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No.37 - 富士山型の愛国心 [文化]

No.30「富士山と世界遺産」で、

新幹線で外国人に富士山の美しさを長々と説明した人の行為は、自国の誇りを対外的に説明しようとする「シンプルな愛国心」の発露だと思います。

「愛国心」というとちょっと大げさなようですが、国を構成する重要な側面は「自然」です。そして日本の場合、富士山を含む「山」は自然の極めて重要なファクターです。従って「日本を愛する」ことの一部として「富士山を愛する」ことがあって当然だと思います。

と書きました。今回はその続きです。ここで言葉にした「愛国心」について考えてみたいと思います。

何も大げさに「愛国心」と言わなくても、日本に生まれたから日本が好きだ、日本に住んでいるから日本が好きだ、私は日本を愛します、でよいわけです。しかし一歩踏み込んで、その「日本が好きだ、日本を愛するという感覚」を分析してみたらどうなるか、というのが論点です。


国レベルの愛郷心


「国」という概念は、あまりにも多くのものを含んでいます。そのため「愛国心」も人によってさまざまな定義や考え方があり、論点を整理しておかないと筋道が分からなくなります。

まず一般に「愛国心」と言われるものの中には「(現在の)国の体制や政治的主義に忠誠を誓うことを(暗黙に)求めるもの」があります。この「忠誠型の愛国心」いわば「忠国心」は今回の議論の範囲外です。

また「国益とセットで語られる愛国心」も議論の対象外です。何が「国益」の増進につながるのか、人によって考えが違うことが一般的です。領土帰属問題のように大多数の国民の意見が一致するものも中にはありますが、多くの問題における「国益」は、政治体制のありかたを含む個人の考え方や主義・信条で変わることが多い。たとえば経済・外交面で言うと、環太平洋経済連携協定(TPP)に参加することが国益になるという人もあれば、国益を損なうという人もいます。こういう場合の国益は、主義・信条・思想に加えて、個人や企業の利益(私益)が結びついていて、対立軸が生まれます。「国益型の愛国心」は議論の対象外です。

ここで議論したい「愛国心」は、

日本の国という「社会共同体」に対する愛情

であり、もう少し詳しく言うと、

特定の主義や政治的主張・体制とは無関係に、日本の国土と、そこに住む人々、および人々が作り出してきた有形・無形の事物を対象とする愛情

です。自分が生まれ育った町や、長年住んでいる街を愛するという「郷土愛=愛郷心」があります。そこで言う郷土を国のレベルまで拡大した愛郷心、郷土=国と考えたときの郷土愛を、ここでは議論することにします。言うなれば「国レベルの愛郷心」です。これが一番大切だと思うからです。

こういった「愛国心=国レベルの愛郷心」も、詳しくみていくといろいろありますが、その中に

多くの日本人が「日本ならでは」と感じるもの、自分たちの「誇り」だと感じるもの対する自然な感情としての「愛国心」

があります。No.30「富士山と世界遺産」で書いた富士山はその一つの典型なので、これを「富士山型の愛国心」と呼ぶことにします。このタイプの愛国心は、政治体制や主義・思想への依存度が少なく、日本人が共通の基盤の上で議論しやすいものです。また学校教育の中でも取り上げやすいはずです。

以下は、その「富士山型の愛国心」の分析です。


富士山型の愛国心


まず国のレベルでの議論の前に、普通言われる「郷土愛」を考えてみます。人が生まれ育った場所、ないしは長年住んでいる場所に愛着を感じるのはごく自然だと思います。郷土の数は市町村単位で数えても約1700あるので、1700種類の「郷土愛」や「ふるさと自慢」があるわけです。

しかし、たとえば稲作地帯に生まれ育った人が、青々と稲が茂る水田を見るのが好きで、それによって田植えから始まる農民の苦労を思い、そういう人の努力を含んだ郷土文化を愛する、と思っているとしましょう。そうすると1700種類ある郷土愛とはちょっと違ってくる。水田は日本全国にあるので「水田による稲作」を「日本」と結び付けて考えることができます。「日本は瑞穂の国で、そういう日本が好きだ」というように宣言できる。

つまり「ふるさと」や「故郷」や「居住地」が好きというのは郷土愛ですが、郷土の特質なり特徴が「国」レベルの特質だと感じられるとしたら、それは「日本が好きだ」という感情と結びつくわけです。稲作の例で言うと、日本全国の農業地帯が稲作ではないものの、稲作が日本の重要な特徴・特質だという前提にたっています。

こういった日本の特質・特徴は、自然環境、生活環境、文化、伝統などに始まって、下町情緒といった漠然としたものまで、多様なものが考えられます。もちろん、自然環境の一部である富士山も、そのうちの一つです。

日本の特質・特徴を良いと思い、それを愛するとなったとき、それは「誇り」につながります。「誇り」と感じられるようになったとき、それを日本だけでなく世界に知ってもらいたい、移植可能なものは世界に広めたいと思うのは自然な心の動きでしょう。富士山を世界遺産に登録する運動は、その例だと思います。

さらに一歩進んで「日本の特質や誇り」の中には「日本人としてのアイデンティティ」になるものが出てきます。つまり「それを愛でること、ないしは誇りにすることが、日本人の日本人たるゆえん」だと暗黙に考えられているものです。稲作や富士山は、個人がそれに関わっていようがいまいが、日本人のアイデンティティのレベルかもしれません。

こういった「日本の特質や誇り」には、現代に見られる事象や現代まで続いている事象だけでなく、日本人が「誇り」とする過去の歴史上の事象や功績も含めて考えることができます。明治維新は日本の誇りだと暗黙に考えられていますが、それは欧米列強がひしめく東アジアの環境の中で、自らの意志で革命を起こし、全く別種の政治体制への移行を成し遂げたことに対する「誇り」でしょう。アメリカ人における対英独立戦争、フランス人におけるフランス大革命もそうだと思われます。

以上に述べたような《富士山型の愛国心》を改めて定義すると、以下のようになります。
愛国心の、一つの重要な側面(富士山型)

日本の特質・特徴・誇り(だと認識するもの)に愛着を感じ、大切にし、それを継承・維持・発展させ、さらにはその内容を世界に向けて発信していきたいと思う、心の持ち方
その「日本の特質や誇り」と考えられるものの中から「自然環境」と「人間の営みが作り出したもの」のカテゴリを考えてみます。もちろん、自然環境のほとんどには人間の手が入っているので、この二つは相互作用の関係にあります。


自然環境


日本の特質でまず取り上げるべきは、その自然環境でしょう。富士山に代表される山岳もその一つだし、世界自然遺産に登録されている屋久島、知床、白神山地、小笠原諸島もそうです。それ以外の自然環境にも各種のものがありますが、日本の「特質」や「誇り」としてあえて一つだけとりあげると、
森林。国土面積に比較して非常に広い森林が維持されていること。
だと思います(人によって違うと思いますが)。

 日本の森林 

高尾山.jpg
高尾山の登山道にある吊り橋
高尾山はJR東京駅から1時間程度。
[site : 高尾登山電鉄]
日本の国土面積に占める森林の割合は70%近くもあり、このような国は非常にまれです。いわゆるG20などの先進国ではまずありません。これに匹敵する、あるいはこれ以上の国は、フィンランドかスウェーデンぐらいです。しかし、この2つの国の人口密度は日本の20分の1程度なのです。日本は世界でも希な「人間と森林が、密に共存している国」です。2007年のミシュラン・ガイドで東京都の高尾山が三ツ星になったのは、その象徴でしょう。ミシュランが「行くべき」観光地として高尾山を選んだ理由は、その自然環境であり、最大のポイントは森林だと思います。

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白神山地2.jpg
白神山地(青森・秋田)
[site : 青森県]
日本には人間の手があまり入っていないことで価値のある森林も多く、その典型が日本の世界自然遺産です。世界自然遺産の4つ(屋久島、知床、白神山地、小笠原諸島)は、森林生態系そのもの(屋久島、白神山地)か、ないしは森林生態系が重要な要素(知床、小笠原諸島)です。2011年に登録された小笠原諸島は、生物の固有種が多いことが自然遺産としての一番の価値ですが、森林の動植物の固有種がほとんどです。

また世界自然遺産とは逆に、人の手で守られてきた森林も多いわけです。日本では千数百年に渡って木を植えるという努力が重ねられてます。天皇・皇后陛下は毎年、全国植樹際に出席して自ら植樹をされていますが、国王、国家元首ないしはそれに相当する人物が、年に一度「植樹祭」に出席するという国は非常にめずらしいのではと思います。

森林は動植物の生態系を維持するとともに、河川を通して海洋生態系とつながっています。山の落ち葉や倒木は腐葉土を作ると同時に、その養分は雨で流され、川を経由して海に流れ込み、プランクトンの養分となって魚類や昆布などの生態系を作り出します。近海漁業は森林によって成り立っているのです。「森が死ねば海も死ぬ」(講談社)という本がありましたが、まさにその通りです。

 森林生態系としての熊 

ヒグマ(知床国立公園).jpg
知床国立公園のヒグマ
[site : 環境省]

ツキノワグマ(福井県).jpg
ツキノワグマ(福井)
[site : 福井県]
森林の動植物生態系から一つだけ取り上げると、たとえば熊です。日本では人間が熊に遭遇したり襲われるというトラブルが毎年発生しています。怪我をしたり亡くなった方は、まことにお気の毒だと思います。しかし裏を返すと日本は人間が熊に襲われるほど森林が残っていて、かつ森林生態系と人間が共存している国ということだと思います。

ヨーロッパのいわゆる先進国では、人間が熊に襲われる心配はありません。西欧では、とっくの昔に熊は絶滅してしまったからです。日本以外のG20の国で、熊が生息しているのは、アメリカ、カナダ、ロシア、中国ぐらいではないでしょうか。これらの国はすべて国土が極めて広大な国です。日本のように、小学生が熊よけの鈴を持って登下校する地域が全国至るところにある国というのは世界にほかにないと思います。熊に遭遇する心配のある国が先進国なのか、その心配が全くない国が先進国なのか、ここはよく考える必要があるでしょう。

しかし、熊が生息するほどの自然環境があると喜んでばかりはいられない。九州ではすでにツキノワグマが絶滅したと言われていますね。2001年に大分県が「ツキノワグマ絶滅」を宣言し、これで九州全域からツキノワグマはいなくなったと考えられています。全国では毎年2000頭とか3000頭とか、そういうオーダーで「熊の駆除」が行われています。少し前になりますが、2006年度の熊の捕獲数が異常に多いことが報道されました(2006年12月22日 日本経済新聞)。それによると2006年4月から11月までの8ヶ月間(冬眠入りまでの期間)で捕獲された熊は5059頭(ツキノワグマ:4732、ヒグマ:327)であり、特にツキノワグマの捕獲数が04年度の倍、05年度の6倍で、最多記録だとありました。9割は「駆除」されたそうです。このままいくと絶滅に向かうことは必然だと考えられます。

種の保存を考えると、熊は天然記念物に指定されて保護されるべきでしょう。熊は国際的にも絶滅危惧種です。カモシカが特別天然記念物なのに、熊が天然記念物でさえないのはおかしい。しかし、熊を天然記念物に指定すると駆除に支障をきたし、人間にとって困ったことが起きるのでしょう。であるなら、駆除を許可する数が本当に妥当なのかどうか、各都道府県はよく検討すべきだと思います。また、林業が大事だからといって杉や檜ばかり植林すると、広葉樹・ナラ類の実(ドングリ)がなくなり、熊にとっては厳しい生息環境になります。すでに絶滅した日本オオカミの例もあります。このあたりのアセスメントが大変重要だし、また熊と人間との共存策を真剣に考えるべきです。


文化:人間の営みが作り出したもの


文化という言葉を「人間の営みが作り出したものすべて」というように最も広くとらえます。この意味での「文化」における日本の特質も、数え切れないぐらいあります。

まず「芸術」のジャンルでは、日本画、浮世絵、華道などがあります。茶道や盆栽を芸術と言うかは別にして、日本が誇ってよい文化であることは間違いないでしょう。「文学」の領域では『源氏物語』や、世界に広まっている俳句があります。「工芸」では陶磁器、日本刀などがあり、また城郭、神社、寺院などの建築物や、書院造りの日本建築、日本庭園もそうでしょう。「食文化」における日本料理は世界に広まってきました。

日本の特質には、風習・民俗行事・民俗芸能のジャンルもあります。また里山、雑木林など、ライフスタイルと自然の接点が特徴となっているものや、さらには信仰心や宗教心などの「見えないもの」も、日本の特質として有力です。神社における「自然と同化する信仰心」というような例です。下町情緒とか、ワビ・サビを尊ぶ心といった「見えないもの」もあります。

最近では、日本のマンガ・アニメが世界を席巻しています。日本のマンガに影響を受けたハリウッド映画は多いし、ヨーロッパでは「キャプテン翼」にあこがれてサッカー選手になった有名選手がいたぐらいです。イタリアでバレーボールが盛んになったのは「アタック No.1 」のテレビ放映の影響だと、あるイタリア人は言っていました。

さまざまな「文化」が考えられますが、「文化=人間の営みが作り出したもの」から、日本の特質を一つだけ選べと言われたら、それは日本語だと思います。日本語を公用語としている国は日本だけだし、現代日本人の大多数は日本語で生活しているし、日本語は日本人が1000年・2000年というレベルで育ててきたものだからです。日本語は、直接関わっている人数が最も多い日本文化です。日本語を大切にし、育て、世界に広めていくという行為は「愛国心」の重要な一部だと思います。


愛国心の発揮の条件


以上のような《富士山型の愛国心》を大切にしていく上で重要な前提事項が3つあると思います。

 前提1:日本を知り、外国を知る 

《富士山型の愛国心》の前提である「日本の特質や誇り」を考えるとき、外国を知ることが非常に望ましいわけです。日本を知るためも、諸外国やグローバルな視点からみてどうか、という思考が必要です。日本の「特質」はそれほど根拠がないかもしれないし、客観的ではないかもしれないからです。

外国の「特質」を学ぶことによって、日本人が自省することもできます。たとえばヨーロッパでは街の「歴史的景観」や「都市景観」が守られ、それがの誇りとなっている国がいろいろあります。この面では日本よりもかなり進んいる。「景観」は現代の世代が作り(あるいは過去から継承・維持し)次世代へと伝える大切な文化だと思います。

 前提2:他国と他国民の尊重 

富士山の例でもわかるように(No.30 参照)、愛国心の背景には「それほど根拠のない、優越性への思い」がある場合が多いと思います。それはやむをえない現象だし、愛国心が自国で閉じている間は問題がないわけです。しかし他国に影響すると問題が生じる。他国も「それほど根拠のない、優越性への思い」を持っているはずだからです。愛国心の議論において重要なことは、他国民の「愛国心」を、それはそれとして認める態度だと思います。

 前提3:自国民の尊重 

愛国心の議論で一番よくないのは「こういう考えの人は愛国心がない」と、自分と考え方の違う人を切って捨てるという態度です。自分と違う考えの人を排除するために、その道具として「愛国心」を持ち出す人は、愛国心を議論する資格がないと思います。《富士山型の愛国心》における「日本の特質や誇り」も、何をとりあげ、どこに重点を置くかは人によってさまざまです。まず大切なのは自国の人々=日本人を尊重する態度でしょう。


マイナスの「愛国心」


《富士山型の愛国心》の定義をもう一度書くと、
日本の特質・特徴・誇り(だと認識するもの)に愛着を感じ、大切にし、それを継承・維持・発展させ、さらにはその内容を世界に向けて発信していきたいと思う、心の持ち方
となります。

この意味での「愛国心」を育てていくのにマイナスになる行為が、当然出てきます。上の定義から言って、「日本の特質を軽視・蔑視・否定・放棄・歪曲する考えや行動」は「マイナスの愛国心」であり「負の愛国心」になります。それを何点か視点を変えて列記したいと思います。

 改革期における歴史否定・伝統文化否定 

大きな社会体制の変革の時期には、それまであった歴史や伝統、文化を「悪」として否定したり、価値のないものとして無視したりする動きにどうしてもなるものです。従来の何を残し何を捨てるかという思考が本来のはずですが、激動期にはそうはなりにくい。「従来の何を残すか」という視点が失われがちになります。

典型的なのは明治初期に起こった、それまでの文化を否定するような一連の動きです。明治政府による廃仏棄釈では、寺院の仏像や障壁画が破棄されたり、行方不明になったりしました。一つだけ例をあげると、京都の大徳寺山内にあった天瑞寺は、明治初期に廃寺になり、そこにあった狩野永徳の障壁画『松図』は破棄されてしまいました。東京国立博物館所蔵の国宝『檜図屏風』(東京国立博物館)と同様の構図だったと言われています。現存すれば間違いなく国宝でしょう。

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狩野永徳『檜図屏風』(国宝。東京国立博物館)。永徳の死の直前の作品で、もともとは障壁画。この絵の2年前に描かれ、構図がほぼ同様の障壁画『松図』が京都・大徳寺山内の天瑞寺にあったが、明治初期の廃仏毀釈で破棄されてしまった。 [site : e国宝]

浮世絵が二束三文で大量に海外流出した(フランスだけで20万点と言われます)のもその一つでしょう。絵画が外国に買われるのはよくあることで、それだけでは問題視することではありません。しかし二束三文で業者に売るのはまずい。散逸や死蔵の原因になります。それは、日本人が自国の文化の価値を理解できていなかったということだと思います。日本を知るためには、外国を知る必要がありますが、残念ながら江戸時代ではそれが無理だった。

前提1で書いたように、日本の特質を知るためには、外部からの目線で日本を見る必要があります。それは必ずしも容易ではありません。私たちは自分で自分の特徴が分からないことが多いのです。江戸時代と違って現代は「外国情報」が溢れていますが、自分で自分の特質が分かりにくいことには変わりません。この点は十分に意識して行動すべきでしょう。

自国が作り出した文化の価値を、自らが理解するのが難しい。これは明治期の日本だけではありません。それは、フランス印象派の絵画の傑作群が、大量にアメリカの美術館(ワシントン、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、など)に所蔵され、各美術館の「目玉作品」になっているのを見ても分かります。19世紀後半から20世紀前半にかけては、印象派絵画の価値を理解できない画壇・評論家・画商をかかえた「文化国家」と、文化的伝統はないが蓄えた富で文化の吸収に躍起となっていた「新興国」、という構図があったのでしょう。2011年に日本で開催された「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のキャッチは「これを見ずに、印象派を語れない」でしたが、誇張ではないのです。「二束三文で」流出した浮世絵に多大な影響を受けた印象派絵画が、同時代の本国で当初は十分には理解されず、傑作群の海外流出を招いたのは皮肉というしかありません。伝統文化の価値を理解できなかった明治期の日本とは逆の意味ですが・・・・・・。

 グローバル化の名の下の、特質の放棄 

日本の文化が世界に広まる過程において、グローバルの名のもとに、日本人が自らその特質を捨ててしまうことがあります。一つだけ例をあげると、たとえば柔道の例です。

柔道・剣道・相撲などの試合は、勝ち負けを競う競技であると同時に、人間の精神を鍛錬する場(「道」)という性格をもっています。その現れとして、これらの試合における勝者は、勝ったその場で喜びを陽には表しません。相撲で勝った方が拳をかかげて土俵を一周したりはしないし、剣道で勝った方がガッツポーズをしたりはしない。そんなことをしたら、すぐに試合出場停止の処分を受けます

これらの試合で勝者がまずやるべきことは、敗者の健闘をたたえ、努力を重ねてきたのに敗れた者の無念さを思い、また勝ったからといって増長しないように自らを戒め、今後のさらなる鍛錬を心することです。これは、サッカーやボクシング、バレーボール、野球などにおける、勝った時・点が入った時の「喜びよう」とは大きな違いです。どっちが良い、悪いという話ではありません。

ところが柔道は「国際スポーツ」になった。そしてオリンピックの柔道で一本勝ちした日本選手が、畳の上でぴょんぴょん飛び跳ねるまでになった。飛び跳ねたとしても外国の観客には全く違和感はないと思います。しかし柔道の本来の姿を考えると「畳の上でぴょんぴょん」はないだろうと思うわけです。控え場所まで行って喜びを表すならともかく・・・・・・。日本柔道連盟はなぜこういうことを許したのでしょうね。たとえ外国人選手がやったとしても、まねをしなければいい。外国人選手から「なぜ日本人選手は、その場で喜びを爆発させないのですが」と聞かれたら、その理由を説明すればいいわけです。「さすがに柔道発祥の国の精神性は深い」と尊敬されるはずです。「ぴょんぴょん柔道」は本来の特質を放棄しています。

 独自性に対する、ネガティブな反応や否定 

一般的に言えることですが、日本では個性が突出した人が「嫌われる」ことや「評価されない」ことがあります。横並びを尊び、他人と同じであることに価値を見いだし、独特であることや独自性にネガティブな反応を示す傾向です。

この傾向は国というレベルにもあります。世界の他の国、特に欧米先進諸国と違うコトをやることが、悪いとか、よくないといった暗黙の評価になるわけです。「普通の国になりたい」というようなことを堂々と公言する政治家がいるぐらいです。世界で「唯一無二の国」になりたいのなら分かるのですが・・・・・・。もちろんグローバル化の現代において、国際的な取り決めで諸外国と共通化する部分や、共同歩調をとるべき部分があるのはあたりまえです。しかし独自性がないと「国」としての意味はありません。その独自性に対して否定的な評価をするのはおかしい。

産業界から一つ例をあげますと、たとえば日本の携帯電話(スマートフォンではない、従来型の携帯電話)を「ガラパゴス携帯」と揶揄したり批判したりするメディアがありました。日本市場だけで独自に高度に進化し、世界市場でのビジネスに進出していないことを言っています。しかし独自に極めて高度に進化したこと自体は「素晴らしいこと」のはずです。「ガラパゴス携帯」という揶揄・批判の背景には「独自性に対する嫌悪感」があると感じます。揶揄・批判しているメディアの記者は意識していないと思いますが・・・・・・。

また、今はそうでもありませんが、日本語に対して「曖昧だ」とか「論理的でない」といった批判をする「知識人」が過去にいました。信じられない現象です。そもそも言語は、人間の想念をできるだけ「論理的に」「曖昧さを排除して」表現しようとするものなので、こういった批判自体が論理矛盾です。要するに、その人が曖昧で非論理的な日本語しか使えない、ということだと思います。しかしこのような批判の背景には、日本語が諸外国の言語と似ていない、もっと言えば「知識人」の好きな欧米諸国の言語(インド・ヨーロッパ語族の言語)とは全く違う構造を持った独自のものである、ということがあると思います。「独自性に対する嫌悪感」が背景にあるのでしょう。

 日本語の破壊 

独自性のある文化を一つだけ選べと言われたなら、それは日本語ではないか、と書きました。日本語を育てることは大変重要だし「愛国心」の根幹部分だと思います。

しかし、それに逆行する「日本語を破壊する」ような行為があります。それはいわゆる「言葉の乱れ」ではありません。「言葉の乱れ」は自然に収束するものだし、また言葉は「乱れ」を起こし、それを修正しつつ、ある部分を新しい要素として取り入れて、変化していくものです。それよりも大きな問題は、政府・自治体やマスメディアという「公的・準公的組織による強制的な日本語破壊」だと思います。

「交ぜ書き」という表記があります。被ばく(被曝)、破たん(破綻)、改ざん(改竄)、り災(罹災)、口てい疫(口蹄疫)、漏えい(漏洩)、隠ぺい(隠蔽)、はん濫(氾濫)、常とう句(常套句)などという書き方です。こういった表記方法は、漢字と仮名の本来の使い方を無視しています。読みにくい漢字にはルビをふればよいのであって、漏洩ろうえいと表示するぐらい、ITを駆使している新聞社やTV局は簡単なはずです。ブログで簡単にできるぐらいなのだから・・・・・・。改竄と書くのが嫌で「改ざん」書くぐらいなら「改変」の方がよい。類似の意味で使えることが多いと思います。それ以前に、あれだけ政府を批判しているマスメディアだし、報道の自由の侵害に対しては徹底抗戦するはずだから、政府の「漢字規制」には一致団結して反対すればよいのです。

固有名詞は日本語の重要な一部ですが、地方自治体による「歴史的地名の抹殺」も、非常に気になる行為です。また、さいたま市、つくば市、さくら市(栃木)、みどり市(群馬)などの平仮名地名がありますが、なぜ平仮名にするのでしょうか。難読漢字を仮名化するならまだしも、このような地名表記は千数百年にわたる日本語の歴史にはありません。よく幼稚園生や小学校低学年の名札に「すずき けんいち」というような表記をしますね。それと同じで、まるで幼稚園生や小学生向けの地名だと思います。そもそも日本語は、発音に加えて「漢字でどう表記するか」までが決まって言葉が完成する言語です。


マイナスの「愛国心」:歴史の認識不足


「日本の特質」の中には、最近、世界文化遺産に登録された「平泉の歴史地区」のような歴史的遺産もあるし、富士山信仰のように、長期の歴史過程を経て醸成されていきた文化もあります。歴史の正しい認識は、「特質」や「誇りとすべきもの」の理解に是非とも必要だと思います。しかしそれに反するような日本の歴史の認識不足があるのではないでしょうか。それを何点かあげたいと思います。

 歴史の「孤立化」 

その一つは「日本史が世界史との関係で語られない」という「歴史の孤立化」です。

以前に書いたことからだけ例をあげると、たとえば No.20「鯨と人間(1)」で書いたような、幕末のペリー来航と、アメリカの捕鯨産業による太平洋捕鯨との関係は、あまり語られません。もちろん、ペリー来航が日本の政治・軍事に与えたインパクトを記述するのが歴史のメインであってよいのですが、補助記述として捕鯨産業との関係があってよいわけです。

No.30「富士山と世界遺産」で書いた、世界文化遺産である石見銀山は「西のポトシ、東のイワミ」と称されたような世界的視野で記述しないと、文化遺産の意味は理解できないはずです。日本史における銀の輸出も重要性も分からないと思います。

 歴史上の事象の「針小棒大化」 

極めて短い期間に日本に現れた現象を、あたかも長期間にわたる日本固有ものだとすり替える議論があります。これは日本の特質の歴史的理解を損ねるものです。これは明治時代から第二次世界大戦の終了までに起こった事象のケースが多い。

たとえば天皇家の地位や、そのありかたです。日本の長い歴史において天皇家は政治権力を行使するのではなく、世俗の権力とは一線を画した「権威」や「象徴」だったわけですね。政治権力は藤原氏や幕府だった。いわば、ヨーロッパ近代王室の「君臨すれど統治せず」を昔から実現していたわけです。「天皇親政」のような現象は、明治天皇から昭和天皇(1945まで)と、あとは天智天皇と後醍醐天皇ぐらいではないでしょうか。それは、日本の天皇家と天皇制の長い歴史からみると、ごくごく短期間の現象です。

国旗である日の丸(日章旗)は、日本の「特質」とは言えないけれど、世界で唯一のものであることは確かです。この「日の丸」が制定されたのは1870年で、現在まで約140年がたっています。この間、不幸なことに日の丸が国民を戦争に動員する道具のように使われたことがあったわけですね。それはざっと言うと、昭和に入ってからの約20年間です。この期間のことを指摘して、現在も「日の丸のもとに死んでいった人のことを思うと、国旗に起立はできない、それは思想と信条の問題」と言う人がいます。

思想・信条は個人の自由ですが、「日の丸が国民を戦争に動員する道具」だった時代は、日の丸の歴史の中では7分の1以下のごく短い期間なのですね。戦争体験者ならともかく、66年前に終わった比較的短い期間のことに縛られて現在も行動するのは、建設的な態度だとは言えないと思います。思想・信条は個人の自由ですが・・・・・・。

 歴史上の功績の「矮小化」 

日本の歴史における「過去の日本人の功績」は、日本の特質ではありませんが、日本人の「誇り」になっているものがあります。たとえば明治維新を成功させた人たちや、戦国時代の混乱期を収拾して国の統一をした人たちの功績や物語は、繰り返し伝えられています。

しかし理解に苦しむことなのですが、歴史上の功績をことさら矮小化した例があります。それは、鎌倉時代の元・高麗連合軍の日本侵略、いわゆる文永の役(1274)弘安の役(1281)です。この戦いでの日本軍の勝利を「暴風雨」に求めるような歴史記述・歴史認識が過去にありました。現代は、まともな歴史書ではこのような記述はないと思いますが・・・・・・。

確かに弘安の役では、暴風雨があったことは事実のようです。しかしこの戦いの勝利の要因としてまず掲げるべきは、防衛戦を戦った武士とその配下の雑兵たちの功績ではないのでしょうか。北条政権も文永の役の反省から博多湾に長い石塁を築き、それが役立った訳ですね。この「本土防衛戦」に北条政権がかけた費用と労力も相当のものだったはずで、事実、文永・弘安の役以降、鎌倉幕府は弱体化しました。文永・弘安の役の歴史記述としては、御家人や武士は立派に戦って、敵を撃退したというのがまっとうであり、そこでどういう戦いがなされたかが重要なはずです。もちろん暴風雨を付加的要因として持ち出すのはありますが、それが中心ではないはずです。戦争においては、プラスになるにしろマイナスに働くしろ、予想外のアクシデントが起こるのはよくあることなのです。

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蒙古襲来絵詞 [部分](宮内庁・三の丸尚蔵館)。肥後の御家人・竹崎季長(すえなが)が、自分の戦いぶりを描かせたものと言われる。図は、元・高麗連合軍の船に乗り込む季長たち(至文堂 日本の美術 第414号 2000 より引用)

「近代以前に行われた、唯一の本土防衛戦」で敵を撃退したのに、その主な勝因が暴風雨では、戦いで死んでいった武士や配下の雑兵たちも浮かばれないと思います。また、そういう形で歴史を学んだ人に「国を守る気概」など生まれないはずです。文永・弘安の役の際に神社や寺院で「敵の調伏、撃退」を祈祷した人たちは「祈祷の成果だ、神風が吹いた」と宣伝したでしょうが、歴史記述がそれに乗ってはいけないのです。こういった「自国を侵略軍から防衛した」ようなケースでは「暴風雨のことはいっさい伏せて、御家人や武士の活躍ぶりだけを記述」したとしても、それはそれで理解できるというものです。

他の国ではどうなのでしょうか。アメリカ独立戦争を記述するアメリカ史、ロシア軍がナポレオン軍を撃退したロシア史、ジャンヌ・ダルクが活躍した英仏戦争のフランス側歴史においては、たまたま起こったラッキーな事象が自国の勝利にプラスに働いたことを、大々的に宣伝したり、言いふらしたりしないのではないでしょうか。そういったラッキーな事象は無視するか、あくまで補助的記述のはずだと推測します。こういった国の防衛に関する戦いは、現代に至る自国の成立過程に深く関わり、その国の国民のアイデンティティとなっているからです。

歴史と先人の苦労や努力を、ことさら矮小化して伝えてはならないと思います。


「代替不可能」という価値


日本の「特質」「特徴」「独自性」に戻ります。

日本だけの独自性は、外国との関係においてプラスに働くこともあれば、もちろんマイナスになることもあります。しかし独自性そのものは貴重です。それがプラスになるように工夫し、独自性うまく生かして、世界にメッセージを発信したり、国の活力を上げるために使うべきものだと思います。

独自性は「キャッチアップ型思考」からは生まれません。キャッチアップとは、追いつくべき「モデルA」を想定し、Aのようになるために頑張る、という思考です。国というレベルで言うと、A国のようになりたい、それを目指すという思考です。しかしそういったA国は、数十年前ならともかく、現代ではもうありえない。「キャッチアップ型思考」からは抜け出す必要があります。

独自性は「世界一」とか「世界ランキング」という考え方には馴染みません。世界一というのは、あくまで同一基準で計測した時に、最も程度が高いものです。他国にはない独自性は、順位を計測する基準がないのでランキングは議論できないのです。同一の基準で競争し、切磋琢磨することも重要ですが、それ以上に「競争という次元にならないこと」に価値を見いだすのも重要です。

人間の最大の価値は「余人をもって代え難い」という「代替不可能性」です。国の最大の価値も代替不可能性です。そして必要なのは「他国をもって代え難い特徴や特質を見いだし、また特徴や特質を作っていく」ことでしょう。それができれば「愛国心」は自然に醸成されると思います。



 補記 

『2001年に大分県がツキノワグマ絶滅を宣言し、これで九州全域からツキノワグマはいなくなったと考えられています。』と書きましたが、2012年5月14日の朝日新聞によると、絶滅していない可能性が高くなってきたようです。

2011年の10月に、大分・宮崎の県境にある祖母山で登山者がクマとおぼしき動物を目撃し、ほかにも証言があるようです。NGO・日本クマネットワークが本格調査に乗り出すと記事にはありました。朗報を期待したいものです。




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