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No.140 - 自動詞と他動詞(1) [文化]

前回の No.139「雪国が描いた情景」に続いて、言葉がヒトの思考に与えている影響の話です。前回、英語を比較対照の「鏡」として日本語を考えましたが、今回も英語にまつわる経験から始めます。


聞き取れなかった車内アナウンス


いつだったか忘れたのですが、東京を中心とするJRの車内アナウンスで英語での案内が始まりました。次の駅をアナウンスすると同時に、乗り換えが案内されます。たとえば次の駅で山手線に乗り換えてくださいというケースだと、

  Please change here for Yamanote line.

というアナウンスです。

実はこのアナウンスが始まったとき、here という単語が聞き取れませんでした。中学校で習うような基本的な英単語です。二・三回アナウンスを聞いてから、そうだ here だ、と分かったのですが、自分の英語のリスニング能力に疑問符がついたようで、軽いショックを受けたものです。それで記憶に残っています。

なぜ極めてベーシックな単語が(当初)分からなかったのか、それを考えてみると「電車を乗り換える」という英語表現を

  Please change trains for Yamanote line.

 ないしは

Please change trains here for Yamanote line.

という形で記憶していて、changeのあとには trains もしくはそれ相当の目的語が続くものだというアタマになっていた。それで here が聞き取れなかったと自己分析しています。英語は「誰が・何を・どうする」という文型(いわゆるSVO文型)が非常に強い言語です。電車を乗り換えるという場合の change を他動詞として記憶していたので、目的語がない(いわゆるSV文型の)アナウンスが当初は聞き取れなかったのだと思います。さらに、日本語でも「乗り換える」と他動詞表現を使うので、英語も当然そうだという暗黙の意識があったのかもしれません。ちなみに、乗り換えてくださいというアナウンスでは transfer を使う鉄道会社もあります。"Please transfer for Yamanote line." というようにです。

この件で一つ明らかなことは、英語においては change という同じ単語で同一の意味内容( = 電車を乗り換える)を表す時でも、目的語があったりなかったりするということです。もちろん実用上メジャーな言い方はどちらかなのでしょう(なお、Please change trains here for ・・・・・・ というアナウンスも使われています。たとえば東海道新幹線)。



中学校から英語を学び始めてからずいぶん時間がたつのですが、日本語のネイティブ・スピーカーとして英語に抱いている "暗黙" の違和感は、change のように、英語では目的語をとらない自動詞と目的語をとる他動詞を同じ単語で表す(のが非常い多い)ことです。たとえば「破る」「こわす」「くだく」などの意味で使う break は極めて他動詞性が強い言葉だと思うのですが、それでも The cup broke.と言えば「コップが砕けた」という意味の自動詞として使っているのですね。

日本語はそうではありません。変わる・換わる(自動詞)と変える・換える(他動詞)、くだける(自動詞)とくだく(他動詞)というように、同じ語幹を有する別の単語を使って自動詞・他動詞を言い分けます。実は、日本語の大きな特徴は、

  同じ語幹を有する自動詞・他動詞のペアが極めて豊富に揃っていること

だと思っています。この動詞のペアは日常よく使う動詞を広範囲に網羅しています。われわれ日本語のネイティブ・スピーカーはこの自動詞・他動詞のペアをごく自然に、無意識に使い分けていて、表現したい意味内容を変え、また言葉に微妙なニュアンスを与えている。これは日本語の話者に染み付いていて、人の思考方法や思考内容にまで影響していると思うのです。今回はそのことについて書きたいと思います。


自動詞と他動詞


まず「自動詞・他動詞のペア」を考える前提として、自動詞と他動詞の「復習」をしておきたいと思います。

 他動詞 

学校で習った英語文法では、

目的語をもたない動詞が自動詞
目的語をもつ動詞が他動詞。受身表現になれる。

でした。一応それに習って、日本語で格助詞「を」を使った目的語をとれる動詞を "他動詞" とすると、次のような動詞があります。

  ・あたえる(与える)
  ・うしなう(失う)
  ・おぎなう(補う)
  ・かく(書く)
  ・くばる(配る)
  ・ける(蹴る)
  ・ことわる(断る)
  ・さける(避ける)
  ・しめす(示す)
  ・たずねる(尋ねる)
  ・つくる(作る)
  ・ひろう(拾う)
  ・ふむ(踏む)
  ・まつ(待つ)
  ・まなぶ(学ぶ)
  ・ゆずる(譲る)
  ・よぶ(呼ぶ)
  ・わすれる(忘れる)

ここにあげた他動詞は「変える→変わる」のようにペアになる自動詞がありません。「れる・られる」という助動詞を使い「あたえられる(与えられる)」という受身形を作って自動詞のように使うことはできますが(いわゆる "自発" の表現)、それはまた別問題です。「れる・られる」を使った「受身・可能・自発・尊敬」表現は、以下では話題の枠外です。

 自動詞 

他動詞に対して、「を格」の目的語を(普通は)とらない動詞を自動詞とすると、

  ・あそぶ(遊ぶ)
  ・あふれる(溢れる)
  ・いく(行く)
  ・おとろえる(衰える)
  ・くる(来る)
  ・こたえる(答える。応える)
  ・しげる(茂る)
  ・すむ(住む。澄む。済む)
  ・にぎわう(賑う)
  ・にじむ(滲む)
  ・ひびく(響く)
  ・ふとる(太る)
  ・むかう(向かう)
  ・やせる(痩せる)

などがあります。ここにあげた動詞もペアとなる他動詞がありません。他動詞化するには「せる・させる」という助動詞を使って「遊ばせる」「答えさせる」というように使役形にする必要があります。「せる・させる」を使った使役形も以下の話題の範疇外です。

 自動詞・他動詞のペア 

しかし日本語では初めに言ったように、自動詞・他動詞が同じ語幹を有するペアになっているものが非常に多いわけです。

◆変わる(自)変える(他)
◆破れる(自)破る(他)
まわる(自)  まわす(他)

などがほんの一例です。この「同じ語幹を有する自動詞・他動詞がペア」が今回のテーマです。


「人為」と「自然」


ここで注意すべきことは、

  他動詞は
格助詞「を」を使える(目的語をとれる)
受身(受動態)になれる
動詞であり、そうでないものが自動詞である、とは必ずしも言えない

ことです。たとえば「変える(他)」とペアになる「変わる(自)」について言うと、

最近、彼は変わったね。
最近、彼は会社を変わったよ。

の両方の表現が可能です。最初に、英語では change が「変わる」と「変える」の両方の意味になることを言いましたが、日本語では「変わる」が「・・・を」と言ったり言わなかったりする、というわけです。このように自動詞が「を格」の目的語をとるケースは、

   やっと子供をさずかった。 ── 授かる(自)・授ける(他)
そこの角を曲がったら、駅はすぐです。 ── 曲がる(自)・曲げる(他)
就職して家を出た。 ── 出る(自)・出す(他)

など、相当数をあげることができます。

またよく言われることですが、日本語では自動詞も「れる・られる」を使った受身(受動態)になります。「他動詞のペアがない自動詞」の最初にあげた「遊ぶ」を例にとると

涼子は噂の彼と付き合っているそうね。」
彼女、遊ばれているだけよ。」

という表現はまったく可能です。もちろん他動詞として使われる複合語「もて遊ぶ」は受身表現が可能で、

彼女はもて遊ばれた。」

となりますが、そうすると通常の男女の交際の範囲を越えた事態のニュアンスになり、場合によっては犯罪の臭いさえ感じる表現になります。

日本語の自動詞の "受身" は、

昨日のハイキングは雨に降られた」
親に死なれた」
先に行かれてしまった」
彼にあがられた」(ゲーム)
こんな場所で寝られては困るよ」
釣った魚に逃げられた」

など多様です。他動詞の受身は人に対する「直接的で重い影響」を暗示しますが、自動詞の "受身" は「間接的で軽い影響」を表すようです。考えてみると、日本語では、

南側に家を建てられた」
こんな所にクルマを止められたんじゃ困るよ」
彼に賞をとられてしまった」

といように、他動詞(建てる・止める・取る)の「れる・られる」形(建てられる・止められる・取られる)が "目的語" を伴うのはいくらでも可能であり、自動詞の "受身" と称される現象もこれとパラレルな言い方です。英語の受身とは意味が違います。しょせん、英語の文法概念を日本語に当てはめるのは無理があるのです。

  余談になりますが、英語にないものが日本語にあるからといって、それが日本語にしかないとか、ましてや日本文化の特質だということにはなりません。自動詞の "受身" で言うと、金田一春彦著『日本語・新版(下)』(岩波新書。1988)には、「自動詞の受動態は、東アジアの言語の緒言語によくみられる」とあります。たとえば中国語にもあるし、インドネシア語にいたっては「途中で太陽に沈まれた」という言い方が可能なようです。

ちなみに、以降のテーマである「自動詞と他動詞のペア」は朝鮮語にもあるそうなので、日本語だけの特質だとか、そういうつもりはありません。

日本語における自動詞・他動詞の違いは、他動詞についての "目的語" と "受身" という「英語基準」では不都合です。日本語に沿った自動詞・他動詞の違いは「意味的な違い」であり、同一の行為や現象を記述する「見方の違い」ないしは「とらえ方の違い」です。それは「人為」と「自然」というキーワードで表されるでしょう。

他動詞=人為
  動作主を明示し、ないしは動作主を意識し、人為的で意志的・意図的な行為としてものごとを記述する。"みずから" "外界に働きかける" ニュアンスであり、能動的意味合いが多い。「する」がその象徴。
自動詞=自然
  動作主を明示せず、ないしは動作主を隠し、自然の流れでそうなった・そうであるという見方でものごと記述する。"おのずから" "成り行きとして" "自発的に" というニュアンスであり、受動的意味合いが多い。「ある」「なる」がその象徴。

「同じ語幹を有する自動詞・他動詞のペア」では、この「人為」と「自然」の違いが本質的であり、これを利用して日本語のネイティブ・スピーカーは微妙なニュアンスを言い分けています。

なお、さずける・さずかる、のように、人と人の間での「モノ」や「行為」「情報」「サービス」のやりとり・授受を表す動詞は、

他動詞= 送り手側からみた行為を表す(能動側)
自動詞= 受け手側からみた行為を表す(受動側)

と定義することにします。これは自動詞が「を格」の目的語をとるもの、そうでないものに共通です。

さずける(他)  さずかる(自)
◆預ける(他)預かる(自)
◆教える(他)教わる(自)
◆言付ける(他)言付かる(自)
◆助ける(他)助かる(自)
◆伝える(他)伝わる(自)
◆届ける(他)届く(自)
◆わたす(他)わたる(自)
◆うつす(他)うつる(自)

などです。最後の例の「うつす・うつる」ものは、伝染病や匂いや権利です。


自動詞と他動詞がペアになる「日本語システム」


日本語における「自動詞と他動詞の対」は、極めてシステマティックにできています。それを概観したいのですが、以降にどうしても文法用語が出てくるので、学校で習ったことを復習しておきたいと思います。

まず、五段に活用をする動詞を「五段動詞」と呼びます。たとえば「書く」を活用すると、

  kak-A(書か・ない)
  kak-I(書き・ます)
  kak-U(書く・とき)
  kak-E(書け・ば)
  kak-O(書こ・う)

のように活用語尾の母音が5種類現れます。これが五段動詞です。以降「- ローマ字大文字」で活用語尾を表します(ヘボン式でない教科書式のローマ字)。一方、一段活用をする動詞を「一段動詞」と呼びます。たとえば「食べる」「起きる」は、

  tab-E(食べ・ない)
  tab-E(食べ・ます)
  tab-E(食べ・るとき)
  tab-E(食べ・れば)
  tab-E(食べ・ろ)

  ok-I (起き・ない)
  ok-I (起き・ます)
  ok-I (起き・るとき)
  ok-I (起き・れば)
  ok-I (起き・ろ)

のように、活用語尾の母音は1種類しか現れません。学校文法では -E の活用語尾を「下一段動詞」、-I の活用語尾を「上一段動詞」と呼んでいます。

これ以降、動詞の活用語尾を記述するときには「連用形」の活用語尾を記述します。その方が自動詞・他動詞の対応をシステマティックに説明できるからです。上の例で言うと連用形は、

  kak-I(書き・ます)
  tab-E(食べ・ます)
  ok-I(起き・ます)

であり、連用形の語尾の母音は -I(五段、一段) か -E(一段)です。



以上を踏まえて、日本語における「自動詞と他動詞がペアになる仕組み」がどういうルールに基づいているかを整理するのですが、以降の記述では、前回の No.139「雪国が描いた情景」で引用した金谷博士の論を参考にしました。

原則1

五段動詞と一段動詞が自他で対になる。これには、
五段動詞(自動詞)と一段動詞(他動詞)の対
五段動詞(他動詞)と一段動詞(自動詞)の対
の2種類ある。


のが原則です。ただし、後で書きますが一部の動詞では五段動詞と五段動詞で自動詞・他動詞が対応するケースがあります。

原則2

「自他の対応」において、五段動詞の連用形の語尾が -ARI のものは自動詞であり、それと対になる他動詞は -E の語尾の一段動詞(下一段動詞)である。


です。-ARIは「ある」の連用形「あり」と同じであり、自動詞の象徴です。この第2の原則に相当する単語の一例は、

  曲がる(五段・自。mag-ARI)
   曲げる(一段・他。mag-E)
    
  決まる(五段・自。kim-ARI)
   決める(一段・他。kim-E)
    
  暖まる(五段・自。atatam-ARI)
   暖める(一段・他。atatam-E)

などです。なお一部の五段動詞(-ARI。自動詞)では、対になる他動詞が五段動詞というケースがあります(数は少ないですが)。

  またがる(五段・自。matag-ARI)
   またぐ (五段・他。matag-I)

などです。

原則3

「自他の対応」において、五段動詞の連用形の語尾が -SI のものは他動詞であり、それと対になる自動詞は一段動詞(下一段動詞 -E、または上一段動詞 -I)である。


-SI(連用形語尾)は、他動詞の象徴である「する」の連用形「し」と同じであり、この原則はちょうど第2の原則の裏返しになっています。この原則に相当する単語は、

  壊す (五段・他。kowa-SI)
   壊れる(一段・自。kowa-rE)
    
  落とす(五段・他。ot-oSI)
   落ちる(一段・自。ot-I)

などです。なお数は少ないですが、対応する自動詞が五段動詞という例もあります。

  移す(五段・他。utu-SI)
   移る(五段・自。utu-rI)

などです。

原則4

連用形の語尾が -ARI でも -SI でもない五段動詞(語尾 -I)は自動詞と他動詞があるが、いずれの場合にも対になる動詞は一段動詞(下一段動詞。-E)である。つまり、
五段動詞(自動詞。-I)と一段動詞(他動詞。-E)
五段動詞(他動詞。-I)と一段動詞(自動詞。-E)
が対になる。

五段動詞が自動詞か他動詞かは、つぎの原則で決まる。
自動詞
内部からの成長や変化など、自然にそうなるのが普通の状態だと見なせる動詞
他動詞
外部に影響を与える動詞。または人為が普通の状態だとみなせる動詞。


この例をあげると

  立つ  (五段・自。tat-I)
   立てる (一段・他。tat-E)
    
  浮かぶ (五段・自。ukab-I)
   浮かべる(一段・他。ukab-E)
    
  取る  (五段・他。tor-I)
   取れる (一段・自。tor-E)
    
  焼く  (五段・他。yak-I)
   焼ける (一段・自。yak-E)

などです。



以上を総括して、連用形の語尾だけの対応を考えると、

-I と -E が自・他で、または他・自で対応する。これが原則。

一部で、-ARI(自)と -I(他)の対応、-SI(他)と -I(自)の対応がある。

となります。


補足すると・・・


何点か補足します。まず、上に述べた原則に当てはまらないケースも、ごく僅かですがあります。それは一段動詞の間で意味的なペアになる場合で、私の知っているのは、

  見る (一段・他。m- I)
   見える(一段・自。m-iE)
  煮る (一段・他。n- I)
   煮える(一段・自。n-iE)

の2つです。他にもあるのではと思います。上の二つとも語尾の -I と -E が対応していることは変わりません。

また、五段動詞で「あ段の1文字 + る」の形の動詞の連用形は必ず -ARI となりますが、このタイプの動詞は自動詞とは限りません。「割る」の連用形を語幹と語尾にわけると w-ARI ではなく、war-Iと考えるべきです。このタイプの動詞には、

  ◆刈る  (五段・他。kar-I)
  ◆去る  (五段・自。sar-I)
  ◆足る  (五段・自。tar-I)
   →足す (五段・他。ta-SI)
  ◆成る  (五段・自。nar-I)
   →成す (五段・他。na-SI)
  ◆張る  (五段・他。har-I)
  ◆割る  (五段・他。war-I)
   →割れる(一段・自。war-E)

があります。自動詞と他動詞が対応する「足す」と「成る」は原則3、同じく「割る」は原則4に従っています。

「張る」という言葉で思い出しました。最初に書いたように、英語と違って日本語では一つの単語を同一の(類似の)意味内容で自動詞にも他動詞にも使う例は少ないわけです。しかし例はあります。よく使うのは、

閉じる(自)「門が閉じた」
閉じる(他)「門を閉じた」

ですが、「張る」もそうで、

ロープを張る(他)
= 外的要因による変化。その他、水、テント、非常線、など
気持ちが張る(自)
= 内的変化による現象。その他、氷、根、肩、値段、など

というように、自動詞・他動詞の両方に使います。その他に「ひらく」「あける」「おわる」「ふせる」「さす(日がさす・傘をさす)」などがあります。また、意味内容を変えて自動詞にも他動詞にも使う例もあります。「もつ」は、所有する・手にとるという意味では他動詞(持つ)ですが、

これじゃ体がもたないよ
間がもたないので困った
このローソクは長くもつ
この天気は1日もつだろう

というように「本来の機能・状態を維持する」という意味では自動詞(つ、とすることがある)としても使います。「とがめる」も、「罪を咎める」という使い方(他動詞)に加えて「良心が咎める」とも言います(自動詞)。

さらに、五段動詞の「あ段の1文字 + る」であげた「成る・なる」は自動詞として使うのが普通ですが、特別の意味では

飛車を成る(将棋用語)

のように他動詞として使います。



以上に書いた原則と例を図にすると、以下のようになるでしょう。ローマ字は動詞の連用形の語尾です。

自動詞と他動詞.jpg

この文章を書き始めた目的は、

  日本語話者は「自動詞・他動詞のペア」を無意識に使い分けていて、それが思考方法や思考内容に影響している

ことを言おうとしたのですが、ここまでが「前置き」です。長くなったので「使い分け」や「影響」は次回にします。

続く


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