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No.116 - ブルゴーニュ訪問記 [文化]

No.12-13「バベットの晩餐会」で書いたように、あの映画のクライマックスの晩餐会ではワインが重要な役割を占めていました。そのメインのワインは「クロ・ヴージョ 1845」です。映画の設定からすると、40年ものの赤ワインということになります。映画の舞台はデンマークの寒村で、主人公のバベットは元・パリの高級レストランの料理長です。映画では、調理場でバベットが万感の思いを込めてクロ・ヴージョを味わう場面がありました。

そのクロ・ヴージョ(クロ・ド・ヴージョ)などの著名なワインの産地であるブルゴーニュを訪問してきたので、その感想を以下に書きます。

別に映画の影響というわけではないのですが、甲府・勝沼近辺のワイナリーには何回か行ったし、ナパ・ヴァレーのワイナリー巡りにも2回行ったことがあるので、次はヨーロッパにも是非行きたいと、かねてより思っていました。ボルドーではなくブルゴーニュに行ったのは、やはり映画の影響かもしれません。何回か書いたと思うのですが、映画が人に与える(暗黙の)影響は意外に強いものなのです。


ディジョンからの出発


4月末にディジョンに連泊し、一日を「ブルゴーニュ・日帰り旅行」にあてました。ガイドをしてくださったのは、尾田有美ゆみさんです。彼女は京都市出身で、日本でソムリエ(ソムリエール)の資格をとり、フランス人と結婚し、ディジョンに住んでいるという、ブルゴーニュのドメーヌのガイドとしてはまさにうってつけの方です。朝、滞在したホテルまで彼女の車で迎えに来てもらい、9時頃出発しました。だいたいのスケジュールは以下のとおりです。

グラン・クリュ街道を南下し、ジュヴレ・シャンベルタン、モレ・サン・ドニ、シャンボル・ミュジニー、ヴージョなどのワイン畑を通る。

クロ・ヴージョ城に立ち寄る。

ロマネ・コンティの畑で車をとめ、写真を撮る。

アロース・コルトン村の「シャトー(ドメーヌ)・コルトン・アンドレ」を訪問。主に白ワインを試飲(購入)。このドメーヌには立派なシャトーがあります。

昼過ぎにボーヌに到着。ランチを食べる。

ボーヌの「オスピス・ド・ボーヌ」(オテル・デュー)を見学(約1時間)。

15:00ごろ、ボーヌからディジョン向けて出発。

ディジョンに近い、ジュヴレ・シャンベルタン村の「ドメーヌ・ルネ・クレール」を訪問。赤ワインを試飲(購入)。

17:30ごろディジョンのホテル到着。

つまりディジョンからボーヌまでの約40kmを往復するという小旅行でした。ブルゴーニュに関する日本語の情報はインターネットのさまざまなサイトやブログに公開されているので、私が付け加えることはあまりないのですが、ガイドの尾田さんに教わった中で特に印象に残っているものを以下に書きます。


ブルゴーニュのブドウ畑


ブルゴーニュの地形は、南北約70kmに渡って低い山並みが走っています。その東側が傾斜地になっていて、ここがブドウ畑になっています。つまり東に向いた、なだらかな斜面がブルゴーニュのブドウ畑です。

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ブルゴーニュのブドウ畑(4月末)。東西方向にブドウの木の畝が伸びる(上の写真)。後ろに見えるのはシャンベルタン・クロ・ド・ベーズの小屋。

 断層 

ブドウ畑は延々と続いていて、全く同じような風景に見えます。しかもブルゴーニュは単一のブドウ種(赤:ピノ・ノワール、白:シャルドネ)で、ブレンドはしません。では、どうやってワインの味や香りのヴァリエーションや多様性が作り出されているのかというと、もちろん栽培技術の違い(各ドメーヌの個性)や、年による気候の変動、熟成によるワインの変化もあるでしょうが、やはり根本は「土壌が変化に富んでいる」ことだと想像できます。その「土壌の変化」は、観光客にとって見た目ではわかりません。

しかし、なるほどと思う解説を尾田さんがしていました。あちこちに「断層」や「断層の名残り」があるのです。こういった断層は、言われてみて初めて気づきます。尾田さんによると、断層を境にしてワインの味が変わるとのことです。ということは、この地方は長い年月をかけて地殻が変動し、地層が入り交じる状態ができたと推測できます。ワインが好む石灰岩質の土壌を基本としながらも、地層が複雑に入り交じってモザイク的になっている。それが特級畑や一級畑の複雑な配置につながっている、そう想像できました。

 栽培方法 

よくよく見ると、ブドウの栽培方法にも違いがあります。ブルゴーニュでは、数10cmの高さのブドウの木の幹から出る枝を、1本だけ残して他を剪定してしまい、その1本の枝を横に張ったワイヤーに絡ませ、その枝にブドウの房を結実させるというものです(甲府やナパとはだいぶ違う)。しかし畑の中には、幹から2本の枝を両側に出すという仕立てもありました(これも言われてみないと気がつかない)。ということは「ブドウの葉や果実の付きかたが違ってくる」ことになります。

さらに、ブドウの木の畝の方向(=ワイヤーを張る方向)にも違いがあります。多くの畑は東西方向、つまり傾斜の方向に(=等高線とは垂直方向に)ワイヤーが張られています。しかし中には、南北方向に(=等高線に沿って)ワイヤーを張ってある畑がある。フドウの枝はワイヤーに沿って伸びるのだから、当然「光の当たり方が違ってくる」ことになります。こういう栽培方法の相違も、ドメーヌの個性というか、工夫やこだわりを感じました。

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この畑は、ブドウの幹から枝を2本出す仕立てがしてある。またワイヤーは南北の方向に張ってある。

 ロマネ・コンティ 

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特級畑の集中地区であるヴォーヌ・ロマネ村とヴージョ村。右方向が北(ディジョンの方向)である。この図には南北(左右)約3.5kmの範囲が描かれていて、赤が特級畑、少し薄い赤が一級畑である。これを見ると、「ロマネ・コンティ」や「ラ・ターシュ」は小さな畑であることがよく分かる。尾田さんによるとロマネ・コンティは2人が所有しているが、このように1つの畑の所有者が複数であることが多い。地図でヴージョ村の特級畑の中に Chateau と書かれている所が「ヴージョ城」だが、この城の中には「クロ・ド・ヴージョ」が約80人のオーナに分かれて所有されている図が展示されていた。 ───── Hugh Johnson "The World Altas of Wine. 4th Editon"(1994) より引用。

全く同じような風景というのは、ロマネ・コンティの畑も同じです。ここに行かないことにはブルゴーニュに行ったことにはならない(?)というポイントですが、ロマネ・コンティと言っても隣の畑と見た目は全く同じです(あたりまえでしょうが)。この畑で作られたワインだけがブルゴーニュの中でも飛び抜けた超高値で取引されるのは、なんとなく理不尽に感じるのですが、それも土壌のなせる奇跡なのでしょう。

ここでは、有名な十字架と、ロマネ・コンティというプレートと、この畑だけに見かけた「畑に入らないでください」という注意書きが印象的でした。尾田さんによると「ハイヒールで畑に入って写真をとった女性」や「自転車を畑の中に乗り入れた男性」がいたようです。いずれも日本人ではなかったようで、ちょっと安心しました。

フルゴーニュでは「フドウ畑用トラクター」で農作業(薬剤を撒くとか、葉を剪定するとか)をするのが一般的です。これはブドウの木をまたぐように作られた特殊トラクターで、今回の小旅行でも何回か見かけました。しかしロマネ・コンティの畑はトラクターではなく、農耕馬で作業をするそうです。そういうこだわりもあるようでした。

尾田さんの説明で印象に残っているのは、この畑の由来です。彼女いわく「コンティ」という名前は、ルイ15世の時代の「コンティ伯爵」が所有していたことからきている。このコンティ伯爵と畑の所有を争ったのが、ルイ15世の愛人のポンパドール夫人だった。従ってこの畑は「ロマネ・コンティ、略してロマコン」ではなく「ロマネ・ポンパドール、略してロマポン」になる可能性があった。だけど「ロマポン」では、いかにも語呂が悪い、うんぬん・・・・・・・。こういった「歴史トリビア」は、意外に記憶に残るものです。

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フランス語と英語で書かれている「注意書き」の、英語の部分は以下の通り。

Many people come to visit this site. And we understand. We ask you nevertheless to remain on the road and request that under no condition you enter the vineyard. Thank you for your comprehension.

この畑では数々の「事件」があったと想像される。


ドメーヌ・ルネ・ルクレール


この日帰り旅行の最後ですが、ジュヴレ・シャンベルタン村の「ドメーヌ・ルネ・ルクレール」に立ち寄りました。地下で熟成中のワインも見学し、また当主のフランソワさんが自ら赤ワインの試飲をさせてくれました。最後に別れる時には、フランソワさんと我々夫婦のスリーショットも撮らせてもらいました。日本からの旅行者にわざわざ対応していただいて恐縮です。

ヴィンテージが異なる赤ワインの「飲み比べ」がおもしろかった。確か、2011年・2010年・2008年だったと記憶しています。2011年、2010年は似た味ですが、2008年はちょっと違う。熟成が進んで、酸味が少し弱まり、深みが出ています。個人的にはどちらかと言うと2011/2010年の方が好みだと思ったのですが、尾田さんはどうも2008年に惹かれるようでした。

思ったのですが、日本でデイリー・ワインとして入手できるピノ・ノワールは少ないし、そういう「普及品」は比較的若いワインなのですね(当然です)。どうも、そういうピノの味や香りに慣れてしまっているようです。尾田さんはソムリエールの資格をもつプロなので、見方がちょっと違うようです。



ドメーヌ・ルネ・ルクレールでも思ったのですが、ブルゴーニュのワイン造りは「伝統農業」という感じですね。ひとつひとつのドメーヌはこじんまりしているし、ブドウ畑ではいかにも「農夫」という感じの方々に出会いました(お金持ちなのだろうけど)。

そういうブルゴーニュのワイン造りも、グローバル化の影響を受けているようです。特に「経済成長著しい某国のバイヤーの高級ワイン買い占め」です。尾田さんは、驚くような事例をいろいろと語っていました。あまりに価格が高騰すると、それは「ワインという酒」ではなく「投機商品」になって、全く飲めなくなってしまいます。それはブルゴーニュのワイン造りを衰退させる方向に働くでしょう。

しかしブルゴーニュのワインは、著名特級畑だけでなく非常に多様です。それこそがブルゴーニュのワイン作りを永続させるキーなのだと感じました。

ジュヴレ・シャンベルタン.jpg

ドメーヌ・ルネ・ルクレール.jpg
ドメーヌ・ルネ・ルクレール
地図は、マット・クレイマー著「ブルゴーニュワインがわかる」(白水社。2000)より引用。赤がルネ・ルクレールの場所で、ディジョンとボーヌを結ぶ道路(現在はD974)に面している。写真は Google Street View。


ウォッシュ・チーズ


ここからは、ブドウ畑やワイン以外の話です。「グラン・クリュ街道」に入る前に、尾田さんにチーズ工場を案内してもらいました。ウォッシュ・タイプのチーズを作っている「ゴーグリー社」です(Fromagerie Gaugry)。ディジョンからボーヌに向かう国道(県道?)沿いにあり、ジュヴレ・シャンベルタン村より少しディジョン寄りにあります。ゴーグリー社ではガラス越しにチーズの製造過程を見学できました。

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ゴーグリー社(Google Street View)

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ウォッシュ・チーズを作る最後の工程。マール酒を手作業で刷り込む。
なぜ「ウォッシュ」なのかというと、それは製造したチーズをマールで「洗って」から発酵させるからなのですね。マールとはワインの絞り滓を蒸留した酒です(イタリアのグラッパに相当)。ガラス越しに見ていると、最終工程で作業員の方が手でチーズにマールを刷り込むようにしていました。なるほどウォッシュか、と思いました。

併設されている売店でチーズを販売していました。商品名は「ラミ・デュ・シャンベルタン」(=シャンベルタンの友)です。これは買うべきだと思って、自家用とお土産(バラマキ)用に買いましたが、妻は「妊娠してますか」と聞かれましたね。

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ラミ・デュ・シャンベルタン (妊婦が食べてはいけない方)
「妊婦が食べていいチーズ」と「妊婦が食べてはいけないチーズ」があるようで、これはフランスでは常識のようです。原乳を低温殺菌するかしないかの違いのようです。とりあえず両方買いました。

帰国後、赤ワインを飲みつつ食べましたが、まさにハマッてしまうというか、ヤミツキになる味です。特に、妊婦が食べてはいけない方がおいしい。急遽予定を変更して「バラマキ」は2つだけにとどめ、あとは全部食べてしまいました。妻の知り合いで、ご主人がフランス人の女性(フランス在住経験あり)にあげたところ、夫婦で取り合いになったそうです。


オスピス・ド・ボーヌ


ボーヌの「オスピス・ド・ボーヌ」にも、尾田さんに案内してもらいました。別名、オテル・デュー(=神の家)です。ここはもともと15世紀に、ブルゴーニュ公国のフィリップ善良王の宰相であったニコラ・ロラン(ルーブルに聖母マリアとロランを描いた、ファン・エイク作の有名な絵「ロランの聖母」がある)が建てた施設で、貧者のための施療院であり、終末医療の施設であり、(当時の医学知識による)病院です。現代ではもちろん病院ではなく観光名所になっていて、ボーヌのワイン・オークションが開催されます。またこの施設は過去に寄進されたブドウ畑を所有していて、「オスピス・ド・ボーヌ」というワインでも有名です。

オスピス・ド・ボーヌ1.jpg オスピス・ド・ボーヌ2.jpg
ホスピス・ド・ボーヌの外観は地味だが、中庭から見るときらびやかな彩色瓦が美しい(左の写真)。右の写真は「病室」にあるベッド。

ちょっとびっくりするような「大施設」です。立派なベッドがズラッと並んでいます。尾田さんの指摘で気づくのですが、ベッドがずいぶんと小さい。これは「昔の人は背丈が小さかったから」ということでした。なるほど・・・・・・。ヨーロッパの博物館で甲冑(全身を包むタイプ)が展示されていることがありますが、アレッと思うぐらい小さいものが多いですね。それと同じことかと思いました。背丈というのは人種の差もあるのかもしれないが「栄養状態に影響される」のです。

「オスピス・ド・ボーヌ」の見どころの一つは、1つの祭壇画が保管されていることです(特別室に展示)。ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1400-1464)の「最後の審判」です。ウェイデンは、ヤン・ファン・エイクと同時代のフランドルの画家で、プラド美術館に『十字架降架』という傑作があります。このオスピス・ド・ボーヌの絵は、ベルギーのゲント(ヘント)にある「ゲントの祭壇画=神秘の子羊」(ファン・エイクなど作)を連想させます。非常に精緻に細部まで描きこまれているところなど、そっくりです。ファン・エイクと同時代ということは、油絵の技法が確立した時期です。「最後の審判」の描き方は、画家の宗教心の発露もあるのでしょうが、細密描写が可能な油絵の技法を我がものにできた結果、画家としての喜びにあふれて徹底的に描き込んだという感じがしました。西欧古典美術が好きな人は必見の絵だと思います。

最後の審判.jpg
ファン・デル・ウェイデン(1400-1464)
最後の審判」(1445-50頃)
(215cm × 560cm)

改めて思い起こすと「オスピス・ド・ボーヌ」は(現代で言う)病院です。「病院が観光名所になっている」というのは、世界的にみても珍しいのではないでしょうか。バルセロナにあるサン・パウ病院(世界遺産)と、ここぐらいしか思いあたりません。そのサン・パウ病院は20世紀になってから建てられた「近代建築」ですが、オスピス・ド・ボーヌの発祥は15世紀という古いものです。フィレンツェの観光名所の一つにかつての孤児院(現在は美術館)がありますが、500年もの歴史がある病院というのは思い当たりません。そういう意味でも貴重な経験でした。


ガイドの尾田有美ゆみさん


以上に書いたブルゴーニュ、ボーヌ、フドウ畑、ワインに関する「知識」は、ほとんどガイドの尾田さんの「受け売り」です。受け売りついでに、もう一つワインに関する「知識」を書くと、素人しろうとの「夏が暑いほど良いワインになる」という単純な発想から「2003年にパリで熱中症の死者まで出た年は良いワインが多いでしょう」と質問すると「暑すぎるのもよくない。糖分が凝縮し過ぎるから」という答でした。過ぎたるは及ばさるがごとし、という当たり前のことのようです。

最後に彼女にもらった名刺を掲げておきます。


フランス、ブルゴーニュ地方の
ワイン、アンティーク、旅のコーディネーター

ドメーヌ訪問手配、ガイド

ジャン・リュック アレクサン
尾田 有美

17 rue Jacques Cellerier 21000 Dijon - FRANCE
Tel: +33(0)3 80 41 01 89
Email:ananas427@aol.com
HP: http://objetsympas.com/


続く


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