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No.135 - 音楽の意外な効用(2)村上春樹 [音楽]

前回から続く)

前回からの続きです。「音楽をでるサル」(No.128, No.129)の要点は、以下の3つでした。

音楽の記憶は「手続き記憶=体の記憶」であり、言葉の記憶とは異なる。手続き記憶とは、
覚えていることすら自覚しない
覚えたつもりはない、けれども自分のからだが勝手に動く
たぐいの記憶であり、音楽の記憶はその一種である。

音楽は「認知的不協和」を緩和する働きをもつ。「認知的不協和」とは、「したくてもできない」という状況に置かれたときの心の葛藤を言う。この音楽の働きは、俗に言う「モーツァルト効果」の一つである。

  ヒト(霊長類)は、ふしをつけて声を発することをまず覚え、そこから言語が発達した(と推定できる)。

今回は最後の項目の「言葉と音楽の関係」です。


小澤征爾さんと音楽を語る


『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本があります(新潮社。2011)。この本は作家の村上春樹氏が企画し、村上さんが小澤さんとの対談を何回か行って、その録音をもとに村上さんがまとめた本です。小澤征爾さんが経験した音楽界の「内幕」がいろいろ語られていたりして、大変に興味をそそる本です。

この本の大きなポイントは、村上春樹さんが大の音楽好きで(クラシック音楽とジャズ)、またレコード・マニアだということです。本の中では、小澤さんもびっくりするような音楽知識を村上さんが知っていたり、また超レアなレコードを持っていたりなど、いろいろと出てきます。「アマチュアの音楽好き」が「プロの音楽家」と音楽の話をするわけですから「村上さんが小澤さんにインタビューする」のが基本ですが、村上さんも語られる音楽についての意見をいろいろと言ったりしていて、ユニークな対談になっています。


この本の中で村上さんは、文章を書く技術を音楽に学んだという主旨の発言をしていました。言葉と音楽の関係に関わる話なので、そこを抜き出してみます。


村上春樹
僕は文章を書く方法というか、書き方みたいなものは誰にも教わらなかったし、とくに勉強もしていません。で、何から書き方を学んだかというと、音楽から学んだんです。それで、いちばん何が大事かって言うと、リズムですよね。文章にリズムがないと、そんなもの誰も読まないんです。前に前にと読み手を送っていく内在的な律動感というか・・・・・・。機械のマニュアルブックって、読むのがわりに苦痛ですよね。あれがリズムのない文章のひとつの典型です。

小澤征爾・村上春樹
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
(新潮社。2011)

村上さんは「文章の書き方を音楽から学んだ」と明言しています。もちろん若いときから大量の本を読んできただろうし、その経験が文章を書くときのかてになっていることは想像に難くありません。しかし、文章力を向上させようと意識して学んだのは音楽からだ、と発言しているわけです。

ここで取り上げられている「文章のリズム」ということですが、村上さんはその「リズム」が作家の最重要資質だと考えているようです。


新しい書き手が出てきて、この人は残るか、あるいは遠からず消えていくかというのは、その人の書く文章にリズム感があるかどうかで、だいたい見分けられます。でも多くの文芸評論家は、僕の見るところ、そういう部分にあまり目をやりません。文章の精緻さとか、言葉の新しさとか、物語の方向とか、テーマの質とか、手法の面白さなんかを主に取り上げます。でもリズムのない文章を書く人には、文章家としての資質はあまりないと思う。もちろん、僕はそう思う、ということですが。


対談相手の小澤征爾さんは「文章のリズム」が必ずしも納得できないので、村上春樹さんに質問します。


小澤征爾
文章のリズムというのは、僕らがその文章を読むときに、読んでいて感じるリズムということですか。

村上春樹
そうです。言葉の組み合わせ、センテンスの組み合わせ、パラグラフの組み合わせ、均衡と不均衡の組み合わせ、句読点の組み合わせ、トーンの組み合わせによってリズムが出てきます。ポリリズムと言っていいかもしれない。音楽と同じです。耳が良くないと、これができないんです。できる人にはできるし、できない人にはできません。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。もちろん努力して、勉強してその資質を伸ばしていくことはできますけど。

僕はジャズが好きだから、そうやってしっかりとリズムを作っておいて、そこにコードを載っけて、そこからインプロヴィゼーションを始めるんです。自由に即興していくわけです。音楽を作るのと同じ要領で文章を書いています。


小澤さんには思い当たるフシがありました。小澤さんは成城に住んでいるのですが、この前、ある候補者の選挙パンフレットを読んだところ、どうしても3行以上は読めなかった、「この候補者はダメだ」と思った、という経験です。


村上春樹
うん、それが要するに「リズムがない、流れがない」ということだと思いますね。

小澤征爾
そうか、そういうことか。夏目漱石なんてどうなんだろう ?

村上春樹
夏目漱石の文章はとても音楽的だと思います。すらすらと読めますね。今読んでも素晴らしい文章です。あの人の場合は西洋音楽というよりは、江戸時代の「語りもの」的なものの影響が大きいような気がしますが、でも耳はとっても良い人だと思います。


この最後に引用したところで村上さんは、

  夏目漱石の文章はとても音楽的だが、それは江戸時代の「語りもの」の影響が大きい

と推測しているのですが、ここで「音楽をでるサル」が想起されます。「音楽を愛でるサル」において京都大学の正高教授は、浄瑠璃の「リズム」を解説していました。つまり、

浄瑠璃の七五調の節回しは、3拍子のリズムが基本となっている。

その3拍子も、日本語の音節数でいうと
  3・4・5
  2・5・5
  7・3・2
  4・3・5
などの各種の3拍子があって(数字は音節数)、それがリズムを作っている

という点です。言葉に音楽の要素(節やリズム)が加わることによって、言葉は「体に染み込む」ものになるのです。一般に、江戸時代以前に成立した日本の声楽は、

歌いもの
語りもの

に分けられます。「歌いもの」は旋律やリズムなどの音楽的要素に主体があるもので、小唄や長唄、地唄がそうです。一方「語りもの」は、言葉で語られる内容に主体があり、浄瑠璃、義太夫、浪曲、浪花節などがあります。

村上さんは「夏目漱石は語りものに影響をうけた」と推定しているのですが、どういう「語りもの」のジャンルかは分かりません。しかしいずれにせよ、「話を語るときに音楽的要素(旋律・節とリズム)が付帯したもの」であることは確かで、これと村上さんが大切にしている「リズムをもった小説の文章」は非常に近いことになります。

  ①器楽曲小澤征爾
  ②歌曲
  ③歌いもの
  ④語りもの
  ⑤言葉(演劇・朗読)
  ⑥文章(小説・詩)村上春樹

という一連の文芸ジャンルの近接性を思います。①~④に共通するのは「旋律・節」であり、②~⑥は「言葉」です。そしてこれらのジャンル、①~⑥のすべてを貫いているのは、程度の差こそあれ「リズム」なのですね。村上春樹さんが言いたかったことは、そういうことだと思いました。


ひょっとしたら


『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を読んで改めて認識したのは、村上春樹という人がものすごい「音楽好き」だということです。つまり、文章の書き方を音楽に学んだと断言するほどに音楽好きなのです。村上さんは以前にも音楽評論の本(「意味がなければスイングはない」 文藝春秋。2005)を出しているので「音楽好き」は分かっていたつもりですが、改めて認識しました。それは小澤征爾さんの「あとがき」の言葉にも現れています。


小澤征爾
音楽好きの友人はたくさん居るけれど、春樹さんはまあ云ってみれば、正気の範囲をはるかに超えている。クラシックもジャスもだ。彼はただ音楽好きだけではなく、よく識っている。こまかいことも、古いことも、音楽家のことも、びっくりする位。音楽会に行くし、ジャズのライブにも行くらしい。自宅でレコードも聴いているらしい。ぼくが知らないこともたくさん知っているので、びっくりする。


「正気の範囲をはるかに超えた」音楽好きの人が、「音楽から学んだ」文章の書き方で小説を書き、世界的な(ノーベル文学賞候補にもあげられる)小説家となる・・・・・・。村上文学を評論する評論家は数多くいますが、「音楽と村上文学の関係」を評論の視点に入れることが必須だと思いました。

そしてひょっとしたら・・・・・・。

村上文学の中には、音楽が隠れた「下敷き」となってる小説があるのでは、と夢想してしまいました。『ノルウェーの森』のように音楽そのものが出てくる小説ではありません。音楽はいっさい出てこないが、下敷きに音楽があるという小説です。

『小澤征爾さんと、音楽について話をする』という本はマーラーの音楽について多くのページがさかれています。たとえば、マーラーの交響曲 第1番「巨人」の楽章の構成、各楽章の曲想の展開順序、そういったものに対応してストーリーが展開する小説があるのではないだろうか。音楽はひとつも出てこないけれど・・・・・・。そういった想像です。村上さんは「文章の書き方を音楽から学んだ」と明言しているのだから、小説の組み立てやストーリーの流れを音楽から学んだとしてもおかしくはないと思うのです。

いまマーラーと書いたのは全くの例であって、本にあったからに過ぎません。村上さんはクラシック音楽とジャズについては「正気の範囲をはるかに超えた音楽好き」(小澤征爾)なのです。村上作品のどこかに、音楽が「ネタ」になった小説があるのではないか・・・・・・。こういう想像を誘発するような本でした。




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