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No.87 - メアリー・カサットの「少女」 [アート]

前回の No.86「ドガとメアリー・カサット」で、メアリー・カサット(Mary Stevenson Cassatt, 1844-1926)の絵を何点か引用しました。今回はそれらの絵の感想を書きます。


スペイン絵画


No.86 の最初の方に掲げたのは、パリの官展(サロン)の入選作で、

  『闘牛士にパナルを差し出す女』(1873。29歳)
『コルティエ婦人の肖像』(1874。30歳)

の2作品です。『コルティエ婦人の肖像』をサロンで見たドガが「私と同じ感性の画家」と評したことも書きました。

ちなみに、パナルとはスペイン語で蜂の巣(蜜蜂の巣)の意味です。女は闘牛士に水の入ったコップとパナルを差しだし、闘牛士はパナルを水に浸して飲み物を作ろうとしています。


Mary Cassatt - Offering the Panale to the Bullfighter.jpg Mary Cassatt - Portrait of Madame Cortier.jpg
メアリー・カサット
「闘牛士にパナルを差し出す女」(1873)
(クラーク美術館)
メアリー・カサット
「コルティエ婦人の肖像」(1874)
(個人蔵。WikiPaintingsより)

メアリー・カサットは1872-3年にスペインのマドリードとセヴィリアに8ヶ月間滞在し、スペイン絵画に触れ、模写をし、自らも制作に励みました。上の2作品はスペインの巨匠の影響を感じますね。『闘牛士』はベラスケスのようだし『コルティエ婦人』の方はゴヤの影響を感じる。ゴヤと言えば、メアリーの『バルコニーにて』(1873-4)は明らかにゴヤの『バルコニーのマハたち』(1810頃)を踏まえて制作されています。

彼女はスペインに行く前にイタリアのパルマに滞在し、コレッジョの『聖母子と聖ヒエロニムスとマグダラのマリア』(1523年頃。パルマ国立美術館)を模写しています。メアリーはもちろん、マネやドガをはじめとするフランス印象派の画家に学んだのですが、それと同時に、西洋絵画の源流であるイタリアやスペインの巨匠たちから多くを吸収したことも忘れてはならないと思います。

コレッジョの絵の模写の件は、No.86「ドガとメアリー・カサット」で紹介したスーザン・E・マイヤー著『メアリー・カサット』によります。


浮世絵


No.86「ドガとメアリー・カサット」に書いたように、メアリー・カサットもまた日本の浮世絵に強く影響を受けた画家でした。No.86 の最後に掲載した『舟遊び』(1893。49歳)という作品もそうです。この絵のユニークな構図と平面的に分割された画面、細部を塗り潰したような表現は浮世絵の影響でしょう。まるで湖岸からカメラを向け、望遠レンズでボートにグッと寄っていって撮った写真のような感じもします。スナップ写真に触発されたのかもしれません。

Mary Cassatt - Boating Party.jpg
メアリー・カサット
「舟遊び」(1893/94)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

この絵に描かれているのはメアリーの弟の家族で、絵の中心は一家の子供です。「帆」「オール」「ボートの縁」「夫婦の体の輪郭、特に夫の左腕と妻の右腕」の線(=リーディング・ライン)の配置によって、見る人の視線を子供に誘導する構図はメアリーの画家としてのなみなみならぬ力量を示していると思います。構図の大胆さと斬新さという点でも北斎・広重なみの作品でしょう

No.86 で引用したスーザン・マイヤー著「メアリー・カサット」によると、『舟遊び』は母と子の情景に男性が加わっている唯一の絵だそうです。そう言えば、「母と子の情景」はメアリーがたくさん描いているテーマだし(下に「縫い物をする若い母親」を引用)、「母と子の情景にもう一人が加わった絵」もあります。しかしその場合の "もう一人" は子供の兄弟姉妹のことが多いわけです(たとえば姉)。この絵のように、もう一人が大人の男性の絵というのは、確かにほかに見たことがありません。

そのことを踏まえてこの絵のテーマを推測してみると、子供に周りから放射状にリーディング・ラインが集まっていることから、明らかに絵の "主役" は子供です。顔には光も当たっている。また抱いている母親は、顔が陰になってはいるが "準主役" でしょう。一方、後ろ向きに描かれている父親は "副次的存在" です。この画面構成は "聖家族" を意識しているのではないでしょうか

上に書いたように、メアリーは20代の時にスペイン、イタリアに滞在して古典絵画の模写までしています。この絵は浮世絵の影響も含んで、描き方はいかにも19世紀後半の絵画なのですが、西洋絵画の伝統もしっかりと踏まえていると思います。



浮世絵に非常な興味を抱いたメアリー・カサットは、自ら版画の制作に乗り出します。彼女は「画家・版画家」と紹介されることもあるぐらいです。もちろん木彫ではなく、ドライポイントやアクアチントといった「西洋版画技法」で作るわけです。多数ある版画作品から一つあげるとすると、たとえば『着付け(The Fitting)』(1891。47歳)という作品です。

Mary Cassatt - The Fitting.jpg
メアリー・カサット
「着付け」(1891)
- ドライポイント・アクアチント -
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

これを見るとまず、メアリーが浮世絵の作風を完全に自分のものとしたことが分かります。線は美しいし、構図は見事です。壁と床の文様の装飾性も、人物との対比で際だっています。この壁と床の文様は現実の光景ではないような感じもします。そして何が浮世絵っぽいかというと、最大のポイントは着付けをしてもらっている女性の姿態・ポーズですね。こういう格好は鈴木春信や鳥居清長の作品にいっぱいあったような気がします。

それとは全く逆ですが、画面に大型の鏡を登場させ、2つの空間を一枚の絵の中に共存させるという挑戦もしている。こんなことは浮世絵にはありえません。彼女がいかに好奇心が旺盛で、貪欲に学ぼうとする姿勢があり、アートに対する探求心に富んでいたかを物語る作品だと思います。


母と子/子ども


メアリー・カサットの作品というとすぐに思い浮かぶのは「母と子」や「子ども」を明るい色調で描いた一連の絵です。No.86「ドガとメアリー・カサット」に掲げたのはメトロポリタン美術館が所蔵する『縫い物をする若い母親』(1900。56歳)でした。

Mary Cassatt - Young Mother Sewing.jpg
メアリー・カサット
「縫い物をする若い母親」(1900)
(メトロポリタン美術館)

メアリー・カサットの多くの絵に共通するのはモチーフを「自然体で」描いていることで、この絵もそうです。母親はレースの縫い物に集中しています。初めは興味深げに見ていた少女も、次第に退屈してきて、母親に甘えつつ、気を引こうとする。「ねえ外に行こうよ」なんて言っているのかもしれません。子どもが見せる「一瞬の自然な表情としぐさ」を的確に写し取っていると思います。

彼女はドガの影響でパステル画も多く描いています。「闘牛士にパナルを差し出す女」のクラーク美術館が所蔵している、パステルで描かれた子どもの肖像画を掲げておきます。

Mary Cassatt - Child With Red Hat.jpg
メアリー・カサット
「赤い帽子の子供」(1908)
(クラーク美術館。WikiPaintingsより)

「母と子」や「子ども」をモチーフにした絵は、若いころに学んだイタリア、スペイン絵画の影響があるのかもしれません。たとえば、彼女がパルマで模写したコレッジョの『聖母子と聖ヒエロニムスとマグダラのマリア』の聖母子です。また彼女が感銘をうけたスペインの画家の一人、ムリーリョは、子どもの絵が有名です。


青い肘掛け椅子の少女(1878。34歳)


この絵はメアリー・カサットの最高傑作だと思います。「最高傑作」というのは「ある程度の客観性が必要な言い方」だと思うので、それがそぐわないのなら「メアリー・カサットの作品で個人的に一番好きな絵」です。メアリーは 50-60 歳代に子どもをモチーフに数々の傑作を描いているのですが、この作品は30歳台前半の若い時の作品です。

Mary Cassatt - Little Girl in a Blue Armchair.jpg
メアリー・カサット
「青い肘掛け椅子の少女」(1878)
(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)

この絵はメアリー・カサットの友人だったエドガー・ドガと関係があります。ドガとも、またメアリーとも懇意だった画商・ヴォラールの回想録に「ドガは、この絵と自分の裸婦像を交換しよう、とメアリーに申し出たことがある」と書かれているのです。その理由として、次のようにあります。


ドガが、その『青いソファーの少女』に、特別の愛情を持っていたのは、その絵が、彼の指導のもとに描かれた作品であり、特にその構図にいろいろと示唆を与えたからである。

アンブロワーズ・ヴォラール
『親友ドガ』より(東 珠樹訳)
『ドガの想い出』(美術出版社 1984)所載

メアリー・カサットの手紙にも、ヴォラールの回想録の記述を裏付けることが書かれています。


カサットは後年、画商ヴォラールに宛てた手紙の中で、この作品について次のように述べている。「これはドガさんの友だちの子供を描いたものでした。肘掛椅子に座ったこの子を私が描くと、彼はそれが気に入って、背景について助言をしてくれただけでなく、その箇所に自ら手を加えました。(以下略)」

『青い肘掛け椅子の少女』について
八重樫春樹・柏 健 解説
世界美術全集
「印象派の画家たち 9 カサット」
(千趣会 1978)

2人は互いにアトリエを訪問し合う仲だったので、ドガの「指導」や「示唆」(その程度は不明ですが)、また「背景に手を入れる」こともあったでしょう。この絵はメアリー・カサットとドガの交友関係の中から生み出され、かつ、ドガが大変に好んだ絵( = 手もとに置きたいと思うほど好んだ絵)であることは間違いないようです。

 少女 

この絵は部屋の中で少女をモデルにして描いたものだと考えられますが、直ぐに気づくのは普通の絵にはあまりない少女の「表情としぐさ」です。

まず少女の表情ですが、受ける印象としては

退屈で
何となく不機嫌で
もっと言うと、ふてくされている感じ

がします(人によって感じ方は違うと思いますが)。

若い女性や少女をモデルした絵は、モデルの「ポジティブな感情や表情」を表したものが多いわけです。笑顔、微笑、真剣、清楚、可憐、おだやか、安心、幸福、信頼、大人の成熟や自信、母の愛情といったものです。それらとは反対の「ネガティブな感情や表情」、つまり、退屈、不機嫌、無気力、怒り、冷笑、悲哀、軽蔑、嫌悪、不安などを表した女性像は少ない。

もちろん、風俗画や歴史画、神話による作品、事件や出来事を扱った絵には「ネガティブな表情」の絵がいろいろあります。「戦争で家族を失って悲嘆にくれる女性」というのもあるし、ドガも『アブサンを飲む女』のように「沈み込んでうつろな表情の女性」を描いている。しかしモデルを部屋やアトリエに座らせて描いた絵で「ネガティブな感情や表情」のものは少ないはずです。その意味で『青い肘掛け椅子の少女』は珍しいと思うのです。

次に少女の格好としぐさです。彼女は左手を頭の後ろに回し、両足をだらっと広げる「奔放な姿勢」をとっています。こういう姿勢の絵はあまり見たことがありません。これは大人の女性はしないポーズですね(するとしたら男を挑発する場合です)。また良家の子女なら、こういう恰好をすると母親から「だらしない恰好はやめなさい」と厳しく注意され、叱責されそうです。しかし、少女としては(また、本来人間としては)自然な姿だとも言える。

以上のように、モデルの表情としぐさは、少女としては自然なのかもしれないけれど「絵画の主題としてはかなり独特」だと思うのですね。それはルノアールがたくさん描いた少女の絵と比べてみれば明らかです。全然違います。

メアリー・カサットは意図的にそういうポーズを少女にとらせたのでしょうか。そうかもしれません。しかし、絵から受ける第一印象は「自然とそういうポーズになった」というものです。この絵を見て直感的に思うのは

モデルを続けるのが厭になった少女

です。この少女はドガの友人の娘です。ということは、メアリー・カサットと顔見知りでしょう。画家はその少女をモデルに絵を描こうとし、おめかしをした少女を青い肘掛け椅子に座らせ「じっとしてるのよ」とか言いながらデッサンを始める。絵のモデルになることで、初めは緊張しておとなしく肘掛け椅子に座っていた少女も、次第に退屈になり、不機嫌になり、「まだ終わらないの」とか言いだし、画家も「じゃ、もっと楽にして」とか言って、少女の姿勢は次第に崩れていく。その姿がおもしろいと思った画家は、素早くデッサンを繰り返す・・・・・・。そんな情景を想像してしまいます。あくまで想像ですが。

この絵の少女から受ける印象は、少女が見せるはずのいろいろの「表情」や「しぐさ」のうち、ある瞬間をリアルに捕らえている感じ、ないしは、つくりものではない自然体を描いている感じです。「今この瞬間」を描く達人はメアリーの友人のドガですね。その影響を受けているのかもしれません。こうした「感じ」は、上に引用した『縫い物をする若い母親』に描かれた少女に通じるものがあります。

ちなみに、この絵の左の椅子で寝ているのは、メアリーの愛犬(グリフォン犬)でしょう(No.86 参照)。少女の「退屈」とは無関係に、超然と寝込んでいる姿の対比が利いています。

 青い肘掛け椅子 

この絵でまず目に飛び込んでくるのは白い服と明るい肌色の少女ですが、第2の印象は4つの青い肘掛け椅子です。後方の一つはソファのようですが、便宜上「4つの青い肘掛け椅子」と呼ぶことにします。

絵をじっと眺めていると、4つの青い肘掛け椅子が圧倒的な存在感で迫ってきます。どっしりとした重量感があると同時に、その青色でもって(少女以外の)カンヴァスを支配している。青と言っても緑を感じさせる明るい青色です。No.18「ブルーの世界」で書いた青の分類からいうと、ターコイズ・ブルーとセルリアン・ブルーの中間のような色でしょうか。

少女は退屈して不機嫌で、ちょっと「だらしなく」座っています。しかし椅子はどっしりとその位置を占めている。そして眺めていると、この絵は肘掛け椅子を描くことが目的のようにも思えてきます。少女はそれを強調する手段のような・・・・・・。画家はこの4つの椅子で「何か」を象徴したかったのかもしれません。

Mary Cassatt - Little Girl in a Blue Armchair.jpg

椅子の配置は独特です。手前から奥へと、非対称に、不揃いに、ずらして配置されています。その青い椅子が配置された室内を、少し上からの視線のクローズアップで、すべての椅子をカンヴァスからはみ出して描く・・・・・・。西欧絵画で室内を描いた絵として、これはかなり特異で大胆な構図ではないでしょうか。この構図の斬新さがこの絵の大きな特徴だと思います。

構図の大胆さといえば、すぐに思い出すのがドガです。ドガは浮世絵や北斎漫画を彷彿とさせる構図の絵をたくさん描いています。その構図の斬新さという意味でもまた、この絵はメアリー・カサットの友人・ドガの影響を感じます。

画家はこの構図により、西洋的遠近法を使わないで部屋の広々とした奥行き感を出すことに成功しました。この空間表現は『青い肘掛け椅子の少女』に独特のものだと思います。絵に使われている色は、白っぽい色(少女の服と肌)と、肘掛け椅子の青と、その他の黒っぽい色(濃い青や茶色)という単純なものです。この単純さも空間の表現にマッチしています。

まとめるとこの絵は「少女のしぐさ」と「青い肘掛け椅子を配した空間表現」で、唯一無二とも言える絵であり、そこが何とも言えず魅力的で、絵の中に引き込まれる感じがします。


連想と想像


『青い肘掛け椅子の少女』(1878)をみて、どうしても連想してしまう絵画があります。メアリー・カサットと同じアメリカ人であるジョン・シンガー・サージェントが、メアリーの絵の4年後にパリで描いた『エドワード・ダーレー・ボイトの娘たち』(1882。ボストン美術館所蔵)です。この絵は No.36「ベラスケスへのオマージュ」で紹介しました。以下『ボイト家の娘たち』と略します。

なぜ『ボイトの娘たち』を連想するかと言うと、

  『青い肘掛け椅子の少女』は4つの肘掛け椅子を

  『ボイトの娘たち』は4人の姉妹を

部屋の中に不均等に配置し、そのことによって独特の空間表現や奥行き感を作り出したという類似性があるからです。

『ボイトの娘たち』はベラスケスの『ラス・メニーナス』(No.19「ベラスケスの怖い絵」参照)からインスピレーションを得て描かれた絵です。サージェントは1879年にプラド美術館を訪れ、『ラス・メニーナス』を模写しました。そして3年後に描いたのが『ボイト家の娘たち』です。No.36「ベラスケスへのオマージュ」で書いたように、この絵は2010年にプラド美術館へ貸し出され、プラド美術館は「招待作品」として『ラス・メニーナス』と並べて展示しました。

そこで思い当たることがあります。サージェントよりメアリー・カサットの方がよほど「スペインつう」だということです。何しろ彼女は20歳台後半にスペインのマドリードとセヴィリアに8ヶ月も滞在しているのです。そこで描いた絵はパリのサロンに入選しています。もちろん彼女はプラド美術館を訪れていて、伝記(No.86 参照)によると「ベラスケスやムリーリョやゴヤの絵に感銘を受けた」とあります。

そしてこれはサージェントの絵からの全くの想像なのですが

『青い肘掛け椅子の少女』もまた『ラス・メニーナス』からインスピレーションを得て描かれた絵

ではないのでしょうか。なぜそう感じるかという理由はありません。何となくそう思うのであり、しいていうと、サージェントの『ボイト家の娘たち』がそうなら『青い肘掛け椅子の少女』もそうであっておかしくない、ぐらいでしょうか。もっと言うなら「少女」が主人公であり、そばに「寝そべった犬」がいることでしょうか。理由にはなりませんが・・・・・・。

画家が絵からインスピレーションを受けて絵を描くといった場合、そのインスピレーションの「ありよう」は千差万別です。ほんの些細な点にピカッと光るものを感じ、そこから自分のイメージを膨らませる。それは基本的に「制作の秘密」であり、公表されることはあまりない。だからこそ、このような「想像」もべつにかまわないと思っています。



メアリー・カサットの絵のごく一部を見てきたわけですが、これだけでも彼女の「画家像」が分かります。メアリー・カサットは、

イタリア、スペインなどの西欧絵画の源流に学び
マネをはじめとする印象派に学び
友人のドガからの影響を強くうけ
日本の浮世絵に斬新さに感動し
自ら版画の制作にまで乗りだし
母子像や子どもを描いた絵で独自世界を作った

画家です。前回の No.86「ドガとメアリー・カサット」で書いた、

パリのアメリカ人の女性の画家
アメリカの絵画コレクターたちに対する強力なアドバイザーとして、印象派絵画を世界に広めた功績者

という彼女の経歴とも合わせ、アートに対する飽くなき探求心とともに生きた画家だったと思います。



 補記 

『青い肘掛け椅子の少女』に関する別の記事を、No.125「カサットの"少女"再び」に掲載しました。




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