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No.16 - ニーベルングの指環(指環とは何か) [音楽]

No.14No.15 に続いてリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」です。ここでは、このオペラにおける《指環》とは何かについて、自由に発想してみたいと思います。なお、以降で『指環』は「ニーベルングの指環」というオペラを意味し、《指環》は金属加工品としての指環を示します。


《指環》=金属製錬技術の象徴


端的に言うと《指環》とは「金属製錬技術」の象徴だと考えられます。ここで言う金属製錬技術とは広い意味です。つまり金属の元となる鉱石を採掘し、そこから金属だけを抽出し、純度を高め(=精錬)、金属製品に加工するまで全てを指します。この意味での金属製錬技術を象徴するのが《指環》であり、また金属製錬技術を持つ集団がニーベルング族です。

『指環』の物語の発端となるライン河の黄金ですが、古来より黄金は権力の象徴でした。古代エジプトのツタンカーメンの黄金のマスクは有名ですし、ギリシャ文明のミケーネからは「アガメムノンの黄金のマスク」が出土しています。南米のインカ文明でも黄金文化が栄えました。日本においても奥州平泉の藤原氏の権力基盤は黄金です。豊臣秀吉が作らせた黄金の茶室などは権力の象徴の最たるものでしょう。黄金はその稀少性と光り輝く美しさ、変質しないことにより、権力者が競って求めるものとなり、その製錬技術を持った集団が重用されたことは想像にかたくありません。

人類史をひもとくと青銅も重要な金属です。青銅は農機具や宗教用の器具、日用品、武器などの「実用」に初めて広く使われた金属です。銅の歴史も青銅と同様に古いのですが、銅の融点は1083度です。そこに錫(すず)を混ぜて青銅にすると融点が800-900度に下がり、圧倒的に加工しやすくなります。しかも強度がある。人類の金属文化は、その初期段階から合金が使われていたわけで、驚きです。

金属が「実用」に使われると、その集団や国の経済力や軍事力は格段に向上します。たとえば木製の鍬や鋤しか持たない集団と、青銅の刃をつけた鍬や鋤を持つ集団を比較すると、畑を耕す効率が全く違うので農業生産性に大きな差がつくでしょう。古代では経済力=農業生産力なので、それは国力の差になります。また、青銅製の剣と鎧で武装した集団とそういうものを持たない集団が戦争をしたら、勝敗は明らかです。

青銅の次に歴史を大きく動かすことになった金属は鉄です。製鉄技術は紀元前15世紀ごろのアナトリア、現在のトルコにあった「ヒッタイト帝国」で実用化されたと言われていますね。製鉄技術を独占したヒッタイトは、当時の世界最強国だったラムセス2世率いるエジプト王国とも互角に戦いました。ヒッタイトの製鉄技術については、そのルーツや製鉄炉の場所などの謎も多く、トルコ政府はアナトリア考古学研究所を設立して国際協力も得ながらその解明に乗り出しています。日本もODAを含む協力をしています。

製鉄の難しいところの一つは、鉄の溶解温度が1535度と高いことです。この高熱を持続できる火力を得るには、それなりの技術が必要です。しかし青銅より優れているのはその硬さです。従って武器や防具、農機具などの硬度が必要なものは鉄で、日用品や宗教用器具は加工しやすい青銅でという使い分けが始まりました。

硬度に関してですが、青銅製の槍と鎧で武装した軍隊と、鋼鉄製の槍と鎧で武装した軍隊が激突したとすると、圧倒的に「鉄の軍隊」が有利です。それは騎馬隊をもつ軍隊とそうでない軍隊が平原で戦闘をするとどちらが有利かに似ています。あるいは現代の戦争で言うなら、暗視装置を全員が装着している軍隊とそれを持たない軍隊が砂漠で夜に対峙したとしたら、暗視装置を持つ軍隊の圧倒的勝利で終わる。これは数年前に世界中の人が目のあたりにしたわけです。軍隊の戦闘能力は、それだけではありませんが、装備に大きく影響されます。

さっき「騎馬隊を持つ軍隊」と書いたのですが、そもそも騎馬の軍隊ということ自体、鉄と切り離せません。つまり馬の蹄に蹄鉄を装着することによって「人を乗せ、また荷物を乗せて長距離を走行する馬」というものが初めて出現したわけです。歴史上、匈奴からフン族、モンゴルと、騎馬民族はユーラシア大陸を席巻したのですが、それは鉄を利用してこそ可能だったわけです。

製鉄技術を頂点とする金属製錬技術は、古代においては国の命運を左右するようなものであったと考えられます。だからこそ権力者はその技術を手に入れようと必死になる。『指環』においては、その技術者集団であるニーベルング族を囲い込むのが神々の族なのか、それともギビフンク一族か。その争いに勝ったものが世界を支配する・・・・・・。《指環》を手に入れる者が世界を支配するというこのオペラのストーリー展開の骨格はそういうことであって、それが物語の大きな構図だと思います。


ジークフリートの暗示:鉄を鍛える


『指環』の物語の大きな構図からすると、ジークフリートは神々の族が金属製錬技術を入手しようとニーベルング族に送り込んだ、とも考えられます。

楽劇「ジークフリート」の第1幕において、ジークフリートは母親から託された折れた剣を溶解し、再生し、鍛え直します。剣は『指環』において「武器としての金属」を象徴しています。それは世界支配の具体的なシンボルとしても使われています。

 
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楽劇「ジークフリート」
第1幕より
ジークフリートは自ら剣を鍛え、その剣で鉄床をまっぷたつに割ってしまう。
剣はまた製鉄技術の象徴です。ジークフリートの行う「鉄を鍛える」ということは、鍛鉄を作るということだと考えられますね。鉄は酸化物として産出しますが(鉄鉱石)、それに炭素(炭やコークスなど)を混ぜて高温で熱することにより鉄になる。これが銑鉄(せんてつ)ですが、そのままではもろいわけです。ここから炭素分を少なくして鍛鉄にすると硬度が増す。これを極限まで進めたのが日本刀ですね。ジークフリートが剣を鍛えるのは、母と死に別れてニーベルング族のミーメに養育され、そこで製鉄技術を身につけたという暗示だと思います。

楽劇「ジークフリート」第1幕の最初で剣を鍛えているのは、ジークフリートを養育したミーメです。しかしジークフリートを満足させるには至らない。ミーメが鍛えた剣はことごとくジークフリートに折られてしまいます。業を煮やしたジークフリートは第1幕の最後で自分で剣を鍛えます。そして鍛えた剣は鉄床をまっぷたつに割ってしまうのです。ジークフリートはミーメから学び、ミーメ以上の技術を身につけたと考えられます。


ジークフリートの暗示:不死身


ジークフリートは鍛えた剣によって最強の戦士になり、剣で大蛇を殺し《指環》を奪います。そして大蛇を殺した時に返り血を浴びることで不死身になります。このあたりは似たような伝説を思い出します。英国のアーサー王伝説に「エクスカリバー」という剣が出てきますね。この剣を持っていると傷を受けないという伝説です。また、剣で大蛇を殺すというのは日本の神話にもありました。スサノオノミコトが十握(とつか)の剣で八岐大蛇(やまたのおろち)を殺す有名な話です。

ジークフリートは大蛇の返り血で不死身になるのですが、この不死身は、実は完全なものではありませんでした。一箇所だけ背中に弱点があるわけです。楽劇「神々の黄昏」でジークフリートはこの弱点をハーゲンに突かれて殺されてしまいます。

この「一箇所だけの弱点」という話で多くの人が思い出すのではないでしょうか。そうです、ギリシャ神話のアキレスの話です。ギリシャの英雄アキレスは屈強な戦士であり「不死身」です。トロイア戦争においてアキレスは大活躍しますが、彼には唯一の弱点があり、そこを矢で射抜かれて倒されてしまいます。いわゆる「アキレス腱」の伝説です。

この「不死身」を金属製錬技術と結びつけて考えると、アキレスやジークフリートの不死身は、鉄製の鎧(よろい)と兜(かぶと)で防御していることの象徴だと思います。鉄製の鎧と兜で防御している戦士は不死身になる。しかしそれは完全ではなくて、剣を突き刺す(ないしは槍で狙う)スキが必ずあり、そこを的確に狙えば倒すことができる。これが、ジークフリートの不死身と死が暗示していることだと思います。

ジークフリートの不死身に関連して、私が強く思い出すのは日本のある民話です。それは、司馬遼太郎さんが紹介している沖縄・竹富島の民話です。


沖縄県 竹富島


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(表紙は竹富島の白砂の道)
竹富島は石垣島と西表島の間にある「隆起珊瑚礁」から出来ている小さな島です。残念ながら私は訪れたことがないのですが、旅行したことのある妻の話ではガイドブックどおりの大変に美しい島のようです。人口は320人程度、周囲9kmで、島の中にはコンビニもネオンサインもありません。島民の方々の手入れが行き届いた白いサンゴの道が続いている、景観の素晴らしい島です。この島では1986年に「竹富島憲章」が制定され、伝統的な赤煉瓦の使用、看板の規制、車両制限、などが決められていて、景観の維持に最大の注意が払われています。

竹富島と鉄器の関係なのですが、まず前提として日本における鉄器の普及の歴史を知っておく必要があります。中国で鉄の利用が始まったのは紀元前10世紀の周の時代ですが、本格的に鉄器が普及したのは春秋戦国時代の末期・紀元前3世紀ごろで、日本への導入もほぼそのころだと言われています。その後、日本では砂鉄を利用した「たたら製鉄」が発達しました。宮崎駿さんの「もののけ姫」は室町時代の「たたら」集団がテーマになっていますね。

しかし、沖縄では砂鉄がとれないため製鉄の発達は遅れ、鎌倉・室町時代に中国・日本から鉄器を輸入したのが鉄製品の普及の始まりでした。以下の竹富島の民話は、司馬遼太郎さんが「街道をゆく」の取材で竹富島を訪れ、そこで聞いた話です。本からそのまま引用します。

おそらく室町期のいつのころか、本土から鍛冶が竹富島にやってきたというのである。むろんその男は道具を持ってきたろうし、鍛鉄のモトになるタマハガネも持ってきたであろう。 この民話では、この男は乱暴者で島民をこきつかったが、全身が黒鉄(くろがね)でできていたため(具足か鎖帷子・くさりかたびら・でも着込んでいたのだろうか)だれもかれをどうすることもできなかったという。 かれは鍬や鎌をつくって島民にあたえた。それによって増産された分を収奪したのであろう。ともかく鉄器を独占した者が権力を得るという仕組みがそのまま民話になっている。民話では、かれは島出身の妻に刺し殺される。この黒鉄男は、全身が鉄でできているのに、頸のほんの一部だけが肉でできていた。妻はそれを発見し、その部分を刺すことによって、島民の禍(わざわい)をのぞいたという。

司馬遼太郎 街道をゆく 6 「沖縄・先島への道」
(朝日文庫 1978)

鉄=権力 → 不死身 → 唯一の弱点 → 刺殺、という『指環』のジークフリートがたどる物語が、そのまま日本の民話となっているかのようです。ジークフリートと違って、この民話に登場する「男」は悪役ですが・・・・・・。おそらく世界の民話、伝承のたぐいを調べると、このての話がいっぱいあるのではないでしょうか。


《指環》=文明の象徴


さらにもっと進んで《指環》は金属製錬技術の象徴にとどまらず、もっと広く(金属製錬技術に代表される)文明を象徴していると考えることができます。

思い出すのは『指環』のストーリーの根幹になっている「アルベリヒの呪い」です。《指環》を手に入れたものは無限の力を得るわけですが、アルベリヒの呪いでは、《指環》手に入れた者は破滅します。これは文明を手に入れたものは支配者になれるが、その文明によって自らを滅ぼすという暗示だと思えてなりません。

文明の代表格である鉄器を考えてみると、鉄器は農機具としても使われますが武器としても使われ、戦争の道具となります。いきおい武器を手に入れようとする争いは熾烈になり、この繰り返しの中で人間集団が破滅していく。武器による抗争は人間の心をもむしばみ、民族の内部分裂を招き、集団は崩壊に至る。『指環』においてギビフング族のハーゲンは悪の権化のように描かれますが、文明がハーゲンのような「悪」を生み出したと解釈できます。文明が武器を通して人類を滅ぼしかねないということは、まさに8月6日がくるたびに広島市長が世界に向けて発しているメッセージです。

このような文明→抗争→破滅という展開以外に『指環』に直接的には描かれていませんが、文明が自然環境を破壊し、それによって文明は危機に陥るという重大な歴史上の事実があります。


文明が環境を破壊する


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ビュクリュカレ遺跡
(中近東文化センターのホームページより)
文明が自然環境を破壊する例は過去に数多くありました。《指環》が象徴する金属製錬技術もそうです。金属製錬には大量のエネルギーが必要ですが、近代以前においてエネルギーを得るためには木を切るしかありません。これが森林の破壊を招きます。日本を含む世界において、鉄の生産に長い歴史をもつ地域は森林破壊が起きました。

鉄の先駆者・ヒッタイト帝国はどうかというと、現在のトルコのヒッタイト遺跡付近の写真を見ても、製鉄ができるような土地にはとても見えません。荒野とは言わないまでも森がないのです。しかし遺跡を発掘している日本の中近東文化センターの研究員の方はつぎのように発言しています。

この遺跡(=ビュクリュカレ遺跡)にヒッタイトの製鉄炉があってもおかしくない。付近には鉄鉱石が転がっているし、鹿の骨もある。鹿がいたということは、燃料の木々も豊富だったということだ。
( 朝日新聞 2010年 8月 7日 )

要するに、紀元前1500年頃のヒッタイト帝国の景観は現代とは全く違ったわけです。ヒッタイトに限らず、製鉄が発達した地方は森の退潮が顕著です。地中海地方、韓国、中国、日本の中国地方などです。日本の「たたら製鉄」は特に中国地方で発達しましたが、製鉄による森林の伐採が進み、荒れ地に成長しやすい松が増えたため、皮肉にも松茸の産地になったと言われています。

宮崎駿さんの「もののけ姫」には、まさに室町時代における製鉄技術集団と山の神の「自然をめぐる対峙」が描かれていました。「もののけ姫」を見るとわかるのですが、エボシが率いる「たたら」集団は鬱蒼とした森に近接した「たたら場」で製鉄をしています。そういう場所でないと鉄は作れないからです。紀元前1500年頃のヒッタイトの遺跡周辺はまさに「もののけ姫」のような感じだったのでしょう。

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「もののけ姫」の"たたら場"とその周辺


金属精錬による自然破壊:ローマ帝国


日本のように降雨量が多く森林の回復力が強いところはまだましです。しかしそうでない土地では森林の破壊は致命的な結果を招きます。ジョン・パーリン著「森と文明」(晶文社 1994)に、2000年前の文明先進国であったローマ帝国の話が書かれていました。これは金属製錬による環境破壊が国を滅ぼしかねないという具体例です。ちょっと引用します。

ローマの成長の財政的基盤は、主としてスペインの原鉱石から抽出した銀であった。銀の生産がめだって増加したのは、共和政時代後半と帝政時代の初期である。しかし、このあおりをくったのがイベリアの森であった。というのも、銀を製錬する窯が製錬の工程で消費した木は、400年間で500万本以上にのぼったからである。窯の燃料を提供するために伐採された森林面積は、1万1200平方キロメートル以上にもなる。
(「森と文明」143ページ)

No.16-6 森と文明.jpg以上のような記述に続いて、その後にスペインにおける銀の生産がどういう経過をたどるかが書かれています。ローマ帝国は木材供給のコントロールに乗り出します。浴場経営者などの非採掘業に対し、経営上必要とする量のみの森の木を取得するように命令を出し、木材価格の高騰を防ぐため木の転売を禁止します。

しかし2世紀末に、ついに銀の生産量が減少し始めます。銀鉱石はまだ豊富にあったにもかかわらずです。そしてコンモドゥス帝(180-192)はついに銀貨における銀の含有量を30%も下げてしまったのです。すぐあとのセヴェルス帝(193-211)はさらに20%下げ、銀の含有量は50%を切りました。こうなると事態は急速に進展し、3世紀末には銀の含有量が2%にまで減り、貨幣価値が激減しました。4世紀初頭にはすでに、物々交換や物による支払いが制度化されたと言います。

ローマ帝国の基軸通貨は「デナリウス銀貨」です。塩野七生さんの「ローマ人の物語 第13巻:最後の努力」には、

初代皇帝のアウグストゥスが制定して以来のローマ帝国の通貨は、実に300年以上にわたって銀本位制でつづいていたのである。デナリウス銀貨を基軸通貨にすえる制度であった

と書かれています。また同じ本には、銀貨の銀含有量の変遷も表にしてあります。

時期   銀貨の重さ   銀の含有量
  BC.23   3.9 g   純銀  
  AD 64   3.4 g   銀 93% 銅 7%  
215   5.5 g   銀 50% 銅 50%  
265   3.0 g   銀  5% 銅 95%  

銅と書いてあるところは「銅やその他の金属」の意味だと思いますが、全体として「森と文明」の記述と同じです。森林の限界が銀の生産の限界に直結するわけです。

No.16-7 ローマ人の物語13.jpgここで、スペインの森が少なくなったのなら森がまだ豊富に残っている地方(たとえばガリア)から木材を運んだらどうかとか、逆に銀の鉱石をガリアに運んで製錬したらと思うのは早計です。それは論理的には可能ですが、そいういう「重量物」を運ぶには多大なコストと労働力の投入が必要です。製錬した結果としての「純銀」を運ぶコストとは比較にならない。当時はトラックや輸送機械はないのです。銀貨の貨幣価値がそれを作るコストを上回わらないと経済は成り立ちません。

ここまで基軸通貨の素材価値が下落するとインフレを招くはずです。アルベルト・アンジェラ著「古代ローマ人の24時間」(関口英子訳。河出書房新社 2010)には次のように書かれています。

なかでも驚くのは、小麦価格の高騰だ。紀元1世紀には、6.5キロ(1モディウス)の小麦が3セステルティウスで手に入ったが、2世紀後(3世紀末)には。240セステルティウスまで上昇していた。

ちなみに4セステルティウス(青銅貨)で、1デナリウス(銀貨)です。紀元1世紀の時点で1セステルティウスは現代の2ユーロぐらい、とアルベルト・アンジェラは書いています。

もちろん、一般的に言って物価高騰やインフレの原因は貨幣価値の下落だけではありません。需給のアンバランスや財政政策の失敗(国の債務超過など)でも起こります。しかし最も基本的な生活必需品である小麦の価格が2世紀の間に80倍にもなったことが、この期間に同時に進行していた貨幣価値の下落と無関係だとはまず考えられないでしょう。

ローマ皇帝は、帝国の基軸通貨の銀含有量を数十分の一に低下させてしまいました。これは、この一事だけをとってみても、国を滅ぼすにも等しい行為です。貨幣の信用度はガタ落ちとなり、物資の流通は滞り、物々交換の時代に舞い戻り、経済は停滞するはずです。国の財政は悪化し、当然のことながら、軍事力も低下します。

「ローマ人の物語」で塩野さんは「経済人なら政治を理解しないでも成功できるが、政治家は絶対に経済がわかっていなければならない(第6巻:パクス・ロマーナ)」と書いていますが、全くその通りだと思います。「暴走」とでも言うべき経済政策の引き金を引いたもの、それは森林の破壊だったというわけです。


『指環』が問いかけるもの


もちろん、森林破壊は金属製錬だけが原因ではありません。近代以前においては、一般の人が炊事や暖房に使うエネルギー源は木材(薪、ないしは炭)です。特にローマ帝国では浴場の運営に多量の木材が必要だったことは想像に難くありません。それはスペインにおける浴場経営者に対する木材取得の制限令に具体的に現れています。歴史書には「ローマには大規模な公衆浴場がたくさんあり、常時お湯があふれ、皇帝も市民も奴隷も一緒に入浴を楽しみ・・・・・・」みたいな表現がよくありますが、その裏で進行していたことを見ようとはしないわけですね。

家屋や建物を作る素材である煉瓦も問題です。煉瓦を焼くにもエネルギーが必要だからです。その点、古代からある「日干し煉瓦」はエネルギーを必要としません。我々は何となく「焼き煉瓦」の方が強固で風雨や自然災害に強いから、より「進歩的で高度」であって、それに対して「日干し煉瓦」は「遅れた」人たちがやることのように思いますが、どちらが本当に進んでいるのかは一概には言えないと思います。

船の建造にも大量の木材が必要です。近代以前においては、大量の木材がないと船は絶対に造れません。船は輸送力や軍事力を通して文明の繁栄の基盤となったものです。いや繁栄どころか、軍船・軍艦として国が生きるか死ぬかを決める重要装備でもあったわけです。昔習った「世界史」で、古代ギリシャの都市国家がペルシャ戦争に勝利する契機となった「サラミスの海戦」を思い出します。スペイン帝国の凋落(=イギリスの隆盛)のトリガーを引いた「無敵艦隊の敗北」という世界史上の重大事項もありました。

大規模な森林破壊は、単にエネルギー源が枯渇するだけなく、山地から川や河口への土砂の流出を招きます。さらに、川から海に流れ込む栄養分が少なくなって近海のプランクトンを減少させ、沿海漁業の漁獲量が減少します。森が大規模に消失すると森林からの水分蒸発がなくなって、気象変動さえ引き起こしかねません。つまり生活環境が広範囲に変わってしまうのです。このあたりが怖いところです。

さらに、環境破壊は森林破壊だけではありません。文明の最たるものである「農業」は、過度の耕作や灌漑を通して土壌の破壊(塩分の集積や土壌の流出など)を招き、それが数々の古代文明の衰退の原因になりました。過度の遊牧も植生を破壊して土地の砂漠化を進めました。文明の発達→環境破壊→文明の衰退、というサイクルは人類史に多数あるのです。

はたして現代人はこのサイクルから抜け出したのでしょうか。《指環》の呪いからまぬがれ得たのでしょうか。エルダの警告(No.15 譜例 21 参照)は聞き入れられたのでしょうか。「文明が文明を危機におとしいれる」のは古代だけのことなのでしょうか。現代人である我々は、どの程度「賢く」なったのでしょうか。これが《指環》が提示している「重い問い」だと思います。

続く


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