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No.134 - 音楽の意外な効用(1)渋滞学 [音楽]

No.128, No.129「音楽をでるサル」の続きというか、補足です。

「音楽を愛でるサル」で紹介した研究(京都大学霊長類研究所の正高まさたか教授による)の要点は、以下の3つでした。

音楽の記憶は「手続き記憶=体の記憶」であり、言葉の記憶とは異なる。手続き記憶とは、
覚えていることすら自覚しない
覚えたつもりはない、けれども自分のからだが勝手に動く
たぐいの記憶であり、音楽の記憶はそういう記憶の一種である。

音楽は「認知的不協和」を緩和する働きをもつ。「認知的不協和」とは、「したくてもできない」という状況に置かれたときの心の葛藤を言う。この音楽の働きは、俗に言う「モーツァルト効果」の一種である。

  ヒト(霊長類)は、ふしをつけて声を発することをまず覚え、そこから言語が発達した(と推定できる)。

このことに関係した話題を書きます。「音楽の意外な効果」と呼べるものですが、「渋滞学」に関係した話です。


渋滞学


渋滞学.jpg
東京大学の西成にしなり活浩かつひろ教授は『渋滞学』(新潮社。2006)という本を書き、大変に有名になりました。この本で西成教授は分野横断的にさまざまな渋滞現象を取り上げています。その中で、我々の非常に身近なものとして高速道路の「自然渋滞」が解説されています。高速道路で起こる各種の渋滞のうち、「事故」「工事」「合流」「出口」などの「通行上の障害」が原因のものは理解しやすいわけです。しかし不思議なのは自然渋滞です。自然渋滞の中ではノロノロ運転が続き、途中で完全にストップしたりもするが、いったん渋滞を抜けると道路はガラガラ、という経験がよくあります。途中に「通行上の障害」らしきものは何も見当たりません。この自然渋滞が起こるメカニズムは『渋滞学』によると以下のようです。

車が一定以上の「密度」で走行している条件で自然渋滞は起きる。

渋滞の「引き金」となるクルマがスピードを落とすと、後続車がブレーキをかけ、そのブレーキが次々と後続のクルマに伝播していき、ついには自然渋滞に陥る。

「引き金」となるクルマがスピードを落とす一番の理由は「サグ(sag)」と呼ばれる道路形状の箇所である。

「サグ」は、ゆっくりとした上り坂(100mで1m程度の勾配)が続く部分であり、ドライバーにとっては上り坂だとは認識しにくい。従って意図せずに走行スピードが落ち、後続車がブレーキを踏む要因となる。

高速道路に「サグ」を作ってしまった以上、自然渋滞を回避するためには速度低下が起きないようにドライバーが注意するか(「速度低下注意」の看板)、クルマの密度を減らすしかないように見えます。しかし西成教授は実測データの分析の結果、重要な指摘をしてます。それは、

  各クルマの車間距離が40メートル以上あるとブレーキの伝播が押さえられ、自然渋滞は発生しない

ことです。クルマの密度で言うと「1車線あたり、1kmの間に25台の通行量」ということになります。

よく「時速の数字だけの車間距離をあけろ」と言われます。時速80kmだと車間を80メートルあけよ、というように・・・・・・。クルマの制動距離を考えて事故回避のために必要な車間ということだと思います。これは「理想的には」ということで、それだけの車間距離をとるのは現実の運転ではちょとむずかしい。しかし、その半分の40メートルの車間距離を常にとるのは、そんなに違和感がないと思います。つまりドライバーが「気をつけて、協調して運転」すれば自然渋滞は回避できるわけです。しかしそれが出来ないのが人間の悲しいところです。どうしても車間距離を詰めてしまう。

自然渋滞から言える教訓は、

  各人が自己の利益を追求すると、そのことが全体としての不利益を招き、それは結果として自己の不利益になってしまう

ということです。西成教授はそれを渋滞現象で分析的に説明したわけです。そもそも西成教授は数理物理学者であり、その手法を社会現象に応用したものです。



社会における渋滞現象は、交通網だけではありません。宅配業における配送拠点での荷物の渋滞とか、工場における部品・中間生産物・完成品の在庫の問題とか、インターネット上のメールの渋滞とか、いろいろあります。

しかし社会現象で我々に身近な渋滞は、「クルマの渋滞」についで「人の渋滞」でしょう。つまり多人数の人が集まる建物やホールで、「窓口」「入口」「出口」の人の渋滞です。

そこで音楽との関係になります。西成教授はある講演で大きなホールから多人数が出るときの「出口」の渋滞を取り上げていました。これが音楽と関係しています。その話です。


70 BPM の音楽


BPM とは「Beat Per Minute」の略で、音楽における「1分間の拍子数」のことです。70 BPM の音楽とは「メトロノームが1分間に70回打つ音楽のスピード」を意味します。BPM は心臓の鼓動にも使います。西成教授はその講演で、以下のように発言をしていました。


多人数がホールから一斉に退出するとき、70BPMの音楽を流すと退出時間が短くなる。

400人の退出で実験すると、通常5分かかっていたものが、3.5分に短くなった。

この理由は、70 BPM の音楽に合わせて「歩行の同期」が起こるからである。


なるほど・・・・・・。講演では流すべき 70 BPM の曲の例はなかったのですが、ネットの情報によると西成教授は森山良子さんの「さとうきび畑」を推奨しているようです。「♪ ざわわ、ざわわ、ざわわ」という例の歌です。反戦歌ですが、歌詞の内容より 70 BPM という速度が重要なのでしょう。ただ、きっかり 70 BPM でないとまずいのかは分かりません。80 BPM ではだめなのか。西成教授はたまたま「歩行の同期」を発見し、その時の音楽が 70 BPM だったのか。そのあたりは是非、先生に尋ねたいところです。

この話のポイントは「同期」と「無意識」だと思います。自然渋滞を回避するために40メートルの車間距離を保てばよいというのは、一人のドライバーだけがそうしたのではダメで、皆がそうしなければならない。「協調し」「同期して」運転するというのがキーポイントです。

退出時の「歩行の同期」も同じ話です。70 BPM というのは歩行のリズムに近いわけです。従って70 BPM の音楽は人々の歩行の同期を引き起こす。出口に早足で我先にと行くことが少なくなり、人の流れが整流化され、これが「全体最適」を生んで退出時間が短くなる・・・・・・。そういうことだと考えられます。70 BPM というのは人間の心拍数(65~75が普通)に近いので、それも影響しているのかもしれません。

もう一つのポイントは「無意識」です。西成教授の話は、

  70 BPM の音楽を流して「さあ皆さん、音楽に合わせてゆっくり退出しましょう」というのではない

わけです。あくまで何も言わずにBGMとして 70 BPM の音楽を流すに過ぎない。行進曲ではないので、音楽に合わせて意識的に歩くというのでもない。それでも歩行の同期が起きる。スピーカーで「あわてずに、ゆっくりと退出してください」と言うよりは効果的なのでしょう。そういう風に言葉で「指示」されると、反発する人も出てきそうです。

最初に「音楽を愛でるサル」の要約で述べたように、音楽の記憶は「体の記憶」であり、音楽は体に直接影響します。BGMというと「人の気分をなごませる」といった効果をすぐに連想しますが、そういった精神的影響だけでなく、体への無意識の影響があることが西成教授の実験で分かります。


モーツァルト効果


ここまで書いて思い出すことが二つあります。一つは 70 BPM は、音楽用語でいうアンダンテに近いことです。アンダンテはまさに「歩く速さで」という速度指示なのです。もっとも 70 BPM は普通はアンダンテよりも遅いアダージョの速度です。メトロノーム製造会社であるセイコー・インスツルのホームページを見ると、目安として、

  Adagio
(アダージョ)
ゆっくりと音符=66~76
  Andante
(アンダンテ)
歩くような速さで音符=76~108

とあります。Andante と指定された曲を 70 BPM で演奏するとしたら「かなり遅い演奏」になるでしょう。

もう一つ思い出すのが、音楽の「モーツァルト効果」です。「音楽を愛でるサル」の要約(この記事の冒頭)に書いたように、音楽には「認知的不協和」を和らげる効果があります。認知的不協和とは「したくてもできないという状況に置かれたときの心の葛藤」です。多人数が部屋から退出するときに「認知的不協和」とか「心の葛藤」が起こると言うのは大袈裟ですが、「早くホールから出たいのに、出れない」という「軽い葛藤」が生じると考えられます。

だとすると、音楽が「モーツァルト効果」によって葛藤を和らげ、人と人の協調と同期をより誘発しやすくするとも考えられる。以上の考察から判断すると、

  退出時に流す音楽は、モーツァルトのアンダンテの曲を 70 BPM で演奏したものが最適

ではないでしょうか。もちろん 70 BPM の音楽なら基本的に何でもよいはずですが、ここは「モーツァルト効果」にひっかけて是非とも(無理矢理でも)モーツァルトの楽曲、かつ Andante(歩く速さで)の指示のある曲にして欲しいところです。「さとうきび畑」が悪いわけではありませんが・・・・・・。


モーツァルトのアンダンテ


そこで、モーツァルトのどの曲を流すべきかという問題になります。モーツァルトのアンダンテの曲はいっぱいあります。しかし「歩行の同期を誘発する」という目的だとすると、

70 BPM で演奏しても違和感がなく

リズムが比較的単調で

そのリズムが目立ち

極端に言うとメトロノームのようにリズムが刻まれる

のが「理想」だと推測できます。これはかなり難しい設問です。モーツァルトと限定しているのが難しい。音楽全般で「時計のようにリズムを刻む楽曲」ならすぐに思いつくのですが・・・・・・。

いろいろ考えてみたのですが、交響曲 第40番 ト短調の第2楽章・Andante はどうでしょうか。その出だしは譜例70のようです。譜例はヴァイオリンとヴィオラのパートだけを抜き出したものです。
譜例70.jpg
第2楽章は変ホ長調ですが、譜例70で明らかなように曲は連続した8分音符から始まります。この後も随所に8分音符の「刻み」が出てくる。これは「歩行同期誘発曲」として適しているのではないでしょうか。

この楽章を手元にある2種類の演奏で聞くと、遅い方の演奏(往年の大指揮者、クレンペラー指揮・フィルハーモニア管弦楽団)で 80 BPM 程度のようです。普通はこれよりもっと速く演奏されるし、100 BPM 以上での演奏もあるようです。そもそも演奏速度は指揮者によってかなり違うし、一般的に言ってクラシック音楽は近年の演奏ほど速くなる傾向にあると思います。

しかしこの第2楽章・Andante を 70 BPM で演奏したとしても、遅い演奏だなとは感じるでしょうが、そんなに違和感はないと思うのです。また仮に 80 BPM 程度でも歩行の同期が起こるとしたら、クレンペラーのスピードでよいことになります。もちろん「歩行同期誘発曲」としては、リズムを明確にはっきりと、メリハリを利かせて演奏するのが望ましいわけです。

「"さとうきび畑"で退出時間が短くなった」では、外国人には何のことだか分かりません。「モーツァルトの40番のシンフォニーで退出時間が早くなった」と言ってこそ、欧米人にもインパクトがあるはずです。日本を代表する大学である東京大学の西成教授としては、是非ともそうしてもらいたいと思います。

続く


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