No.151「松ぼっくり男爵」で書いたように、ワイエスは自宅近くのカーナー農場とカーナー夫妻を描き続けたのですが、この絵もその1枚です。アンナ・カーナー(当時87歳。夫のカールとは既に死別)が農作業をしていますが、そこに青い矢車草が咲いています。縮小画像にすると矢車草はほとんど分からないのですが、実際に展覧会でこの絵を見ると、青い点々が下のほうに散らばっているのに気づきます。
ワイエスはこの絵の題を「矢車草」としています。小さな花の青色が絵の主題になっているわけです。
ワイエスの作品を貫くテーマの一つは「多民族国家としてのアメリカ」です。アルヴァロとクリスティーナのオルソン兄弟はスウェーデン移民の2世だし、カールとアンナのカーナー夫妻はドイツからの移民です(No.151「松ぼっくり男爵」)。No.151で引用したワイエス展のポスターの「Gunning Rocks」という絵は、フィンランド人とネイティブ・アメリカンの血をひく男性の横顔でした。他にもフィンランド移民の男性の肖像を描いているし、その娘(シリという名)の美しいヌードもあります。ネイティブ・アメリカンの男性の肖像もありました。
その多民族国家・アメリカの象徴ですが、ワイエスは子どものころからカーナー農場の向こうにあった「リトル・アフリカ」というアフリカ系アメリカ人の集落に出入りしていました。そこの子どもと友人になり、人々の絵を描きました。そのなかから "ワイエス・ブルー" を使った2作品を引用します。この作品もそうですが、一見してアフリカ系アメリカ人が辿った苦難の歴史を想像させるような絵がいろいろとあります。
ワイエスが火の描写に挑戦した1枚です。チャッズ・フォードのある情景ですが、その色づかいに着目したいと思います。写真を縮小した画像では分かりにくいのですが、実際にこの絵を見ると、炎の中にわずかに青みがかった灰色が描かれています。火の中に青みがかった色が見えるのはありえることですが、普通のたき火ではあまりないでしょう。これはワイエスの画家としての感性にもとづく絵画だと考えられます。
メイン州
ふたたびメイン州の光景に戻ります。青は空の色であり、また海や湖、川なども青く見えることがよくあります。こういった「空や水の青」もワイエスの絵にはいろいろありますが、1枚だけあげるとすると「The Carry」という晩年の絵です。"carry" とは、川の水深が浅くなっている場所で、ボートが航行できないため岸にあげて運ぶ、そういう場所のことです。訳すと「陸上運搬」でしょうか。
この絵は、川や湖水の水の青が大変に美しい絵です。空はほとんど描かれていないのですが、上空にも青空が広がっていることが、ありありと想像できる。この絵は実物を見たことがないのですが、ぜひ一度、鑑賞してみたいものです。
これもメイン州・クッシングの光景です。草原の木陰で昼寝をしている人がいます。犬がそばにいて、双眼鏡とカップと、ブルーベリーの入った小さな籠がそばにある。
青いシャツの胸の膨らみから、この人が女性だと分かります。とすると、女性が無防備な姿で寝ていることになる。実際に散歩をしていてこういう場面に出会ったら少々ドキッとするはずですが、ここはメイン州・クッシングの "田舎" です。もちろん安全なのでしょう。犬もいます。
アンドリュー・ワイエスの "自作解説" によると女性は妻のベッツィです。そしてこのとき「ウォルドボロの方角から雷鳴が聞こえてきた」とあります。ウォルドボロはクッシングの北西、数10kmの町です。ということは、犬はかすかな雷鳴に気づいて頭をもたげたということでしょう。「遠雷」という題のゆえんです。
この絵の魅力となっているのが「ワイエス・ブルー」だと思います。女性のシャツの淡い青と、小さく描かれたブルーベリーの濃いめの青、その対比が印象的です。このブルーが、茶と緑の入り交じった「ワイエス・カラー」の草原風景によく映えています。
ブルーの魅力
No.18「ブルーの世界」で、青色染料・顔料の歴史とともに、青を使った絵画を取り上げました。ラピスラズリを使ったフェルメールの絵画は有名で「フェルメール・ブルー」と呼ばれたりします。ピカソの「青の時代」の絵は、プルシアン・ブルーを使った青の濃淡だけで絵が構成されています。
日本では植物顔料である藍が浮世絵に多用されました。この藍色を西欧では「ヒロシゲ・ブルー」と言ったりします。またプルシアン・ブルー(江戸時代の言い方ではベロ藍)を効果的に使った葛飾北斎の浮世絵もありました。現代日本画では東山魁夷画伯の「ヒガシヤマ・ブルー」が有名です。
アンドリュー・ワイエスという画家の "青" は、上にあげた画家とは違って、白が混じったような "淡くて薄い青"、ないしは "くすんだ青" です。それを画面の一部だけに使う(ことが多い)。しかし絵の中ではその青が強い輝きを放っています。
これはいわゆる「補色効果」というやつですね。つまりワイエス・カラーで多用される黄・茶色系統の色、これと青が補色関係にあるわけです。この効果で「淡い、薄い青」でも引き立つ。そういうことだと思います。
もちろん「青」と「黄・茶」の補色関係を利用した絵は昔からあります。No.18「ブルーの世界」であげたフェルメールはラピスラズリの青のそばに黄色系を配置したものがあるし(No.18 の「牛乳を注ぐ女」など)、ゴッホもそういう名手です。まっ黄色の麦畑の上にプルシアン・ブルーの紺碧の空が広がっている(そこにカラスが飛んでいる)ゴッホの絵は何枚かあるし、有名な『夜のカフェテラス』も、カフェから漏れる強烈な光の黄色と夕闇が迫る空の深い青の対比が素晴らしい。このようなラピスラズリやプルシアン・ブルーの青は、色そのものに個性がある青、いわば「主張する青」です。
それに対してワイエスは、絵の中に配置されることによって初めて引き立つ "控えめな青" を極めて巧みに使っています。それと対比される補色も、彩度の低い、おだやかな黄・茶系統の色です。しかし絵として美しく、印象的なことには変わりがない。アンドリュー・ワイエスもまた「青を使う名手」だと思います。
まず「クリスティーナの世界」の画題となったオルソン家の話からはじめます。
オルソン家
No.150「クリスティーナの世界」で描かれたクリスティーナ・オルソンは、1歳年下の弟・アルヴァロとともにオルソン・ハウスと呼ばれた家に住んでいました。その家はアメリカ東海岸の最北部、メイン州のクッシングにあるワイエス家の別荘の近くです。オルソン家とアンドリュー・ワイエスの出会いを、福島県立美術館・学芸員の荒木康子氏が書いています。
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アンドリュー・ワイエスにとって、妻・ベッツィとの出会いが、すなわちオルソン家との出会いだったわけです。ワイエスの "オルソン・シリーズ" の中の、オルソン・ハウスを描いたテンペラ画と水彩画をあげてみます。
なお、以下に掲げる絵で、引用元を明示しなかったものは日本で開催された以下の3つの展覧会、
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「さらされた場所」
- Weatherside - 1965(48歳)。テンペラ |
「オルソンの家」
- Olson House - 1966(49歳)。水彩 (丸沼芸術の森・所蔵) |
ちなみに上の絵の「Weatherside」とは「風上側」という意味ですね。建物などの "風が吹き付ける側" を言います。長い年月のあいだ風雨にさらされ、切妻の板が古びて変色した感じがリアルに表現されています。
この2枚の絵の「色づかい」に着目すると、目立つのは明度・彩度の異なるさまざまな黄色・茶色・褐色系統の色、白と灰色から黒の無彩色です。このような色づかいは上の2枚だけでなく、ワイエスの絵に夥しく現れます。これらの色に No.151 の「松ぼっくり男爵」でも使われた緑(特に、濃い緑)を加えたのが、ワイエスの典型的な色づかいだと言えるでしょう。これを「ワイエス・カラー」と呼ぶことにします。つまり、
ワイエス・カラー:
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です。もちろんプロの画家としては、これ以外の色を混ぜたり、重ねたり、下地に塗ったりするわけです。No.151「松ぼっくり男爵」で引用したワイエスの "自作解説" では「松の木の赤錆たような感じを出すために下地に赤を塗り、その上に緑を塗った」とありました。
そしてワイエスの絵には「ワイエス・カラー」に、それとは異質な色を組み合わせたものがいろいろあります。たとえば No.150の「クリスティーナの世界」では、クリスティーナのドレスの淡いピンク色が実に効果的に使われていました。この絵の大きな魅力はドレスのピンク色だといってもいいでしょう。
その「異質な色との組み合わせ」の一つとして、ワイエス・カラーの中に一部分だけ「青」を特徴的に使った絵があります。それは、数は多くはないけれど「ワイエス・ブルー」と呼んでいいほど強い印象を受ける「青」です。以下、そのワイエス・ブルーの絵画を何点か取り上げてみます。
 アルヴァロとクリスティーナ  |
ワイエスの "オルソン・シリーズ" の絵に『アルヴァロとクリスティーナ』という、ズバリの題が付けられた絵があります。
「アルヴァロとクリスティーナ」
- Alvaro and Christina - 1968(51歳)。水彩 (ファーンズワース美術館・所蔵) |
『アルヴァロとクリスティーナ』という題ですが、この絵にはアルヴァロもクリスティーナも描かれていません。この絵についてワイエスは、メトロポリタン美術館・館長のトーマス・ホーヴィングのインタビューに答えて、次のように語っています。
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つまり『アルヴァロとクリスティーナ』と題するこの絵は、アルヴァロとクリスティーナが亡くなってから描かれたわけです。この絵でひときわ目立つのが青いドアです。このドアが青く塗られている理由について、美術史家の岡部幹彦氏(元・福島県立美術館学芸員、元・文化庁文化財部)が「ワイエス水彩素描展」の図録に次の主旨の解説を書いていました。
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描かれているのは青いドアと、もう一つの左側のドアです。左のドアの前には籠(ワイエスの自作解説では "バスケット")があります。これはアルヴァロがブルーベリーを収穫するときに使っていた籠で、ワイエスはこの籠を何枚も描いています。真ん中にはバケツがあり、その上にはエプロンらしきものが掛かっています。フライパンもある。おそらく、クリスティーナが使っていたものでしょう。
この絵はワイエス自身が語っているように、2枚のドアと籠やバケツでアルヴァロとクリスティーナを代弁させた絵です。かつ、姉弟の父親が塗った青いペンキは、船乗りの家系であるオルソン家の象徴だと考えられる。アンドリュー・ワイエスはオルソン姉弟に聞いたに違いないのですね。なぜこのドアは青く塗られているのかと・・・・・・。それに対してオルソン姉弟は父親から聞いた話を答える・・・・・・。これはごく自然な想像だと思います。
この状況は No.151で書いた『松ぼっくり男爵』とそっくりです。『松ぼっくり男爵』では、鉄兜がカール・カーナー、松ぼっくりがアンナ・カーナー、松並木は夫妻の歴史の象徴だという感想を書いたのですが、それと全くパラレルなことが『アルヴァロとクリスティーナ』にも言えるわけです。
この絵は "モノに執着するワイエス" を如実に示しています。しかも、人が使い込んだものはその人の魂を宿すという発想を感じます。これは我々日本の文化風土からすると非常に分かりやすい。逆にいうと「モノに心を感じる」ような精神はアメリカ人にも(少なくともワイエスには)あることが分かります。
しかし何よりもこの絵で印象深いのは、鮮烈な青色です。決して強い青色ではなく、どちらかというと淡い青だけれど、絵の中に置かれると非常に鮮やかで、そこだけが強く輝いて見える。このたぐいの青を「ワイエス・ブルー」と名付けたい理由です。
 ブルーベリー  |
ブルーベリーの栽培はオルソン家の重要な収入源であり、アルヴァロは籠(バスケット)を使って収穫をしていました。この水彩画に描かれた籠は少し破損していて、ブルーベリーがのぞいている様子も描かれています。
「パイ用のブルーベリー・習作」
- Study for Pie Berries - 1967(50歳)。水彩 (丸沼芸術の森・所蔵) |
 計量器と箱  |
「オルソン・ハウスの物置のドアや計量器、箱などの多くのものが青いペイントで塗られていた」との解説を引用しましたが、その計量器と箱をワイエスは描いています。
「青い計量器」 - Blue Measure -
1959(42歳)。ドライブラッシュ・水彩 (丸沼芸術の森・所蔵) |
(部分)
「青い箱」 - Blue Box -
1956(39歳)。水彩 |
チャッズ・フォード
ここからはワイエスの生家があるベンシルヴァニア州のチャッズ・フォードで描かれたものです。
 肖像  |
ワイエスの妻、ベッツィの友人を描いた肖像画です。白髪まじりの髪を後ろに束ね、着古した感じの青いジャケットを着ています。そこには茶色のシミやこすれのような表現がいろいろとあります。全く飾らない質素ないでたちですが、顔の表情を見ると目は輝き、鼻筋がとおり、口は上品に結ばれていて、気品を感じる姿です。この絵は "鮮やかな青" が人物の性格を引き立ているようです。
「アラベラ」 - Arabella -
1969(52歳)。ドライブラッシュ・水彩(紙)
The Metropolitan Museum of Art
|
 窓  |
下の絵はワイエス家の水車小屋(粉ひき小屋)の内部から外を見た光景です。青いペンキで塗られた窓枠は、暗い青色で、古びたような色ですが、それと戸外の明るくて黄色っぽい風景の対比がきいています。
「昼下がりの想い」
- Love in the Afternoon - 1992(75歳)。テンペラ |
 幌馬車  |
『大水のあと - Flood Plain』と題された絵です。あたり一面が水浸しになり、水が引いたあとの光景です。ワイエスの「自作解説」によると、この絵に描かれた青いモノは、幌馬車の残骸です。ワイエスはこれを発見したときに、洪水の後の風景が "絵になる" と思ったのでしょう。
「大水のあと」 - Flood Plain -
1986(69歳)。テンペラ |
(部分)
 矢車草  |
No.151「松ぼっくり男爵」で書いたように、ワイエスは自宅近くのカーナー農場とカーナー夫妻を描き続けたのですが、この絵もその1枚です。アンナ・カーナー(当時87歳。夫のカールとは既に死別)が農作業をしていますが、そこに青い矢車草が咲いています。縮小画像にすると矢車草はほとんど分からないのですが、実際に展覧会でこの絵を見ると、青い点々が下のほうに散らばっているのに気づきます。
ワイエスはこの絵の題を「矢車草」としています。小さな花の青色が絵の主題になっているわけです。
「矢車草」 - Cornflowers -
1986(69歳)。水彩 |
(部分)
 リトル・アフリカ  |
ワイエスの作品を貫くテーマの一つは「多民族国家としてのアメリカ」です。アルヴァロとクリスティーナのオルソン兄弟はスウェーデン移民の2世だし、カールとアンナのカーナー夫妻はドイツからの移民です(No.151「松ぼっくり男爵」)。No.151で引用したワイエス展のポスターの「Gunning Rocks」という絵は、フィンランド人とネイティブ・アメリカンの血をひく男性の横顔でした。他にもフィンランド移民の男性の肖像を描いているし、その娘(シリという名)の美しいヌードもあります。ネイティブ・アメリカンの男性の肖像もありました。
その多民族国家・アメリカの象徴ですが、ワイエスは子どものころからカーナー農場の向こうにあった「リトル・アフリカ」というアフリカ系アメリカ人の集落に出入りしていました。そこの子どもと友人になり、人々の絵を描きました。そのなかから "ワイエス・ブルー" を使った2作品を引用します。この作品もそうですが、一見してアフリカ系アメリカ人が辿った苦難の歴史を想像させるような絵がいろいろとあります。
「アダム」- Adam -
1963(46歳)。テンペラ
Brandywine River Museum of Art
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「孫娘」- Granddaughter -
1956(39歳)。水彩
Wadsworth Atheneum Museum
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 たき火  |
ワイエスが火の描写に挑戦した1枚です。チャッズ・フォードのある情景ですが、その色づかいに着目したいと思います。写真を縮小した画像では分かりにくいのですが、実際にこの絵を見ると、炎の中にわずかに青みがかった灰色が描かれています。火の中に青みがかった色が見えるのはありえることですが、普通のたき火ではあまりないでしょう。これはワイエスの画家としての感性にもとづく絵画だと考えられます。
「たき火」 - Bonfire -
1993(76歳)。水彩 |
メイン州
 空と水  |
ふたたびメイン州の光景に戻ります。青は空の色であり、また海や湖、川なども青く見えることがよくあります。こういった「空や水の青」もワイエスの絵にはいろいろありますが、1枚だけあげるとすると「The Carry」という晩年の絵です。"carry" とは、川の水深が浅くなっている場所で、ボートが航行できないため岸にあげて運ぶ、そういう場所のことです。訳すと「陸上運搬」でしょうか。
「The Carry」
2003(86歳)。テンペラ (andrewwyeth.com より引用) |
この絵は、川や湖水の水の青が大変に美しい絵です。空はほとんど描かれていないのですが、上空にも青空が広がっていることが、ありありと想像できる。この絵は実物を見たことがないのですが、ぜひ一度、鑑賞してみたいものです。
 遠雷  |
これもメイン州・クッシングの光景です。草原の木陰で昼寝をしている人がいます。犬がそばにいて、双眼鏡とカップと、ブルーベリーの入った小さな籠がそばにある。
青いシャツの胸の膨らみから、この人が女性だと分かります。とすると、女性が無防備な姿で寝ていることになる。実際に散歩をしていてこういう場面に出会ったら少々ドキッとするはずですが、ここはメイン州・クッシングの "田舎" です。もちろん安全なのでしょう。犬もいます。
「遠雷」 - Distant Thunder -
1961(44歳)。テンペラ |
アンドリュー・ワイエスの "自作解説" によると女性は妻のベッツィです。そしてこのとき「ウォルドボロの方角から雷鳴が聞こえてきた」とあります。ウォルドボロはクッシングの北西、数10kmの町です。ということは、犬はかすかな雷鳴に気づいて頭をもたげたということでしょう。「遠雷」という題のゆえんです。
この絵の魅力となっているのが「ワイエス・ブルー」だと思います。女性のシャツの淡い青と、小さく描かれたブルーベリーの濃いめの青、その対比が印象的です。このブルーが、茶と緑の入り交じった「ワイエス・カラー」の草原風景によく映えています。
(部分)
「ブルーベリー、遠雷のための習作」
- Blueberries, Study for Distant Thunder - 1961(44歳)。水彩 (ファーンズワース美術館・所蔵) (www.farnsworthmuseum.org より引用) |
ブルーの魅力
No.18「ブルーの世界」で、青色染料・顔料の歴史とともに、青を使った絵画を取り上げました。ラピスラズリを使ったフェルメールの絵画は有名で「フェルメール・ブルー」と呼ばれたりします。ピカソの「青の時代」の絵は、プルシアン・ブルーを使った青の濃淡だけで絵が構成されています。
日本では植物顔料である藍が浮世絵に多用されました。この藍色を西欧では「ヒロシゲ・ブルー」と言ったりします。またプルシアン・ブルー(江戸時代の言い方ではベロ藍)を効果的に使った葛飾北斎の浮世絵もありました。現代日本画では東山魁夷画伯の「ヒガシヤマ・ブルー」が有名です。
アンドリュー・ワイエスという画家の "青" は、上にあげた画家とは違って、白が混じったような "淡くて薄い青"、ないしは "くすんだ青" です。それを画面の一部だけに使う(ことが多い)。しかし絵の中ではその青が強い輝きを放っています。
これはいわゆる「補色効果」というやつですね。つまりワイエス・カラーで多用される黄・茶色系統の色、これと青が補色関係にあるわけです。この効果で「淡い、薄い青」でも引き立つ。そういうことだと思います。
もちろん「青」と「黄・茶」の補色関係を利用した絵は昔からあります。No.18「ブルーの世界」であげたフェルメールはラピスラズリの青のそばに黄色系を配置したものがあるし(No.18 の「牛乳を注ぐ女」など)、ゴッホもそういう名手です。まっ黄色の麦畑の上にプルシアン・ブルーの紺碧の空が広がっている(そこにカラスが飛んでいる)ゴッホの絵は何枚かあるし、有名な『夜のカフェテラス』も、カフェから漏れる強烈な光の黄色と夕闇が迫る空の深い青の対比が素晴らしい。このようなラピスラズリやプルシアン・ブルーの青は、色そのものに個性がある青、いわば「主張する青」です。
それに対してワイエスは、絵の中に配置されることによって初めて引き立つ "控えめな青" を極めて巧みに使っています。それと対比される補色も、彩度の低い、おだやかな黄・茶系統の色です。しかし絵として美しく、印象的なことには変わりがない。アンドリュー・ワイエスもまた「青を使う名手」だと思います。
2015-08-07 20:06
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