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No.82 - 新聞という商品 [社会]

前回から続く)

No.81「2人に1人が買春」からの続きです。前回に書いた「新聞は商品である」という視点から、もうすこし続けてみたいと思います。


警鐘に商品価値


No.81「2人に1人が買春」で、新聞記事では「警告・警鐘に商品価値がある」という主旨のことを書きました。その警告・警鐘が的を射たものかどうかにかかわらず、とにかく警告・警鐘であることに価値があるという主旨です。その例を何点かあげます。

 児童の体力が低下したという記事 

文部科学省は小学生・中学生(計 40万人)の運動能力測定を毎年行って公表しているのですが、これをもとに「児童の体力が低下したという記事」が掲載されることがしばしばあります。本当にそうでしょうか。

文部科学省のホームページに公開されている運動能力測定の結果(全国体力、運動能力、運動習慣等調査)を表にしてみたのが次です。比較可能な最も古いデータがある1985年度と、2010年度、2012年度の結果です。2011年度は東日本大震災で中止されました。表で赤く色をつけたのは「1985年度平均を上回った生徒の割合が40%未満だった種目」です。また青色をつけたのは「1985年度平均を上回った生徒の割合が50%以上だった種目」です。

学年 種目 1985年 2010年 2012年
平均 平均 85年平均以上の
生徒の割合
平均 85年平均以上の
生徒の割合
小学5年生 握力 18.35kg16.91kg37.4%16.71kg35.2%
16.93kg16.37kg46.2%16.23kg44.3%
反復横飛び 39.46点41.47点66.1%41.59点66.5%
37.94点39.18点62.8%39.24点63.5%
50m走 9.05秒9.38秒42.0%9.36秒42.8%
9.34秒9.65秒40.3%9.63秒41.3%
ソフトボール
投げ
29.94m25.23m30.6%23.77m24.3%
17.60m14.55m25.9%14.21m23.5%
中学2年生 握力 31.61kg29.70kg40.0%29.57kg39.5%
25.56kg23.86kg38.0%23.95kg38.8%
持久走
男子:1500m
女子:1000m
 366.40秒 397.36秒35.2% 392.58秒39.1%
 267.11秒 295.67秒27.8% 292.88秒30.4%
50m走 7.90秒8.05秒51.1%8.02秒52.5%
8.57秒8.90秒38.9%8.87秒40.9%
ハンドボール
投げ
22.10m21.18m46.9%21.15m46.7%
15.36m13.20m31.8%13.04m30.5%
(文部科学省のホームページのデータより作成)
 1985年度平均を超えた生徒が40%未満
 1985年度平均を超えた生徒が50%以上


この表を要約すると次にようになるでしょう。

児童の運動能力は、1985年と比較して全般的に低い
特に小学5年生の
 ・握力(男)
 ・ソフトボール投げ(男女)
中学2年生の
 ・握力(男女)
 ・持久走(男女)
 ・ハンドボール投げ(女)
の低下幅が大きい(10~15%程度の低下)
逆に、小学5年生の「反復幅跳び」は平均記録が向上している。また中学2年生男子の50m走は1985年とほぼ同じである。

これは新聞ではなくテレビなのですが、2013年3月のNHKの報道番組で「昭和60年(1985)のピークの年に比べて、50メートル走の記録が低下」とういう「ニュース」を言っていました(2012年度調査にもとづくニュース)。こういう報道姿勢は非常に疑問です。ピークの年と比較するなら、児童の体力は毎年低下していることになるからです。

この手のニュース報道におけるお決まりの解説は「子どもが外で遊ばなくなった」「遊び場が少なくなった」というものです。果たしてそうなのでしょうか。

運動能力テストの種目を見て思うのは、子どもが公園などで遊ぶこととは直接的関係が薄い種目がほとんどだということです。例外はソフトボール投げでしょうか。野球をやる子なら公園でキャッチボールをすることがあると思います(それでもソフトボールを投げている姿は見た記憶がありません)。ほとんどの種目は、それをやるとしたら学校です。50m走も単なる公園での駆けっこではありません。50m全力ダッシュです。持久走も、ジョギングやランニングが趣味の子もいるとは思いますが、やるとしたらまず学校のグランドでの周回走でしょう。「握力」という体育の授業はありませんが、握力に最も関係していそうなのは鉄棒だと思います。

そして「体力の低下」ということを「握力」を例にとると、はたして1985年当時の児童と2010/2012年の児童の鉄棒の練習量は同じなのでしょうか。先生が学校で鉄棒の技(逆上がりとか、蹴上がりとか)を指導し「テストをします」などと言うと、子どもは放課後でも公園でも練習するものです。学校の影響は大きいと思います。

あくまで直感ですが、児童の「運動能力」は、学校での指導内容、学校教育に起因する該当種目の練習量が左右するのではないでしょうか。

大人でジムに通っている人は、トレーニングを始める前と比較して始めた後では「握力」や「反復横飛び」の記録が向上することが理解できると思います。似たような「種目」をジムでやっている人は多いでしょう。また趣味でランニングを始めた人は、始める前と比較して持久走の記録が格段に向上したと実感できるはずです。

「体力が低下」という報道の言い方は、児童・生徒が「虚弱になった」というニュアンスです。そいういう警鐘のつもりでしょうが、もっと冷静に調べてみるべきだと思います。そもそも「運動能力」を「体力」と表現していいのかという問題がある。さらに児童の体力が低下したという報道は、小学5年生の反復横飛びの記録が向上していることについて全く触れません。それは「体力が低下」という報道にとっては都合が悪いからでしょう。不都合な真実、とうわけです。都合が悪いことはないことにするという姿勢でしょう。しかし「全般的には記録が低下しているのに、反復横飛びだけは向上している。なぜだろう」と考えることから、正しい報道は始まると思うのです。

「運動能力の変化は該当種目の練習量の多少に起因する」というのはあくまで仮説です。しかしそういう要因も十分考えられる。報道としては「警鐘を鳴らした」つもりかもしれませんが、もうすこし冷静にものごとを見た方がよいと思います。

 若者が本を読まなくなったという記事 

若者が本を読まなくなったという記事もよく掲載されます。若者の活字離れ、という言い方になることもある。こういう時になぜ決まって若者が主題になるのか、高齢者の活字離れはないのかが疑問ですが、それはさておいても若者の活字離れは本当かということがあります。

全国学校図書館協議会は毎日新聞と共同で、全国の小・中・高校の児童生徒、1万人を対象に読書調査を毎年行っています。学校に調査を依頼し、教師が生徒にヒアリングして「5月の1ヶ月に読んだ本の冊数」を調査するものです。また「5月に1冊も本を読まなかった人」を「不読者」と定義し、不読者の割合も公開されています。その年次変化(最新データは2012年)をホームページから引用します。

5月1か月間の平均読書冊数の推移
平均読書冊数.jpg

不読者(0冊回答者)の推移
不読者.jpg
(全国図書館協議会のホームページより引用)

この調査結果をまとめると以下のようになるでしょう。

平均読書冊数は、小学生、中学生では増加傾向にある。高校生では横ばいである。
不読者の割合は1990年代後半に向かって増加したが、それ以降は現在まで減少傾向にある。
小学生は本を読む児童と読まない児童の差が激しい。2012年度で不読者が53.2%あるにもかかわらず、平均読書数は10.5冊である。中学生・高校生の平均読書数は少ないが、不読者の割合も少なく、まんべんなく本を読んでいることがうかがえる。

もちろん、この調査だけで若者の読書傾向をうんぬんできません。しかしこの調査は「継続的に」「調査対象を広くとって」行われています。若者の読書傾向を議論するなら、こういったまじめな調査から分かる事実にもとづくべきでしょう。

付け加えると「若者の活字離れ」という言い方の大きな問題点は「比較の対象を欠いている」ことです(「児童の体力低下」も同じですが)。仮に10代 - 20代を「若者」とすると、たとえば30代 - 50代の「働き盛りの層」が活字離れしていないのかどうか、高齢者はどうなのかという視点がありません。もし働き盛りも高齢者も活字離れしているとしたら「日本人の活字離れ」ということになり、若者だけを取り上げてうんぬん、という話にはならないのです。

さらに「活字離れ」というときの「活字」は暗黙に本・雑誌・新聞を言っているようですが、現代では活字メディアが多様化しています。そのことも考慮すべきだと思います。



以上、警鐘・警告の報道として、
 ・児童の体力が低下した
 ・若者が本を読まなくなった
の二つを取り上げたのですが、この他にも新聞紙面ではいろいろの警鐘・警告があります。

経済面では、日本が世界市場で負けているという記事がその典型です。液晶テレビの世界市場で韓国のサムスン電子とLG電子に負けている、スマートフォンでアップルとサムスンに負けているというような記事です。

もちろん弱みを分析したり、負けている要因を明らかにするのは非常に重要なことであり、その記事自体が問題ではありません。しかしちょっと疑問に思うのは「日本が世界市場で勝っている」という記事があまり掲載されないことです。「勝っている」例をコンシューマー・エレクトロニクスで言うと、世界のデジタル1眼カメラのほぼ100%は日本製です。No.38「ガラパゴスの価値」に他の例を何点か書きましたが、なぜ強いのかを(浮かれずに、冷静に)分析することもまた重要なはずです。

気象現象、特に「異常気象」と思える現象を何でもかんでも地球温暖化に結びつける記事も要注意だと思います。台風の勢力が異常に強くても集中豪雨がきても地球温暖化の影響のように言われる。

有名な諏訪湖の「御神渡おみわたり」という自然現象があります。2009年はこの現象が見られませんでした(2010年、2011年もなかった)。それは地球温暖化の影響だと書いた報道があったと記憶しています。ところが、2012年に御神渡りが復活したときには「地球温暖化も一服」という記事にはならないのです(2013年にも御神渡りがあった)。御神渡りは毎年できるというわけではありません。せめて、記録が残っている期間で何%の年に御神渡りができたのか、それを調べてから報道すべきでしょう。



以上にとりあげた「警告・警鐘」には共通する事項があります。大多数の新聞購読者にとっては、直接かつ近々の被害が及ばないたぐいの警告・警鐘だという共通項です。「児童の体力が低下した」り「若者が本を読まなくなった」のは、それが本当だとすると確かに国の将来にとってまずい事態だと思えますが、それが新聞購読者の生活に直接影響するわけではありません。液晶テレビやスマホで日本製品が負けているとしても、生活に支障はない。地球温暖化で海面が上昇して日本の海岸地域がしばしば浸水に見舞われるようになったとすると、確かにそれは非常にまずいが、早くても数十年後の話だと「タカをくくって」いられる。

逆に大多数の新聞購読者に直接の被害が近々に及ぶたぐいの警告・警鐘は記事になりません。たとえば「このまま国債を発行し続けたら、国債金利が急上昇し、それがハイパーインフレへの引き金となって国家財政が破綻する」といった警告・警鐘は新聞では取り上げられないのです(これは例えば、という例です)。


新聞という商品


新聞は商品である、という観点からものを見るとさらにいろいろと見えてくることがあります。読者に「ウケがいい」「顧客満足度の高い」記事を書く傾向にあることを書きましたが、それはとりもなおさず「顧客満足度の低い記事は紙面には載りにくい」ということです。

東日本大震災のあとの「脱原発」の主張がそうです。「脱原発」は正しい主張だと思うのですが、そのデメリットはあまり新聞記事にならない。たとえば(一時的にせよ)電気料金の値上げは容認すべき、とは書かない。時と場合によっては計画停電も甘受しよう、とは書かないわけです。これらのことは読者にとって「イヤなこと」だからでしょう。しかし、世の中は(今、ない)何かを得れば(今、ある)何かが失われます。トータルとしてどちらが良いかという議論のはずです。



商品である以上、その商品を販売している企業のグループ企業の商品は批判できません。これはどの業種でもそうです。全国紙の新聞社はテレビ会社に出資しています。従ってテレビ番組を批判したりはしません。

一例をあげると、小泉首相の時の「郵政解散・郵政選挙」(2008)というのがありました。自民党執行部は郵政民営化に反対する議員の選挙区に「刺客候補」をたてたのですが、その選挙を(NHK以外の)民放テレビ局は情報番組でおもしろおかしく報道し、郵政選挙をあおりにあおりました。当時の民主党の岡田代表がいくら口を酸っぱくして「選挙の争点は郵政民営化だけではない」と言っても、その声はかき消されてしまった。テレビ局主導で日本中が小泉首相の術中にはまった格好になったわけです。

こういう状況は新聞が標榜する民主主義とは相入れない状況です。新聞は、自分では民放テレビ局のような「あおり報道」をしていないのだから、逆にテレビの報道を批判すべきです。新聞社が別の新聞社の記事や報道姿勢を批判することがありますね。それができるくらいなのだから、民放テレビ局の「あおり報道」を批判することなど、論理的にはいくらでもできるはずです。だけどそうはしない。それどころか某全国紙の論説委員がテレビ番組のコメンテーターとして登場し「刺客という言葉は私が作りました」と嬉しそうに発言する。

新聞社は民放テレビ局に出資しています。つまり「同一企業グループの商品は批判しないというあたりまえのことが実践されている」のだと思います。



新聞は「利潤を追求する株式会社が提供している商品」です。従って今まで書いたことの他に、自社のビジネス、ないしは新聞というビジネスにとって都合の悪い記事は掲載されません。

新聞の広告主にとって都合の悪い記事
新聞を再販制度の対象からはずすべきだということを、ある団体が主張したというような記事
異種メディア(新聞・テレビ・ラジオ)間での資本関係を禁止すべきという政府や政治家の発言記事

などです。最後の件は民主党政権時時代に原口総務大臣が検討を明言しました(2010年)。先進国で常識化している、いわゆる「クロスオーナーシップの禁止」です。しかし新聞はいっさい報道しませんでした。この種の話題は大臣の発言といえども黙殺するわけです。

それは決して良い悪いの問題ではなく、現代社会で新聞社が新聞を発行するということはそういうことだと思います。自社のビジネスの足元を切り崩すような商品(記事)の提供はできないし、ビジネスの根幹を揺るがしかねない議論のトリガーになるような商品(記事)も提供できないのです。我々読者としては新聞のもつ「商品」の面を理解して接するべきだと思います。




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