SSブログ

No.91 - サン・サーンスの室内楽 [音楽]


「時代錯誤」の音楽


No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で、この曲について以下の主旨のことを書きました。

この曲は1945年にアメリカで作曲されたが、その50年前の1895年にウィーンで作曲されたとしても全くおかしくない曲である。それほど19世紀末のウィーン音楽に似ている。

この曲の発表当時、音楽批評家は「時代錯誤だ」という批判を浴びせた。ニューヨーク・タイムス紙は「これはハリウッド協奏曲である」と切り捨てた。コルンゴルトが映画音楽を作曲していたことによる。

しかし、時代錯誤であろうとなかろうと、映画音楽であろうとなかろうと、音楽の良し悪しとは関係がない。

Score09.jpg

コルンゴルトの『ヴァイオリン協奏曲』(譜例9は第1楽章の冒頭)はCDも出ているし、コンサートでも演奏されます。私も1年ほど前に初めてナマ演奏を聞きました。しかし、これほどの名曲(私見)にもかかわらず『ヴァイオリン協奏曲』のジャンルでは、世間の一般的な評価はそれほど高くはないようです。その理由ですが「発表された時に時代錯誤などという評価を受け、その評価が現代まで続いているのではないか」と疑っています。

実は、これと類似の状況が他の作曲家にもあると思うのです。同時代の批評家や音楽家からのネガティブな評価(時代錯誤など)を受け、現代も評価が低い作曲家です。その例としてフランスの作曲家、サン・サーンスをあげたいと思います。


サン・サーンスの音楽


サン・サーンスは19世紀前半(1835)に生まれ、1921年(86歳)まで生きた作曲家です。よく演奏される曲を何点かあげると、

『動物の謝肉祭』
『交響曲 第3番 ハ短調』(オルガン付き)
『序奏とロンド・カプリチオーソ』(ヴァイオリン曲)
『ハバネラ』(ヴァイオリン曲)
『ヴァイオリン協奏曲 第3番』
『あなたの声に私の心は開く』(歌劇「サムソンとデリラ」の中のアリア)

などで、特に『動物の謝肉祭』の中の『白鳥』は誰もが知っている有名な曲です。サン・サーンスは明らかに「大変よく知られた作曲家」です。

Saintsaens.jpg
サン・サーンスは、20世紀初頭まで現役の作曲家だったわけですが、基本的な姿勢として18-19世紀からの古典主義やロマン主義音楽の伝統的スタイルを守った人でした。彼は当時のドビュッシーなどの「印象主義音楽」を批判したし、またシェーンベルク、ストラヴィンスキーなどの音楽の新しい流れとは一線を画したわけです。そのため、特に後半生は「旧態然」といった批判を受けたようです。

それに起因しているのでしょうか、現代においてもサン・サーンスは「大作曲家」とは見なされていないのではと、何となく感じます。もちろん、サン・サーンスの音楽が好きな人は多いと思いますが、音楽評論とか音楽史の本などから判断すると、フランス近代の作曲家ではドビュッシー、フォーレ、ラベルあたりが「格上」であり、サン・サーンスは(暗に)一段低いと考えられているのではないでしょうか。私の思い過ごしかもしれませんが・・・・・・。

しかし曲が書かれた時代とスタイルを問題にするのではなく、純粋に音楽として聴くと良い曲がいろいろあります。サン・サーンスはオペラ、交響曲、ピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、室内楽、交響詩、各楽器の独奏曲、歌曲をはじめ、かなりの数の作品を残しています。もちろん全部を知っているわけではないのですが、これらの中には「かなりの名曲なのに、演奏会でとりあげられることがあまりなく、CDの数も限られる」という曲があります。その例として、若い時と最晩年の室内楽作品、

ピアノ3重奏曲 第1番 (1863。28歳)
クラリネット・ソナタ (1921。86歳)

の2曲を取り上げ、その感想を書きたいと思います。後者は死の直前に書かれた曲です。


ピアノ3重奏曲 第1番 ヘ長調 作品18(1863)


 第1楽章 Allegro vivace 

曲が始まってすぐにチェロが第1主題(譜例40)を演奏し、チェロ→ヴァイオリン→ピアノと移っていきます。主題の前半は8分休符がはさまったリズム、後半が八分音符の連続するリズムで、躍動している感じがします(譜例40はヴァイオリンのパート)。

その後、譜例41の音型がヴァイオリンとチェロに現れ、これが第2主題です。第1主題とは対象的な、優雅で伸びやかな感じです。第2主題の変形(譜例42)が出てくるあたりで主題の提示が締めくくられます。
譜例40.jpg
譜例41.jpg
譜例42.jpg
その後は第1主題と第2主題をもとに、それらが変形され、展開されて音楽が進みます。そして2つの主題が元の形で再現して楽章が終わります。これは典型的なソナタ形式」というやつですね。ハイドン以来の音楽の様式が踏まえられています。

 第2楽章 Andante 

譜例43のゆっくりとした、重厚で、引きずるような短調の旋律で始まります。この楽章は、

 A - B - A - C - A

という構成ですが、Aの部分が譜例43です。つまり曲の中間と最後にもこの主題は現れて、シンメトリーの構成を形作っています。
譜例43.jpg
Aとは対照的に、BとCの部分は長調の伸びやかで優雅な旋律がいろいろ出てきます。譜例44はCの部分に現れる旋律の例で、流れるような優美さが印象的です。全体的にこの楽章は、重厚と優雅、単調と長調の対比がポイントとなっています。
譜例44.jpg

 第3楽章 Scherzo : Presto 

第3楽章ははスケルツォ楽章で、全体は

 S - T - S - T - S

の形です。Sのスケルツォの部分は、チェロ・バイオリンのピチカートとピアノの飛び跳ねるような音型ではじまり、ピアノのいかにもスケルツォらしい主題(譜例45)が続きます。Tのトリオの部分の音楽は、シンコペーションが印象的です(譜例46)。
譜例45.jpg
譜例46.jpg

 第4楽章 Allegro 

最終楽章は

 A - B - C

の構成です。曲の最初のAの部分は、チェロとバイオリンの優雅な掛け合いの旋律(譜例47)で始まります。それとは対照的なチェロとピアノの力強い主題(譜例48)が現れ、優雅と強さの対比が続きます。Aの部分の締めくくりには、譜例49の流麗な旋律がでてきます。Aはそのままの形で繰り返されます。
譜例47.jpg
譜例48.jpg
譜例49.jpg
繰り返しが終わったあと、曲は次第に静かになり、短いBの部分に入ります。ピアノがゆっくりとたたずむように譜例50の旋律を演奏します。
譜例50.jpg
曲は再びAllegroに戻り、Cの部分です。ここはAの発展形といえる部分で、譜例47-49の再現や変奏が続きます。譜例50の変奏が出てきたあたりから曲は最終段階に入り、短いコーダがあって楽章が締めくくられます。



サン・サーンス「ピアノ3重奏曲」.jpg
サン・サーンス
ビアノ三重奏曲 第1番・第2番
ヨアヒム・トリオ(NAXOS版)
『ピアノ3重奏曲 第1番』から受ける印象ですが、まず「ピアノの輝き」というか、非常に効果的にピアノが使われているのを感じます。サン・サーンスは当時の大ピアニストで、幼少から作曲とともにピアノに天才ぶりを発揮した人です。その「ピアニストとしてのサン・サーンス」が発揮された曲と言っていいでしょう。

「対比の妙」もこの曲の特徴です。「優雅さと力強さ」「長調と短調」「躍動・スピードと落ち着き・ゆったり」といった対比が、一つの楽章の中に何度も交代して現れ、それらが違和感なく組み合わされています。

この曲から全体的に受ける印象は「音楽の喜び、幸福感」といった感じです。音楽としての型は伝統的ですが、かなり「自由闊達に」作られている。その自由さが聴く人の感情に影響するのだと思います。



ピアノ3重奏という音楽のジャンルは、ベートーベンが金字塔を建てたわけです。7番まであるピアノ3重奏曲、特に第7番(いわゆる「大公トリオ」)は大変な名曲です。その後は、ブラームス、シューマン、ドボルザーク、フォーレなどがピアノ3重奏曲を書いていますが、サン・サーンスのこの『ピアノ3重奏曲 第1番』も、このジャンル屈指の名曲と言っていいと思います。「ピアノ3重奏の名曲を5曲選べ」と言われたなら、私ならこの曲はそのリストに入れます。もっと聴かれていい曲だと思います。


クラリネット・ソナタ 変ホ長調 作品167(1921)


若い時の『ピアノ3重奏曲 第1番』とは対照的な、最晩年の作品です。以下に、各楽章の冒頭のクラリネットの旋律を引用します。

 第1楽章:Allegretto 

第1楽章は22小節に及ぶクラリネットの長い旋律(譜例51)で始まります。哀愁を帯びたというか、長調なのに短調っぽいところがあるというか、心に滲み入るような印象的な旋律です。一度聞いたら忘れられない、とはこういう曲ですね。この旋律は第1楽章の最後に繰り返されます。
譜例51.jpg

 第2楽章:Allegro Aninato 

譜例52で始まる第2楽章は Aninato と題されているように、クラリネットの快活な動きがいろいろと凝縮されています。約2分の、最も短い楽章です。
譜例52.jpg

 第3楽章:Lento 

第3楽章は第1・第2楽章とはうってかわった、ゆっくりとした音楽です。譜例53の重い旋律が低音のクラリネットで演奏されます。この主題は2オクターブ上の音で繰り返されるのですが、クラリネットの音域が全く違うと音楽も違って感じられます。
譜例53.jpg

 第4楽章:Molto Allegro 

第4楽章の冒頭は、音階を素早く上昇・下降するクラリネットの音型で始まります(譜例54)。そして3連符やトリルなども含んで、クラリネットが縦横無尽に駆けめぐるという感じの音楽が続きます。
譜例54.jpg
その中に第1楽章の冒頭の主題(譜例51)の変形が挟み込まれ、そうこうしているうちに、曲は落ち着いてきます。そして最後は譜例51が再び完全な形で演奏され、このクラリネット・ソナタは終わります。

つまりこの曲は「最後に、始めに戻る曲」であり、いわゆる「循環形式」の曲です。サン・サーンスは86歳の人生の最後の年にこの曲を書きました。86歳でこのような佳曲が書けるというのは驚きですが、「最後に、始めに戻る」というのは何らかの暗示かもしれません。



サン・サーンス「管楽器のための音楽集」.jpg
クラリネット、オーボエ、ファゴットのソナタが収録されている。この3つのソナタはいずれも1921年に作曲された。
『クラリネット・ソナタ』が書かれたのは1921年です。直接の関係は全くないけれど、ストラヴィンスキーの『春の祭典』がパリで初演されて、賛否両論、大センセーションを巻き起こしたのは1913年です。その初演の客席にはサン・サーンスもいて、この曲を批判したわけです。彼としては当然でしょう。

もちろん『春の祭典』は素晴らしい曲です。不協和音や複雑なリズムは、現代人からすると「慣れっこ」でマイナスにはならない。むしろ、曲が持つエネルギー感に圧倒されるわけです。

しかしその一方で、『春の祭典』の8年後に作曲された『クラリネット・ソナタ』を聴くとき、何となくホッとするのですね。それは「音楽の良さは様式とは関係ないのだ」という安堵感、安心感からくるものだと思います。


『クラリネット・ソナタ』の既視感


この曲を初めてCDで聞いたときのことです。冒頭のクラリネットの旋律(譜例51)を聞いたとき、どこかで聞いたな、と直感的に思いました。「デジャヴュ」という言葉があります。「既視感」と訳されていますが、ある光景を見たり、ある体験をしたときに「どこかで見た光景だ」「以前にこの体験をしたことがある」という思いに駆られることを言います。初めてこの『クラリネット・ソナタ』を聞いたときに思ったことを具体的に言うと、

この曲は映画音楽として使われたはずで、その映画を見たと思う。それはフランス映画かイタリア映画。

という「既視感」です。そう強く思ったので、いろいろと映画を調べてみたのですが、どうもサン・サーンスの『クラリネット・ソナタ』が映画音楽として使われたことはないようです。「デジャヴュ」というのは「一度も見たり体験したことがないのに、見たり体験したように感じられる」ことを言います。まさに「デジャヴュ」なのでした。

その「既視感」の原因は何なのか、それは謎です。はっきりとした理由はわかりません。しかし考えられることとしては、

『クラリネット・ソナタ』の冒頭の旋律(譜例51)と似た雰囲気の、クラリネットで演奏される映画音楽があり、それが「既視感」を引き起こした

というものです。ひとつ思い当たるのは、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の「愛のテーマ」です。エンニオ・モリコーネが作曲した「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽は、美しい曲が多いのですが、一番有名なのはこの映画のメインテーマで、これはテレビ・コマーシャルにも使われました(確か、日本生命のCM)。「愛のテーマ」その次に有名な旋律だと思います。「愛のテーマ」はクラリネットだけで演奏されるわけではありませんが、サウンドトラックのCDを聞くと、出だしはクラリネットです。何となく、雰囲気がサン・サーンスと似ている。

確証は持てないのですが「ニュー・シネマ・パラダイス」の音楽が『クラリネット・ソナタ』を初めて聞いたときの「既視感」を引き起こした・・・・・・、そう思うことにしています。


映画音楽


映画音楽といえば、サン・サーンスは「世界初の映画音楽を書いた人」です。「ギーズ公の暗殺」(1908)という無声映画の音楽(作品128)で、私は聞いたことがないのですが、1908年ということは、まさに映画の黎明期です。

余談ですが「ギーズ公の暗殺」のギーズ公とは「ギーズ公アンリ」のことで、サン・バルテルミの虐殺(1572)の首謀者(カトリック側)です。サン・バルテルミの虐殺については、No.44「リスト:ユグノー教徒の回想」を参照。

黎明期の映画は、新しいテクノロジーを使った「動く写真」という見せ物でした。それは、No.76「タイトルの誤訳」でマーティン・スコセッシ監督の映画「ヒューゴの不思議な発明」について書いたとおりです。


マーティン・スコセッシ監督の撮ったこの映画は、1930年代のパリを舞台に、親から受け継いだ機械人形を大切にするヒューゴ少年の冒険が描かれています。3D、CGの最新テクノロジーが使われ、アクションもある。何よりもこの映画は、老若男女すべての人が楽しめるものになっている。そして大切なことは、登場人物のメリエスを通して20世紀初頭のフランスの映画黎明期を回想していることです。

我々は忘れがちですが、もともと映画は「見せ物」として始まったわけですね。メリエスは映画そのものを作った一人です。「月世界旅行」(1902)という彼の作った映画も途中に出てきます。そしてメリエスは同時にマジシャンであり、機械人形コレクターでもあった。当時の最新テクノロジーを使った「動く写真」は、人々の間で驚天動地のものだったのでしょう。それは「絵や文字を書く機械じかけの人形」が「驚きの見せ物」だったのと同じです。


サン・サーンスは映画音楽という、まったく新しいジャンルを「73歳でやってみた」わけですね。伝統を守るだけの人ではないようです。そう言えば『動物の謝肉祭』にも、従来にない斬新な響きのところがあります。

この文章はコルンゴルトから始めました。No.9「コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲」で詳しく書いたように、19世紀末・20世紀初頭のウィーンの「後期ロマン派」音楽は(コルンゴルトを介して直接的に)ハリウッドの映画音楽につながっています。

その言い方をまねるなら、サン・サーンスは(直接的ではないけれど)エンニオ・モリコーネにつながっている・・・・・・。そう言えるのかもしれません。




nice!(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

トラックバック 0