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No.48 - 日の丸起立問題について [社会]

前回の、No.47「最後の授業・最初の授業」で、アメリカの公立学校で毎日、国旗に向かって唱えられている「忠誠の誓い」(The Pledge of Allegiance)について書きました。国によっていろいろと事情が違うのはあたりまえですが、感じるのはアメリカと日本の差異です。そこで日本の国旗に関する話を書いてみようと思います。No.37「富士山型の愛国心」で、以下のように日章旗(日の丸)に触れました。

「日の丸」が制定されたのは1870年で、現在まで約140年がたっています。この間、不幸なことに日章旗が国民を戦争に動員する道具のように使われたことがあったわけですね。それはざっと言うと、昭和に入ってからの約20年間です。この期間のことを指摘して、現在も「日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、国旗に起立はできない、それは思想と信条の問題」と言う人がいます。

思想・信条は個人の自由ですが、「日の丸が国民を戦争に動員する道具」だった時代は、日の丸の歴史の中では7分の1以下のごく短い期間なのですね。戦争体験者ならともかく、65年前に終わった短い期間のことに縛られて現在も行動するのは、建設的な態度だとは言えないと思います。思想・信条は個人の自由ですが・・・・・・。

今回はその補足です。国旗掲揚に対して起立しなかったため組織から処分を受け、それが裁判になっている件を取り上げます。


日の丸訴訟


2012年1月16日に最高裁判所で「日の丸訴訟」の一つに対する判決がありました。この訴訟は、東京都内の公立学校の教員など171人が、校長の業務命令に反して「日の丸に起立せず君が代を斉唱しなかった」として受けた処分の取り消しを求めた3件の訴訟です。最高裁の判決は、戒告(168人)は取り消さず、減給(1人)は処分取り消し、停職(2人)のうち一人は処分を取り消すが、一人は取り消さず、というものでした。停職を取り消さなかった一人は、過去に国旗掲揚を妨害し校長を批判する文書を生徒にくばったとあります。

最高裁の判断を要約すると、日の丸に対する不起立(=単なる不起立)で許される処分は戒告までであり、これは校長の裁量権の範囲内である。しかし減給や停職などの重い処分は慎重を期する必要がある、というものでしょう。2011年の5月に校長の職務命令は合憲、との最高裁判決があるので、これで一通りの最高裁判断がそろったことになります。「日の丸訴訟」には他にいろいろあって、特に「日の丸掲揚と君が代斉唱を義務化した東京都教育委員会の通達」が合憲かどうかが今でも争われていますが、校長の職務命令の合憲性と妥当な処分範囲を示した今回の判決が踏襲されるものと考えられます。

2011年1月29日付の朝日新聞によると、不起立などを理由に処分をうけた教員は、2000年度から2009年度の10年間で、全国で延べ1143人であり、このうち東京都が443人(39%)を占めるそうです。ある50代の都立高校教諭の話が載っていました。それによると、その教員は2005年以降、卒業式や入学式には出席していないと言います。2004年に不起立で戒告処分を受けてからは、毎回、来場者の受付や警備などの式場外の役割を担当している。「戒告処分を重ねないよう、校長が配慮しているのだろう」。だが校長からは「起立・斉唱ができないなら、式に出席する学級担任は任せられない」と言われたそうです。「思想信条にかかわることを強制するやり方はおかしい。教え子が卒業証書を受け取る姿が見られず、つらい」との教諭の弁です。

今回の最高裁判決の是非についての議論はここではしません。また都教育委員会の通達が妥当か、通達違反による処分が妥当かの議論もしません。ここで問題にしたいのは、学校におけるセレモニーにおいて、日章旗に対して起立しないという、教員としての行動の妥当性です。

とは言うものの、教育委員会通達(ないしは大阪市のように条例)による強制と処分は、合憲だとしてもやはりまずいと思います。「強制に屈するのは教師としてのありかたに反する、だから起立しない」という、日の丸問題とは全く別の論理を生んで問題を複雑にします。組織での職務命令違反を繰り返したということで、(今回のように)組織内での処分や罰則にとどめるべき案件だと思いますが、それが出来ない理由もあるのでしょう。

以下「日の丸問題」とは、ある組織に所属していて、その組織の公式行事において国旗に対して起立し国歌を斉唱することを拒否したため(起立しない、斉唱しない)その組織から処分を受け、その結果として裁判ないしは係争になっていること、を言います。

また「不起立行動」とは、国旗に対して起立せず、国歌を斉唱しないという行動そのものを言います。「不起立行動」をとったため、組織から処分を受けて係争になっているのが「日の丸問題」というわけです。

なお、不起立行動をする教員の中には「日の丸=国旗」ということに異論を言う人もいると思いますが、実質的に日本の国旗として扱われてきたし、また1999年に法律でも定義されたので、国旗とも書きます。

以下は、この問題に関する何点かの感想です。


不起立行動は本当に思想・信条の問題なのか


まず考えないといけないのは、不起立行動は本当に思想・信条の問題なのかということです。たとえばスポーツの国際大会で国旗の掲揚と国歌の演奏があり、主催者から起立を求められることはよくあります。そいういう状況において、不起立行動をとる先生はどうするのでしょうか。対戦相手の外国の国旗に不起立というのは非常にまずいわけです。良識のある教師なら、そんな外国に失礼な行動はできないはずです。外国の国旗の時には起立して日の丸の時には着席するか、そうするのが嫌でスポーツの国際大会には行かないか、そのどちらかでしょう。

仮に、スポーツの国際大会では日章旗に起立するようであれば(起立してもよいと考えるようであれば)、その教員は「学校という場において、思想・信条以外の理由で不起立行動をとっている」ことになります。

報道を読んで何となく感じるのは、日の丸問題がもっと大きなコトの一部、ないしは別のコトの象徴として争われているのでは、という疑いです。たとえば教育委員会の(不起立行動をする教師からすると)「押しつけ」がいろいろあり「それに対する反発」というような、もっと一般的で大きな問題です。

私は教師ではないので教育現場の実態は分かりません。大きな問題の一部(ないしは別の問題の象徴)かもしれないし、そうでないかも知れない。ここでは「日の丸問題」を純粋に思想・信条の問題として考えることにします。従って、不起立行動をする教員は首尾一貫している、つまりスポーツの国際大会でも不起立だとして話を進めます。また国旗に起立する必要のある学校外のセレモニー、たとえば全国戦没者追悼式には、たとえ戦没者の遺族として招待されても出席しないとして話を進めます。

不起立行動の理由の例としては、

太平洋戦争(および、その以前からの日中戦争)で、日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、軍国主義の象徴であった日の丸に心情として起立できない

という、個人の「思想・信条」だと考えたいと思います。あるいは戦時だけでなく、もっと長期の視点で

日の丸は、明治から昭和初期の時代までの、軍国主義、皇国思想、国家主義の象徴として使われた。現代もそういう動きがある。そういった主義・思想に反対する立場からすると、起立することはできない

という思想・信条の問題として考えます。もっと別の理由もあるかもしれませんが、以下はこの「思想・信条」および「不起立行動」が妥当か、が論点です。


「少数・教師・公務員」の問題


「日の丸・君が代」関係で処分をうけた教員の数.jpg
2011年1月29日 朝日新聞
まず認識しておきたいことは、不起立行動をする教員はごく少数ということです。2011年1月29日の朝日新聞記事のグラフによると「日の丸・君が代」関係で処分をうけた教員の数は、多い年で年間260人程度です。小・中・高校の教員の数は約85万人ぐらいなので、全体の数からみるとごく僅かです。仮に「不起立行動をとったが処分をうけなかった人」「処分をうけるのを避けるために式の当日休んだ人」「休みはしなかったが、会場の受付などをして式場には入らなかった人」が100倍いるとしても全体の 3% 程度(1年あたり)であり、非常に少ないわけです。ごく一部の教員の話だということに注意する必要があると思います。

さらにもう1点、考えるべきは、不起立行動はほとんど公立学校の教員で起こっていることです。国旗を掲揚し起立するセレモニーは全国の数々の組織体で行われているはずです。しかし、企業や官庁や私立の学校で日の丸問題が起こったという話はあまり聞きません。公務員、しかも教員の間で「思想・信条の問題だから、組織の長の指示には従わない」ということが(一部で)起こっている。この背景には「公務員の教師は特別の存在である」という教師側の意識があるように感じます。しかしこのような意識があったとしても、それはごく一部であり、大部分の公立学校の先生たちが不起立行動をしていないことは確かなのです。

しかし少数とは言うものの、以前に不起立行動をとる教員と教育委員会の間で板挟みとなった校長先生が自殺するという痛ましい事件が起きました(1999年2月、広島)。不起立行動の教員がごく一部だとしても、人を死に追いやったケースもあるので看過できない問題です。


日の丸のもとに死んでいった人、という論理の妥当性


まず「日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、心情的に起立できない」という理由(の一つ)の妥当性です。

No.37「富士山型の愛国心」でも書いたように、過去に日の丸が「国民を戦争に駆り立てる道具」となった時代があったことは確かです。日章旗が「国のために立派に死ぬ」ことの象徴のような時期があった。

国家の責務は国民の生命と安全を守ることです。戦時にはもちろん戦争に勝つことが第1の優先事項になりますが、その次に重要な事項の一つは戦場における自国の兵隊の死者を減らすことです。それは戦力を維持する上で必須です。しかし日本ではそうでない時代があった。自国の兵士の生命はほとんど省みずに、国のためということが喧伝された。捕虜になったら死ねというような教育とか、自爆攻撃作戦があった。戦いの結果の戦死ならまだしも、太平洋戦争での戦死者の6割は餓死だといいますね(補給がなかったわけです)。戦闘員のみならず、米兵につかまることを恐れて非戦闘員が自決するということもサイパンや沖縄(の一部)であった。それらの「国のため」の象徴(の一つ)として日の丸があった。これは全くの事実だと思います。

しかし、このような「超国家主義」の時期は、満州事変(1931年)から太平洋戦争の敗戦(1945)の14年間とみなしてよいと思います。「日の丸」が制定されたのは1870年で、現在まで約140年たっています。この間の約1/10という比較的短い期間のことなのです。この比較敵短い期間のことにこだわって、それから65年以上も経過している現在も行動するのは建設的な態度ではありません。

そして「国民を戦争に駆り立てる道具」は国旗だけではなかった。その強力な道具となったのは新聞です。

80年ほど時代をさかのぼりますが、関東軍が満州事変を引き起こすと(1931)、大新聞は関東軍擁護・支那批判の論陣を張りました。満州での日本の行動を非難した国際連盟の調査団の結果が出ると、大新聞だけでなく全国の新聞社132社が共同宣言を出し、満州国設立の妥当性と国際連盟批判のアピールをします(1932)。日本が国際連盟を脱退して世界の「孤児」になったのは、その翌年(1933)です。

補足しますと、満州事変以前の新聞は、ずいぶん軍部批判をしていたようです。ところが満州事変以降は軍部の行動支持に回った。一見、180度違うと思えますが、この「批判」と「支持」には明確な共通点があるように見えます。それは「国民にウケがいいことを書く」という共通点です。軍部が横暴だと密かに感じている国民に対しては批判がウケる。一方、中国にどんどん進出せよというのもウケがいい。「真実を書く」のが新聞だと思いますが、それと同時に「国民にウケがいいことを書く」というのも新聞であり、それは今も続いていると思います。「消費者に望まれる商品を届ける、というのがビジネスの鉄則」だからでしょう。

戦時中に「鬼畜米英」「米鬼」などとあおって、アメリカ兵に対する恐怖心を国民に植え付けたのも新聞です。No.47「最後の授業・最初の授業」で書いたように、故・青島幸夫氏は『23分間の奇跡』の訳者あとがきで、

「鬼畜米英われらの敵だ」、「撃ちてしやまん」、「一億玉砕」のスローガンのもとに育てられた "少国民" たち

と書いていますが、新聞はそういうスローガンを大量に書いていた。また、いかにアメリカ兵が残虐かを書き立てた。そういたった「誘導」が、非戦闘員の自決という悲劇の誘因になっことは容易に想像がつきます。

現在の新聞は「総括」を行って、軍部や政府に強要されてそのような報道を行ったと主張しています。強要はあったとしても、それだけではありません。むしろ「軍部の先を行っていた」のが新聞であり「軍部を積極的に後押しした」のが新聞です。このあたりの事情については数々の本が出版されています(たとえば、石田収『新聞が日本をダメにした - 太平洋戦争煽動の構図 - 』現代書林 1995)。

かつて「国民を戦争に駆り立てる道具」だったものを今でも拒否するのなら、不起立行動をとる教師は、現代も続いている大新聞の購読を拒否しなければなりません。はたして、そうなのでしょうか。

大新聞は一応の「反省」の弁を言っています。反省しているから現代の新聞は読むのだ、という論理もあるでしょう。しかしあたりまえだけど「日の丸」は反省を言えない。国旗をどう使うかは国民の問題であって国旗の責任ではないのです。責任を問うのなら、国旗をそういう風にした人の責任を問題にすべきです。


明治から満州事変までの日章旗


さらに不起立行動の理由として、満州事変から第2次世界大戦という戦争期間だけでなく、もっと大きく明治・大正時代を含む「軍国主義、皇国思想、国家主義の象徴としての日の丸」という見方もあると思います。確かにその通りですが、同時に明治以降の時代は、近代化を推進し、国民皆教育が徹底し、産業が振興し、現代日本語を含む数々の新しい文化が作り出された時期でもあった。日の丸はそれらの象徴でもあるはずです。ものごとの一面だけを見た思考は意味がないと思います。

そもそも、太平洋戦争の敗戦の時点(1945年8月)において、明治の最終年(明治45年。1912年)に生まれた人は33歳です。大正の最終年(大正15年。1926年)に生まれた人は19歳です。戦後の日本の(奇跡の)復興、民主主義国家としての発展、高度経済成長、教育システムが確立していった時期、つまり「日の丸不起立行動をとる教師の人たちが育ってきた時期」は、

明治生まれの人が社会の中核となって指導し
大正生まれの人が若手としてささえた

ことは誰の目にも明らかです。戦後の焼け野原から復興したのは昭和20年代以降なので誤解しそうですが、そこで「新しい日本」を作ったのは明治・大正生まれの人なのですね。あたりまえだけど・・・・・・。ちなみに、戦後の日本を代表する企業・ソニー(昭和21年・1946設立)の創業者である井深大氏は明治41年(1908)生まれであり、井深氏を支えた共同創業者の盛田昭夫氏は大正10年(1921)生まれです。明治・大正時代を一面だけからとらえることは、現代の日本社会の基盤を作った先人たちをないがしろにすることにつながるでしょう。

現代においても「軍国主義、皇国思想、国家主義の象徴としての日の丸」を掲げる人たちがいることも確かですが、それは一部の人です。全体を見ない議論も意味がありません。


心情的にできないという理由は妥当か


「日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、心情的に起立できない」という理由の「心情」はどうでしょうか。

少なくとも2000年代において不起立行動をとっている人は、戦争の実体験者ではありません。太平洋戦争の終了時には生まれていないか、ないしは幼少です。「戦争」「戦死」「国家主義の象徴としての日章旗」を実体験したのは、不起立行動をとっている教員の親、ないしはそれ以上の世代です。

タクシーとの交通事故で親や兄弟を亡くした人がいたとします。その人がタクシーを嫌って今でもタクシーに乗らないとしたら、その行動はよく理解できます。タクシー全般が悪いのではなく事故を起こした運転手が悪いのですが、強い悲しみを受けた人の「心情」としては理解できるわけです。しかし、その人の子供までもがタクシーに乗らないとしたら、それは変です。親の行動をみてそうしているとしたら、親離れしていないということになります。

日の丸問題で「心情」を理由に不起立行動をする人は、親の世代以上の人から聞いて、ないしは歴史書を読んで、そこから生まれた「心情」を言っています。それは本人の実経験から生まれた心情ではないのです。

人間の心情は尊重すべきですが、心情はそのうち世代交代ともに薄れて風化します。大切なのは、事実を次世代に伝え、悲惨な結果をもたらした原因と反省を記録として残すことでしょう。心情を問題にしている限りそれはいずれ消え去り、次の世代には何も残らなくなると思います。


「思想の自由」は「行動の自由」ではない


不起立行動は思想・信条の問題であって、それに介入するのはおかしい、思想・信条の自由の侵害だという論理があります。「信条」と「心情」がややこしいので「思想の問題」「思想の自由」とします。

確かに「思想の自由」は極めて大切な基本的人権の一つであり、「言論の自由」とともに現代の民主主義社会を成立させている根幹です。

歴史を振り返ってみると、ある一定の考えをいだくこと、ある主義を信じることが処罰の対象になった時代がありました。権力者に批判的な考えだというだけで逮捕される時代があったし、キリスト教を信奉することだけで投獄されることもあった。コミュニストというだけで警察につかまることもあった。日本でも、また世界でもです。

しかし世界の歴史をみると、近代国家の形成とともに「思想の自由」が確立していく。もちろん、揺り戻しや紆余曲折があり、今でもあるわけですが、とにかく「思うこと、考えを抱くこと、主義、は自由」という原則が次第に確立していく。これは人類の歴史において、この200年程度の間におこった画期的なことだと思います。これに「言論の自由」が加わって近代の民主主義社会が成立するわけですね。

生活に困窮しコンビニに強盗に入ってお金を強奪したいと思っても、思っただけでは逮捕されたり処罰されたりはしません。大量殺人を指示した宗教の教祖を今でも崇拝しています、と言ったとしても、その「崇拝している」ことだけで逮捕されたり処罰されたりはしない。

しかし、思想の自由は「内心の自由」であって、外部に現れる「行動の自由」を意味するものではないのですね。外部に現れる行動がルール・法律に反すると処罰されることがある。どの程度の行動が罪になるかは、ルール違反の重さや罪の重さによって決まります。コンビニに強盗に入るつもりでおもちゃの鉄砲を買っただけでは罪には問われないが、クーデターなどの国家転覆では謀議だけで罪になる。

日の丸起立問題に即して言うと、

日の丸は、軍国主義、皇国思想、国家主義の象徴であると考える
卒業式・入学式において、組織の長の職務命令に反して不起立行動をとる

の二つは違います。前者は「思想」「考え」であり、後者は「行動」です。不起立行動をとる教員は、この「思想」と「行動」が直結しています。これが非常に問題だと思うのです。

もちろん起立行動を組織の長が指示することは「思想に対する制限」ともとれないことはない。しかしたとえそうだとしても、それは「間接的な制限」です。前述の新聞記事で不起立行動をとる教師も「思想信条にかかわることを強制」と言っていますね。「思想信条を強制」とは言っていない。そして「思想の自由」を「思想にかかわることの自由」と拡大し、しかも「かかわることとは何かの解釈を本人にゆだねる」ということでは、この現代社会は成り立ちません。「本人が決める、思想にかかわることの自由」が無制限に保証される、というのはありえないのです。


思想と行動は一致させるべきか


一般の社会においては「思想・考え・思い」と「行動」は必ずしも一致しないし、残念だけど一致させられないというのが、普通の社会人の考え、ないしは行動様式です。つまり、

思想と行動は一致させたい。ただし社会で生きている以上、それが難しいことが多い。
思想を広めるために、ルールに抵触しない範囲でどういうアクションをとるべきか、考えて行動する。
思想をダイレクトに行動で表現できるよう、ルールをどう変えていくか、その方法と作戦をよく考える。
自分の考えとは違う行動を(やむをえず)しながら、もともとの考え・志・思想をどうやって失わずに保つか、その強い意志を持ち続ける。

などが一般的でしょう。普通の社会人はそう考えて行動しています。

さらに、思想の自由を守るためには、思想と行動の一致を「あえて」やめないといけない(やめた方がよい)場合があります。特定の思想を攻撃したい人がいたとします。近代国家では、思想を理由に人を攻撃できません。そこで攻撃者は必ず「外形として現れる行動のルール違反」を突いてきます。そのルール違反を罰することが目的ではなく、思想を攻撃したいために・・・・・・。これはいわゆる「別件逮捕」と似ています。有印私文書不実記載と聞くとどんな大変な罪かと思いますが、単に偽名で口座を作っただけだったりする。本当のヤマ(巨額脱税など)は別にあるのですね。

「日の丸は、軍国主義、皇国思想、国家主義の象徴である」と考えて(こう考えることは本人の自由です)公的セレモニーにおける不起立行動をとる人は、いかにも行動が稚拙だと感じられます。


「国旗への起立を特定の思想と結びつける」行動


「戦前に日本を戦争に誘導した人たち」と「不起立行動をする人たち」の間には、明確な共通点があります。

国旗に起立することが、特定の思想を受け入れることだと考えている

という共通点です。

もちろん、特定の行動が特定の思想・信条・信教を受けいれる(受け入れている)ことの表明になることが、社会ではいっぱいあります。しかし近代国家において、1つの国が1つの国旗という状況下で、さらに多様な意見の表明をベースとする民主主義社会において、国旗に起立することを特定の思想と結びつけることはやってはならないし、それは排除すべき考えのはずです。

日の丸問題に即して言うと、日本人には少数派と多数派があって、次のような構図になっているのでしょう。

少数派は「国旗掲揚=国家主義想の表明」だと考える。これにはさらに2派あって

国家主義を広めたい人
国家主義に反対したい人

の2つです。広めたい人は、日の丸への起立は国家への忠誠を誓うことだと考え、起立するかをどうかを忠誠の「踏絵」としたい。一方、不起立行動をとる人は、そのことで国家主義に反対を表明したいわけです。今、国家主義と書きましたが、これは軍国主義でも(極端には)皇国思想でもよいわけです。

一方、多数派は「国旗掲揚=特定思想とは無縁」と考えています。多数派の意見は以下のようなものでしょう。

国旗への起立は式典、セレモニーの一部であって、形式的なものである。
国旗は日本という国の象徴である。それ以上のものではない。
日本人というアイデンティティで生きていく以上、国旗に起立するのは自然である

などです。

外国国籍の人を含め、日本在住の人は国家を構成してその恩恵(安全、教育、人権、福祉など)を受けています。学校には外国国籍の生徒や在日の生徒もいるし、最近では外国人の(臨時)教員もいる。日の丸への起立が特定の思想(例:日本への忠誠)の表明だとすると、外国国籍の人たちは起立できなくなります。それでは現代国家は成り立ちません。多数派の考えが妥当です。

しかしこのような多数派に抵抗して、不起立行動をとる教員は「国旗に対して起立することを、特定の政治思想と結びつけよう」と躍起になっています。これは、現代国家における国旗のあるべき姿を逸脱させようとするものです。と同時に「国旗への起立=国家主義の表明」としたい人にとっては歓迎でしょう。「国旗に起立することは、特定の思想の表明である」というムードが生まれるし、不起立行動を糾弾することは、憲法論まで持ち出すことを含めて、いくらでもできるからです。

要するに「不起立行動をする人たち」は、「戦前に日本を戦争に誘導した人たち」が作り上げたパラダイムのもとに行動しています。主義・主張は全く正反対ですが、おなじレールの上での主義・主張であることは間違いないのです。


不起立行動は「やってはいけない教育」


教師が学校という場で不起立行動をとるということは、生徒に対して、暗黙に「思想・信条を、組織の指示系統やルールを度外視して、外部に行動として表してよい」という教育をしていることになります。これは生徒にとっては大きなマイナスでしょう。学校生活において生徒が「思想・信条をたてに組織のルールや指示系統を無視した行動をとる」としたら、学級や学校は崩壊します。

内心はどういう考えをもっていようとも、外部に現れる行動を社会が要請する一定のパターンに当てはめるのが、教育の中心課題のはずです。いやなこと、やりたくないこと、自分の考えと違うことでも、行動としてはやらないといけない。これは生徒たちが大人になって社会に出ていくまでに学ばないといけない重要なことです。

もちろん、社会が要請する一定のパターン通りに行動するだけで、そこに留まっていたのでは発展はありません。人それぞれがパターンにない独自性(個性)を発揮し、それが自分自身の利益になり、かつ社会にも貢献をするのが望ましいわけです。しかしそのベースとして必須なのは、社会が要請する一定の行動パターンを身につけていることなのですね。

社会が要請する一定のパターン通りに行動することがほとんど出来ないけれど、個人の才能や独自性が際だっていて、そのことで社会から評価される人がいます。芸術家や作家にそういう人がいますね。企業人にも、中にはいる。2011年に亡くなったスティーブ・ジョブズはそれに近いかもしれません。しかし、そのような人はごくごく稀なのです。こういう稀なケースは学校教育でどうするという範疇ではありません。

大多数の市民にとって、まず最低限「社会が要請する一定のパターン通りに行動できる」ことが、社会を構成していく上での必須事項です。その上に立って社会を変えていく(結果として、社会が個人に要請する事項を変える)ことが重要です。


教師としての責任


「かつて日の丸が象徴していた軍国主義、皇国思想、国家主義に反対したい。その復活を阻止したい」という考えをもった教師がいたとしましょう。思想・信条は個人の自由なので、そういう考えを持つことは別にかまわないわけです。

そうであれば、教師としては次のようなことを生徒に教えるべきで、それが教師という職業についた人の責任でしょう。

日の丸は、江戸時代から使われはじめ、明治の初期に国旗相当として制定されたこと。実質的に国旗として使われてきたこと。
日の丸が、国民を戦争に駆り立てる道具のように扱われたことがあったこと。日の丸のもとに、多くの人々が命を落とした一時期があったこと。
日本人が再び「日の丸を汚す」ようなことがあってはならないこと。日の丸を「不戦の誓い」の旗とすべきであること。日の丸に対して起立するときには、そのことを考えて起立すべきであること。自分(教師)もそうすること。
国旗は国の象徴であり、それを特定の政治思想を喧伝する道具としてはならないこと。

などです。どうしても起立に抵抗がある人は、教師としての務めとして、教育の場である学校行事では起立し、私的に参加する場でのセレモニー(スポーツの国際大会など)では不起立行動をすべきです。教師という職業を選んだ以上、そのぐらいの覚悟で職(=生徒に教えること)をまっとうしてほしいものです。




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