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No.14 - ニーベルングの指環(1) [音楽]

No.5 - 交響詩「モルダウ」のところで、

音楽の世界でも神話・伝説・伝承をもとに作品を作った例が数多くあって、スメタナの同世代ワーグナーも多くの作品を書いている、それを最も大々的にやったのがゲルマンの伝承や北欧神話を下敷きにした「ニーベルングの指環」4部作。そう言えばスメタナの「わが祖国」に出てくるシャールカ伝説の「女性だけの戦士団」は「指環」のワルキューレを連想させる。

と書きました。

TitlePage3.jpgそのリヒャルト・ワーグナーの「ニーベルングの指環」(以下『指環』と記述します)について書いてみようと思います。

『指環』は、「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の全4部作のオペラ(楽劇)で、ぶっ通しで上演するとしても約15時間もかかる、音楽史上屈指の大作です。この大作の複雑で込み入ったストーリーやドラマ、登場人物に言及し出だすとキリがないので、ここでは『指環』の音楽の特徴である「ライトモティーフ(ライトモチーフ)」に話を絞ります。「ライトモティーフ」を通して『指環』のテーマを推測してみたいと思います。

なお、以下に掲げる『指環』の画像は、ジェームス・レヴァイン指揮、メトロポリタン・オペラのものです。


ライトモティーフ


ライトモティーフは特定の人物・モノ・事象・自然現象・感情・理念などを表す比較的短い旋律、クラシック音楽でいう「動機」で、ドイツ語は Leitmotiv です。英訳すると leading motif、日本語では「示導動機」ないしは「指導動機」と訳されています。英語でもドイツ語そのままに leitmotif ともいうので、ここでは「ライトモティーフ」で統一したいと思います。

ライトモティーフはワーグナーのオペラでは『指環』だけでの特徴ではなく、もちろん他の作品にもあります。また「後輩」のプッチーニなども類似のことをやっています。しかし『指環』ほどライトモティーフを大々的かつ組織的に使った例はありません。

『指環』のライトモティーフは、数え方によって数十個から百数十個ほどあります。比較的分かりやすいのは「ラインの乙女」「ジークフリート」「小鳥」「黄金」「剣」「ライン河」「嵐」などの「ヒト・モノ」を表すライトモティーフですが、「アルベリヒの呪い」「ヴォータンの怒り」「契約」などの「コト」を表すものもあります。さらにライトモティーフは使われる箇所によって「槍」はまた「契約」であったりというように「関連はするが、違った意味を持つような多義性」があります。

問題はこれらの使われ方です。たとえばラインの乙女たちが登場する場面に「ライン河」や「ラインの乙女」のライトモティーフが使われたり、「ジークフリート」のライトモティーフが鳴り響いたすぐ後にジークフリートが舞台に登場したり、登場人物が怒っている時に「怒り」のライドモティーフが流れたり、というように、ドラマの演技や場面を強めたり、盛り上げたり、という使われ方があります。これらはいわば「分かりやすい」使われ方です。


ライトモティーフのドラマ性


しかしもっと進んで、舞台上の演技や歌では直接的には表現されない裏の意味や事情を表現したり、その後のドラマの進行や展開を予告・先導したり、といったケースが非常にたくさんあるのです。

一つだけ例をあげますと、楽劇「ラインの黄金」の4場で出現する「呪い」というライトモティーフがあります。これは「指環を手にするものは死ぬ」という呪いなのですが(譜例18。後で詳述)、このライトモティーフが楽劇「ワルキューレ」の第2幕・第1場の最後のところで「突如として」出てきます。この第2幕・第1場では、ヴォータンの妻のフリッカ(=結婚の神)がジークリンデとジークムントの近親相姦に怒り、ジークムントを倒すことをヴォータンに約束させます。そして舞台から去っていくのですが、そこでオーケストラが演奏するのが「呪い」です。これは、約束どおりジークムントが死ぬこと、つまり『指環』のドラマ展開の根幹になっている「呪い」と、ジークムントの運命が、「死」という共通項でつながっていることを暗示していると考えられます。

こういったたぐいの、裏の意味や事情を表現したり、その後のドラマの進行や展開を予告したり、というライトモティーフの使われ方が『指環』ではいっぱいあるわけです。

さて、ちょっと「ややこしい」ことになってきました。普通オペラを劇場で見たりDVDで鑑賞するといった場合、私たちは舞台の上で繰り広げられる歌手たちの歌と演技でドラマの進行を(字幕も参照しながら)理解するわけで、オーケストラはそのドラマの進行を音楽で「盛り上げ」たり「雰囲気づくり」をする、あくまでドラマの進行にとっては補助的役割だと何となく感じています。ところが『指環』においては、オーケストラはそれ以上のものなのです。つまり、歌手の演技の裏の意味やドラマの今後の展開をライトモティーフが暗示する、というようなことがあるわけです。「ライトモティーフのドラマ性」と書いたのは、ライトモティーフという音楽がドラマを進行させる重要な意味を担っている、という意味です。つまり『指環』というドラマは、
 ① 歌手の演技
 ② 歌唱
 ③ 舞台装置
 ④ ライトモティーフを含む音楽
の4つの要素によってストーリーが進行していきます。普通のオペラよりドラマ進行の構成要素が一つ多い感じで、つまりこれだけでも「ややこしく」なってきた感じなのです。


映画に引用された『指環』


ここで『指環』のライトモティーフが引用された映画作品を見てみたいと思います。つまり「クロスオーバー的な見方」で、ライトモティーフの役割を確認してみます。

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一般にクラシック音楽を映画のサウンドトラックに使った例は山のようにありますが、『指環』のライトモティーフ(音楽)の引用についてまず思い浮かぶのは、フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」(1979)でしょう。アメリカ軍の軍用ヘリコプターが解放戦線の拠点となっている村落を攻撃する場面に、「ワルキューレ」第3幕の「騎行」が使われています。この例では、馬に騎乗して駆けめぐるワルキューレの姿と軍用ヘリコプターが重ね合わされています。いわば非常に直接的かつ視覚的で、分かりやすい例です。戦争の道具をワルキューレと重ねるのはどうかという意見があると思いますが、それはさて置きます。

しかしこのような「直接的」かつ「視覚的」ではなく、ライトモティーフが持つ意味合いをドラマの進行に役立てた映画があります。その例がニコール・キッドマン主演の「記憶の棘」(2004米映画。原題:Birth)です。

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この映画では、夫を突然死で亡くしたニューヨーク在住の若い未亡人(ニコール)が再婚しようとしています。まさにその時、死んだ夫の「生まれ変わり」だと言う少年が現れます。初めは無視していた彼女も、少年の話を聞くうちに「ひょっとしたら」という思いが芽生えます。そのような中で、主人公が婚約者にさそわれて劇場に行く場面があります。カメラはほとんどニコールだけを追うので、劇場が何か、どのような出し物かは初めは分かりません。座席に2人がついたあと、カメラはニコールの顔のクローズアップだけを画面いっぱいに写します。そして音楽が流れ出すのです。これで理解できます。音楽は「ワルキューレ」の冒頭です。ということは、メトロポリタン歌劇場にオペラを見に行った、というような想像がつくわけです。

問題はこの「ワルキューレ」の冒頭部分です。これは『指環』の中では「嵐」と名付けられているライトモティーフで(譜例15)、この動機をチェロとコントラバスが演奏するのが「ワルキューレ」の冒頭の前奏曲の出だしなのです。この場面は「嵐」というライトモティーフで、主人公の心の中の嵐を表現していると言えるのです。
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主人公は再婚の婚約をしたものの、亡くなった夫への思いを断ち切れません。再婚相手に不満はないものの、本当に再婚していいのか、無意識での葛藤があります。そんな折りも折り、少年が現われる。生まれ変わりなどありえないと思うものの、ひょっとしたらという考えも出てくる。なによりも少年の出現が、もともとあった再婚にまつわる心の葛藤を増進させる。主人公の心の中ではまさに「嵐」が吹き荒れているのです。また「嵐」はこの後のこの映画の「激動する」ストーリー展開を暗示しているようです。

映画としての出来・不出来は別として、この映画のシナリオライターはワーグナーをよく知っていますね。どれかの有名オペラの「劇的な」旋律を映画に採用したのではなく、あえて「ワルキューレ」の冒頭をもってきている。「嵐」がこのシーンでは適当だということ、またそれ以上に、人間心理を指し示してドラマを進行させるというライトモティーフのワーグナー的役割を知っているわけです。ワーグナーのオペラの音楽の一部を映画に使うときの「極めて正しいやり方」がここにはあります。


ライトモティーフの物語性(1)


話を『指環』に戻します。ライトモティーフはさらに進んで単独で存在するのではなく、あるライトモティーフから別のライトモティーフが派生し、そのことによって意味が深まったり、さらには物語の構図やテーマを暗示するという例があります。

この「派生」をワーグナー自身が明確に示している箇所があります。つまり「ラインの黄金」の第1場の終りの部分で、ヘ短調の「指環のライトモティーフ」(譜例16)が次第に形を変え、変ニ長調の「ワルハラ」のライトモティーフ(譜例17)に変奏されて第2場に入る箇所です。これは、神々の居城(=ワルハラ)が世界を支配することを示唆しています。指環が暗示することは「世界の支配」だからです。もちろん解釈はいろいろと可能ですが、確実に言えるのは、この箇所が1つのライトモティーフから別のライトモティーフが派生し、そのこと自体が意味をもっていることを音楽として示していることでしょう。つまりこの部分は、作曲家自身が「ニーベルングの指環におけるライトモティーフはこういう使い方をするのだ」ということを宣言しているのです。
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Score17.jpg実はこれと極めてよく似た例があります。譜例18は前にも述べた「アルベリヒの呪い」というライトモティーフです。「ラインの黄金」の第4場で、ニーベルング族のアルベリヒは自らが黄金から作った指環を神々の長であるヴォータンに取り上げられてしまいます。そもそも指環とは、それを手にするものに無限の力が与えられるというものです。指環を取り上げられ怒ったアルベリヒは、指環に呪いをかけます。「この指環を手にするものは死ぬ」という呪いです。譜例18のはまさにその呪いをかけるところで、アルベリヒが「呪いによってわしのものになっていたその指環に呪いをかけるぞ。その黄金の指環はわしに限りない力を与えたが、今やその魔力はそれをもつやつに死を与えよ」(天野晶吉訳。以下同じ)と歌う場面の、その前半の旋律です。
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この「アルベリヒの呪い」は、それ以降の『指環』においてストーリーの根幹のところを支配していて、『指環』の最終場面におけるワルハラ(神々の居城)の炎上・崩壊も、この呪いの実現であるわけです。

ところが、この「アルベリヒの呪い」と非常によく似たライトモティーフが次の楽劇「ワルキューレ」の第3幕・第1場に出できます。それは「ジークフリート」を表すライトモティーフ(譜例19)です。
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『指環』の主人公(の一人)であるジークフリートが舞台で活躍するのは楽劇「ジークフリート」と「神々の黄昏」です。従ってこの2つの楽劇において譜例19はたくさん出できますが、最初に出てくるのはジークフリートがまだ生まれていない段階の楽劇「ワルキューレ」です。つまりジークリンデが身ごもっている(その子がのちのジークフリート)ことを知ったブリュンヒルデは、ヴォータンの命令に反してジークリンデを森に逃がすのですが、その時の歌唱の中にこのライトモティーフが初めて出てきます。その場面のブリュンヒルデの歌唱は「この世の最も高貴な英雄を、あなたは胎内に宿し、守っているのだということを」(譜例19の箇所)というものです。

Walkure 3-1-1.jpg
「ワルキューレ」第3幕・第1場より
ブリュンヒルデ
  ヒルデガルト・ベーレンス
ジークリンデ
  ジェシー・ノーマン

譜例18と19の関係は、譜例16と17の関係にそっくりです。譜例18は短調、譜例19は長調です。しかしよく似ている。譜例18の「音の運び」が譜例19の最初から5小節にそっくりです。これは一種の「変奏」なのです。譜例19の「ジークフリート」の方が旋律としてはっきりしていて輝かしいので、譜例19の最初の5小節を短調にして変奏したのが譜例18と言ってよいと思います。

これが意図的にそうなっているとすると何を意味しているのでしょうか。自然な解釈は「ジークフリートは、呪いと関連して生まれてきた」、あるいは「ジークフリートのウラには呪いがある」という解釈です。事実、ジークフリートは楽劇「ジークフリート」で指環を手に入れ不死身になるのですが、「神々の黄昏」で唯一の弱点をハーゲンに突かれて殺されてしまいます。

つまり楽劇「ラインの黄金」の終了部分での「アルベリヒの呪い」と、楽劇「ワルキューレ」での母親の胎内にいる「ジークフリート」という2つのライトモティーフの類似性で、ドラマの大きな構図(の一つ)が暗示されているわけです(そうとしか思えない)。そして大事なことは「ジークフリートは呪いと関連して生まれてきた」というような登場人物の歌唱はないし、それを匂わすセリフもないし、演技もないことです。それは音楽だけで暗示されているに過ぎない。しかもこの暗示はジークフリートがまだ生まれてもいない段階からされるのです。

「ニーベルングの指環」というオペラの最大のトリックは「呪い = ジークフリート」という、物語のエンディングを見据えた重要な伏線が音楽だけで示されていることでしょう(下図)。しかもこのトリックは「ラインの黄金」と「ワルキューレ」という二つのオペラをまたがって仕掛けられているのです。

RingLeitmotiv.jpg
(以降、続く


 補記:デリック・クックのライトモティーフ解説 

イギリスの音楽学者、デリック・クックが「ニーベルングの指環」のライトモティーフを解説した2枚組CD(英語版)があります。この日本語対訳とライトモティーフ譜例を以下の記事に掲載しました。

No.257-261 "ニーベルングの指環" 入門(1)~(5)

(2019.06.21)


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