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No.88 - IGZOのブレークスルー [技術]


IGZO液晶パネル


No.39「リチウムイオン電池とノーベル賞」で「好奇心」と「偶然」がリチウムイオン電池の発明に重要な役割を果たした経緯を書きました。この「好奇心と偶然」の別の例として、IGZO(イグゾー)の技術を使った液晶パネルを紹介したいと思います。

2012年11月にNTTドコモは、初めて「IGZO液晶パネル」を採用したシャープ製のスマホを発売しました。メーカーであるシャープは「2014年にはすべてのスマホをIGZOにする」と発表していて(朝日新聞。2013.5.24)、IGZOをブランド化してシェアの拡大を計る戦略のようです。このIGZO液晶パネルを使ったスマホの大きな特徴が省電力です。

ドコモの2013年夏モデルで、液晶パネルの仕様が近い2機種の「実使用時間」を比較してみると次の通りです。

シャープ製 AQUOS PHONE ZETA SH-06E(IGZO)
実使用時間約 62.5時間
バッテリー容量2600mAh
表示パネル4.8インチ(1080×1920)
サムスン製 GALAXY S4 SC-04E
実使用時間約 45.1時間
バッテリー容量2600mAh
表示パネル5.1インチ(1080×1920)

上記の「実使用時間」とは、ドコモのホームページで次のように説明されています。

一般に想定されるスマートフォンの利用(Web閲覧などを約40分、メールや電話を約20分、ゲームや動画、音楽を約15分、その他アラームなどを約5分の、1日あたり計約80分間の利用)があった場合の電池の持ち時間です(NTTドコモ調べ)。実際の利用状況(連続通話や動画を大量にダウンロードした場合など)によってはそれを下回る場合があります。

AQUOS PHONE ZETA SH-06E.jpg
AQUOS PHONE ZETA
SH-06E(IGZO)
ドコモが定義するスマホの利用パターン(1日に合計で80分間使用)で実測すると、シャープ製は2日半以上バッテリーがもつが(約62.5時間)、サムスン製は2日もたない(約45.1時間)ということになります。スマホの最大の課題はバッテリーの持続時間なので、シャープの1.4倍の時間差(62.5/45.1)は大きな違いです。電池が1日もたないと不便を感じている人は多いと思いますが、シャープ製なら1日もつとなると、その価値は1.4倍どころではないでしょう。

IGZOパネルの消費電力は一般的な使い方では普通の液晶パネルの数分の1と言われています。スマホの「実利用時間」の差は各種の技術要因があるでしょうが、IGZOパネルが要因の最大のものであることは間違いなく、シャープも広告でそう言っています。この省電力という特長はスマホだけでなく、タブレットPCやゲーム機などの「液晶パネルを使うモバイル機器」では極めて重要です。


新材料半導体:IGZO


正確に言うとIGZOは液晶パネルの名前ではなく、新しい半導体の名前です。朝日新聞の解説記事から引用します。


IGZOは半導体の材料に従来のシリコンではなく、インジウム(In)、ガリウム(Ga)、亜鉛(Zn)の酸化物(O)を使う。東京工業大の細野英雄教授(材料科学)が、2004年にこの材料で薄膜トランジスタ(TFT)を初めて試作し、英科学雑誌ネイチャーに発表したのが先駆けだ。各元素の頭文字をとって名付けられた。

細野さんへの研究資金は、文部科学省系の独立行政法人、科学技術振興機構(JST)から支出された。1999年から5年間で計18億円。このうちIGZOの基礎研究に使われたのは1億円程度と言う。

IGZOは電気の通りやすさがシリコンより数十倍高い。TFTを小さくし、液晶を高精細にできる。

朝日新聞(2013.5.23)

液晶パネルには多数の薄膜トランジスタ(TFT)の回路が形成されていて、これがバックライトからの光をオン・オフする微少な「液晶のシャッター」を制御しています。電気が通りやすい → TFTを小さくできる → 高精細液晶が可能、というわけです。

それと同時に、同じ精度のパネルで比較するとIGZOの方がTFT部分の面積を小さくできることになります。つまりディスプレイの輝度を確保するためのバックライトの光量を下げられることになり、これが省電力になることが想像できます。しかしシャープの開発したIGZOパネルは、こういうレベルの省電力ではないのです。


シャープはさらに、回路から電気が漏れにくい性質に着目、静止画のときに従来は1秒間に60回電流を流していたのを1回にして、消費電力を従来の1~2割まで減らした。スマートフォンやタブレット端末向けに、液晶事業建て直しの中核技術に位置づける。

細野さんは「日本メーカが初めて実用化したことに敬意を表したい。日本が元気になるし、基礎研究の重要さも理解してもらえる」と話す。

朝日新聞(2013.5.23)

この記事における「静止画のときに従来は1秒間に60回電流を流していたのを1回にする」のを「休止駆動」と呼んでいます。そしてこの休止駆動こそが省電力の鍵なのです。


休止駆動


しかし休止駆動は初めからそれを狙って開発されたものではありません。その事情をIGZO表示パネルを開発したシャープの松尾拓哉氏(第2プロセス開発室長)に取材した記事が、日経産業新聞に掲載されていました。


「IGZO(イグゾー)」の特徴は消費電力の少なさ。だが開発当初のコンセプトに省電力はなかった。省電力への道を開いたのは偶然の発見だった。

2008年ごろ、中央研究所(奈良県天理市)の一室で開発チームの一人が不思議な現象に気がついた。電源を切ってもパネルの表示映像が消えない。「そんなバカな」とコンセントを抜いてみたが、やはり消えない。

調べてみると、IGZOは回路からの電流漏れが極めて少なかった。電源を切っても回路に電流が残るため、静止画だけなら長時間表示できる。

日経産業新聞(2013.2.14)

IGZOのTFTを使った液晶パネルの研究は、当初は省電力は視野になかったのです。偶然に「IGZOは回路からの電流漏れが極めて少ない」という現象が発見された。問題はこの発見をどう生かすかです。そこにブレークスルーがあります。


液晶パネルは周波数が60ヘルツの電流で映像を保持する。1秒間に60回の電気を流して映像を書き換える仕組みだ。この周波数を少なくすれば消費電力が少なくなるのはわかっていたが、これまでは40ヘルツにもできなかった。映像が高速でついたり消えたりする「フリッカー現象」が起こるためだ。

「IGZOならもっと減らせるはず。1ヘルツに挑戦してみないか」。

常識はずれの提案を面白半分に持ちかけた。静止画だけなら消費電力は従来の60分の1になる計算だ。

実現できたのは1年半後。画面操作がないときは1ヘルツの電流で映像を表示する「休止駆動」につながった。冗談交じりで始めた研究を根気よく続けられたのは、「本当にできるかもしれない」という技術者の直感があったからだ。

日経産業新聞(2013.2.14)

要するに休止駆動とは、動画やスクロールなどで液晶画面が「動いている」時には60ヘルツであり、静止画になったとたんに1ヘルツになるということを言っています。これがダイナミックに切り替わることで省電力を実現している。「面白半分の」提案から始まった技術開発を1年半続けることで休止駆動が実現できたわけです。

記事は次のように結ばれています。


当初、IGZOは有機ELなどを動かす回路に利用しようと考えていた。だがその用途では従来のシリコン技術との違いがはっきりせず、製品化は難しかっただろう。偶然の発見が技術の行く末を決めることは多い。偶然を生かすには常識外れの発想と未知の現象を面白がる技術者の好奇心が不可欠だ。

日経産業新聞(2013.2.14)


偶然の発見と好奇心


IGZO液晶パネルの開発過程もう一度整理すると、2つの大きなブレークスルーがあり、それが新製品を生み出したことがわかります。

東京工業大学・細野英雄教授のIGZO薄膜トランジスタ(TFT)の開発・試作
松尾拓哉氏をはじめとするシャープ開発陣の「休止駆動」の実用化

の二つです。重要なことは、細野教授も松尾氏も「IGZOで液晶パネルを作れば圧倒的に省電力になる」とは(当初は)思ってもみなかったことです。

IGZO-TFT.jpg
PET(ポリエチレンテレフタラート)のフィルムに、IGZOで形成したTFT(薄膜トランジスタ)。科学技術振興機構(JST)のホームぺージより。

細野教授は「インジウム・ガリウム・亜鉛の酸化物」という新素材(IGZO)でトランジスタが構成できることを実証したことが大きな功績です。電子の流れが早いということは分かっていた。それは明らかな特長です。しかしIGZOのすべての価値は分からない。おそらく細野教授にとってみれば、新素材でトランジスタを作ることこそに興味(好奇心)があり、それが予想もつかない価値を生み出すのではという「ぼんやりとした予感」があったのではないでしょうか。

シャープの開発陣が「IGZOは回路からの電流漏れが極めて少ない」という現象を発見したのは偶然です。ということは、その現象はシャープが発見しなくてもいずれ誰かが発見したと考えられます。ポイントはその偶然を「休止駆動」という新技術につなげたことです。まさに日経産業新聞の記事にあるように「偶然を生かすには常識外れの発想と未知の現象を面白がる技術者の好奇心」が不可欠なのです。

IGZOの最初の製品化につながった価値は、細野教授も松尾氏も思ってもみなかったところにあった。このことは非常に重要でしょう。新しい技術の研究・開発は、初めからストーリーや結末の予想があってやるわけではありません。当初は真の価値は分からない。大学の基礎研究は特にそうだし、企業における応用研究もそうです。その中からブレークスルーが生まれる。裏を返すと、モノにならなかった研究や、真の価値がまだ不明な技術がヤマほどあるということです。それを「無駄だ」と考えてしまっては新しい技術は生み出せない。その意味で朝日新聞の記事に「科学技術振興機構(JST)が細野教授に支出した研究資金は18億円。このうちIGZOの基礎研究に使われたのは1億円程度」とあったのは非常に示唆的だと思いました。

新聞各紙が報道しているように、シャープの液晶パネル事業は現在非常に厳しい局面にあります。この中でIGZOパネルは「液晶事業建て直しの中核技術」と位置づけられているようです(前述の朝日新聞)。なぜIGZOが中核技術になりえるのでしょうか。というのも、IGZOの基本特許は科学技術振興機構(JST)が管理していて、外国企業にもライセンス契約をする方針だからです。IGZOの基本特許をもとに製品開発をすることはどの企業でも可能であり、事実、IGZO特許のライセンスを最初に契約したのはサムスン電子です(朝日新聞 2013.5.23)。

製品化で先行したシャープは、自社の優位性を確保するために「休止駆動」関連の特許を多数押さえていると考えられます(おそらく)。また記事から読み解くと、研究所で休止駆動を完成させてから製品の発売までに約3年かかっています。この間、IGZO液晶パネル大量生産のためのさまざまな製造ノウハウが社内に蓄積されたと考えられます。スマートフォンのように短期間に数十万台というオーダーで生産する機器に使う部品は、歩留まり良く大量生産する技術がないとビジネスになりません。こういった特許やノウハウがあるから「事業建て直しの中核技術」と言えるのでしょう。

その中核技術の原点にあるのは「偶然の発見と好奇心」だということを忘れてはならないと思います。




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