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No.151 - 松ぼっくり男爵 [アート]


福島県立美術館


前回の No.150「クリスティーナの世界」で、福島県立美術館が所蔵するアンドリュー・ワイエスの「松ぼっくり男爵」にふれました。今回はこの絵についてです。

ワイエス展 1988.jpg
ポスターの絵は「Faraway」(遥か彼方に。1952)。モデルは息子のジェイムズ。
前回書いた様に、家族旅行の帰り道でたまたま立ち寄った福島県立美術館でワイエスを "発見" したのですが、もちろん、ワイエスという画家は知っていました。初めて本格的な展覧会に行ったのは、世田谷美術館で1988年に開催されたワイエス家・3代(アンドリュー・ワイエスと父・ニューウェル、息子・ジェイムズ)の展覧会(ポスター)だったと思います。

しかし福島県立美術館で出会ったワイエス、特に「松ぼっくり男爵」は心に残るものでした。それは「思いがけず」ということに加えて「不思議な絵だな」という感触を持ったからだと思います。もちろん、福島で見たときには、この絵が描かれた経緯を知りませんでした。以下の「描かれた経緯」は全てあとで知ったものです。

なお以下の説明は、

テレビ東京「美の巨人たち」で放映された「松ぼっくり男爵」(2013.6.22)

福島県立美術館の学芸員・荒木康子氏の解説 = 「アンドリュー・ワイエス 創造への道程みち展 2008」の図録所載

を参考にしました。荒木康子氏は「美の巨人たち」のインタビューにも答えていました。

福島県立美術館.jpg
福島県立美術館


松ぼっくり男爵


アンドリュー・ワイエス(1917-2009)の「松ぼっくり男爵 Pine Baron」は、1976年に描かれた作品です。ワイエス59歳のときの作品ということになります。正方形の板の上にテンペラの手法で描かれています。

松ぼっくり男爵.jpg
アンドリュー・ワイエス
(1917-2009)
松ぼっくり男爵 - Pine Baron - 」(1976)
(福島県立美術館)

これは一見して「不思議な絵」です。「松並木」と「松ぼっくり」と、道に落ちている「松葉」はいたって普通ですが、そこに「鉄兜」が登場するのが不思議です。もし鉄兜ではなく何らかのカゴかバケツに松ぼっくりが入っていたとしたら、誰かが松ぼっくりを集め、あとで取りにくるまでの光景だと思うでしょう。それなら普通の光景です。しかしここに鉄兜がある。これはどういう意味なのか。

題名も不思議です。「男爵」とは何か。「松ぼっくり」と「男爵」を続けて言うのは(英語題名はPine Baron)どういう意味があるのか、謎です。心に引っかかる。

「描かれた経緯を知らないと真の意味が理解しがたい絵」があります。前回の No.150 「クリスティーナの世界」がそうでした。クリスティーナが小児麻痺であり、いつくばるようにして我が家へ向かっている、ということを知らなければ、この絵の真の意味が理解できません。こういったたぐいの絵はワイエスには少ないと思うのですが「松ぼっくり男爵」はそういったタイプの絵です。

そして「クリスティーナの世界」と「松ぼっくり男爵」は他にも共通点があります。人の人生を絵の中に凝縮させたという共通点です。「松ぼっくり男爵」がなぜ「人生」なのか、それが以下です。



ワイエスはペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれ、生涯、生まれ故郷と別荘のあるメーン州クッシング以外には移動を好まず、ひたすらその周辺の風景や人物を描き続けたのは、前回書いた通りです。

そのワイエスの生家の裏手の丘の向こうに「カーナー農場」があり、カールとアンナのカーナー夫妻が経営していました。カーナー夫妻はドイツからの移民です。カールは1898年生まれで、シュヴァルツヴァルトの村の羊飼いでしたが、第1次世界大戦にドイツ陸軍に従軍し、鉄十字勲章を受けました。故郷に戻ってから一歳年下のアンナと結婚したのですが、おりからのインフレで生活が苦しく、1926年にアメリカに渡って開いたのがカーナー農場でした。「松ぼっくり男爵」に描かれている鉄兜は、カールが第1次世界大戦で使ったドイツ軍のヘルメットです。戦場でカールの命を守ったヘルメットでした。

  そういえばこのヘルメットの形は少し変わっています。ヘルメットの周囲の一部が突き出た形をしている。この形をどこかで見たことがあるなと思い出すと、それは第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を描いた映画でした。そこでのドイツ軍のヘルメットがこういう形をしていた。ドイツ軍は第一時世界大戦当時から似た形のヘルメットを使っていたことになります。

カールは無骨で粗野な男です。アンナは英語がしゃべれず、話相手もいませんでした。内気で、気むずかしい女性です。二人は日の出から日没まで、農場で働き詰めでした。

ワイエスがカーナー農場を初めて訪れたのは13歳の時だといいます。16歳のときには「カーナー農場の春景色」(1933)という油絵を描いてカーナー夫妻にプレゼントしました。カール・カーナーはワイエスより19歳年上です。16歳の少年が35歳の男に絵をプレゼントする・・・・・・。ワイエスとカーナーの関係を物語っています。ワイエスは、この10代の時から約60年間もこの農場に通い続け、カーナー夫妻や農場をモチーフに絵を描き続けたのでした。カールが亡くなったのは1979年・81歳、アンナは長生きをし、1997年・98歳で亡くなりました。

このカーナー農場の入り口には松並木がありました。これは、カールが故郷のドイツから持ってきた松の苗木を植えたものです。ホームシックになったアンナをなぐさめる意味もあったと言います。



ワイエスが59歳、カールは78歳の時です。火を起こすための松ぼっくりを集めるのはアンナの仕事でした。ワイエスはたまたま、農場の松並木で鉄兜に入ったままの松ぼっくりを目撃するのです。その時の様子は、ワイエス自身がメトロポリタン美術館・館長のトーマス・ホーヴィングのインタビューに答えて語っています。以下にそれを引用します。


ある日、私がジープを運転してカーナー農場の入り口までやってくると、この鉄兜が松の木の下にあるのが突然目に入った。私は急ブレーキをかけた。自分の目が信じられなかった。第一次世界大戦の時に使われた鉄兜が、松ぼっくりで一杯だったのである。私は自分の髪の毛が興奮して逆立つのを覚えた。アンナにとっては、この鉄兜こそ戦争や夫の戦争体験を思い起こさせるものであった。そのため、彼女はこれを火を起こす時に使う松ぼっくりの運搬用にだけ使っていたのである。

私はいつも水彩絵の具を持ち歩いている。この時も水彩で描いた。私な何の演出も加えなかった。場面がそこにあったからだ。私はその鉄兜をそのまま描きたかった。私の思い通りではなく、アンナが置いたままの状態で。あたかも自然に置かれたかのように、ものを意識して置くことはできないのだ。私にはこの鉄兜が何よりもカーナーという人物の生涯や、第一次世界大戦中の「黒い森」での体験を雄弁に物語っているように思えるのだ。

時として、私は非常に強く、それでいて全く場違いの感じのするものを見て、感激するとともに、ショックを受け、同時に喜んだりするのだ。そのようなものこそが、私の心を捉える。松の木の下に置かれているのは鉄兜に過ぎないが、これがここにあるということが不思議でならないのである。

私はテンペラ画を正方形のパネルに描いたのは、鉄兜の形を強調したかったからだ。そして道路の上に伸びている松の枝のもち、唐突に水平的であると同時に対角的なところを使って、画面に安定と静謐さを与えようとした。私はこの季節の松の木が持つ、不思議に赤錆たような感じを出すために、画面にまずアリザリン・クリムソン(透明な赤)を塗り、その上に緑を塗った。木々が脈打ち、揺れ動いているような感じを出すためには、これしかなかった。

松ぼっくりの形にはまったく信じられないようなところがある。私はそれらの乾いた感じが好きで、それぞれの松ぼっくりの縁には、霜のような乾燥した松やにがくっついている。私がニーダムで過ごした子供の頃から、松ぼっくりが好きだった。唐檜や松の林を吹き抜ける風のうなりには、どこか信じ難いところがある。私は、松の突き刺すような素早い動きが好きだ。筋張った枝は全くタフで、弾力があり、たわみ、そして鉄よりも強靱だ。まったく素晴らしい。松の木の下に積もっている松葉の床は、柔らかく、ベルベットのようだが、実はざらざらしたものだ。

背景をよく見ると、牛が放牧場に出ていく時に通る場所が、杭のあるところまで見えるだろう。牛の足跡も見えるかもしれない。私はこの絵の中にカーナー農場で私がいつも感じている豊かさのすべてを注ぎ込もうとしたのである。これは単なる格好のよい松林の絵ではない。

アンドリュー・ワイエス

「アンドリュー・ワイエス展」図録より
1995.2.3 - 1995.7.30
愛知県美術館
Bunkamura ザ・ミュージアム
兵庫県立近代美術館

  ちなみに上の引用に出てくる "ニーダム" とは、ボストン近郊の町で、父親のニューウェル・C・ワイエスが生まれ、育った町です。アンドリューも子供の頃、夏に何回か訪れています。

ワイエスは以前にも、アンナがカールの鉄兜をバケツがわりにして松ぼっくりを集めているのを目撃したことがあります。そのアンナの姿のスケッチが何枚か残っています。しかしこの時、目撃した光景にアンナの姿はなかった。それが画家に不思議な感覚を与え、絵画へのインスピレーションとなった。そこにアンナの労働がなかったからこそ、逆にカールとアンナを象徴するように見えたのだと思います。



題名についてですが、チャッツ・フォードの人たちは、頑固者のカールをバロンと呼んだようです。福島県立美術館の学芸員の荒木康子氏は「美の巨人たち」のなかで、次のように語っていました。


男爵というのはカーナーさんのことだと思うのです。ヘルメットを被った、兵士として活躍した人物であった。たぶん、ワイエスが住んでいたチャッズ・フォードの中で、カール・カーナーというのは頑固者で、ちょっと変わった人物というようなことだったんだろうと思いますけれど、そういう人物をバロン(男爵)という風な言い方をしているのは、それを茶化しているのではなくて、やはり愛情を込めてそういう言い方をしたのかなと思います。

荒木康子(福島県立美術館 学芸員)
「美の巨人たち」
(2013.6.22 放送)

カーナー夫妻.jpg
アンドリュー・ワイエス
カーナー夫妻」(1971)
「アンドリュー・ワイエス展」(1995)の図録より引用


絵に込められたもの


「松ぼっくり男爵」は福島県立美術館で見た以降、2回の「ワイエス展」で見たことがあります。愛知県立美術館(1995)と、Bunkamura ミュージアム(2008)です。

ワイエス展 1995.jpg
愛知県美術館(1995.2.3 - 4.2)
Bunkamura ザ・ミュージアム(1995.4.15 - 6.4)
兵庫県立近代美術館(1995.6.10 - 7.3)

ポスターの絵は「遠雷 - Distant Thunder」(1961)

ワイエス展 2008.jpg
Bunkamura ザ・ミュージアム(2008.11.8 - 12.23)
愛知県美術館(2009.1.4 - 3.8)
福島県立美術館(2009.3.17 - 5.10)

ポスターの絵は「Gunning Rocks」(1966)。福島県立美術館蔵。Gunning Rocks とは、ワイエス家の別荘があったメイン州クッシングに近い、沿岸の小島。描かれているのはネイティブ・アメリカンとフィンランド人の血をひくウォルター・アンダーソンという人物で、ワイエスとはよく小舟で一緒に海にでかけた。

松ぼっくり男爵.jpg
アンドリュー・ワイエス
(1917-2009)
松ぼっくり男爵 - Pine Baron - 」(1976)
(福島県立美術館)

「松ぼっくり男爵」だけではないのですが、ワイエスの鋭い観察力と迫真の描写には驚きます。松の幹はきわめてリアルに、細密に描き込まれています。"松やに" が浮いているところなどは、従来の絵にはあまりないのではと思います。松の葉は1本1本描かれ、しかも色を変えながら描かれています。松ぼっくりからは、カサカサ音がするような乾いた感触まで伝わってきます。ワイエスのインタビューにあるように、松ぼっくりにも "松やに" が描かれている。

細部の描写は真に迫っているのですが、しかし、福島県立美術館の荒木康子氏は「実際の光景とは違う」と指摘しています。


《松ぼっくり男爵》の水彩習作とテンペラ画の一番の違いは、永遠に続くように見える松並木の列である。松を描いた最初の水彩習作、あるいは鉛筆素描などを見れば、松はこれほど大木ではなく、並木道もそれほど長くない。しかしワイエスは木の幹を太くし、枝振りも悠々とした大木にし、その枝で並木道の終点を隠した。

ヘルメットと松ぼっくりに引きつけられた観者の視点は、松の幹に沿って奥行きへと導かれるが、やがて松葉の線描の戯れの中に迷い込み、行き場を失う。遠近法が遮断されたために、視線がそこから遠く先へ誘われることはないが、逆に枝葉によって形作られた暗闇に捕らえられ、その奥に見えない深さや厚みをまさぐり想像することになる。スポットライトを浴びて鮮明に浮かび上がるヘルメットと松ぼっくりとは対照的に、この松並木は観る者の視線をその中に吸い込んでしまう心理的な深い奥行きを備えているのである。

荒木康子
「アンドリュー・ワイエス 創造への道程みち 展」図録
2008.11.8 - 2009.5.10
Bunkamura ザ・ミュージアム
愛知県美術館
福島県立美術館

実際の松はもっと細く、松並木も短い。この絵は実際のカーナー農場より誇張されている、という指摘です。確かにこれによって、見る者の視線は奥に吸い込まれ、松並木はずっと奥まで続いているように見えます。

ドイツ人の住むところ.jpg
アンドリュー・ワイエス
ドイツ人の住むところ」(1973)
(福島県立美術館)
カーナー農場の入口を描いた水彩画で、「松ぼっくり男爵」と同じ場所である。実際の松並木はこの絵に近かったと想定できる。「アンドリュー・ワイエス展」(2008)の図録より引用

しかしワイエスが実際とは違う「太い幹の、長い松並木」にした理由は他にもあると思います。つまり、それによってカーナー夫妻がたどってきた長い年月を表現しようとしたのでしょう。インタビューにあるように、ワイエスの松に対する見方は「筋張った枝は全くタフで、弾力があり、たわみ、そして鉄よりも強靱だ」というものです。これはそっくりそのままカーナー夫妻のことではないか。

シンプルに解釈すると、画家は「松並木、松葉に覆われた道」にカーナー夫妻の人生そのものを象徴させ、鉄兜でカールを、松ぼっくりでアンナを表したのだと思います。同時に、農場の豊かな自然と、そこでの営みの一端を描き込んだ。



この絵は、人生の歳月と人の精神を絵画に結晶させたものだと思います。それは前回の「クリスティーナの世界」と大変よく似ています。クリスティーナ・オルソンは、ワイエス家の別荘があったメイン州クッシングの女性です。一方のカールとアンナのカーナー夫妻はペンシルベニア州のワイエスの生家の隣人です。描かれている場所、テーマ、画題は全く違うが、人生をギュッと一枚に凝縮させたという点では同じでしょう。描かれているのは、あくまで現実にワイエスが目撃した、ある一瞬です。その一瞬の光景に、画家は人の精神と人生を結晶させた。

そして前回にも書いたのですが、ワイエスの、緻密な作業を膨大に積み重ねるテンペラ画法が、二つの絵が表現しようとしたものにピタッとはまっていると、改めて思わずにはいられません。

さらに付け加えると「松ぼっくり男爵」は、ワイエスの自然やモノへの愛着・こだわりを如実に示した作品だとも言えます。インタビューにもあるようにワイエスは「松葉」「松ぼっくり」「鉄兜」「風の音」などに並々ならぬ関心や愛情を注いでいます。このあたりはワイエスの色使いとあいまって、日本人の琴線に触れるところでしょう。そのあたりも「松ぼっくり男爵」の見どころだと思います。



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