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No.142 - 日本語による科学(1) [文化]

いままでに、言語が人の思考方法や思考の内容に影響を与えるというテーマで何回か書きました。

No. 49 - 蝶と蛾は別の昆虫か
No. 50 - 絶対方位言語と里山
No.139 - 「雪国」が描いた情景
No.140 - 自動詞と他動詞(1)
No.141 - 自動詞と他動詞(2)

の5つです。今回もその継続で、科学の研究と日本語の関係がテーマです。なお以下の文章は、

  松尾義之『日本語の科学が世界を変える』
筑摩書房(筑摩選書)2015

を参考にした部分があり、この本からの引用もあります。著者の松尾氏は『日経サイエンス』副編集長、日本経済新聞出版局編集委員、『ネイチャー・ダイジェスト』編集長などを勤めた科学ジャーナリストです。以下で『前掲書』とは、この松尾氏の本のことです。


益川敏英 博士


益川敏英.jpg
益川敏英
2008年12月7日、スウェーデン王立科学アカデミーにて
(Wikipedia)
科学ということで、ノーベル物理学賞の話から始めます。ノーベル物理学賞と言えば、2014年に日本の赤崎勇・天野浩・中村修二の3氏が青色LEDの開発で受賞したことが記憶に新しいところです。しかしその6年前にも日本の3氏が受賞しました。2008年に素粒子研究で受賞した南部陽一郎・小林誠・益川敏英の3氏です。これも日本人の記憶にまだ残っているのではないでしょうか(中村、南部の両氏の受賞時の国籍はアメリカ)。

この2008年のノーベル物理学賞で大変に驚いたことがあります。それは益川敏英としひで博士に関することです。先生は世界最高クラスの物理学者でありながら、

今まで外国に行ったことがなく
受賞が決まったときにはパスポートを持っていなかった

というのです(朝日新聞デジタル版 2008.10.8 など)。

世界レベルの学者なら、学会で海外に行き、発表・講演を(英語で)行い、海外の学者と議論をし・・・・・・というのが普通でしょう。しかし益川博士はこういった「外まわり」のことは共同研究者の小林博士にまかせ、ご自分は日本に「引きこもって」おられたようです。ノーベル賞の受賞式では受賞者が英語でスピーチをするのが恒例ですが、益川博士は日本語で行いました。朝日新聞の2014年11月26日の紙面に益川博士のインタビュー記事が載っているのですが、「僕は語学が大嫌い」と語ったあとで、次のようにおっしゃっています。


ちなみにノーベル賞受賞記念のスピーチも、恒例の英語ではなく日本語で済ませました。英語の字幕付きで。英語でやれと言われたら、行く気はなかったですよ。

益川敏英としひで
朝日新聞(2014.11.26)
17面(オピニオン面)

確か、ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏(No.139「雪国が描いた情景」参照)は日本語でスピーチをされたはずで、それは日本文学の作家としてありうると思います(ただし大江健三郎氏は英語だったはず)。しかしサイエンス分野のノーベル賞での日本語スピーチというのは益川博士が初めてです。

英語でスピーチをやれと言われたのなら受賞式には行かなかった、と言う益川博士の「語学嫌い」は若い時からのようです。


僕は語学が大嫌いです。学生時代もまったく勉強しませんでした。物理の本を読んでいるほうが、はるかに楽しかった。

こんな生き方も、かつてはギリギリ許されました。大学院の入試で僕が苦手のドイツ語を白紙で出して問題にされたときも、「語学は入ってからやればいい。後から何とでもなる」といって通してくれた先生がいた。電子顕微鏡の世界的権威の先生でした。

朝日新聞(2014.11.26)

もちろん益川博士は英語の論文を読みます。そうしないと世界の最先端の研究動向、研究成果を知ることはできないからです。


こんな僕でも、実は英語は読めます。「読む」の1技能です。だって興味のある論文は、自分で読むより仕方がない。いちいち誰かに訳してもらえませんから。

ただし、いんちきをします。漢字がわかる日本人なら漢文が読めるのと同じです。物理の世界だったら基本的な英単語は知っています。あとは文法を調整すればわかる。行間まで読めます。小説だとチンプンカンプンですが。

朝日新聞(2014.11.26)

学者としての研究成果を発表するときには、世界共通語である英語で論文を書く必要があります。益川博士の英語論文を書く力はどうなのでしょうか。推測できることは、全く英文を書けないということはないにしても、書くのは大の苦手ということです。なぜかと言うと、インタビューの中で "「読む」の1技能" と語っているからです。「1技能」とは「話す・聞く・読む・書く」の4技能のうちの1技能ということですね。つまり基本的に英語を「読む」以外はできない、と言っている。

しかしたとえ英文を書くのが大の苦手でも、日本語で論文を書いて専門家に英訳してもらうことは出来るし、"ブロークンな" 英文をネイティブ・スピーカーにチェックしてもらうこともできる。益川博士は名古屋大学や京都大学に在籍されてきたので、そういった環境は十分あると推測できます。



ところで、益川博士のノーベル物理学賞受賞で明確に分かったことは、

  英語がまったくしゃべれないのに、世界の第1級の科学研究をした日本人がいる

という事実です。「そんなこと別に不思議でも何でもない」と、多くの日本人は考えると思います。つまり、益川博士は天賦の才に恵まれ、ものごとを深く考える力があり、発想も豊かで、勉強家で、努力家だったのでノーベル物理学賞に値する仕事をした、英語ができなくても不思議ではないという風に(無意識に)思うのではないでしょうか。

しかし日本以外からの目でみると大変に不思議なことかもしれないのです。特に中国や韓国の科学者からみると「驚くべきこと」である可能性が大です。それはインタビューの中に出てきます。「大学院入試のドイツ語答案を白紙で出した」という、益川博士の "華麗な" 経歴が目に付くインタビューですが、核心は以下のところです。


ノーベル物理学賞をもらった後、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは「どうやったらノーベル賞が取れるか」を真剣に考えていた。国力にそう違いがないはずの日本が次々に取るのはなぜか、と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。

彼らは英語のテキストに頼らざるを得ない。なまじ英語ができるから、国を出ていく研究者も後を絶たない。日本語で十分に間に合うこの国はアジアでは珍しい存在なんだ、と知ったのです。

朝日新聞(2014.11.26)

益川博士の発言の「自国語」は、母語( = Mother Tongue. ないしは、ネイティブ・ランゲージ)と言った方が、より意味がはっきりすると思います。生まれて初めて覚えた言葉、社会に出るまでに自然と習得し、毎日の日常生活に使い、ものごとを考えるときに無意識に使っている言葉、それが母語です。日本人は「母語で最先端の科学的内容までを深く考えられる」わけです。それは世界でみると必ずしも一般的ではなく、むしろ少ないのです。特に東アジアでは・・・・・・。


日本人学者は日本語で科学する


一般に、日本で生まれ日本に在住している日本人科学者の「研究と言葉の関係」を整理すると次のようになると思います。

英語の論文を読む。
日本語で考え、仲間と日本語で議論する。
研究成果を英語の論文で発表する。
学会で英語のスピーチをし、議論する。

もちろんは日本語の論文もあるだろうし、の英語で話すについては、流暢な人からカタコトの人まで、さまざまだと思います。しかし大多数の科学者はからまでをやっているわけです。益川博士は特別で、を全くやってこなかったということになります。

とは言うものの、科学の研究でもっとも重要なのは新しい発見や発想、独創性であり、その一番大切なところはの「考える」であることは言うまでもないでしょう。我々は通常気にも留めないのですが、益川博士に代表される日本人科学者の活躍から言えることは、

日本語で科学的思考ができる
日本語で科学の問題について深く考えることができる

ということです。さらに、日本語で科学的思考ができる学者になるためには、中学・高校・大学と、成長の過程において日本語で学習できる環境がなければなりません。

日本語で最先端の研究ができるまでになれる「日本語環境」がそろっている

からこそノーベル賞にまで到達できるわけです。科学を自由自在に理解するための用語・概念・知識・思考法が日本語で十二分に用意されている。それは、欧米以外の国では珍しいことなのです。『前掲書』で著者の松尾氏は次のように言っています。


世界を見渡しても、欧米の言語と全く異質な母国語を使って科学をしている国など、聞いたことがない。

松尾義之『前掲書』

ちなみに、サイエンス系のノーベル賞(物理学賞、化学賞、医学・生理学賞)において、母語が非欧米言語というのは日本人がほとんどです。中国出身者(益川先生とおなじ素粒子論です)がいますが、大学時代にアメリカに移住しアメリカで研究成果をあげた、いわゆる中国系アメリカ人です。

以上のことから論理的に導かれる結論があります。

科学の領域では、日本語がマイナス要因にはならない
日本語で論理的思考が十分に可能である

の2つです。少なくともこの2つは確実です。後者に関して言うと、人間のあらゆる活動の中で、科学は「論理的思考」が必要な最たるものです。日本語での論理的思考ができるからこそノーベル賞にまで到達できるのです。


科学の日本語環境を作った先人


振り返ってみると、日本語で学問の研究ができる環境をまず作ったのは、江戸後期の先人たちの努力でした。江戸後期の蘭学では大量の書物が日本語に訳されました。杉田玄白に代表される「医学」は、日本人なら誰でも知っているところです。「神経」「軟骨」「動脈」などの、現代日本人になじみの深い医学用語は、杉田らが作り出したものです。

これを引継ぎ、組織的・大々的にやったのが江戸幕府と明治政府です。そして、学問に関する数々の日本語を作り出したことで有名なのが西にしあまねです。西周は津和野藩の出身で、森鷗外の親戚です。彼は江戸幕府が設置した蛮書調所ばんしょしらべしょの教授手伝(今でいう準教授)に任命され、西欧の学問を日本に吸収するセンターとしての存在になりました。蛮書調所は明治時代になって開成学校となり、やがて東京帝国大学へとつながっていきます。

西にしあまね(1829-1897。文政12年-明治30年)は現在も使われている多くの学術用語、政治・法律・経済・社会用語を作り出しました。その学術用語のごく一部をランダムにあげると、数学哲学天文学心理技術芸術命題規則関係権利定義真理存在分数積分微分物質分子重力圧力摩擦子音母音、などがあります(小泉 たかし・慶應大学名誉教授の研究による)。そもそも「科学」という言葉も西周の創造だと強く推定されています。また西周だけでなく、同時代に活躍した数々の人たちが近代日本の発展をささえる日本語を作り出していきました。これらの言葉の多くは中国・朝鮮に「逆輸出」されました。



ところで、上に述べた学術用語は漢字を用いて構成されています。漢字の存在が、科学のための日本語環境を作り出す上で極めて重要な役割を果たしたのです。


漢字の効果


No.17-6 日本語と外国語.jpg
鈴木孝夫
「日本語と外国語」
(岩波新書 1990)
日本語の漢字は「音」と「訓」があり、「訓」は漢字の意味を表す読み方です。日本語は音節数が極めて少ないので、漢字の「音」だけでは同音異義語が多数発生します。日本人は耳から言葉を聞いたとき、それがどういう漢字に相当するかを想像して(=文字表記を思い浮かべて)意味を把握するという頭の活動を、無意識に、瞬間的にやっています。この脳の働きは、日本人なら小学校から訓練されているわけです。この「音と訓の二重性」という漢字の特性が、日本語における学術用語・科学用語を作り出す上で多大な貢献をしました。

これを現代の「世界共通語」である英語と比較してみると、英語の学術用語において日本語の漢字に相当するのがギリシャ語・ラテン語に由来する造語要素です。このあたりの事情を、慶應義塾大学名誉教授の鈴木孝夫氏が『日本語と外国語』(岩波新書 1990)で解説されていました。『日本語と外国語』という本は過去に2回引用しましたが、そこでとりあげた鈴木名誉教授の指摘は、

"虹の色を何色と数えるかは国によって違う。必ずしも7色ではない" ── No.17「ニーベルングの指環(見る音楽)」
"フランスとドイツでは、蝶と我を同じ言葉であらわす" ── No.49「蝶と蛾は別の昆虫か」

の2つでした。今回で3回目ということになりますが「日本語による科学」を考える上で重要なことなので、以下に引用します。


英語を少しでも深く学んだ人ならば、誰でも経験することの一つに、いくら覚えても切りがないほど、難しい単語が次から次へと出てくるということがある。

たとえば読書中に osmotic pressure という表現に出会って、辞書を引くと《浸(滲)透圧》のことだと書いてある。次に exudation とあって、これも調べてみると《浸(滲)出(液)》という訳語がついている。このような難しい単語は、物理化学や医学が専門の人ならば、専門用語として頻繁ひんぱんに使うから、いつしか頭に入ってしまうものだが、普通の人にはなかなか覚えにくいものである。

その理由は、一般にこの種の英語は辞書によってその意味を知ったあとで、改めて字面じづらを見直してみても、なるほどそうかと思う手がかりが、どこにもないからである。自分がそれまで知っている普通の英語の、たとえば ooze、soak、pierce(引用注:それぞれ "しみ出る" "ひたす" "穴をあける" の意)などのどれとも、ことばの上で関係づけることが出来ないから、ただ全体をそのまま丸暗記するほかはない。だからすぐ意味を忘れてしまい、次に出てきたとき、再び辞書を引き直す羽目になるのである。困ったことに英語ではこのような《難しい》単語が何百、何千とある。

ところが日本語の場合だと、たとえ浸透圧とか浸出液などという、あまり日常的でない用語を初めて見ても、文章の前後関係などから、大体の意味の見当がつくことが多いと思う。仮に辞書を引く必要があった人でも、説明を読んでしまえば、なるほどそうかと、今更のように意味の理解が字面と対応する場合がしばしばある。

なぜこのような違いが日本語と英語の間にみられるかと言えば、それは日本語では、日常的でない難しいことばや専門語の多くが、少なくともこれまでは、それ自体としては日常普通に用いられている基本的な漢字の組み合わせで造られているのに、英語では高級な語彙ごいのほとんとすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っているからなのである。

鈴木孝夫『日本語と外国語』
(岩波新書 1990)

鈴木教授は「古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素」という部分の注釈で、英語における

  It's all Greek to me.

という表現が「チンプンカンプン」という意味だと書いています。そういえばこの表現は昔、学校で習った気がします。そして『日本語と外国語』では、英語における "It's all Greek to me 的な単語" のサンプル・リストが掲げられています。これを引用してみましょう。

1.claustrophobia 24.orthopedics
2.podiatrist 25.brachycephaly
3.otorhinology 26.gymnosperm
4.cephalothorax 27.apivorous
5.graminivorous 28.chlorophyll
6.heliotropism 29.pachyderm
7.seismograph 30.palindrome
8.centrifugal 31.ornithology
9.concatenation 32.ophthalmology
10.kleptomania 33.limnology
11.anthropophagy 34.photophobia
12.acrophobia 35.obstetrics
13.pediatrics 36.cephalopod
14.hydrocephalus 37.oesophagus
15.pithecanthrope 38.catalyst
16.piscivorous 39.labiodental
17.selenotropism 40.centripetal
18.gingival 41.procrastination
19.palingenesis 42.ichthyology
20.decapod 43.dolichocephaly
21.leukemia 44.hygrometer
22.prognostication 45.lactobacillus
23.hydrophobia   

おそらく普通の(専門家でない)日本人は、これらの単語の大多数が分からないと思います。中学から大学まで英語を学んだとしても分からない。私もそうです。かろうじて 23.hydrophobia と 28.chlorophyll だけは意味が分かります。28.はカタカナ英語としてもありうるからですが、23.はたまたま知っていたとしか言いようがありません(なぜ知っているのだろう?)。

しかし、分からないのは我々が日本人だからということではなく、鈴木教授によると普通の英米人にとってもこのリストの単語の意味は理解しづらい( = It's all Greek to me.)ということが後に出てきます。

この、普通の日本人にとって「ほとんどチンプンカンプンのリスト」も、日本語訳のリストにすると劇的に理解できるようになります。

1.閉所恐怖症 24.整形術
2.足病医 25.短頭
3.耳鼻科 26.裸子(植物)
4.頭胸部 27.蜂食性
5.草食性 28.葉緑素
6.向日性 29.厚皮獣
7.地震計 30.回文
8.遠心性 31.鳥類学
9.連鎖 32.眼科
10.盗癖 33.湖沼学
11.食人 34.羞明
12.高所恐怖症 35.産科
13.小児科 36.頭足類
14.水頭症 37.食道
15.猿人 38.触媒
16.魚食性 39.唇歯音
17.向月性 40.求心性
18.歯茎音 41.遅延
19.再生 42.魚類学
20.十足類 43.長頭
21.白血病 44.湿度計
22.予知 45.乳酸(菌)
23.狂水病   

なぜ日本人はこのリストの語句の意味が分かる(ないしは意味が推定できる)のか。その理由は「日本語だから」というのでは答えになっていません。真の理由は、

  日常使う漢字で表現された日本語だから

です。その証拠に、

  このリストには、今まで全く聞いたことも読んだこともない語句があるけれど、それにもかかわらず意味が推定できる

のです。たとえば 2.podiatrist(足病医)ですが、そんな医者がいるとは(私は)全く知りませんでした。日本にはないからです。しかし英国・米国では podiatrist がいて国家資格まであるそうです。では、そういった国家資格がない国の英語のネイティブ・スピーカーは podiatrist の意味が分かるでしょうか。分からないのではと思います。ところが日本語では「足の疾病を専門に扱う医者」だという推定ができるのですね。

28.蜂食性(apivorous)も、そんな言葉があるとは全く知らなかったけれど「蜂を食べる習性」だと推測できます。従ってもし本に「蜂食性の鳥」とあれば、その意味は明快です。しかし「apivorous birds」の意味が分かる一般の英米人はまずいない。生物学者だけが理解できる言葉だからです。鈴木先生も解説しています。


この日本語に対応する英語の apivorous とは、ラテン語の apis(蜂)と《食べる性質の》を表す vorus の組み合わせなのであって、その意味はまさに蜂食性なのである。この語はしかし、英語では生物学者にしか分からない専門語である。

つまり英語の高級語彙では、このようにほとんどの造語要素がギリシャ語かラテン語であるために、自分がそれまで知らなかった語の大体の意味を、ただ見ただけ聴いただけで察することは、古典語の素養のない一般の人にとっては非常に難しい。

しかし日本語のそれは造語要素のほとんどが、日常的な漢字であるために、たとえ初見の語でも、およその検討がつくのである。

鈴木孝夫『日本語と外国語』

鈴木先生は「造語要素」と書いています。それに習ってこの文章にも「造語要素」を使いました。この4文字熟語は今までに読んだ記憶がないし、まして使ったことは絶対にないと思います。それでも意味はパッと分かるし、また、誰もが理解できるだろうと思うからこそ使うわけです。漢字の威力の例です。あまりにあたりまえ過ぎて、それが「威力」だとは誰も意識しないだろうけれど。

英米人にとっては難しい単語(しかし日本人は理解できる単語)の解説を続けると、6.heliotropism、 17.selenotropism の例です。


植物の、太陽に向かって伸びていく性質が向日性で、月光を求めて成長する傾向が向月性だといわれても、日本人はあまり驚かない。ところが英語では、前者が heliotropism 、後者が selenotropism となる。ギリシャ語で「太陽」が helio(s) で、「月」が selen(e)、「動く」が tropein ということを知らなければ、自分で作ることはおろか、見ても分からないのである。

鈴木孝夫『日本語と外国語』

引用に出てくる「自分で作る」とは、たとえば「月光を求めて成長する傾向」という意味の単語を新たに "自分で作る" という意味です。日本語なら普通の人がそういう単語を作ることもできる、しかし英語では「作ることはおろか、見ても分からない」という文脈です。

今までに出てきた単語に使われていた漢字を列挙すると「足」「病」「医」「蜂」「食」「性」「向」「日」「月」です。これらは日常的に使う(見る)漢字です。専門用語と言えども、日常使う漢字で表現された日本語だから理解できることが明白です。

このことは裏を返すと、

  日常的に使わない漢字を使った語は、意味が推定しにくい

ということになります。鈴木先生のリストで言うと羞明しゅうめいがそれに当たるでしょう。「羞」という漢字はあまり使わないため、意味がとりにくい。辞書をみると「強い光によって眼に痛みや不快感が生じること」とあり、森鷗外の『青年』から「鈍い頭痛がして目に羞明を感じる」という文が例示してあります。「羞」は「恥じる」意味です。おそらくそのことを示すために、わざわざこの語句が入っているのではないでしょうか。



日本人は理解できるが、英米人にとっては難しい単語の例を、鈴木先生はご自身の体験をあげて説明しています。リストの 15. pithecanthrope にまつわる話です。


実を言うと、英語のこの難しさは、何も外国人である日本人にとってだけでなく、英語を母語とする人々にとっても厄介なのだ。私は米国のある著名な大学で、日本語の漢字のしくみについての講演を行った際に、黒板に pithecanthrope と大書きしてその意味を聴衆に尋ねたところ、誰一人として答えられなかった。これは日本語の猿人に当たる語で、pithec- の部分はギリシャ語の猿を意味する πίθηκος に由来し、-anthrope は人間を指す άνθρωπος である。

鈴木孝夫『日本語と外国語』

これがもし日本の大学だとすると、たとえ文系学科の学生を対象にした講演であれ「猿人」意味を知らない大学生がいるとは想像できません( ・・・・・・ と考えるのがノーマルなはずですが、最近の大学生は学力が低下したということなので、いるかもしれない !?)。"anthrope は人間を指す" ということに関係しているのですが、鈴木先生の別の体験談もありました。


私は先日ある小説の中で、若い女のタイピストが、anthropology(人類学)という言葉に出会って、はてこれなんのことだろうと考えるところに出会った。この女だけ教養がないためなのか、それとも一般のタイピストはこの程度の言葉も知らないのかを私は知りたいと思い、イギリス人の学者で、森鷗外の研究をしているケンブリッジ大学出身の知人に尋ねたところ、大学を出ていないタイピストならば、このような言葉を知らないのは当然だと教えてくれた。

ところが日本語ならばどうであろうか。「人類学」が、正確には何を研究する学問か分からなくても、「人類」が「ひとのたぐい」、「すべてのひと」を意味する言葉だということは、それこそ中学生でも知っているだろう。

しかし英語で anthropo- または -anthrope が、ギリシャ語の「人」を意味する言葉だということは、必ずしも普通人の知識ではないのである。

鈴木孝夫
『閉ざされた言語・日本語の世界』
(新潮選書。1975)

次回に続く)


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