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No.84 - 社会調査のウソ(2) [社会]

前回の No.83「社会調査のウソ(1)」からの続きで、『「社会調査」のウソ』(文春新書。2000。以下「本書」)の事例に従って、社会調査の要注意点をとりあげます。ここからは社会調査の回答そのものにバイアス(偏向)がかかっていて、実態を表していない例です。


人は忘れるし、ウソをつく


社会調査のウソ.jpg
社会調査の要注意点のひとつは、回答そのものの信頼性です。「本書」に次のような例が載っています。

1995年4月9日の大阪府知事選挙の得票は、

 横山ノック 1,625,256 票
 (山田勇 無新)
 平野拓也  1,147,416 票
 (無新。自新社さ公・推薦)

でした。ところが府知事選の1年後の1996年4月に読売新聞が行った横山知事の評価アンケートにおいて「昨年4月の知事選挙では誰に投票しましたか」という質問の答えは、

 横山ノック  43.1%
 平野拓也    9.5%

なのです(読売新聞 1996.4.20)。あきらかに多くの人が嘘をついていることになります。

但しこれは知事選挙の1年後の調査なので、記憶の問題かもしれません。忘れてしまったということもありうる。しかし、明らかに嘘をついていると分かる調査もあります。


1年前のことであれば、中には本当に忘れたり、勘違いする人もいるかもしれない。しかし1998年に行われた参院選挙の数日後に読売新聞が行った調査をみると、記憶の問題ではなく、明らかにウソをついていることがわかる。

このアンケートの質問は、次のようなものであった。

「この前の日曜日に行われた参議院選挙で、あなたは、投票に行きましたか、行きませんでしたか。」(「読売新聞」1998年7月17日)

実際に投票に行った人は58.84%であることがはっきりしているにもかかわらず、この質問に対して「行った」と答えた人が84.3%もいたのである。

『「社会調査」のウソ』(123ページ)

谷岡氏は「読売新聞のこの調査はきちっとしたサンプリングを行っていて、回答者の偏りはそれほどないと考えられる。」と書いています。大人であれば当然のことながら「投票には行くべきだ」と思っているわけで、無記名回答と言えども嘘をつく人が多いのでしょう。


調査する側が質問票を操作することで、回答を誘導することがある


新聞社はフェアな社会調査をしていると思われていて、それは多くの場合正しいのですが、新聞社も「主張」を持っています。その主張に関わるような調査では、回答をその主張に沿った形に誘導することがあるわけです。たとえば次の誘導的質問です。


◆4月1日、消費税の税率が3%から5%に引き上げられました。高齢化が急速に進む中で、いま消費税の引き上げを行わないと、財政状況がさらに悪化して、次の世代の負担が重くなったり、福祉の財源が不足するなどの影響が出ると言われています。あなたは、今回の消費税の引き上げを、当然だと思いますか、やむを得ないと思いますか、それとも納得できないと思いますか(数字%)。
・当然だ 5.4
・やむをえない 50.7
・納得できない 42.6
・答えない 1.2
(「読売新聞」1997年5月2日より)

こういう長ったらしい質問をしてはいけない。しかも、わざわざ「やむを得ない」という日本人が好みそうな(賛成か反対かはっきりしない)選択肢を用意しておいて、ほかは強い調子の選択肢にしているところをみると、読売新聞の調査部にはこうしたテクニックをよく知った上で悪用している人間がいるのではと疑いたくなる。こんな調査で「消費税上げ56%が容認」などというい大見出しを作ったものは、名前を名乗るべきである。

『「社会調査」のウソ』(164ページ)

典型的な誘導質問であるにもかかわらず、42.6%もの人が「納得できない」と答えたことこそ重視すべきでしょう。はからずもこの調査は、当時、消費税値上げに納得できない人が多い(その前に税金の無駄使いをやめろ、といような)ことを明らかにしました。



質問票全体の構成テクニックで答えを誘導する調査もあります。つまり、最後の(後半の)質問に向け、前段部でわざといくつかの質問を設けておく。前段部である主の「先入観」を与えることによって最後の質問をある方向に誘導しようとするものです。この種の誘導を専門用語で「キャリーオーバー効果」と言うようです。

「本書」の例では、1994年6月9日の読売新聞に載った、

  自衛隊「必要」84%

という調査結果がその典型です。自衛隊は必要という回答をできるだけ多くしたい、という特定の目的で「調査」が行われているわけです。


(質問票の)最後の質問は「自衛隊は、必要だと思いますか、必要ないと思いますか」というものだが、そこに至るまでの質問項目を読むうちに、自ずと自衛隊の活動ぶりがわかる仕組みになっている。具体的に言えば、自衛隊が行う仕事には、安全確保、災害救助、民政協力(急病人の輸送や不発弾の処理など)などがあることを「学習」させ、PKOの平和協力の意義を「教え」、ついでに自衛隊はシビリアンコントロールによって守られていることまで「思い出させ」、その上で最後に自衛隊の必要性を尋ねているののである。

これが「84%」という、ちょっと考えられない数字の背後にあるテクニックである。つけ加えれば、選択肢を「必要だ」と「必要ない」の強い判断レヴェルの二つのみに絞り、この種の質問の場合には通常存在する、「どちらともいえない」という選択肢を省略していることによっても、肯定的な回答をうながしている。

『「社会調査」のウソ』(76ページ)

そもそも、なぜ「必要か、必要でないか」という調査を行うのかというと、それが国民的議論になっているからであり、国政の争点になっているからです。アメリカで「アメリカ軍は必要ですか」という調査をする新聞社はありえないでしょう。時間とお金の無駄だし、調査しようという発想がありえない。しかし日本では自衛隊の歴史的経緯と憲法との関係で(すくなくとも当時は)議論になっていたからこそ調査が行われる。従って「必要」「必要でない」が拮抗しているとは言わないまでも、2:1とか、せいぜい3:1という比率で論議がされていることが調査の前提です。もし84%の人が「必要」だと思っているのなら、国民的議論にも国政の争点にもなっていないはずであり、お金をかけて調査するだけ無駄というものです。つまり「調査をする主旨」と「84%が必要だという結果」は完全に矛盾しているのです。

もしこの調査が民主主義の原則にのっとって「16%の」少数意見を拾い上げるための調査だったのなら意味がありますね。しかしどうもそうではないようです。国民的議論を一定の方向に誘導しようとして実施された調査でしょう。


相関関係があったとしても、因果関係があるとは限らない。「隠れた変数」が相関関係を作り出すことがある


ここからは「相関関係」に関する要注意点です。

二つの量、AとBの間に相関関係が見いだせたとします。つまりAが大きいとBも大きいというような関係です。しかしそうであっても、AとBに因果関係がある(Aが原因でBになる。またはその逆)とは限らないわけです。AとBの共通の原因になっている「隠れた変数」があり、それがAとBの相関関係を作り出しているのかもしれない。

1994年4月に発表された、平成五年版「厚生白書」に関する次の記事は、その「隠れた変数」の例でしょう。


畳多いほど子供増加/円滑な住宅供給訴え/子育て負担の軽減に道

畳の数が多いほど子供の数も多い   。八日公表された平成五年版厚生白書は、こんな分析結果を基に、子供を増やすには「公共住宅などの円滑な供給が必要」と訴えている。(中略)一人あたりの畳の数(住宅の広さを畳に換算)が12.9畳とトップの富山は、一世帯(世帯主が49歳以下)当たりの子供(未成年)の数も2.3人と最も多かった。・・・(中略)・・・(「産経新聞」1994年4月8日)

『「社会調査」のウソ』(35ページ)

畳の数を増やすと子だくさんになる、と言わんばかりの厚生白書ですが、これは谷岡氏が指摘するように「隠れた変数」の効果であって、

◆地方の文化的伝統
  ├─⇒ 子だくさんの家庭
  └─⇒ 家のスペースが広い

という図式でしょう。「文化的伝統」の補足として「土地の価格」なども入れていいと思います。



隠れた変数が相関関係を作り出すことを専門用語で「スプリアス効果」と呼ぶそうです。新聞を読む読者としてはスプリアス効果に気をつけるべきです。子どもの食事と非行の関係についての次の調査はその典型です。


1998年に「子供をキレさせないための食事」なるトピックがマスコミを賑わせたことがあった(「日本経済新聞(夕刊)」1998年11月10日/「ニューズウィーク日本版」1998年11月18日号)。ジャンクフード(カップ麺やスナック菓子、ハンバーガーなどのファーストフード)を食べる頻度と非行の間に相関関係が見つかったとして、栄養学者も加わって、もっともらしい理屈(血糖値がどうしたとか)を並べ立て、これに文部省も予算化して取り組むことになったというものであった。

犯罪学を専門とする筆者に言わせれば、この相関はいずれも「親の躾の手抜き」から派生した結果にすぎず、栄養学的な因果は、たぶん何もないと思うが、仮にあったとしても補助的なものであろう。

『「社会調査」のウソ』(26ページ)

この調査をした人たちの「ジャンクフードを食べ過ぎて栄養のバランスが崩れることを憂う気持ち」は分かるのですが、だからと言って「ジャンクフードをよく食べるから非行に走る」などとはとても結論できないわけです。ここは谷岡氏にならって、

◆親の子育ての手抜き
  ├─⇒ ジャンクフード
  └─⇒ 非行

という図式が妥当でしょう。



子どもの非行については、次のような調査もあります。


暴力TV、子供に影響なぐる・ける・・・と相関少中学生を総務庁調査

テレビ番組で暴力シーンを見ることが多い子供ほど暴力行為や、万引き、喫煙などの非行・問題行動に走りやすいことが、総務庁の調査結果で明らかになった。(「朝日新聞」、1999年10月31日。他)

『「社会調査」のウソ』(136ページ)

総務庁(当時)は「だからテレビの暴力シーンは規制すべきだ」と言いたいのでしょうが、これも、

◆子供の暴力的な性格
  ├─⇒ 暴力的なTVをよく見る
  └─⇒ 暴力・万引きなどの非行

という図式が、より納得性の高い説明です。それにしても、官庁がある意図を持って行ったと考えられる調査の「結果発表」を無批判に報道する新聞社は、新聞の存在意義をどう考えているのでしょうか。



以上をまとめると、相関関係は必ずしも因果関係を意味しないわけです。谷岡氏は「スプリアス効果」を「灰皿」と「肺ガン」を例にとって説明しています。

「家庭にある灰皿の数」と「家族の誰かが肺ガンにかかる率」の2つに相関関係が見い出せたとしましょう。しかし灰皿と肺ガンに因果関係がないことは明白です。灰皿が肺ガンを引き起こすわけではないし、肺ガンにかかったら、むやみやたらと灰皿を集めたくなるわけでもない

◆喫煙
  ├─⇒ 灰皿の数
  └─⇒ 肺ガン

という関係なのですね。あたりまえだけど・・・・・・。

この例は一目瞭然なのですが、これが「ジャンクフードと非行」とか「テレビの暴力的シーンと非行」となると、なんとなく「もっともらしく」なってしまう。よくよく注意すべきだと思います。


因果関係を逆にとらえてしまうことがある


いわゆる「逆の因果関係」であり、谷岡氏は次のような例を紹介しています。


マーチン・ガードナーは《The Paradox Box》(日本経済新聞社、1979年)の中で次のような例を紹介している。

「統計によればアリゾナ州は他の州より肺結核で死ぬ人が多いそうです。これはアリゾナの空気が結核にかかりやすいと言うことになるのでしょうか。」

「まったく逆です。アリゾナの空気は肺結核にかかった患者が療養するためにおあつらえ向きなので、こぞってアリゾナに行くのです。当然ながら肺結核で死ぬ人の平均値が大きくなるというわけです」(103ページ)

『「社会調査」のウソ』(129ページ)

この例の「応用問題」は、「大都市でガンによる死亡率が高くなったとしたら、それはよい治療施設が存在するから(という可能性を検討すべき)」でしょう。

他の例として「40代出産女性は長寿」というハーバード大学の研究グループの発表(1997年)も紹介されています。100歳以上の長寿者のうち40歳代で出産した女性は20%もあり、これは70歳台で死んだ女性の40歳代出産率より圧倒的に多い、というわけですが、これも「100歳まで生きるような元気な人だったからこそ、高齢出産ができた」と考えれば、どうということもない。

さきの「畳の数と子どもの数の関係」も「子どもが増えたので、畳の数の多い家に引っ越した」という要因があるはず、と谷岡氏は指摘しています。確かにその「逆の因果関係」ならありうるわけです。


カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病


これは『「社会調査」のウソ』からの引用ではありませんが、因果関係のとらえかたに関して最近も新聞に奇妙な記事が掲載されました。


カロリーオフ飲料飲んでも糖尿病リスク
 - めったに飲まない人の1.7倍

減量などのためにカロリーを抑えた炭酸飲料を週に1本以上飲む中年男性は、めったに飲まない人に比べ、2型糖尿病を発症するリスクが7割高いとする研究論文を金沢医大などのチームがまとめ、欧州の栄養専門誌に発表した。「カロリーオフ」飲料を飲むことで慢心を生み、逆に食べ過ぎてしまう可能性もあるようだ。

研究チームは2003年、富山県の工場で働く2037人の男性(平均46.2歳)にダイエット用炭酸飲料を飲む量などを尋ね、毎年の健康診断で追跡調査した。10年までに170人が生活習慣が主な原因とされる2型糖尿病を発症。肥満度や家族の糖尿病歴、運動習慣など糖尿病にかかわる他の要因の影響を取りのぞくように計算すると、1週間に1本以上飲む人の発症リスクは、ほとんど飲まない人の1.7倍と明確な差がついた。

金沢医大の桜井勝准教授(公衆衛生学)によると、ダイエット用炭酸飲料が糖尿病の発症に関係しているかはわからないが、減らせるカロリー以上に他のものを食べ過ぎたり、使われている人工甘味料がより甘いものへの食欲を刺激したりすることが考えられるという。こうした飲料を好む人は肥満度やエネルギー摂取量がもともと高い傾向にあり、体質的に糖尿病になりやすい人が熱心に飲んでいる可能性もある。

桜井さんは「糖尿病のリスクが高い人は、体重やカロリー管理など生活習慣を根本的に見直してほしい」と話している。(桜井林太郎)

朝日新聞・夕刊(2013.5.13)

なんだか変な記事です。ごくごくシンプルに考えて、

カロリーオフ炭酸飲料を飲む人の糖尿病リスクが統計的に高いのはあたりまえ

だと思うのです。なぜかと言うと、

糖尿病リスクが高いと自覚している人は、そうでない人よりもより高い確率でカロリーオフ炭酸飲料を飲むはず

だからです。「糖尿病リスクが高いと自覚している人」というのは、例えば毎年の健康診断で血糖値が標準の範囲に収まらず、そのことでC判定になるような人です。あるいは自分は体質的に太りやすいと自覚している人です。さらには両親や親族に糖尿病患者がいるような人です。そして、

糖尿病リスクが高いと自覚している人は、そうでない人よりもより高い確率で糖尿病を発症するはず

です。あたりまえだけど・・・・・・。

「ダイエット用炭酸飲料が糖尿病の発症に関係しているかはわからないが」などと、思わせぶりなことが書いてありますが、

原因 :  糖尿病リスクの自覚
結果 :  ダイエット用炭酸飲料をよく飲む

というのが、原因(の一つ)と結果の常識的な解釈でしょう。



このことは「ダイエット食品」と「BMI(肥満度)」の関係を考えてみればすぐに分かります。仮に調査の結果、

ダイエット食品をよく食べる人ほど、BMIの数値が高い(=太っている)

という相関関係が判明したとしましょう。しかし、だからと言って

ダイエット食品を食べると、そのことが原因でBMIの数値が高くなる(太る)

とは誰も考えないはずです。二つの事象の因果関係は全く逆であって、

BMIの数値が高いから、ダイエット食品をよく食べる

のです。あたりまえです。この例は一目瞭然ですが、「カロリーオフ炭酸飲料と糖尿病リスク」というような、ちょっと「ひねった設定」にすると、人は騙されやすくなるのだと思います。だからそこにつけ込んで記事のネタを提供する人と、それを記事にする能天気な新聞記者が出てきて、その結果として「奇妙な新聞記事」が出現することになるのです。

こういう記事に引きずられて「ダイエット用炭酸飲料が糖尿病を引き起こす?」というような週刊誌記事が現れないことを願いますね。現れないと思いますが・・・・・・。


「後追い効果」で得られた情報には役立つものは少ない



地震の前兆現象を研究している大阪市立大学の弘原海わだつみ清教授たちのグループは1995年1月17日の阪神・淡路大震災から三週間ばかりたった二月中頃、調査用紙を作り、新聞各社を通じて呼びかけを行った。集計結果は『前兆証言1519!』(東京出版)というタイトルで同年9月19日に出版された。

『「社会調査」のウソ』(27ページ)

谷岡氏は「そういえばこういう前兆があった、というような情報のなかに役立つものは少ない。それを承知の上での研究なら問題ない。」と言っています。ただし「問題は、こうした情報の山から一定の法則性を見つけ出して仮説を作ることをせず、地震の興奮さめやらぬうちに、すべてそのまま感嘆符(!)入りで出版を強行したことである。」と指摘しています。

地震の予兆といわれるもののほとんどは「後追い効果」で得られた情報でしょう。たとえば阪神・淡路大震災が起こった日の未明に「猫が異常な鳴き声を発した」という情報が何十件か寄せられたとしても、阪神・淡路地方の何百万匹という猫が「夜に異常な鳴き声をする」ことは、少ないながらも一定の確率であるわけです。毎夜どこかで猫が「異常な鳴き声」をしているのに、後追い効果で「地震の予兆」だと思ってしまう人が(少ないながらも)出てくる。大地震が極めて強烈な記憶となって残るからです。そういえば夜中に猫が・・・・・・というわけです。


相関関係の中には「単なる偶然」もある(疑似相関)


最後に、相関関係の中には単なる偶然もあることに注意すべきです。以下は谷岡氏の述懐です。


筆者が初めて犯罪社会学会に出席した時、戦後の子供たちの「体格の向上」と「非行」とは同じような上昇カーブを描いており、年度ごとの上昇率には相関が認められる、という発表を聞いて驚いたことがある。幸いある質問者が「単なる偶然ではないか」とただしてくれたが、このような論が許されるのであれば、戦後の「紙おむつの消費量」も「ウィスキーの販売量」も「シラミの少なさ」も、すべて「非行」と相関を持つことだろう。

『「社会調査」のウソ』(140ページ)


リサーチ・リテラシー


『「社会調査」のウソ』(文春新書)の副題は「リサーチ・リテラシーのすすめ」です。リテラシーとは「読み書き能力」のことなので、リサーチ・リテラシーとは「調査結果を読み解く能力」と解釈してよいでしょう。

本書を読んでまず感じるのは、まず新聞やテレビなどの報道メディアの「リサーチ・リテラシー」が必要だというこことです。社会調査を行う官公庁、NGO、政党、各種の任意団体などは、それぞれの「考え」や「主張」を持っています。その主張に添うような「社会調査の結果」が発表されることが多い。それを正しく判断し、デタラメを排除し、見出しの付け方を正しく伝える責任が、まず報道メディアにあると思うのです。そもそも報道メディアは世論調査専門の部門をもっているリサーチのプロフェッショナルなのです。「リサーチ・リテラシー」を発揮して当然です。

しかし報道メディア自身も「考え」や「主張」を持っています。それに合うような調査結果が発表され(作り出され)、合わないものは排除されることが往々にしてある。また No.82「新聞という商品」で書いたように、新聞記事やTV番組という商品は、その商品の魅力を高めるような内容になってしまいがちです。どうしても読者の目を引き付け、顧客満足度を高めるような社会調査の取り上げ方になる。

結局のところ社会調査と接する時には、最終的な「情報の消費者」である市民一人一人の「リサーチ・リテラシー」が必要です。それは、インターネットに溢れる玉石混交の情報を受け取る時の「リテラシー」と全く同じだと感じました。

社会調査は「公正な調査の結果というよそおい」で、しかも「デジタルな数値情報」で公表されます。だから逆に要注意なのです。




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